尋ね人は二階に
「ここ1年程でしょうか……全く新作を発表されていないんです」
葵の問いに川村が肩を落としながら答える。爽が尋ねる。
「こう言ってはなんですが……何か不都合なことが? 部に所属しているとはいえ、描く、描かないは個人の自由の範囲内かと思うのですが?」
「勝手な言い分と言えばそれまでなんですが……」
川村は躊躇いつつも、言葉を続ける。
「橙谷さんも美術部員の一人である以上、部長の僕にも様々なプレッシャーがかかってくるんです! 部内の雰囲気が悪いから新作が描けないんじゃないかとか、彼の才能に皆で嫉妬して、新作発表の妨害を行っているんじゃないかとか……もう目茶苦茶好き勝手に言われて……ほとほと参っているんです。彼、実質幽霊部員なのに……」
「内情も碌に知らずに、外野は好き勝手言うものですわね」
「希代の天才浮世絵師ともなれば、周囲の注目度も自ずと高くなるものでしょう」
「彼の類まれなる才能については勿論誰もが一目置いています。それは重々理解しているつもりです! しかし、これ以上僕自身や、他の部員の活動の妨げになるのは甚だ迷惑なんです。静かで集中した美術部ライフを送りたいんです! その為に!」
「……その為に?」
テンションの上がった川村に対し、恐る恐る葵が尋ねる。川村はテンションを保ったまま答えた。
「橙谷さんに新作を描いてもらうこと! それが唯一の解決策であると思いますが、如何でしょうか?」
やや川村の落ち着きが戻ったところで、改めて話し合いを続けた。
「まあ、その橙谷さんに会ってみようか」
「そうなりますわね」
「学校にはもう居ないようですね。どこか行きそうな場所はご存知ですか?」
「学園の北東にあるこの茶屋にはよく出入りしているようです」
爽の指し示した地図の一点を川村が指差した。
「どうもありがとう。それじゃあ行ってみようか」
「あ、あの……女性だけで行かれるんですか?」
「? ええ、そのつもりですが」
「そ、そうですか、ではお気をつけて……」
「穏やかな話じゃないようですわね?」
口籠ってしまった川村を尻目に、葵たちは美術室を後にした。
「何やら気になりますわね、女だけだと何か問題があるのでしょうか?」
「何も取って食われるってわけじゃないだろうし……兎に角行ってみようよ」
「まあ、保険は掛けておくに越したことはないでしょう……」
「何ブツブツ言っているのサワっち? 置いていくよ?」
「ええ、すみません。今参ります」
十数分後、三人は問題の茶屋にたどり着いた。古民家を改造したような造りで、純和風の茶屋である。建物は二階建てである。二階から何やら嬌声が聞こえてくる。
「三名で」
階段近くの席に通された葵たちだが、より二階からの騒ぎ声が耳に入ってくる。怪訝な様子を見せる葵たちを見て、応対した店員がややバツの悪そうな顔をみせる。
「すみません、少し上のお客様が盛り上がっていらっしゃるようで……」
「これが少し? 下の階にまで響いてきていますわ。貴女注意なさったら?」
「い、いや、私からはちょっと……」
小霧の指摘に店員が困った表情を浮かべる。爽が助け舟を出す。
「注意するのは憚られる……余程のお得意様なのですか?」
「そ、そうなんです! ですからご容赦お願いします、すみません……」
しかし、二階の盛り上がりは一向に治まりそうにもない。
「容赦というにも限度というものが……」
「まあまあ、さぎりん、店員さんも困っているし……」
「例えばここが居酒屋などであれば、わたくしも何も言いませんわ。でも、ここは茶屋なのでしょう? 雰囲気というものも大切になってくるでしょう?」
「白玉あんみつと抹茶ラテをお願いします」
「伊達仁さん……」
「まあ、腹が減っては何とやらです。とりあえずスイーツを楽しみましょう」
マイペースな爽の空気に流されて、葵たちも一応注文を済ませた。疲れてきたのか、二階の騒ぎも些かではあるが落ち着いてきた。小霧も怒りの矛を一旦収め、素直に食事を楽しむこととした。食事もひと段落ついた頃になると、また二階が騒がしくなってきた。
「また……! ちょっとわたくしが注意してきますわ!」
「ちょっとお待ち下さい。高島津さん」
食事中から何やら操作していた端末を確認しながら、爽が小霧を制止する。
「何を待つのですか⁉」
「さっきの店員さんに確認したいことがあります。……すみません、宜しいですか?」
爽が先程の店員を席に呼び出した。
「如何しましたでしょうか?」
「二階のお客さんにご挨拶したいのですが」
「い、いや、それはちょっと……」
「ご心配なく。別に揉め事を起こそうという訳ではありません。ただ、我々は元々二階のこの方に用事があって尋ねてきたのです」
そう言って、爽が端末を店員に見せる。そこに映った画像を見て、葵たちも驚く。
「この人……!」
「橙谷弾七! もう来ていたんですの⁉」
葵たちは再び二階に耳を澄ませる。すると、複数の女の嬌声に混じって、男の話す声も聴こえてきた。
「あ、男の人の声もする!」
「気付いていらしたのね……」