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魔王と勇者

「陛下。今度の勇者は魔界に侵入することに成功しています」
「ふん。それが大きな問題か?」

 側近のガタカの報告に魔王は鼻を鳴らす。

「いいえ。ただ気になることがありまして」
「なんだ?」
「今回の勇者は異世界ニホンから召喚された者で、あなたを殺すことが可能です」
「ふん。この俺をか?これほどの力を手に入れた俺が負けるわけがない」
「そうですね。余計なことを申してしまいました」

 蛇を連想させる白い鱗の肌に真っ赤な目をした側近ーーガタカは深々と頭を下げた。
 それを手で制して、魔王はそのまま退室を促す。 
 誰もいなくなった部屋で一息つくと、顔を覆っていた禍々しい髑髏の仮面を外す。
 現れた顔は、薄い橙色の肌に漆黒の髪、瞳は黒に限りなく近い焦げ茶色、普通の人間の青年のものだった。
 海部野(あまの)ユキト、そう呼ばれていた少年は今や魔王になり、この世界マグネスティアを支配していた。
 

 ☆

「ふん!」

 気合をいれて剣を振り下ろし、獅子の顔に山羊の体を持つキマイラを真っ二つにしたのは勇者だ。
 勇者しか身に着けられない特殊な鎧を纏い、重さを感じさせない動きで魔物を蹴散らしていく。

「すごい、すご過ぎますぅう。今度の勇者様は魔王を滅ぼしてくれるはずだわ!」

 聖女ソフィアが勇者の背後で歓声をあげる。
 青みを帯びた銀色の長髪が跳ね、たわわな胸がぷるるんと揺れるのが厚手の服の上からも見て取れる。毎回のことであり、何十回、何百回も見ている光景なのに、二人の男ーー戦士タルカンと魔法使いシルダが眼福とばかり、横目でしっかり捉えていた。
 勇者はそんな後方の仲間の動きなど気にすることもなく、バッタ、バッタと魔物を倒していく。
魔王が誕生し、人の世界は滅びを迎えようとしていた。魔王が率いる魔物によって人は蹂躙され、今や一国のみが魔王に反旗を翻している。
 最後の人の国、カレンディアは最後の希望を託して異世界ニホンから勇者を召喚した。
 勇者ミオは細身の()()であったが、腕力も魔力も優れた者で、勇者の鎧を身にまとっても、その動きが鈍ることはなかった。
 中性的な外見は、王女であり聖女ソフィアの心を掴んで離さず、王の反対を押し切って、王女自ら今回の魔王討伐の旅に加わっている。
 それまで4回の討伐隊が組まれており、優秀は戦士や魔法使いたちが戦死していた。
 今回が最後の戦いだと、王は温存していた最強の戦士と魔法使いを放出し、パーティを組んだ。
 勇者ミオ、聖女ソフィア、戦士タルカン、魔法使いシルダの4人は、これまでにない成果を上げ、魔界侵入に成功……。

(うっせー!私は女だっちゅうねん。そんな色気なんていらない。ウザイ。魔王を早く倒して帰りたい)

 実際、勇者ミオは、普通の女子高校生だった。
 散歩をしている途中、急に光を浴びて気を失った。
 目覚めるとそこは異世界。
 背が高く、髪もショートカット。
 残念ながら貧乳。
 顔も中性的。
 少年認定を受け、召喚された勇者とし、魔王を倒すとニホンに戻れるという言葉を信じて、彼女は黙々と前に進んでいた。

 ☆

 「陛下。ワイバーンが倒され第五門を突破されました」

  数日後、魔王は側近ガタカから再び報告を受けた。
  魔界の最初の門が第一門、これを守るのがキマイラであり、先日の報告で倒されたことを知らされた。毎回報告を受けるのも面倒だということで、第五門を陣取る竜の頭に翼、鷲の手足、蛇のような尻尾の魔物――ワイバーンが負けた場合に連絡をするようにガタカに伝えていた。
 今だかつて魔界にたどり着いた勇者一行はいない。
 今回が初めてで、配下の魔物によって倒されると予想していたのだが、それは外れたようだった。
 最終関門の第八門は、ガタカの直属の部下である9つの首を持つ竜――ヒュドラだ。
 その前の、六、七門の魔物も最強であり、魔王の元へたどり着けるのは困難を極める。またたどり着いたとしても疲労困憊で、魔王とまともに戦うことは無理で、勇者が敗北するのは明らかだった。
 しかし、魔王は高らかに笑った後、耳を疑うようなことを口にした。

「やるな。ワイバーンを倒すとは。だが、まだ三門もあるか。俺が出よう。退屈しのぎになる」
「陛下御自らですか?」

 ガタカは信じられないとその細い赤い瞳を見開き、確認する。

「なんだ。不安か?」
「そのようなことはございません」

 髑髏の仮面をつけた魔王に側近は首を垂れる。

「安心しろ。俺が負けるわけがない。お前も知っているだろう」
「はい」

 普通の少年だったユキトを魔王に祭り上げたのは、このガタカだった。異世界から召喚した者は特別な力を持つ。混沌とした魔界に秩序を持たせる。その為には力を持った支配者が必要だと、ガタカは召喚魔法を使い、ユキトを呼び出した。
 貧弱な少年を見たとき、彼は自身の魔法が失敗したと嘆いたが、少年の魔力は強力で、純粋な願いを持っていた。
 彼の願いは世界を滅ぼすこと、唯の非力な少年である元の世界では叶わぬ願い。
 けれども異世界では彼は巨大な力を手に入れることができる。
 
 髑髏の仮面を被り、髪と同じ漆黒のマントと鎧を纏い、人間であることを隠し、ユキトはガタカの導きを得て、魔王になった。
 
 



「勇者様ぁ。この辺で休みましょう。最後の関門まであと3つ。勇者様と私たちなら赤子の手をひねるようなものですよ」

(赤子??いや、それって悪役のセリフじゃ?聖女だよね?)

 勇者ミオは眉間に皺を寄せて、思わず聖女ソフィアをにらんでしまった。すると物凄く傷ついたような顔を見せられる。
 後方の戦士タルカン、魔法使いシルダは可憐な巨乳美少女のそんな表情を見て、庇護欲を刺激されたらしく、ミオに対して無言の圧力をかけてくる。

(いやいや、あんたら。聖女がこれじゃあかんでしょう?)

 そう思ったが、魔王をさっさと倒して帰りたい彼女は物事を穏便に済ませることにした。
 
「ソフィア」

 ミオの声は少年に間違われるくらいの女性にしてはハスキー。
 聖女には名前を呼び捨てで呼んでくれと頼まれているので、彼女は聖女を見つめるとリクエスト通り敬称なしで呼びかけた。

「勇者様」

 瞳を閏ませて、ソフィアはミオを見上げる。

(うぜぇ。まじ。こういう仕草が男受けするのかよ)

 内心砂を吐きそうな気分であったが、ぐっと堪えて聖女を見据えた。

「油断は禁物です。ここはいち早く魔王の元まで進み、倒しましょう。そうして、シルダの転移魔法で一気に城へ戻ればいいのです」
「確かにそうね。城に戻ったらたっぷり私の相手をしてくださいませね」

 意味はわかってますよね?そんな意志が込められた視線を浴びせられ、ミオは吐き気がこみあげてきて、口を押える。しかしどうにか耐えて笑顔を浮かべた。

「はい。さっさと魔王を倒して()()()()()()

(魔王を倒したら、とっとと日本へ帰る)

 固く決心して、ミオは纏わりつこうとする聖女を躱しながら、足を進めた。


 ●

「私もお供しましょう」
「必要ない。お前はここで俺が如何に勇者どもを殺すか見ているがいい」

 ガタカの手元には水晶があり、それで外の世界を覗き見ることができる。直接その場所に行くことなく、状況を見守ることが可能だ。
 わざわざ側近を連れていくこともないと、魔王ユキトは高笑いし、引き留めようとするガタカを振り切って転移魔法を使う。
 転移魔法は、行ったことがある場所もしくは気配を感じる場所へ一瞬で移動できる魔法である。
 勇者とまだ対峙したことがないため、その気配を感じることはできない。なので、ユキトはガタカの水晶に映し出された光景を見てから、己の記憶を探り予測地点へ飛んだ。

「移動した後か」

 人を見れば襲えと命じているので、勇者一行が通った後は魔物の死骸が目印のように放置されている。死骸を食べる魔物もいるが、勇者一行が倒す魔物が多すぎて処理が追い付いていないようだった。
 
「ファイア」

 ユキトが唱えると手の平に煌々と火の塊が現れる。
 ファイアは初歩の火の魔法に過ぎないが、魔力の高い彼が使うとその威力は高位の火の魔法と同等の威力を持つ。
 その場にガタカが居たならば止めるはずだ。
 ユキトはまるでボールを扱うように連なる魔物の死骸へ、火の塊を投げる。
 弾けたような音がして、死骸が燃え上がる。
 炎は草花、木々を巻き込み、森を焼いていく。
 小さな魔物、動物たちが慌てふためいて表に出てくる。
 森は彼らにとっては大事な家だ。
 そして魔界の王ーーユキトにとっても大切な所有物のはずだった。
 けれども髑髏の仮面の下、彼は唇の端を引きつらせて笑みを浮かべていた。



「おかしな気配がする」
 
 勇者ミオは何やら胸が締め付けられる感覚を覚えて、立ち止まった。

「気配ですかぁあ?ああ、これは!!!」

 始めは、いつもの通りあざとい笑みを浮かべていた聖女ソフィアだが、急に頭を抱えて座り込む。

「ソフィア殿下!」
「こ、これは!」

 戦士タルカンがソフィアに駆け寄り、魔法使いシルダが後方を睨む。

「勇者様、魔王が、魔王が近くにいます!」
「魔王?この気配が?」

 ミオはタルカンに支えられ立ち上がったソフィアに問いかける。

「ええ。そうですわ。間違いありません。私は聖女ですもの」

 頭を抱えていたはずなのに、なぜかすっかり元気な様子でソフィアは大きな胸を反り、ぷるるんと揺らした。

(ああ、そうでしたね。あんた、一応聖女だった)

 内心思いっきり突っ込みを入れたいところだが、何も答えず魔王がいるはずの後方を睨んだ。

「これは!」

 衝撃音と同時に地面が揺れる。
 そして炎が森から噴き出してきた。

「逃げなきゃ!」
「待って、ここで待っていたら魔王がくるんですよね?」
「勇者様!何を言っているんですか?ここで待ったら焼け死んでしまいますよ」
「いや、私の水の魔法で氷の壁を作るから大丈夫」

 ミオはとっとと日本の家に帰りたかった。
 この異世界では自身が最強だと自負しているため、逃げだそうとする一行を止めて、氷の壁を作り出す。

「アイスウォール!」

 異世界の魔法がなぜか英語で、しかも小学生で習うような単純な単語ばかり。
 それもあって彼女が魔法の暗唱で困ることはなく、最強の魔法使いのシルダは舌を巻いて驚いていたものだった。
 ミオの呪文に呼応して、彼女を中心に2メートル範囲で氷の壁が形成される。

「さすが、勇者様ぁん」

 甘えた声で褒められても、吐き気を催すだけだったのが、とりあえず問題は起こしたくないのでお礼だけは言っておいた。

「お褒めいただき光栄です」






「これが、勇者の気配か」

 燃え盛る森を突っ切り、前に進む。
 体の周りには水の魔法で防御をかけているので、熱さは感じなかった。焼け落ちてくる枝などは彼に届く前に水のシールドで弾かれる。
 ユキトは火に包まれた森の中をゆっくりと歩いた。

「あそこか」

 3メートルほどの高さの氷の壁が見えて、妙な気配がそこから漂ってきていた。

「一気に片付けようか」

 ユキトは手の平を氷の壁に向けた。

「グレイトファイア!」

 螺旋状に伸びた炎の筋が一気に氷の壁を砕いた。

「うわ、さすが魔王」
「なんてこと」
「こんなに強いのか」
「魔力が高すぎます」

 ミオは自身が最強のつもりだったので、簡単に砕け散った氷の壁に対して驚いただけだったのが、ほかの仲間は何やら青ざめた表情をして絶望感を漂わせている。

(そんな悲観しなくても)

「こほっつ」
「ソフィア様!」

 氷の壁がなくなり一気に炎の熱さと煙に巻かれ、聖女ソフィアが咳き込む。

「シールド」

 ()()の魔法使いのシルダ、慌てて炎から身を守る壁を()()()()()に作った。

(まあ、いいけど)

 無敵の勇者となったミオは、その鎧に防御魔法が組まれているため、炎に囲まれても苦しくはない。
 
「シールド」

 魔法使いシルダに忘れられた戦士タルカンがかわいそうだったので、ミオは彼に魔法をかけてあげた。

(最初から氷の壁じゃなくて、シールドを使えばよかったのか)

 そんなことを思いながらゆっくり近づいてくる魔王を観察する。
 身長は戦士タルカンと同じくらい、髑髏の仮面をつけて、黒いマントを羽織っている。その下にも黒い鎧を身に着けていた。

(ザ・魔王って感じだね。さっさと片付けるぞ)

 元の世界で剣道部でもあり、その中性的な容貌から陰で王子扱いされることもあるミオ。
 気合を入れて剣を握る。
 

「これが勇者か。貧弱だな」
「それは、あんたもそうだけど」

 ミオにはそこまで感じられないのだが、魔王の魔力とその雰囲気に飲まれて、彼の仲間は言葉を発することもなく、ミオの傍に控えていた。
 シールドを使っているとはいえ、魔力は無限ではない。
 魔力が尽きれば火に巻き込まれて死ぬ可能性もある。転移魔法で王宮に戻るという手段を念頭に置きながら、ミオは剣を構える。

(この調子じゃ、一人で戦う感じだね。まあ、いいけど)

 無駄に動いてもらって足手まといになってもらうのも困るので、彼女は仲間に期待することはやめ、一人で対峙することを決める。
 その覚悟をわかったのか、魔王が笑い声をあげた。

「人間どもはやはり貧弱だな。お前を殺したら、一気に攻め込み、人間の世界を終わらせてやろう」
「そ、そんなことできませんわ。勇者ミオ様は強いのだから!」

 後方から聖女ソフィアが叫ぶ。

(まあ、物凄い期待されてるね。まあ、私は強いからいいけど)

「ミオ?」

 魔王はソフィアのセリフから、なぜか彼女の名前を拾って訝し気につぶやいた。
 仮面の下で話している声はくぐもっている。
 けれども聞き覚えのあるような声だった。

「私の名前がどうかした?魔王」
「なんでもない。女のような名前だな」
「女……。あんた、なんでそんなことわかるの?日本にいったことがあるの?」
「日本」

 魔王の表情は髑髏の仮面に隠されてわからない。
 彼の日本という発音がきれいな日本語だった。
 異世界人ではありえない発音だ。
 
「もしかして、あんた。日本から来たの?なんで魔王なんか?」
「……うるさい。お前には関係ない。俺は魔王だ。お前を殺す」

 急に魔王の口調が子供っぽくなった。
 それが事実であると肯定しているようで、ミオは確信をつく。

「あんた、日本人でしょう?」

 ミオの問いに答えることなく、魔王が先に攻撃に出る。
 魔法で生み出された戦斧が彼女に振り下ろされた。




 魔王は人にあってならない。
 この世界に来た時からガタカから強く言われていることで、魔王になり巨大な力を手に入れた今でも、彼はそれは守っていた。
 徐々に薄れていく記憶と感覚。
 日本にいた時の記憶は思い出したくないものばかりで、ユキトにとっては薄れていくことが喜ばしかった。
 日本から召喚された勇者、初めて魔界に足を踏み入れた勇者。
 珍しく興味が沸いて、出向いた。
 その名前、ミオ。
 兜の下のその凛とした顔立ち、その声。
 ざわつく感情。
 苛立ちしか覚えず、さっさと殺してしまおうと決めた。

「同じ日本人同士で殺し合いなんてしたくないんだよね!」

 ミオは彼の戦斧を受け止めて叫ぶ。
 日本人という言葉は、彼の苛立ちをますます煽る。

「死ね!」

 斧を引き戻してから、彼は渾身の風魔法を放つ。

「ハリケーン!」
「シールド強化!」

 ミオが同時に叫ぶのがわかったが、それは自身にかけた魔法でなく、後方の役立たずの仲間のためだった。
 
 ーー海部野(あまの)は悪くないよ。だって本当のことでしょ?

 彼の脳裏にミオの声が木霊する。同時に目の前の彼女より少し幼い少女の姿が浮かぶ。

「邪魔だ!グレートファイア!」

 風で作った竜巻に、さらに炎の魔法を加える。

「うわ!」

 彼女の焦った声が聞こえ、はぜる音がした。
 視界が白くなり、彼も目を開けていられず目を閉じた。


 ●

「海部野(あまの)さあ、面白いよね。はっきり言いたいこというし」

 ユキトには小学六年生まで友達がいなかった。
 クラスメートのことを馬鹿にしており、自分が学校で一番賢いと思っていた。実際彼の成績は学年一位であり、頭はよい方だった。
 けれども性格は最悪で、勉強を教えてほしくて質問したクラスメートを冷たくあしらったりと非協力的態度で、クラスに馴染んでなかった。
 運がよかったのか、どうなのか。
 そんな態度でも距離は置かれることはあっても、虐められることはなかった。
 そんな中、転校生が来た。
 彼女はユキトに気軽に話しかけ、冷たくあしらわれても物ともしなかった。
 一人でずっと過ごしていた彼は、徐々に彼女に心を許していくようになり、それがほのかな恋心に代わるのは時間の問題だった。
 けれどもその恋は一瞬で砕け散る。

「え、本当?」
「うん。信じられないよね。アマーノのくせにミオのことが好きだなんて」

 それは彼が教室に忘れ物をして取りに帰った時に、聞いてしまった会話だった。
 ミオとほかの女子生徒が二人残っていて、そんなやり取りが耳に入ってきた。

 アマーノとは眼鏡をかけて制服を着た神経質そうな芸人の名前で、ユキトの名字が海部野(あまの)であったこともあり、つけられたあだ名だ。
 もちろん、そのあだ名にはプラス要素など全くなく、完全に揶揄の意味しかない。
 ミオは彼を海部野(あまの)とちゃんと名字で呼び、この間延びした呼び方をすることはしない。けれどもこの時は完全に馬鹿にされた気持ちになり、ユキトはその場から逃げ出した。

 そうして、その日から学校を休む。
 両親は心配して彼に尋ねるが、彼は何も答えなかった。
 そんな状態で2週間が過ぎ、とうとう彼は父親に怒鳴られ学校に戻った。けれどもミオは転校した後だった。突然のことで驚いたが、むしろ顔を合わさなくてすむと思うと気が楽になったくらいだった。
 時折、彼女の明るい声で名前を呼ばれなくなったことは少し寂しく感じたが。
 それから再び彼は孤独に陥った。けれども、親に買え与えられたゲームなどをして孤独を癒した。
 中学生になり、彼は虐めにあった。
 眼鏡を奪われて、がむしゃらに暴れたら相手に怪我をさせた。
 相手が始めに手を出してきて、反撃しただけなのに、誰も彼側に立たなかった。次から気をつけるようにと校長室に呼び出されて説教を受けた。 
 味方だった両親も、彼の言うことよりも周りのいうことを信じた。
 彼は誰にも好かれていなかった。
 だから誰も味方になってくれない。

 先に手を出したのは相手なのに。
 それから彼は虐めのターゲットになった。
 誰も信じてくれない、彼は黙って虐めに耐えた。
 家に戻ると、ひたすらゲームをして、殺人鬼になり参加者全員を殺したり、世界を破滅させたり、そうしてどうにか日々を過ごしていた。

 そんな中、彼は異世界に召喚された。

 ーー魔王になって世界を支配しないかと。

 ユキトは喜んでその言葉に乗った。異世界では彼は無敵だ。どうせ、異世界の住人なんて、作り物に過ぎないと、彼はガタカの言うまま、魔物を殺していった。
 人型を殺すことに戸惑いを覚えた時もあったが、自分を虐めた奴らへの憎しみを思い出して、殺した。
 そうしているうちに、感覚が薄れていき、彼は完全に魔王になった。

 


「あぶなかった!」

 魔王から放たれた風魔法ハリケーンーー竜巻攻撃に火が加わり、ミオは絶対絶命のピンチに陥ったはずだった。
 けれども最強の召喚勇者である彼女は防御魔法シールドを使いどうにか凌ぐ。
 仲間のことも考えたため、広範囲になったために炎の影響を受け、鎧で覆われていない部分が幾分火に当てられ、ヒリヒリと痛みが走った。

「勇者様、私たちに構わず魔王を倒してください」
「勇者様、この最強の魔法使い、シルダの名にかけて守りを固めますので」

 (っていうか、あんたが守るのは王女(ソフィア)と自分だけだろうが)

 ちらりと戦士タルカンを見ると、何やら首を横に振っている。

(本当、さっきもシールドを全開にしなきゃ、絶対タルカン死んでと思うし)

 異世界、もしかして某サイトで流行りのゲームの世界の中に転移してしまったかもしれないが、仲間として一緒に旅を続けているうちに情が沸いてきている。
 
(タルカンは守らないと。でも防御だけじゃどうにもならない。やっぱり攻撃?)

 ミオは、髑髏の仮面の魔王を睨む。

(絶対日本人だよね。しかも若いと思う。声からして、ちょっと子供っぽそうだし)

 魔王は何を考えているのか、最後の攻撃魔法から微動すらしない。

「勇者様、今です。今攻撃を仕掛ければ」

 背後のタルカンが叫ぶ。

(魔王って言っても、日本人だよね。殺すっていうはちょっと。話せば解決するかもしれないし。ほら、日本に一緒に戻るとか)

「勇者様!」
 
(うるさいなあ。とりあえず近くによって話してみるかな)

 ミオは攻撃を仕掛けるふりをして、剣を携えたまま、魔王に向かって駆け出した。


 ●

「陛下」
「ガタカ」

 ユキトは、転移魔法を使って現れた配下であり、自身をこの世界に召喚した魔物を見る。蛇のような肌に赤い瞳。
 初めて見た時は、思わず怯えてしまったことまで思い出して、髑髏の仮面の下で、彼は失笑する。

「情が沸きましたか?」
「そんなことはない」
「それであれば勇者を殺していただけますか?」

 ガタカは赤い瞳を冷たく光らせて、彼に問う。
 魔王としてユキトは5年近く過ごしてきた。
 思いのまま力を振え、馬鹿にされない。
 味方などいないが、虐めるものなどいない。
 そもそも攻撃されても反撃できる力がある。
 誰に頼らなくても、彼自身に力があった。
 元の世界に戻るなど、彼には考えられなかった。
 しかし、勇者は、あのミオだった。彼が仄かな想いを抱いた女の子。
 6年の間に身長が伸びていたが、あの顔立ち、瞳……。
 ミオに間違いはなかった。

「来ましたよ!さあ、あなたが殺さなければ彼女があなたを殺すでしょう。彼女もあなたを裏切ったのですよね?」

 ガタカにはミオのことを話したことはない。
 ただ元の世界の奴らに裏切られ、誰も信じられないと話しただけだった。

 勇者専用の鎧を身に着けたミオは剣を携え、ユキトへ向かってきていた。


 ーー海部野(あまの)

 あの時の少女は髪を伸ばしていて、風が吹く度にさらさらと揺らぎ、その度にドキドキしたことを思い出す。
 茶色の瞳はいつもキラキラ輝いていて、毎日憂鬱な気持ちで過ごしていた彼には眩しかった。
 盗み聴きしたミオとクラスの女子の会話が脳裏に響く。

「陛下」

 この世界に来たばかり、彼は少し怯えていた。そんな彼に安心感をもたらせたのは、ガタカだった。蛇のような肌に赤い瞳の人型の魔物。
 優しい言葉をかけることはないが、彼に力があることを教え、更に強くなるために力を貸してくれた。
 日本にいた時は裏切られたばかりだったが、この異世界に来て彼は唯一の味方を得た。

「殺す。俺は魔王だ」

 ミオも所詮彼を裏切ったのだ。
 表では彼に優しくしてくれたが、裏ではほかの奴らと同じように馬鹿にしていた。
 ガタカは何も言わず、ただ首を垂れるとその場から消えた。

しおり