第十六話『明日の予定とエリシャのご奉仕』
帰宅してすぐルインをベッドに寝かせ、俺とエリシャはひと休憩の後に夕食を作った。今日の献立は肉野菜炒めで、味付けにはシンプルに醤油を使うことにした。
今回も大部分エリシャに任せてみたが、やはりキッチンの扱いに問題なかった。
「もう俺が見なくても良さそうだな。明日は一人でやってみるか?」
「はい、頑張ります。レイトウショクヒンのことについても、一通り教えてもらったので何とかやってみますね」
エリシャは片腕をガッツポーズのようにし、ふんとやる気に満ちた息をついた。
「分からないところがあったら、いつでも起こしていいからな」
「えぇ、頼りにしてます」
そんな話をしていると、夕飯の匂いにつられて寝起きのルインが現れた。俺たちは昨日と同じようにテーブルを囲み、エリシャが作ってくれた料理に舌鼓をうった。
夕食後はソファに腰かけ、テレビをつけてニュースをチェックした。魔王側からの動きがないか調べるためのものだが、それらしい破壊活動は確認できなった。目ぼしい情報がないまま画面を見ていると、一つだけ気になるニュースが映った。
『……男性は、混乱した様子で危険運転による罪を自首したとのことです。ただ警察関係者からは、そのような被害届は出ていないと言っており――――』
昨夜未明に、トラックの運転手は警察署前に現れたらしい。運転手は酷く怯えた様子で、『正義』がどうとか支離滅裂なことを言っていたようだ。一応不可解なニュースではあったが、魔王と関わってるかまでは分からなかった。
(やっぱり目立った動きがなければ、こちら側から接触するのは無理だな。何か一つでも手掛かりがあれば……ん?)
最後に映ったニュースは、全焼した会社跡に関するものだった。何度か放送したせいか終わるのは早かったが、見ているうちにやってみたいことができた。
「…………一度、会社跡に直接行ってみるか」
手掛かりが残っている可能性は少ないが、あった場合はかなりの進展となる。魔王に対して後手に回らないためにも、ここは行動するべきだ。
土曜日はルインがお友達と遊ぶ予定があるので、明日にも行くべきだろう。天気予報では雪が降ると言っていたので、今回は俺一人の方がいいかもしれない。そのことをエリシャに伝えてみると、その案はすぐに却下されてしまった。
「……もし魔王がその場にいたら、レンタはどうやって自分の身を守るつもりですか? 独りでなんて行かせません、私も絶対についていきます」
「まぁ、そうなるよな。となると、ルインも連れて行くしかないか」
「大丈夫です。何があっても私が守ってみせますから」
「それは本来、俺が言うべきセリフだよな……」
途中から話を聞いていたルインも、一緒に行くと言っていた。今日のように楽しくとはいかないだろうが、明日もまた三人で出かけることとなった。
エリシャと一緒に夕食の片付けをし、その後三人でソファに腰掛けた。
図書館から借りてきた学習書を広げ、まずはひらがなを五十音順に教えていった。元々エリシャは言語理解が早く、この程度ならすぐ覚えそうだった。ルインも同年代の友達のおかげか、真剣な眼差しで俺の教えに耳を傾けてくれた。
「あさは……おはようございます。ひるは……こんにちは。よるは……こんばんは」
たどたどしく喋るルインの姿を見守り、一通り進んだところで優しく間違いを教えた。このやり方が正しいかは不明だが、真面目にやっているとこにすぐ駄目だしは俺自身が嫌いだったからやめた。
エリシャはすでに一つ上の学習書に手をつけ、そこに書かれている文字を読んでいた。
「いぬも、あるけば、ぼうにあたる……」
「意味は『でしゃばると思わず災難にあう』とかだ。じっとしてないで何か行動を起こせば、状況が変わるかもしれないっていう肯定的な意味もあるな」
「……なるほど、向こうにも似た言い回しの言葉はありましたね」
一時間ちょっとで切り上げるつもりだったが、二人が熱心に取り込んでくれたので二時間ほどに延長となった。そしてルインが眠そうにあくびをし始めた辺りで終了にし、お風呂に入ってから寝ることにした。
昨夜と同じように三人で風呂場に入ったが、相変わらず目のやり場に困って大変だ。試しに明日からは俺かエリシャのどちらかと入らないかとルインに提案してみたが、予想通り「やっ」と即却下されてしまった。
「他のことは素直に聞いてくれるのに、どうして風呂は駄目なんだ……」
「まぁまぁ、ルインも心細いでしょうし、仕方ありませんよ」
「……俺が言うことじゃないが、エリシャも結構ルインに甘いよな」
浴槽に浸かっているエリシャと会話しながら、ルインのふわっとした髪を洗っていった。女の子の髪の洗い方など知らないので、カシカシと掻くようなやり方だ。
こちらの世界の髪用ケアを徹底すれば、エリシャとルインは今以上に美しくなるだろう。機会があったら調べてあげようと決め、泡でモコモコになったルインに声を掛けた。
「ルイン、今から泡を流すから目を開けるなよ」
「んぅ、わかった」
シャワーの勢いを緩めてから髪にかけ、泡を手ぐししながら落としてあげた。そして濡れた髪を優しくタオルで拭いていき、エリシャの身体を見ないよう目を固く閉じながらルインを浴槽に入れてあげた。
これで一安心と思い自分の身体を洗っていると、エリシャが意外なことを言い出した。
「……あの、レンタ。もしよろしければ、お背中を流しましょうか……?」
「え」
「そっ、そういう関係になったのですし、少しなら良いと思ったのですが。……どうでしょうか?」
それは嬉しい申し出だが、緊張でエリシャの声はだいぶ震えていた。俺は断った方がいいか考え、結局受け入れることにした。せっかく勇気を出してくれるのに、断るのも野暮だろう。決して俺が背中を流して欲しかったわけではない。決してだ。
エリシャはおずおずと湯船から上がり、俺の背中をタオルで優しく洗ってくれた。きっと互いに真っ赤な顔をしているのだろうが、鏡越しでも姿を見ることはできなかった。
この場にルインがいてくれなければ、確実に男として我慢できなかったはず。それを感謝すると同時に、しばらくは生殺しのような状態が続くのではと察してしまった。
(本当に……、この生活は心臓に悪すぎるぞ)
頭に渦巻く感情を深呼吸で抑え、俺は一日で一番精神を消耗する時間を耐えきった。
風呂上がりから大体一時間ぐらいでベッドに入り、借りてきた絵本を二人に読み聞かせてあげた。今回選んだのは定番のシンデレラだったが、話が最後までいく前にルインがぐっすりと眠ってしまった。
「……今日も良い寝顔だな」
「ですね、幸せそうでこっちまで嬉しくなります」
エリシャはルインの頭を撫で、その鼻先に軽くキスをした。最初は魔族ということもあり警戒していたが、すでに俺もエリシャもルインを危険だとは考えていなかった。
「…………でも結局、ルインはなんで俺たちの前に現れたんだろうな」
「改めて思い返しても、あの場には私たちしかいませんでしたからね。やはり可能性があるとしたら、魔王の関係者ということしか無い気がします」
「意味不明なのは、ルインが言っていた話だよな。俺たちだったから良かったけど、危ない奴を父母と認識したらどうするつもりだったんだ」
ルインに指示した者の目的があったとして、奥にある意図が見えてこない。そこに何か言いようのない不安を覚えるが、ルインが詳細を覚えていない以上答えは出ない。
(パパにママか。ルインが呼ぶままに受け入れてたけど、おいおいは変えていった方がいいかもしれない。……まぁでも、そこは今更な話か)
色んなことを考えてみるが、眠気が襲ってきて思考が回らなかった。
「ふぁ……眠くなってきたし、そろそろ寝よう」
「ですね。おやすみなさい、レンタ」
俺たちは共に手を握り合い、どちらともなくキスをした。明日も良い日になりますようにと願う内に、意識は徐々に心地よいまどろみに包まれていった。