17 横抱きは断りたい
『
右の二の腕に鈍い痛みが走るのにも構わず、キャロルは再び身体を捻ると、その勢いで、左手の剣を窓の外へと思い切り投げ付けた。
「ぐ……」
微かな呻き声と、何かが墜落した物音は、確かな命中の証だろう。
「愚かにも武器を手放すか、小娘……!」
男は、やはり
エーレとの斬り合いの隙を縫うように、真横に一閃された剣が、キャロルに襲いかかる。
後方に飛びすさりながら、せめて両手で顔を庇って、最小限の負傷に止めようと足掻いてはみたが、その切先は、幸いにもキャロルにまでは届かなかった。
「どこを向いている、イルハルト‼」
剣先が横に流れた隙を、逆に突くかのように、剣が折れんばかりの凄まじい斬戟が、男の剣の柄近くに叩きつけられたのだ。
「くっ……!」
キャロルを斬り捨てる筈だった男の剣が、手を離れて、床に転がっていく。
キャロル自身も、イルハルトの攻撃にバランスを崩して、身体を後ろの窓枠に大きく叩きつけられたのだが、腕ごと斬られるよりは、よほどマシと思う他なかった。
男は、転がった剣を拾おうと手を伸ばしたものの、ぴたりと己の首筋に突きつけられた、剣の切先に気付いて、その動きを止めた。
「…慈悲のおつもりか」
「
今までに聞いた事がないようなエーレの口調に、痛みに顔を歪めながらも、キャロルは内心で驚いていた。
「ここでお前を斬ることで、フレーテ妃は私を追い落とす口実を得て、お前は彼女の腹心のまま、
男は唇をかみしめて、視線をそらした。殊更勝ち誇った風もなく、エーレもそれを見下ろしている。
ゲーシェル、が何かやっぱり分からなかったキャロルだが、地獄や冥府のようなものかと、何とはなしに当りはつけた。
「生きている部下を連れて
「……後悔しますよ」
「させてみせてくれ。――できるものならば」
男の表情からは感情が削ぎ落とされていたが、内心では
一度だけエーレを睨みつけると、指笛を吹き鳴らし、侵入してきた窓から、あっと言う間に身を躍らせた。
殺気が消え、ホッとしたようにキャロルは息を吐いたが、それがかえって、あちこちの身体の痛みを誘発したらしかった。
『
「キャロル…っ!」
思わずカーヴィアル語になっていても、こんな時の反応は、万国共通の筈だ。
エーレが顔色を変えて、窓枠の下の壁に、背中からずり落ちていたキャロルの方へと駆け寄って来た。
「あー…私、左利きだから、基本的には大丈夫…かな?毒も塗られてなかったみたいだし。完全に、今の人との戦いに集中させないための、
右腕に刺さった矢の先、矢筈の部分が、重みで揺れるたびに腕が痛むので、キャロルは矢を真ん中からポキリと折ると、折った矢筈は窓の外へと放り投げた。
さすがに、矢尻部分は素人が引き抜かない方が良いだろうと思ったのだ。
「でも一瞬、腕ごと斬られるかと思ったぁ…ああ言うのを、
「君は……っ」
怪我は大した事はないと主張するように、わざとおどけて、口調もそれまでの丁寧な口調から崩して、ペコリと頭を下げたキャロルに、エーレが唇を噛みしめて、拳を握りしめる。
「
エーレはそのまま、あっと言う間にキャロルを抱え上げた。
「え…っ⁉」
コレは恥ずかしい。
ものすごく、恥ずかしい。
お姫様抱っこが許される年齢でも、立場でもない気が――ひしひしと。
「エーレ、歩ける!私、歩けるから待って……っ」
「ヒューバート‼」
キャロルの抗議などおかまいなしに、エーレが扉を開け、部屋を出た。
エーレ様、ご無事で――そう言いかけて、階下から走り寄って来るヒューバートを、エーレが一喝する。
「お前が余計なことを言うから、彼女がこの怪我だ!桶に水を汲んで、きれいな布と、薬箱と、あと何でも良い、彼女が着られそうな服を調達して、俺の部屋へ来い、今すぐにだ!」
「……お嬢ちゃん?」
目の前の出来事、と言うよりは怒り心頭の
「いや、そんな大したことじゃないの!
状況が〝お姫様抱っこ〟のままなので、最後はほとんど悲鳴混じりだ。
だが、ヒューバートもちゃんと、キャロルがエーレに怪我を負わせなかった――その事実だけは、把握したようだった。
「ヒューバート〝さん〟はいらねぇ!っつーか、お嬢ちゃん、マジでエーレ様守ってくれたのか‼ありがとな!」
ヒューバートの背後で、おぉ…と、何人かが感嘆の声をあげたが、それはどうやらエーレの怒りに火をつけただけのようだった。
「いい加減にしないか‼俺の命を、自分たちの命よりも優先させるなと、俺は言っている筈だ!まして彼女にまで、いらぬ重責を背負わせるな‼」
「……エーレ様……」
沈着冷静、泰然自若を信条としているかのような、自分たちの
「今言った物を早く準備しろ。何度も言わせるな、ヒューバート」
「は……」
逆らう術を、誰も持たなかった。
――エーレに抱えられたままの、キャロルでさえも。