プロローグ
みどりの瞳は別世界を映す鏡だ。
──誰がそんなことを言い出したのだろうか。今となっては分からない。あまりにも一般に普及していて、誰も“はじめ”を知ろうとしないから。そのくせ誰もが、瞳がみどり色ならば妖精が視えると信じて疑わないのだ。
「ばかばかしい」
少年は庭のすみで膝を抱えながら、ぽつりとつぶやいた。
星の光を集めた、やわからな金の髪。すぅーっと通った鼻筋に、きつく結ばれた口元。抜けるように白い肌も合わさって、作り物めいた美が彼に宿っている。歳は片手より少し多い程度だろう。着ている服は簡素だが上等なものらしい、少年の美しさを阻害することはない。否、余計な飾りがないぶん、彼の持つ美が、際立っているようにすら見える。
そしてなにより目を惹くのは、大きく輝く
豪奢な庭には、立派な薔薇の木や色とりどりの花壇、赤と橙のあざやかな石畳が敷かれている。よく手入れされているらしい。下草に乱れはないし、花弁はみずみずしくて触りたくなるほどだ。
しかし、どこか寒々しい。もしかしたらそれは、少年がこの屋敷にいい印象を抱いていないせいかもしれない。
少年が涙をこぼさないように正面の薔薇の木を睨んでいると、唐突に茂みが揺れだした。驚き身構えれば、ひょっこりと誰かが顔を出す。
──まだあどけない、少女だった。
少年よりも幼く見える。片手を広げきるか、少し足りないくらいの歳だろうか。
少女はしゃがみこんでいる少年を見つけると、ぱあーっと顔を輝かせ、走り寄ってきた。無防備に笑みをむけてくる少女の瞳は、まごうことなく澄んだ緑。
──みどりの瞳。こいつも敵だ。
瞬時に判断した少年は、きつくきつく彼女を睨みつけた。しかし少女は怯むことなく、少年の隣に腰を下ろす。
夕日を想起させる優しい赤の髪を横に流し、無警戒になごんでいる大きな瞳はペリドット。この庭に相応しくないほど質素なワンピースを着ている少女は、両足を伸ばしてぺたんと座っている。なにがそんなに楽しいのか、少女は終始にこにこと笑っていて、今にも歌いだしそうな雰囲気だった。
左側に感じる無垢な温度に、戸惑う。
その瞬間、少年の目にたまっていた涙が、はらりとこぼれる。
途端少女は慌てだし、両手をばたばたと振り回した。そうしてその手で気遣うように少年の頬をはさみ、まっすぐに目をあわせる。
「どこかいたいの? けが? いたいのとんでく?」
その言葉の、なんとあたたかいことか。
返事の代わりに首を振って否定する。けれど涙は止まらない。
少女は一生懸命少年の涙をぬぐうが間に合わない。
「あ、あのね」少女の手がおり、少年の手を握る。「かなしいことは、おはなしするといいよ。少し、げんきになるかもよ」
まっすぐにむけられる、緑の瞳。強い力を秘めた視線に押されるように、するりと言葉がこぼれ始める。
「どうして妖精が視えないんだって、言われた」
「よーせー?」
こてりと首をかしげる少女。
こくりと返事の代わりにうなずく少年。
「みどりの目のくせに、うちの家のものなのに……って」
まがい物だと言われた。
血族の恥だと言われた。
中途半端だと言われた。
ときには殴られ蹴られと好きにされ、かと思えばいないもののように扱われる。
数日前までは瞳の色を誉めそやし、教育の場を与えられ、まるで宝のように大切に大切にされていた。
愛されているのだと勘違いしてしまうほど、周囲の大人は優しく、あたかかかった。
けれどその優しさは、妖精が視えると思われていたから。
一変した周囲の態度に、謂れなき暴言暴力に、ただ振り回されるしかなかった。
大好きだった人に裏切られたようで悲しかった。
なにもできない自分が悔しかった。
なにより、瞳の色ごときで態度を変える大人や、それを写し取ったような子どもが、かわいそうで仕方なかった。
──みどりの瞳は別世界を映す鏡だ。
はじめにそんなことを言い出した、無責任なやつは誰なのだろう。その言葉のせいで、
そういったことをつらつらと、思いつくままに口にする。出てくる言葉は短くて、うまくまとまらない。
けれど少女はしっかりと手を握りしめたまま「うん、うん」とうなずいて、時折痛そうに顔をゆがめながら、少年の代わりと言わんばかりに涙をこぼし、それでも、ひとつも
「そういううやつらはみんな、目がみどりなんだ。だから、みどりの目は敵なんだって、思った」
握られていた手が、ぎゅう、ときつくなる。少女の目がうるりと光り、「……ミラも、てき?」と不安そうに尋ねてきた。
どうやら少女の名は、ミラと言うらしい。
首を振って「違う。と、いいな」と返せば「ならてきじゃないよ、ならないよ!」と笑う。
「それにミラ、おにーちゃんの目はみどりじゃないと思うなぁ」
少女──ミラの目がぐっと近くなる。涙でぬれた頬を、彼女のやわらかな髪が撫でた。
「……
「ううん、あおいよ。宝石のジェイドにそっくりな、きれいなあおい目」
ジェイドと同じ
──そう言われたのは、初めてだ。
世界が一気に色づいたようだ。目のふちにたまっていた涙が、一瞬にして吹き飛ぶような衝撃。
「そ、っか」
風がやむ。
木々の歌がとまり、ミラの髪がふわりとおりた。
「そう、だったんだ」
──瞳がみどりじゃないのなら、妖精が視えなくたって当たり前だ。
袖で目元をぬぐい、ついでに頬を力任せにぬぐう。少々痛かったが、それくらいでちょうどいい。頭も心も、すっきりした。
ミラの髪に、小さな木の葉がくっついている。先程の突風でからまったのだろう。
少年は彼女にそっと手を伸ばし、木の葉を取る。細い髪が指にかかり、さらりと流れた。
取った木の葉が手から離れ、風に流れて飛んでいく。
「そういえば、おにーちゃんはなんていうの?」
強い力を秘めた瞳が、少年の瞳をとらえた。
──敵だと睨みつけていた色が、こんなに近い。
気づけば、少年の口元にはやわらかな笑みが浮かんでいた。
「テト。……テトって、いうんだ」
風が、吹き抜けていく。