8.思い
マテウスの嗚咽が響く執務室にドアから控えめにノックが聞こえる。
その音を聞いたマテウスはゆるりと顔を上げると、
「まだ入るな」
と涙声で返答した。
「失礼しました。アシュラフ殿下がお待ちですが、いかが致しましょうか?」
「予定が変わったと伝えて、客室に案内せよ」
「はい」
遠ざかっていく足音をきいていたマテウスは、
「すまない、トゥイーリとマレさんともう少し話したいのだが、気持ちを整理させてほしい」
それはトゥイーリも同じだったので、頷き返すとソファーから立ち上がり一礼をする。
「それと、使っていた部屋でジュリアが待っている。早く戻って安心させなさい」
マレはその言葉で猫に戻るとゆりかごに戻り、トゥイーリが左手に持った。
「はい。それでは失礼します」
マテウスが鷹揚に頷くのを確認し、エリアスにも一礼をして部屋を退出した。
エリアスは呆然としたままソファーに座りトゥイーリを見送った。
執務室を出たところで1人の騎士と会った。
国王とエリアスの食事会にいつも付き添い、部屋まで往復してくれていた騎士だった。
軽く会釈をすると、騎士は
「トゥイーリさま、おかえりなさい」
話しながらも涙が落ちないよう、少し俯いている。
「あ、あの、心配をさせてごめんなさい」
騎士は首を振り、
「無事であったのならそれでいいのです。部屋に戻りましょうか?」
トゥイーリは頷くと、歩きながらみんなに心配させてしまったことに落ち込んでしまった。
ひとり反省をしながら、通いなれた廊下を歩いて行くと使っていた部屋の前に一人の女性がいた。
「ジュリア……」
トゥイーリの小さな声にその女性は反応し、肩を震わせていた。
「トゥイーリさま……」
ジュリアの元にゆっくりと向かう。
「トゥイーリさま……」
ジュリアは名前を何度も呼ぶ。
「ジュリア、ごめんなさい」
トゥイーリの謝罪の言葉に首を横に振るだけで、ジュリアは何も言わず、メイド服のスカートを両手でぎゅっと握り、声を押し殺して泣いていた。それでも顔を上げると、ぎこちない笑顔で
「おかえりなさいませ、トゥイーリさま」
と言ってくれた。
部屋の中は飛び出していった日から何も変わっていなかった。埃っぽいこともなく、部屋の住人がいなくても毎日手入れをしてくれていたのがわかる。
「陛下が疲れて戻るだろうから、ゆっくりと休めるようにと」
ジュリアはまだ涙が止まらないながらも一生懸命に話してくれた。
「あの、ジュリア、黙って出て行ってしまってごめんなさい」
トゥイーリの謝罪の言葉にジュリアは首を横に振り、
「無事に戻ってきてくれたのですから、十分です」
としっかりとトゥイーリの顔を見て話した。
「お疲れでしょうから、着替えてベッドにお入りください」
ジュリアはクローゼットに向かい、真新しい部屋着を持ってきた。
「陛下からの贈り物です。新しい部屋着でゆっくりと寛いでほしいとのことです」
トゥイーリは受け取ると、ぎゅっと抱きしめた。
「あの、ジュリア、陛下にお礼を伝えてください。嬉しいですと」
その言葉にジュリアはにっこりと笑顔を見せて頷いた。
「それでは、わたしはここで失礼しますね」
と言ってジュリアは部屋を出て行った。
部屋着に着替えると、ゆりかごと一緒にベッドへと向かった。
ベッドに先にゆりかごを降ろし、その近くにトゥイーリは座った。
「お疲れ様、マレ」
「トゥイーリもお疲れ。いろいろと話したな。また落ち着いたら話そう」
「うん。そうね」
トゥイーリは同意して、緊張をほぐすように全身を伸ばし、そのまま上掛けにくるまると眠りに落ちていった。
少しずつ、日常に戻ってきた時にマレはこれからのことをたずねてきた。
「トゥイーリは、この国を出て違うところで生きることもできるし、この国でこのまま生きていてもいい。トゥイーリはどう考えている?」
突然の問いかけに考えてしまう。
「そうね……わたしがこの国を守る存在なんて、正直言えば信じられない」
ベッドに腰掛け、外を見ながら考える。
「この国に帰ってきた時に見た風景にすごいショックを受けたの。タロットカードで教えられていたとはいえ、ここまでのことが起こるのが信じられなかった。ここに帰ってきてマレから話しを聞いてディユ家はこの地を離れてはいけないんだ、と思ったの」
「だが、離れてもいいんだぞ?アリスィは縛られることなく自由に生きろと言っていた」
トゥイーリはゆるく首を振ると
「占い師として働いていた時に、曇った表情の人が結果を伝えると晴れやかな表情になる人をたくさん見てきて、嬉しかった」
トゥイーリはマレに顔を向けて、
「ねえ、マレ。今の私ではこの国を守れないの?」
「そうだな、16歳で成人となり、その時にディユ家で儀式を受けなければ国を守る力を授かることはできない」
「早めることはできないの?」
その言葉にマレは驚きの表情を浮かべる。
「ザラール国からこの国に帰ってきた時、訪れた町、すべてが重い雰囲気で、表情の暗い人が多かった。1日も早くみんなの明るい表情を見たいな、と思ったの」
トゥイーリは笑顔を見せると、
「だって、私がここにいる意味はこの国を守ることだと知ったから」
「そうか……トゥイーリがしっかりと考えて出した答えに否定はしない。またディユ家に戻り、力を調整してもらえばいい」
「ありがとう、マレ。しばらくは、まだそばで見守っていてね?」
マレはしっかりと頷いた。
その時、ドアをノックする音が聞こえた。
マレと顔を見合わせていると、エリアスがドアを開け顔をのぞかせていた。
慌てて、ベッドから降り、エリアスを出迎えた。
「ひさしぶりだね、トゥイーリ」
エリアスは落ち着かないのか、そわそわとしている。
ひさしぶり、とはいえ、この部屋に帰ってきてから2日しか経っていない。
「父上から、今日、アシュラフと話しがあるからとトゥイーリとマレさんと一緒に執務室へ呼ばれたんだ」
「そうだったのですか。それでは支度してまいりますので、少しお待ち頂けますか?」
「うん、隣の書斎で待っている」
と言って、部屋を出て行った。
トゥイーリは慌ててクローゼットに入り、外出用のワンピースに着替える。
選んだワンピースは陛下から贈られたものだとジュリアから聞いた。
パステルグリーンで首元から胸の上まで白のレースで飾られウエスト部分は黒いリボンを結わけるようになっている。
頭の高い位置で結んだ髪もこのワンピースに合わせ、パステルグリーンのリボンを巻き付ける。
胸元にはエリアスからもらったドイツァのブローチを付けた。
クローゼットを出て、ゆりかごに座ったマレを左手に持ち、小走りで書斎に向かった。
「お待たせしました」
と一礼をした。
「あ、そのブローチ……」
「あ、すみません、なかなかつける機会がなくて……」
エリアスは首を振り、満面の笑みを浮かべると、
「つけてくれてありがとう、じゃあ、行こうか?」
トゥイーリの右手を握り書斎を出た。
陛下の執務室に向かう廊下を歩いているときにエリアスが、
「あのさ、トゥイーリはこの国のこと嫌いになった?」
「嫌い?」
エリアスの一言にびっくりして、上ずった声を上げてしまった。
「うん、だって、トゥイーリの母親を、その、亡くした場所でもあるし。この国に生まれていなかったら、母親と父親と幸せに暮らしていたんじゃないかな、って」
トゥイーリは少し考えて、
「そうですね……確かに、母親を亡くした場所ではあるのですが、私の記憶に母親の面影が残らないほど早くに亡くなりましたので、あまり実感がない、といいますか……」
「そうか、そうだったね。あのあと父上にもちゃんと話しを聞かせてもらったよ。僕と同じようにこの王城で産まれて、母親を亡くしてからはずっと一人だったって」
エリアスはふと立ち止まると、何度か深呼吸をした後、トゥイーリの顔を見て右手をぎゅっと握り、
「あのさ、僕と家族にならない?」
その言葉にマレがゆりかごの中で立ち上がる。ただトゥイーリは意味がわからず、きょとんとしている。エリアスはじっとトゥイーリを見て話し続ける。
「突然なにを言っているんだ、と思うかもしれないけど、小さな頃から交流しているうちに、トゥイーリと一緒にこの国を作っていきたいな、と思っていたんだ」
「いや、ちょっと待て」
とマレがゆりかごから抗議の声を上げる。
「それは、妹として、家族に迎え入れるという意味か?」
マレを見て、エリアスは首を振り否定を示した。
「義妹だぞ?それでも婚姻するというのか?」
「うん、そうだね。僕もマレさんから話しを聞いて、それはいけないことだろう、って思ったんだ。でも、あの後、父上と話しているうちに、トゥイーリを他の人に渡したくない、って強く思ったんだ。妹なら他国に嫁がないといけないでしょ?」
「それは、そうだか……」
王族の一員となれば、国の利益を考えて嫁ぎ先が決まるため、国内に留まれるかは不明だ。
「それに、今までは婚姻ではなく、側室として近くにいたんだよね?」
「そうだが……」
「正妃か否かの違いだけしかない、って父上に話したんだ」
マレは反論の言葉が出ない。
「もし、トゥイーリがこの国を守る力を授かりたいと思うなら、トゥイーリで最後にしたいな、とも思ったんだ。この習慣が続く限り、アリスィさんと同じように自害する人もいるかもしれない。そんな悲劇は一度でいいと思わない?マレさん?」
ぐぅ、と言って、反論できないマレをトゥイーリは見ている。
「トゥイーリは家族、というものを知らない。それなら、父上の尻ぬぐいという意味も含めてその機会がもらえると嬉しいんだけど、マレさん」
にこやかにマレに話しかけるエリアスにしばし考え込んで、
「……あとはトゥイーリの気持ち次第だろ」
と言ってそっぽを向いてしまった。その言葉にエリアスの後ろにいる侍従は声を殺して笑っている。エリアスは顔をしかめているが振り向きもせずに、
「テオ、そこで笑うな」
だから、と言って、
「マレさんに協力してもらって、トゥイーリの気持ちをこちらに向かせたいんだ。よろしくね」
自分のことなのに、トゥイーリ抜きで話が進んでいくことをただ、きょとんとして見ていることしかできなかった。