最強剣士の転生
そんな放蕩の日々を続ける弥助に、歓之助の兄である斎藤新太郎から出征の声がかかったのは、文久二年の冬のことであった。
桂小五郎を含めて数々の門弟がいる長州藩を、道場として見捨てることはできないというのがその理由であった。
戦に参加するのに、強さにおいて他の追随を許さない弥助を放置しておくという選択肢はない。
またしても多額の借金を抱えて頭を悩ませていた弥助は、二つ返事でその誘いを受けた。
そして下関戦争に参加した弥助は、幸いにその戦いを生き残り、仲間とともに京都へと向かうことになる。
ここでもやはり弥助は厄介者であった。
京島原に通っては女郎を口説き、博打に手を出しては借金を抱えて金の無心。
勤皇も佐幕も、攘夷も討幕も、貧しい浪人までもが熱く天下国家を語り合った時代である。新時代と旧時代が巨大な熱量を発してせめぎ合っていた、そんな時代であった。
それを理解する気配もなく、放蕩に明け暮れる弥助がことさら愚かに見えてしまうのも無理からぬことではあった。
それが弥助には面白くない。
ことに強さでは自分に全く及ばない者が言うのだからなおさらだった。
ますます酒に溺れていく弥助に、偶然隣席で酒を酌み交わして意気投合した大酒呑みの巨漢――飲み友達ができた。
あるいはその飲み友達こそが、弥助のその後の運命を決めたともいえる。
友の名を芹沢鴨――壬生浪士組(のちの新選組)の局長である。
同じ神道無念流を学んだ(道場は違う)同門として、理性ではなく本能で剣を体得した野生の剣士として、弥助は芹沢と肝胆相照らす仲となった。
ともに組織のなかでは嫌われ者同士、一匹狼気質で馬が合ったというのもある。
壬生浪士組では傍若無人で知られ、恐喝や婦女暴行も平気で行っていた芹沢だが、なぜか弥助には頭が上がらずペコペコと頭を下げては巨体を小さく丸めてうれしそうに酒を飲むのだった。
おそらくは芹沢は修行や訓練より本能の性が勝るがゆえに、弥助の持って生まれた強さに逆らうことができなかったのかもしれない。
ある意味、強さというものに対して二人はともに純粋だった。ゆえに互いの強さを素直に認めあい下手なしがらみや見栄を排除して語らうことができた。
享楽的な性格が似ていたこともあるが、二人は確かに親友であった。
しかしそれは、長州藩に肩入れする練兵館道場の仲間からすれば、弥助の裏切り以外の何物でもなかった。
文久三年、京の都の八月としては格別に肌寒い夜であった。
青々と繁った紅葉が夜目にも鮮やかである。
土産にもらった酒の徳利を口元に運んだ弥助は、ぬるくなった燗酒を喉に流し込むと背中を丸めてブルリと肩を震わせる。
昼間の陽気の心地よさに、つい薄着してきたことを弥助は後悔した。
――こんな寒い夜には人肌が恋しくなるな。
江戸で無頼の日々を送っていた若い日には、吉原の墨染と呼ばれる格子女郎に随分と貢いだものだ。
抜けるように白い肌と、折れそうなほど細い体に不釣り合いな大きな胸がたまらなく色っぽい女だった。
おかげで入れこみすぎて借金で首が回らなくなり夜逃げしたこともあるが、それでも男を甘えさせるツボを心得た本当に可愛い女で、こうして会えないことがたまらなく寂しく思える。
はたしてあんな女がこの京にもいるだろうか。島原の女も試してみたがなかなかに墨染ほどの女郎とは出会えない。そろそろ河岸を変えるべきか、と弥助が考え始めたときである。
「…………そんな物騒な格好をして、今日は出入りでもあったかい?」
紛れもない鋭い殺気を野生の勘で察知して、弥助は不審そうにスッと目を細めた。
京都二条橋のたもとにわだかまるような複数の黒い影がある。
白の鉢巻きに襷がけ。既に鞘から刀を抜き放った完全に戦闘態勢の男たちは、一人残らず弥助の見知った練兵館の男たちであった。
「黙れ! この裏切り者めが!」
まるで悲鳴のような新太郎の叫びを、弥助は口元を歪ませて深い哀しみとともに受け止めるしかなかった。
できれば冗談に紛らわしたかったのだが、仲間たちが殺しにきたのが自分であるのは誰の目にも明らかであった。
たちまち二人の剣士がするすると弥助の背後に回って退路を断つ。
恩師の息子である斎藤新太郎を筆頭に弥助を囲む剣士の数は十名。いずれも練兵館では手練として知られた同僚である。
「我が練兵館の門下でありながら壬生浪士組と気脈を通じるとは不届き至極! もはや生きては帰れぬものと観念いたせ!」
新太郎の言葉を弥助は身じろぎもせず俯いて聞いた。
そしてものごころついてからずっと胸に空いていた孤独の穴に、今も蕭蕭という風が吹き抜けていくのを痛感するのみであった。
その風は、ゾッとするほど冷たく弥助の心を冷やした。
はたしてこの孤独の風を感じるようになったのはいつからであったろう。
口減らしに奉公に出され、寂しい漁村の故郷を離れた時であったか、あるいは自分より弱いはずの桂小五郎が練兵館の塾頭に就任した時であったろうか。気がつけば弥助はいつも孤独だった。
弥助もあえて孤独を抜け出ようとは思わなかった。
そもそも弥助は決して彼らを裏切ったつもりなどない。壬生浪士組に加担して仲間を売ろうなど頭を掠めたことすらない。仲が悪いからといって、どうして同じ釜の飯を食った道場仲間を裏切れようか。
しかし今、彼に剣を向けているのは、紛れもなくかつて同じ釜の飯を食い、ともに同じ道場で切磋琢磨し苦楽を共にした仲間たちであった。
彼らの暗い憎悪と、拭いきれぬ恐怖と嫉妬に満ちた目が、弥助が彼らにとって本当はずっと仲間ではなかったことを告げていた。
本当は弥助がずっと理解していながら、認めたくなかった事実であった。
「――ま、しょうがねえか」
弥助は苦笑して決まり悪そうに頭を掻く。
好き放題に生きてきたツケがいよいよ回ってきたというべきかもしれない。
もともと弥助は越中の漁村で生まれた漁民の末っ子、剣の腕はたっても文字も知らぬ無学放蕩で知られた男である。
借金とりに追われて江戸から夜逃げしたのも一度や二度ではなかった。
金があったらあったで、吉原の女郎宿に泊まりこんでひと月以上も出てこない。二十も半ばになってからは碌に修行らしい修行をしたことすらなかった。
人として剣士として、弥助は確かに軽蔑されるべき男であった。
師匠斎藤弥九郎も、不肖の弟子を心配し、何度改心して学業を修めよと弟子やすけに諭したかしれない。
なんとなれば弥助こそは、斎藤弥九郎が練り上げた神道無念流の理想を、誰よりも体現した男であった。
だがそれを知識として弟子に伝えられるだけの学問と知恵が弥助にはない。たとえどれだけ強くても、それでは指導者にはなれないのだ。最強でありながら弥助が塾頭になれなかった理由がそれであった。
だからこそ弥九郎も口をすっぱくして、ことあるごとに弥助に学問を修めるよう諭したのである。
しかし持って生まれた才能が誰にも追いつけぬ高みにあったからこそ、結果的に誰も弥助の放蕩を止められなかった。
強さという剣士としてのアイデンティティを体現する弥助に、礼節や学問を説いたところで、それは負け犬の遠吠えにすぎなかった。
そして弥助もまた、最強の力を持つがゆえに学問という苦手分野で自分より弱い男の風下につくことを拒んだ。
くだらないプライドと言ってしまえばそれまでだが、もし実力をもって弥助を矯正できる者がいたとすれば、彼の人生は全く変わったものになったであろう。
あるいは明治維新の功臣の一人に数えられていた可能性すらないではない。
それほどに弥助の剣は問答無用に強すぎた。
後に練兵館最後の塾頭となる原保太郎は言う。「弥助こそ幕末最強の剣士であった」と。
「――――覚悟!」
生死を懸けた戦いが始まろうとするこの後に及んでも、弥助は仲間がこれほど怒り狂う理由がわからずにいた。
自分はいったい、殺されるほどの何をしたというのだろうか?
弥助が親しくしている壬生浪士組局長芹沢鴨は、同じ神道無念流の使い手ではあるが、同じ道場ではないし何より歴とした長州藩の敵であった。
そんな相手と気が合うからといって日常的に酒を酌み交わされては、長州藩に肩入れしている道場仲間はたまったものではない。
すでに壬生浪士組は京都所司代松平容保の預かりであり、長州藩にとっては不倶戴天の会津藩に与する組織なのである。
ゆえに、このまま弥助が壬生浪士組に懐柔される前に殺さなくてはならなかった。
『閻魔鬼神』と武名も高い弥助ほどの使い手が壬生浪士組に入隊するなど、練兵館の看板にかけてあってはならないのである。
可能性であっても、それは十分殺害の理由になりえた。
弥助は自分が殺される理由がわからないなりに、無学な自分にはわからない理由があるのだろう、と当然のように覚悟を固めた。
――仲間を斬るくらいなら、ここで仲間に殺されたほうが百倍マシだ。たとえ俺がこいつらに仲間だとは思われいなかったとしても。
貧しい百姓として越中の田舎で一生を終えるはずが、師斎藤弥九郎のおかげで晴れがましい武名も得ることができた。
弥助が弥助となることができたのは全て弥九郎あればこそであり、なればこそその恩人の嫡子に剣を向けられるはずがない。
弥助なりの覚悟として、師に迷惑をかけることがあるとしても、師を裏切ることだけは認められなかった。
――これが末期の酒になるか。
悠然とすっかり冷えた徳利を口元へ運ぶ弥助を、次の瞬間、深々と三本の剣が貫いていた。
冷たい刃が臓腑を抉る感覚に、弥助は軽く眉を顰める。しかし存外に痛みは感じぬものだ、と他人事のように弥助は腹から溢れだす血を見つめた。
「なぜ抵抗しなかった?」
困惑したように新太郎が尋ねる。
いくら酒を呑んでいても、無抵抗で斬られるような弥助ではない。
新太郎ほどの剣士が一人では勝てないと諦めたほどの男である。なんの誇張もなく弥助は練兵館の、いや、幕末日本最強の男であった。
――認めたくはなくとも、納得はできなくとも、道場の剣士は誰もがそれを知っていた。
「……新太郎殿」
昔から好かれていないことを知りながらも、弥助は命より大事な恩師やくろうの面影を残した新太郎を見て微笑んだ。
「言い残したいことでもあるのか?」
「……面、でござる」
その瞬間、弥助の左手が雷光のように閃き、新太郎の額に毛ほどの傷もつけず鉢巻きだけを斬り落とした。
抜く手も見せぬ無敵の一撃。
あらかじめ面を予告され、面が来るとわかっていても誰も防ぐことのできぬ弥助必殺の左上面打ちは最後まで健在だった。
練兵館の『閻魔鬼神』は、人生の最後の最後までその技を防ぐことを許さなかったのである。
それで満足したように弥助は瞳を閉じた。
こんな馬鹿な死に方をする自分だが、来世ではもう少し謙虚に政治や学問を勉強するのもいいかもしれない。ふと、そんな考えが脳裏をよぎったような気がした。
「――――馬鹿野郎が……」
鉢巻きを斬られた新太郎は、悄然と肩を落として我知らず涙した。
父斎藤弥九郎が愛した、天が才能を与えた男。
その強さを誰よりもよく知っていた。いや、本当は嫉妬していたことを新太郎は認めた。
「だからこそ、お前の力を壬生浪士組なぞに渡すわけにはいかないんだ……」
放蕩無類で女好きの博打好き、情に厚くて学がない。そして極めつけに誰の追随をも許さぬほどに強かった。
これほど利用しやすい男もいないだろう。
たとえ芹沢鴨に弥助を利用するつもりがなくとも、近藤勇や土方歳三はそうは考えまい。
単純で考えの浅い弥助が、自分ではそうと知らずに機密情報を漏らすことも十分に考えられた。
新太郎や仲間たちも、本気で弥助が自分たちに刀を向けると考えていたわけではなかった。
それでも万が一、万万が一弥助が敵に回ったら、という脅威を捨て去ることができなかった。
まさにその強さのゆえに、仏生寺弥助は生存を許されなかったのである。
血だまりに沈んだ弥助の頬に、季節はずれの赤く色づいた紅葉が、まるで死に化粧のように舞っては落ちていた。
練兵館の『閻魔鬼神』こと仏生寺弥助……享年三十三歳。
彼は練兵館の道場破り破りの切り札であり、その剣の腕は塾頭である桂小五郎や斎藤兄弟よりも遥かに上であったと伝えられる。
打ち捨てられた遺体は京都心光寺に人知れず埋葬された。
あの傍若無人で世に知られる芹沢鴨が、ついに頭が上がらなかったという無頼の好漢は、幕末の動乱を前に歴史の闇の中にその姿を消したのである。
だが、その魂は――――。
因果は巡る。魂も巡る。そして時には世界すら巡ることも御仏の導く無常の定めだった。