[prelude]
「ワァァァァァァァァ!」
地方のゲームセンターで行われたとある音ゲーの大会。
エントリーしているのは、この田舎の森に住むゴリラのGORI氏だ。
「すごいぜあのゴリラ!」
音ゲーのDJの扱うキーボードはピアノのようなものだ。
鍵盤は7つあり、タイミング一致で叩くとその鍵盤は光る。
「このプレイ、AA……いやAAA確実だろ」
BPM240……1小節1秒の曲で全部32分音符ならば、1秒間に32回の連打である。
凡人には到底到達不可能なこの神の領域を、GORI氏は光らせる。
彼の指から繰り出されるボタン連打音は、豪雨の雨音のように止むことなく鳴り響いた。
「スゲエ!」「ヤバイ!」
演奏の終了。得点は3800越え。世紀の瞬間を目にした観客《ギャラリー》は奇声を上げ始める。
GORI氏はゆっくりと席を立つと満足そうな表情を浮かべ、最多得点者の座る椅子にどかっと腰を下ろした。
[ MAIN ]
銅鑼武《ドラム》町にある喫茶店五里。
店長のGORI氏は着ぐるみマニアである。
「ゴリラの着ぐるみ着てるの暑くないっすか~?」
入り口の看板を出し終えた店員の長谷川藤矢は、GORI氏を見る。
綺麗に洗われた紅茶カップを、毛先の手入れまでされた毛むくじゃらの腕が持つ。
もう片方の手の布巾で水気をとっている。
「ああ、呪いでこれは脱げないんだ」
返ってきたのは残念な答えだ。
「脱げないっていうか、ほぼ同化しちゃってますよね」
脱げないのは大分前から知っている。
無駄な質問をしてしまったと藤矢は思いながら最初の客を迎える。
「モーニングセット。トーストのジャムかバターを選べたんだっけ? バターで」
「はい、畏まりました」
注文は藤矢だが、トーストを焼くのは店長だ。
サラダは初めから作られていて注文と同時に出す。
トーストは焼け次第すぐ出すので、サラダを食べていると、いかついゴリラの腕がにゅっと出てくる。
「GORIさんの太くて黒い腕、いつもびっくりするんだよな」
客は近くの売店の新聞を放り投げてトーストを食べ始めた。
喫茶店は3時になると客がいなくなる。
下準備を始める5時まですることがなくなる。
GORI氏は店を一旦閉めて近くのゲームセンターで暇つぶしをする。
藤矢はそれらに興味がないものの、家に戻るのが面倒な時、たまに見に行く。
「格闘もシューティングも飽きたんじゃないんですか?」
「いや、店主が音楽ゲームの新台を入れてくれたんだ」
「弾けるんです?」
「いや、全然?」
でかい図体が小さな鍵盤に向かう姿は滑稽《こっけい》に映る。
「他行くところないんです?」
「ゴリラがうろついていると通報されるから」
少し足を伸ばせば森林公園やフィットネスジムもある。
だがこのゴリラの行動半径は狭い。
そんな日常はある少女の出現で終わりを告げた。
天空院香澄。天空院家の長女である彼女は音楽大学に通う大学生だ。
カッカッ。
ヒールの靴音が木霊する。
ピアノコンクールに出場が決まっているのだが、銅鑼武町は狭い町だ。
家で長時間ピアノを弾くと抗議される。そこでGORI氏のいるゲームセンターに来たというわけだ。
「邪魔なゴリラはさっさとどきなさい」
香澄の弾く曲はヴィヴァルディの四季やショパンの革命などだ。
音楽ゲームでは一部しか弾けないため、演奏しにくる時間は少ない。
2時間もいるゴリラは邪魔にしか見えないし、店主もコンクール出場のこの少女を優先させて交代を迫る。
「くそっ、いつか見返してやる」
GORI氏にとっては文字通り雲の上のような存在だ。
だがいつか越えてやる。毛は逆立ち赤い炎がメラメラと燃え始めた。
藤矢が客が食べ終えた食事の後片付けをしていると、GORI氏が地方新聞をじっと見ているのを目にする。
「へ~、銅鑼武町で音ゲー大会ね。優勝は海外旅行って店長?」
新聞を見る目は真剣《マジ》になっている。
「香澄さんは出てこないと思うし……てまさか?」
開かれるのはいつものゲームセンターだ。
課題曲には香澄が四季や革命以外に弾いている最難関曲の冥がある。
大会の場で香澄のスコアを越えることがGORI氏にとってのリベンジになる。
「出場はいいですけど、あんまり指を鍛えすぎないでくださいよ」
GORI氏が布巾で紅茶カップを拭いていると時々カップが割れるようになった。
大会当日。銅鑼武町は大会を開くにしては小さな町だ。
普段は目にしないような洗練されたファッションの青年がゲームセンターに集合してくる。
喫茶店が開いてない時刻に行われるので藤矢も見に行く。
「あいつ、男なのに耳ピにネックレスしてますね」
「カッコつけるやつはたいがい下手糞だ。予選は別の組らしいが」
GORI氏はもはや免許皆伝の腕まで到達している。
都会から誰が来ようが同レベルかそれ以下にしか見えない。
GORI氏は曲の表を見る。冥は決勝でしか弾けないことを知る。
予選を突破しなければ冥は弾けない。GORI氏は難しい顔をする。
「まずは、予選。あのオタク風の男だけなんとかなれば」
「冴えない顔のやつですが、ああいうのが上手いんです?」
「勘だけどね」
大会が始まる。実際にその人の弾く様子を見ると店長の言っていたことは当たっていた。
ソフランと言って
そのほとんどの音符でジャストな押しをしている。
「でも32分音符は押せてないっぽいすね」
店長を見る。32分ゾーンに入った途端、猛烈な勢いでオタク風の男の点数を追い抜いていた。
決勝は他の連中とだが、もう店長の優勝は決まったようなものだ。
[ finale ]
全員の演奏が終わる。
「優勝はGORI氏!」
大会が開かれた銅鑼武町では、喫茶五里のゴリラは有名だ。
地元の利ともいうべきか、祝いの言葉が雨のように降り注ぐ。
「おめでとう!」「おめでとう!」
司会者はその声が静まるのを待って最多得点者のGORI氏に歩み寄る。
「今回は凄いスコアが出ました。この町でやってよかったと思ってます」
司会者はGORI氏のプレイを解説しながら、優勝賞品の海外旅行の紙を持ってこさせる。
しかし渡す段になって何か揉めている。
関係者らしき人が渡すのは無駄ではと言っている。
「賞品ですが、優勝者に渡しても無駄なことが発覚いたしました! 準優勝の方こちらに!」
ワシントン条約。
絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約で、ゴリラの国をまたいでの移動が禁止されている。
「あ、店長行けないですね」
最初に見かけた耳ピアスの男が、ゴリラを押しのけて賞品を手にしていた。