23 交わした約束
「キャロル…君の実家って…」
「うーん……もうすっかり、お互いに別の生活が成り立っているから、実家って言われても…って感じかなぁ……」
苦い笑みを見せるキャロルからは、語りたくないオーラがそこはかとなく漂っていて、
キャロルを『様』と敬称付で呼びかける、領地持ちの
だがエーレは、諦めて
「⁉」
「立てないんだろう?」
「………はい」
素で聞いてくるエーレに、重くはないのかとか、衆人監視、視線は気にならないのか――とか、キャロルは諸々聞こうとして、結局、聞くのをやめた。
――無駄だと悟るのも、きっと大事なことなんだろう。
宿に入った際も、案の定女将や従業員にギョッとされたものの、エーレの「少し具合が悪いんだ。水を一杯頼めるか」の一言で、すぐに沈静化した。
部屋に入り、ベッドの端にキャロルを座らせたエーレは、最初は水を手渡そうとしたものの、キャロルの手が震えていて、とてもコップを持てそうにないと気付いた為か、いったんコップをテーブルの方に置くと、キャロルの隣に腰かけて、静かに肩を抱き寄せた。
左手が、膝の上で震えが止まらないキャロルの両手を、包み込むように、握りしめる。
「……もう、大丈夫だから」
「う、うん…分かってるんだけど…そうなんだけど…あの殺気が…身体から消えてくれないって言うか…違う、もうダメだとか…最後…っ」
最後まで、諦めるつもりはなかった。
だけど、どうしようもない、圧倒的な実力差が、そこにはあった。
怖かった。それも確かだ。だけど何より、首をはねられそうになったあの瞬間、もうダメだと思った自分が――許せなかった。
護衛2人を逃がせなかった。
他には?
本当に自分は、最後まで足掻いたのか?
考えれば、考える程――思考の迷路から、出られない。
「こんなんじゃ、お祖父ちゃんにも呆れられちゃうよね⁉お祖母ちゃんだって、ガッカリするよね⁉」
「キャロル」
「士官学校に推薦されて、絶対、私、
「キャロル‼」
パニックになりかけているキャロルに、エーレは一瞬だけ、躊躇するように顔を歪めた後、何かを決断するように目を閉じると、そのまま左手でテーブルのコップに手を伸ばして、中の水を口に含んだ。
コップを置いた左手で、キャロルの顎を持ち上げ――唇を、重ねる。
「ん…っ…⁉」
舌でこじ開けられた口の中に、冷えた水が一気に喉の奥まで流されていく。
「ん…んっ」
水の冷たさが、少しずつキャロルを落ち着かせてはいったものの、今度は
「んーっ」
押し返そうとした手も、いつの間にか左手はがっちり掴まれ、右手は抱きすくめられたエーレの肩に阻まれる形で、ピクリとも動かせずにいる。
…
どちらかと言えば鈍いであろうキャロルでさえも、それが理解出来た。
(待って、ごめんなさい!もう落ち着きました、もう八つ当たりしません。だから離して!)
と、言いたいにも関わらず、「ん…っ」としか、言えない程の――長く、激しいキス。
キャロルはおろか、
某ロマンス小説文庫とかなら、ここで何も考えられなくなって朝チュンか…とか、馬鹿な事を思っていた時点で、既にパニックは最高潮に達していたと思われた。
頭の中がすっかり現実逃避をしていると言う事に、気が付いたのは後々の事だったけど。
「ふ…あっ」
ようやく唇が離れ、息が出来るようになった時には、キャロルはただ呆然と、エーレを見つめていた。
「キャロル……」
エーレの右手が、そっとキャロルの頬に触れる。
「俺は、君が好きだよ。生意気だなんて思った事は、一度もない」
「………え?」
「まいったな。本当は今、こんな風に言うつもりじゃなかったんだ。だけど君が、あまりにも自分を卑下していたから、つい……」
そう言って、今度は軽く――
半瞬遅れて、キャロルは「ええっ⁉」と目を真ん丸に見開いていた。
「返事は、今は良い。君には、お祖父さんやお祖母さんに誇れる自分になる――って言う確固たる目標があって、それが、君が君であるための核のようなものだと、分かっているから。だからそうだね……君がそう思える日が来た時に、その先の人生を、俺と歩くことを考えて欲しい。士官学校は、3年だっけ?じゃあ、5年くらいあれば、一度は、望んだ自分になれているかは、振り返れるかな?」
「………」
お付き合いを通り越して、人生の話になっているのは、気のせいだろうか。
エーレの左手が反対の頬にも添えられ、気が付けば、両手で顔を挟まれて、上向かせられていた。
「5年後、君が、君の望む自分になれていたなら――俺は、カーヴィアルまで、君を迎えに行くよ。でももし、そうでなかったなら……」
「…なかったら…?」
「その時は、有無を言わせず、君をカーヴィアルから
美形のアップに、うっかり流されそうになったものの、キャロルはふと、根本的な疑問に気が付いてしまった。
「…エーレ……『迎えに行く』と『攫う』って…何か違う…?それって結局どっちも――んっ⁉」
言いかけたキャロルの言葉は、再びエーレの唇で塞がれた。
「ん…っ」
「…やっぱり、気が付くんだね。君のそう言う所、好きだよ」
唇を離したエーレが、可笑しそうに笑う。
ゾクッとする程の良い声だが、それはイルハルトの声に感じた恐怖とは、根本的に違っていた。
「出来れば『攫い』たくはないけどね。それは、君がまだ、家族に誇れる自分になれていないのに、ルフトヴェークに連れて帰るって事だから」
「……あ」
「でも俺も、独身のまま逃げ続けるのは、5年が限界じゃないかと思ってるから、そこは指定させて欲しいんだ。俺に、君を諦める選択肢はないから、だから『ルフトヴェークに行く』って言う結論ありきにもなってる。ただ君に、君の中で納得をして欲しいだけなんだ。君が
「エーレ……」
「キャロル。俺の隣は、それまで君のために空けておくよ。だから、君の隣も――」
戻ってからも、空けておいて?
もう、何度目かも分からなくなった口づけの後、最後にキャロルの耳元で、エーレはそう、囁いた――。