4.家庭教師のマレ
日中、トゥイーリが国の歴史や近隣諸国の情勢、貴族のことなどを勉強している間、マレはクローゼットの中に入り眠っているようだった。
勉強が終わる気配を感じるのか、家庭教師たちがいなくなるとマレはクローゼットのドアをがりがりとひっかき、トゥイーリにドアを開けてもらい出てくる。
そこから夕食までの短い時間と湯あみを終えてから眠るまでが占い師としての勉強時間になる。
最初は集中力の高め方を勉強した。が、トゥイーリが集中しようとするとマレが膝の上に乗ったり、ワンピースのリボンにじゃれたりと邪魔をしてくる。
「……!!!!」
トゥイーリは声を出さずに抗議するが、マレは、
「どんな環境でもすぐに集中できるようにならないといけません、にゃ~」
と、おどけた口調で言いつつ、さらに激しくちょっかいを出してくる。
やっと気にならなくなったのは半年ほど経った頃だった。
「だいぶできるようになってきましたね。どんな環境でも集中力を高めていかなければ占い師として正確な答えを導きだすことはできません」
「占い師かぁ……」
トゥイーリが口を尖らせながら呟いたのを見たマレは、
「……まぁ、ご不満な点があると思いますが、何かあって自立するためには知識を身につけることが大事です」
「そうですね」
「あぁ、そうだ今日は夕食にトゥイーリさまの大好物を用意してもらえるように厨房に連絡しておきました」
「それは嬉しいけど、どのように連絡しているの?」
マレは一日の大半をクローゼットの中で過ごしているはずだ。
「それは秘密でございます、にゃ~」
おどけた口調でしれっと答えるマレ。
トゥイーリは肩をすぼめ、夕食を待つことにした。
そして、大好物の鶏肉の香草焼きが出てきたことに驚いた。
集中力を高めることに時間が掛からなくなってきたある日、マレが突然、人間に変身した。
「えっ?マレ?えっ?」
トゥイーリが普段はみせない慌てぶりを見て、マレは、こほん、と咳払いをすると、
「はい、人間に変身することができます」
トゥイーリは呆然と人間に変身したマレを観察する。
身長は高く、体は細いほうだが、洋服から出ている腕を見るとそこそこ筋肉がありそうな体をしている。髪は肩までの長さでグレー。目の色は猫の姿と一緒で明るい緑色の目。鼻筋はすっとしていて口は薄め。かなり整った顔立ちの人間だった。
ぼんやりと見ていると、こほん、と咳払いが聞こえ、
「さて、勉強を始めますよ」
その声にトゥイーリは現実に戻り、
「はい」
と短く返事をした。
マレは懐から年季のはいったタロットカードを取り出すと、
「では、今日からタロットカードを使っていきます。とはいえ、まずはタロットカードの意味を覚えていきましょう」
と話しテーブルの上にカードを並べていく。
「カードは全部で78枚です。大アルカナが22枚、子アルカナが56枚になっています。それぞれのカードが正位置か逆位置になるかで答えが変わっていきます」
「……」
「最初から全部覚える必要はありません。少しずつ覚えていましょう」
「……はい」
トゥイーリはつい、疲れた声を出してしまった。
占い師としての勉強を始めて7ヶ月が過ぎた頃、マレから、
「一度、外に出てみませんか?」
と言われた。
「外?どういうこと?」
「外、というか、城下町ですね。庶民がどのように食事をしているのか、仕事をするのか知らないでしょ?」
「仕事?」
「そうですね……人は食事をしたり、物を買うときはお金が必要です。そのお金を得る手段が仕事なのです」
「なるほど……」
「王城の中にいると、そういったことは目につきません。城下町へ行き、どのように人がお金を得て、使うか、その目で確かめることが今回の目的です」
「わかりました」
「そうですね……日曜日は勉強がお休みですよね?」
「はい」
「それなら、日曜日、昼食を食べたあとに城下町に行きましょう」
「はい、わかりました」
「あっ、このことは侍女をはじめ、お城の皆さんに内緒にしていてくださいね」
「なぜですか?」
「みなさんに知られてしまうと、ゆっくりと街中をみることができないからです」
「そうなの?」
あまり納得していなそうな顔でトゥイーリは頷いた。
そして、2日後の日曜日の昼食後、人間に変身したマレはトゥイーリと一緒にクローゼットに入り、外に行けるような洋服を選んでいる。
マレはその中から、淡い黄色の飾りのない長袖のAラインのワンピースを手にとり、トゥイーリに渡す。
「この中では一番シンプルで、庶民が着ていても違和感のない洋服です。1人で着替えられますか?」
そう聞かれ、きょとんとしたトゥイーリは
「着替えはいつも1人でやっています」
と答え、マレの前で着替えだした。その姿を見たマレは慌てて、
「あっ、ちょっと待ってください!クローゼットから出ますので!」
と足早にクローゼットから出て行った。
(なんでだろう?)
疑問に思ったが、そのまま素早く着替える。
「マレ、着替え終わったわ」
トゥイーリの声に恐る恐るクローゼットの中を覗き込み、着替え終わったのを確認してからマレは入ってきた。
「トゥイーリさま、これからは人の前では着替えずに、どこか隠れてから着替えてください」
「なぜですか?」
「人前で着替えることは、恥ずかしいことだからです」
「?????」
「さて、出発しましょうか?」
納得してないのはわかっていたが、強引に話題を切り替え、クローゼットの中のあのドアから外に出る。
外はきれいな青空が広がり、夏の終わりの暑い時期なのに、風が吹いていて気持ちよかった。
マレはあたりを確認しながら、外壁のドアを開けて建物がたくさんある場所に出た。
「ここは貴族が住んでいる屋敷街となっているので、あまり人が通りませんが、王城の外壁から出たことが分かってしまうと二度と外に出られなくなりますので、慎重に行動してください」
トゥイーリがこくりと頷いたのを確認したマレはトゥイーリの右手を繋ぎ歩き出した。
王城の外壁沿いに歩き角をまがって南のほうに行くと だんだん人の気配を感じてきて、賑わうところに出てきた。
「ここら辺が王城の南側で市場などがあるところです」
マレの説明を聞いてあたりを見回してきょろきょろしてしまう。
トゥイーリは自分の部屋ではみたことのないくらい人がたくさんいることにびっくりしていて、呆然としていた。
「トゥイーリ?大丈夫か?歩けるか?」
マレはトゥイーリの右手を軽く引くと、その動作に我に返ったのか、
「あ、うん、人がいっぱいいて、賑やかね」
マレはきょろきょろとするトゥイーリを見ながら、
「そうだ、今日は、父親と娘の買い物という設定だから、お父さんと呼ぶように」
「なんで?」
「関係を説明するのが煩わしい……」
「……はい」
「よし、では買い物をするか?」
「買い物?」
「そうだ。城の中、部屋に籠りっきりなら、どのように食べ物や小物をそろえたりするか知らないだろ?」
「はい」
「今なにか必要なものはあるか?」
「う~ん……ないかな?」
「とりあえず市場の中を歩くか?」
「はい!」
トゥイーリの元気のよい返事で街歩きがスタートした。
トゥイーリが最初に市場に足を踏み入れた区画は食べ物が置いてあり、マレが食べ物の名前を教えながら歩く。
食べ物の区画を通り過ぎると、洋服や布地が売っている区画に出た。
「わぁ、これかわいいです!」
トゥイーリが目にしたのは、日常、出かけるのに使えそうな小さな肩掛けのカバンだった。
革製品で、茶色のシンプルな作りだが、かぶせ蓋のボタンが透明のガラスでできている。
(これのどこが、かわいい?)
マレは心の中でつぶやく。
「では、これを買って、次の街歩きで使えばいい」
「また街歩きしてもいいの?」
「もちろんだ。店主、これを」
「おう、まいどあり!お嬢ちゃん、これを選ぶなんて目が高いね!」
その言葉にマレを見て、
「目が高い?」
と聞いた。マレは言葉を選びながら、
「……よい商品を選ぶ能力が高い、ということだ」
「へぇ~」
「お嬢ちゃん、すぐに使うかい?」
トゥイーリはまたマレを見上げる。マレはトゥイーリの視線に気づきこくりと頷くと、
「そうだな、すぐに使うから、そのままでいい」
マレはお金を支払い、カバンを受け取ると、肩掛けのベルトを調整しトゥイーリの左肩に掛けた。
トゥイーリはそのカバンをまじまじと見つめたあとに顔を上げ笑顔で、
「お父さん、ありがとうございます!」
と言った。その光景に店主は
「かわいい娘さんだな。いくつなんだ?」
「6歳になった」
「そうか、お嬢ちゃん、お父さんの言うことをよく聞いて、元気に育つんだぞ。そして、またこの店で買い物してくれよな!」
トゥイーリは意味がわからず、きょとんとしているが、マレは笑顔を浮かべて、
「ありがとう、またくる」
と話し、街歩きを再開した。
トゥイーリは嬉しそうな顔でカバンを見ながら歩いているせいか、人にぶつかりそうになっている。
「前を見て歩け」
「あっ、ごめんなさい」
と言ったそばから、またカバンを見ている。
「ああっ、もう」
マレは呆れた声を出し、トゥイーリを抱っこして市場を歩くことにした。
一通り見終わって、食べ物を売っている区画に戻ってきた。
「もう家に帰るから、お菓子でも買って帰るか?」
「うん!それなら、さっき見たあそこのお店のクッキー食べたいです!」
トゥイーリが指さしたのは、クッキーをばら売りしているお店で若い女性がたくさんいるところだった。
マレはちょっと気後れしたが、決意を固め、その群れの中に入る。
「どれにする?」
たくさんの女性に囲まれ気まずい思いをしながら、トゥイーリが選びやすいようにクッキーの種類を見せる。定番の丸い型や、星型、ハート型、花型、いろんな種類が並んでいる。
「えっと、あの星型のクッキーとその隣の茶色のハート型のクッキー!」
「わかった。店主、星型とチョコレートのハート型のクッキーをそれぞれ5枚ずつ包んでくれ」
「あいよ!」
店主は紙袋に、ぽいぽいと入れていく。それをお金と引き換えに受け取り、トゥイーリに手渡す。
「まいどあり!またきてな!」
「はい、またきます!」
小さな女の子が一生懸命に答えている姿にほのぼのとした空気があたりを覆っていた。
マレは頭を軽く下げながら女性陣の包囲網を抜けると、往来の邪魔にならないところまで歩き、トゥイーリを下ろす。
トゥイーリが持っているクッキーの入った紙袋をカバンの中にしまい、そのまま手をつないだ。
「さぁ、帰るぞ」
「……うん」
あれ?と思いトゥイーリを見ると、疲れたのか、半分眠りそうな状態だった。
マレは再び、トゥイーリを抱っこすると、
「疲れただろ。家まで眠っていても大丈夫だ」
「……うん」
と言って、マレの左肩にこて、と頭をのせてそのまま寝息を立てた。
マレは起こさないよう気を付けながら王城へと向かって歩いて行った。