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 民家に囲まれた坂道をハイヒールで上がるのがつらくなったころ、ようやく白壁に囲まれた瀟洒な3階建てのビルが見えた。目的のビルだ。飾り気のない玄関に入って、私はエレベーターで2階の受付に上がった。
 「あの、お電話した望月茜ですが」
 声をかけると、奥からショートボブの小柄な女性が現れた。キュートなかわいい子だ。まだ若い。
 「お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」
 女性が私を横の応接室に招いた。ゆったりした椅子が2脚あり、壁には高そうな絵が掛けてあった。応接机の上にはパソコンが立ち上げてある。女性が私に名刺を出した。『株式会社 夢創作 社長 北倉琴音』とあった。私は驚いた。
 「あなたが社長さんですか? お若いですね?」
 琴音がクスリと笑った。
 「雇われ社長ですから、アルバイトみたいなもんです。あの、望月さんは夢を作りたいんですね?」
 「ええ、そうです」
 「では、さっそく始めましょう」
 琴音がヘッドホンのような装置を二つ出してきた。一つを自分がかぶり、他方を私に渡した。私はヘッドホンをつけた。
 「まず、お名前、お年、お仕事をお願いします」
 「望月茜。22才。学生です」
 琴音がパソコンを操作しながら言った。
 「じゃあ、私より1才上ですね。茜さんとお呼びしていいですか? 私は琴音って呼んでください」
 私は琴音のあっけらかんとした態度に好感を持った。
 「ええ、いいですよ。琴音ちゃん」
 琴音がにっこりと笑った。
 「では、茜さん。どんな夢をご希望ですか?」
 「どんな夢でも作っていただけるんですか?」
 「ええ、弊社はお客様が希望されるどんな夢でもお作りします」
 私はバッグから本を出した。国木田独歩の「武蔵野」だ。
 「私、国木田独歩の大ファンで、特にこの『武蔵野』が大好きなんです。それで、この本にあるような昔の武蔵野の夢をお願いします」
 「昔の武蔵野というと、いつ頃でしょうか?」
 「そうねえ。明治の初期ごろかな」
 「当時の武蔵野には、茜さんはどんなイメージをお持ちですか?」
 「雑木林があって、田んぼとか畑がある里山のようなところ。自然と人間の営みが合わさっているような」
 「なるほど。それで夢の主人公は茜さんでいいですか?」
 「ええ、私自身が昔の武蔵野を感じたいんです」
 「他のご希望は?」
 「他? 特にありません」
 「そうですか? ちょっとシンプルすぎるなあ。じゃあ、夢の中に恋愛を入れましょう」
 「恋愛ですか?」
 「ええ、昔ですから・・村ですね。村のさわやかな青年と恋愛と・・青年の名は・・甚作でいいでしょう」
 私は噴き出した。
 「じ、甚作さんですか?」
 「ええ、それで茜さん。夢が暴走しないように、私が監視役として夢に登場してもいいですか?」
 「ええ、それは構いませんが」
 「あ、お茶も出していませんでしたね」
 琴音が立ち上がろうとしたときだ。手がパソコンの画面に触れた。琴音が叫んだ。
 「あ、間違って、スタートを押しちゃった」
 私は急に眠くなった。椅子にもたれると、あっという間に眠りに落ちていった。

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 気がつくと、私は里山にいた。眼の前を小川が流れていた。小さな木の橋が架かっていた。小川の向こうには、黄色く色づいた田んぼがずっと広がっていて、遠くの山並みの中に消えていた。藁葺き屋根の農家がポツリポツリと見えた。田んぼの向こうに野焼きの煙が一筋上がっていた。はるか向こうに富士山が見えた。遠くでかすかに何かの声が聞こえていた。鳥の声だろうか? のどかだった。
 「茜さん」
 突然、後ろから声が上がった。私は飛び上がった。
 振り返ると雑木林があって、林の前に琴音が立っていた。琴音が私の横に走ってきた。落ち葉を踏む音がした。
 「琴音ちゃん。これは夢なの?」
 琴音が笑って答えた。
 「ええ、そうです。とても夢とは思えないでしょう。これが我が社の最新技術です」
 私と琴音は夢の中の武蔵野を歩き回った。
 雑木林の中を散策した。二人で落ちていた栗のイガを拾い、投げ合って遊んだ。
 雑木林を出ると、今度は二人で小川を何回も飛び越した。二人とも少女のようにスカートをたくし上げて小川を飛んだ。何回目かに琴音が飛んだ時、土手の土で滑ってひっくり返った。琴音はスカートを直さずに、土手に倒れて下着が丸見えになったままで笑い出した。私もそれを見て大笑いした。
 周りには誰も見ている人はいなかった。それに見られても私の夢の中だ。
 小川に飽きると二人で畦道を走った。キャッ、キャッと言いながら追いかけあった。捕まえると鬼を交替してまた走った。
 稲を刈り入れた田んぼがあった。私たちは田んぼの乾いた土の中に入っていった。案山子(かかし)が二体あった。私たちは案山子を引き抜くと、ぶつけ合って遊んだ。琴音が案山子を土の上に寝かした。そして案山子をクッションにして、その上に寝っ転がった。それを見て、私も同じように案山子の上に寝っ転がった。ウーンと声を出して手足を思い切り伸ばした。抜けるような青空があった。気持ちがいい。最高の気分だ。雁のような鳥が逆Vの字の編隊になって、向こうの山に飛んで行った。
 横を見ると柿の木があった。青空に柿の赤色が映えていた。綺麗だった。
 私は起き上がるとスカートのまま柿の木に登った。木登りはやったことが無かったが、うまく登れた。琴音が「茜さん。丸見え」と下から茶化した。私は「いいのよ」と答え、そのままさらに木を登った。すると琴音が「茜さん。柿を採って」と呼んだ。私は柿の実を次々と採って琴音に投げた。琴音がスカートを広げて受けた。木から降りると二人で柿の実を食べた。渋かった。それでも私たちは笑いあった。
 今度は二人で田んぼの横の畦道に寝っ転がった。服が土で汚れた。夢だから構わないと私は思った。再び、眼の前に抜けるような青空が広がった。今も昔も武蔵野の自然の営みは変わらない。私は少女に還っていた。
 空を見上げながら、琴音が聞いてきた。
 「茜さん。如何ですか?」
 「もう最高よ。こんな気分は初めて」
 「もう夢から戻りますか?」
 「待って。私の恋人とも会っていないわ。せっかくだから、現地の人とお話をしてみましょう」
 私たちは農家に歩いて行った。庭先で何かの木の実を干しているおじさんがいた。手拭いを頭に被っている。私は思い切って声を掛けた。普通ならとても声を掛けることなど出来ない。夢だからこそ出来るのだ。
 「おじさん。こんにちは」
 おじさんは私たちを振り向くと、にこにこ笑いながらこちらにやって来た。おじさんがおかしな方言で聞いた。
 「やあ、あんたたち、どっから来たんだべ?」
 何と答えていいかわからず、私は黙っていた。おじさんは私の横に来ると、なんと手で私のお尻を撫で上げた。私は飛び上がった。
 「キャー」
 琴音が不思議そうな顔をしておじさんに尋ねた。
 「おじさん、お名前は?」
 「わし? わしは甚作じゃで」
 私が再び飛び上がった。
 「甚作ですって。じゃあ、こ、このおじさんが私の恋人?」
 おじさんは眼を白黒させている。私はもう一度聞いた。
 「琴音ちゃん。この人が、村のさわやかな青年なの?」
 おじさんが言った。
 「うんにゃ、わしゃ、村のすけべな中年だべ」
 琴音が済まなさそうに言った。
 「茜さん。ごめんなさい。機械の調子が悪かったようです」

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 それから、私たちは甚作さんの案内で武蔵野の村を歩いた。
 小さな料理屋があった。その横が鍛冶屋だった。鍛冶屋の前には二頭の馬が繋がれていた。馬の蹄鉄を打つ音が聞こえた。その横には農家があった。農家の軒先には野菜が並べて置いてあった。舗装されていない道を人が行き来していた。みんな忙しそうに歩いていく。私たちに構う暇などないといった様子だった。道に土煙が舞った。
 歩いていくと一軒の雑貨屋があった。私たちが店の前を通りかかったとき、一人の男が中から飛び出した。店から声がした。
 「泥棒」
 男が甚作さんにぶつかった。その勢いで甚作さんは道の向こう側に跳ね飛ばされてしまった。男は詫びもせずに行こうとする。私は思わず声を掛けた。
 「待ちなさい」
 男が立ち止まった。若い男だ。破れたシャツによれよれのズボンという姿だった。草鞋を履いている。手に匕首(あいくち)を持っていた。
 「何だと」
 手の匕首が鈍く光った。琴音が後ろから私の服を引っ張った。
 「茜さん。危険ですよ。逃げましょう」
 私は男に言った。どうせ夢の中だ。かっこよくやらなきゃ。
 「あんた、人にぶつかって黙っていくつもり? それに、あんた、泥棒でしょ」
 「何だと、この女(あま)」
 男が匕首を振り回しながら、私に向かってきた。私は男の襟をつかんだ。思い切り投げ飛ばした。思わず声がでた。
 「卑怯者。地獄へ行け」
 男の身体が宙に舞った。男が雑貨屋の屋根より高く上がった時にフッと消えた。私は面食らった。
 「えっ、どこに行ったの?」
 琴音が私に言った。
 「地獄へ行きました」
 道の向こうから甚作さんがやってきた。腰を打ったらしく手を当てている。
 「お姉ちゃん。強いんだねえ。わしゃあ、おったまげたべぇ」
 「甚作さん。大丈夫ですか?」
 「腰を打ったべな。いてえ、いてえ」
 私は甚作さんの腰に手を当てた。とたんに甚作さんがうれしそうな顔をした。もう、このスケベおやじは。
 私は言った。
 「痛いの、痛いの、飛んでいけ」
 「おっ、治った」
 甚作さんが腰を真っすぐにした。そして私に言った。
 「お姉ちゃん。わしゃ、他にも痛いところがあるんだべ。治してくだせえな」
 昔の武蔵野とて人の営みは何も変わらないようだ。私は甚作さんを睨み付けた。そして言った。
 「いい加減にしなさい。このスケベおやじ。琴音ちゃん、帰るわよ」
 琴音が何かを操作した。周囲の景色が薄くなった。

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 私はあの応接室にいた。気持ちがすっきりしていた。身体に力がみなぎっていた。最高の気分だ。
 隣の椅子に琴音が掛けている。琴音が笑った。
 「茜さん、またご利用下さい」
 私はヘッドホンを外して椅子から立ち上がった。
 「必ず来ますよ。でも、琴音ちゃん。それまでに機械を直しておいてね」
                           了

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