③
シンプルながら、それだけでじゅうぶんだった。
サシャの胸にほわりとあたたかな火が灯る。すぐに全身に回ったように体が熱くなっていった。
「サシャちゃんの境遇は、とても大変なものだと思う。まだ学生さんなのに、夜はバーで働いて、歌って。たとえバー・ヴァルファーが上等なところでなくたって、俺の耳にサシャちゃんの歌は極上のものだったよ。きみは本物の歌姫だ。お姫様だ」
言ってくれる言葉はどれも優しく、おまけに嬉しすぎるものだった。
これほど自分のことを見ていてくれたのだ。
肯定してくれるのだ。
決して上等な身でない自分のことを。
「シャイさん」
名前しか呼べなかった。
代わりに握られた手を握り返す。自分の手が随分小さいことを思い知ってしまったけれど、そんなことは些細なこと。
「私ね、ミルヒシュトラーセ王国のパーティーになんてお招きされてとても緊張したわ。バーだってお休みすることになったし」
「それはすまなかったよ」
シャイの苦笑いが入ったけれど、サシャは首を振って否定する。
「でもね、それでも請けたのはシャイさんからのお願いだったからよ。私もなりたかったの。一瞬でも、お姫様に」
今度はシャイが黙ってサシャの言葉に聞き入る番だった。
「勿論、綺麗なドレスを着ることじゃないわ。シャイさんのお姫様になりたかったのよ」
努力して微笑んだ。頬は染まりそうだったし、むしろ泣き出したくなるほどに恥ずかしさと嬉しさはあったけれど、今は微笑んでいたい。
「サシャちゃん」
シャイがサシャの手をほどいた。その手はサシャの腰に回る。あのときのように強引にではなく、羽根に触れるようにそっと抱き寄せられた。
同じように緊張は激しかったけれど、動揺はない。むしろ当たり前のことのようにサシャはそれを受けた。
抱き寄せられた胸に頭を預ける。あのときは意識することもできなかった、彼自身の香りが鼻をくすぐった。
妙に安心した。男のひとの腕に抱かれるのなんて初めてだというのに。