2話
爽やかな果実の香りが、こぼれていく。
トレーからテーブルへ、カップを置く。たったそれだけのことで、これほどまでに指先が震える。陶器が触れ合う音が静かな室内によく響いて耳障りだ。先に席についていたきれいな
「いい香りだね。レモンかな?」
「え、あ。はい。レモンバームのハーブティーでしゅ。……です」
「ガッチガチ。受付がこれじゃあ不安なもんだね」
「こら。口を慎みなさい」
窓際にいる男を、本棚のそばにいる女がたしなめる。窓際の男は不満そうに目をすがめたが、それだけだ。
席についていない二人に対して、カップをテーブルにおいておく旨を伝える。窓際の男は興味なさそうに
ドアベルが未だに揺れている。来客を告げるという大役を果たしたせいか、こころなしかベルが誇らしそうだ。
ハーブティーを淹れ終えたミラは、緊張で震えたまま着席する。その足元に、ノノンが寄り添うように座った。どうやらボディガードを気取っているらしい。
「おや」きれいな
「店主は私です。半年ほど前に、先代から相談所を引き継ぎました」
「そうだったんだ。それじゃあ、リンダさんは今どうしているの?」
突然出てきた祖母の名前に、ミラは少なからず動揺した。付き合いが深い人にはきちんと
「……同じく半年ほど前に、永眠いたしました」
「それは……、すまない。知らなかったとはいえ、不躾なことを訊いてしまって」
「いえ」
口を閉じてしまった彼は、視線を伏せて憂うような仕草を見せる。それから、うかがうように視線をやるミラに気づいてか、なにかをごまかすようにやわらかく笑った。
星の光を集めたような金の髪は、耳を隠す程度で自然に切りそろえられている。すぅーっと通った鼻筋と、ふんわり笑みを描く口元。抜けるように白い肌も合わさって、作り物めいた美が彼に宿っていた。年はミラより上……だが、片手以上離れているようには見えない。白いシャツにスラックスという簡素な格好であるにも関わらず、彼の美を阻害することはない。否、簡素であるからこそ、彼の持つ美が際立っているのかもしれない。
そしてなにより目を惹くのは、大きく輝く
彼とミラの視線は、ぼんやり合わさったまま。ミラはただきれいな色をした瞳に見入っていただけだったのだが、相手方は違ったようだ。うれしそうに「そんなに熱っぽく見つめられると、勘違いしちゃいそうだ」と甘く笑う。
「す、すみませんっ! 全然、まったく、これっぽっちもそんなつもりはなくって!」
「……うん。他意がないのは分かってるから。そんなに否定しなくて大丈夫だよ。からかってごめんね」
たしん、とノノンのしっぽが足をはたく。「ンナー」と普通の猫のように声を上げた。窓際の男はなにが楽しいのか声をあげて笑っている。
空気を切り替えるように咳払いをする。……目の前の男は、未だ甘い笑みのまま。
「改めまして。相談所店主のミラ・カーティスです。ご用件は」
「妖精が隠してしまった、両親の形見を見つけてほしいんだ」
「両親の形見、ですか」
「詳細の前に、自己紹介をさせてもらおうかな」
にこり、なんて音が聞こえそうなほどにきれいに笑った彼は、窓辺の男と本棚の女に声をかける。女はすぐにミラに一礼したが、男は興味がないと言わんばかりに大きなあくびをした。
「先程から失礼にも程がありますよ、カイ」
「レナがかっちりしてるからバランス取れてるんじゃねえの」
「そういう問題じゃないでしょう、初めくらいきちんとしなさい」
「へいへい、初めくらいきちんとしまーぁす」
不承不承と言った態度を隠しもせず、カイと呼ばれた男はミラを見下ろすように視線をよこす。上から押さえつけるように降ってくる視線に、思わずたじろぐとバカにしたように笑われた。
──この人、本当にさっきから失礼!
「カイ・ロペス。そいつの」テーブルについている彼を示して「従者みたいなもんだな」
「よ、よろしくおねがいします」
「ははっ、やだ」
朝焼けの空を写し撮ったような紫の瞳をにやーっと細めて男──カイが笑う。浅黒い肌と、硬そうな長い黒髪。それを乱雑にひとつにまとめていて、手には黒い革手袋。全身黒いのに瞳の色だけ明るいもんだから、
こ、こいつ……っ。人が下手に出ていると思って……っ!
浮かべた笑顔に、ピシリとヒビが走ったのを自覚する。なんとか「あはは」と保ってみせるが、許されるなら今すぐに水でも引っ掛けてやりたい気分だ。
「妖精だとか相談所とか、嫌いなんでね。詐欺師とよろしくするつもりはこれっぽっちもないんだわ」
「詐欺師!?」
それにはノノンもカチンときたのか、足元で毛を逆立てて威嚇しているのが分かる。
無意識にミラの手がティーカップに伸びる。
「いい加減になさい!」
「あだッ」
先程レナと呼ばれていた女が、カイの頭に勢いよく拳を落とす。悶えるカイに「そのまま黙って反省なさい」と切り捨てた彼女は、ミラに向き直ると深く深く頭を下げた。
「連れの失礼な態度をお詫びします、申し訳ありません」
「い、いえそんな。驚いたしイラっとしたけど、あなたが謝ることじゃないですよ!」
投げつけようとしていたカップに口づけて、ハーブティーを一口。優しくて甘い、爽やかな香りがふわりと踊る。
「レナ・ベネットと申します。カイと同じく彼の従者として参りました。重ね重ね、カイが申し訳ありません」
「もう、充分です。大丈夫ですから。か、顔を上げてくださいっ」
そろりそろりと、レナが姿勢を正す。ストロベリーブロンドの細い髪をきれいにまとめてポニーテールにして、砂糖を焦がしたような飴玉の瞳には知性の色が強く光る。きりりとした凛々しい顔立ちにすっきりとしたカマーベストが、レナをかっこいい女性に魅せている。
痛みで悶えていたはずのカイはいつの間にか復活してテーブルの下にいたノノンを見つけたようで、彼を撫でようと様子をうかがっていた。もちろんノノンはずっと威嚇しているのだが、カイはあまり気にしていないらしい。
「それで、僕がテト。よろしくね、レディ」
「れ、れでぃ、ですか」
「夕陽の髪にペリドットの瞳。絵本に描かれる妖精がそのまま現れたみたい。きれいな色だ」
「はあ。どうも……?」
テーブルについていた男が名乗る。甘い声でそんなにきれいに微笑まれると、ときめくを通り越していっそうさんくさい。依頼人に対して警戒心を抱くなどおかしな話だが、テトの態度にどうにも身構えてしまう。
そんなミラの態度を見てか、テトは「本心なんだけどなぁ」と苦笑した。
「そんなことよりも、依頼のお話を詳しく訊いてもいいですか? 妖精が隠した形見、というのは」
「そんなこと……。まあ、そうだよね。今はそっちが大事だ。レナ」
「はい、すぐに」
すっとレナがなにかをとりだし、テーブルに置く。
出てきたのは、古くなった地図と小さな一枚のメモだった。
「探してほしいものは、“クエレブレの盾”と呼ばれるもの。手がかりはその名前と、この二枚だけ。僕らはその形見を見たことがない。
ぜひ、知恵をお借りしたい」
これだけで見つけるなんて無理! ──とっさに上げそうになった弱音を飲み込む。
初めての依頼は、一筋縄ではいかないみたいだ。