【獣人の町】獣人さんの正体を変身前に当ててみた!
寒風吹きすさぶ繁華街。
俺の眼前に立ちはだかっているのは、フロックコートを着た豹頭の男であった。
「グルゥゥ……下界のニンゲンがこの町にくるとはな」
この巨躯ならば、俺のつむじまで悠々と見下ろせているに違いない。
黄金の獣毛の間に輝く瞳に全身を嘗め回されると、生きている心地が失せてゆく。
だが俺は勇敢な男だ、臆せずして豹頭の男にマイクを向ける。
「あの……俺のこと知っています!? 人気者ですけど!? 動画配信者ですけど!?」
勢いを付けてまくしたてると、豹頭の男は無遠慮に顔を近づけてきた。
「ほう、動画配信者か……面白い……」
鼻先をクンクンと鳴らす。 肉とその下を流れる血の匂いを嗅いでいるようだ。
口端から覗く牙に突かれたら、容易く筋肉を貫かれ、骨まで砕かれそうだった。
緊張に耐えきれず、俺は言葉を続けた。
「“イマドキの若い連中”のリーダーでダンっていうんですけど、知りませんか? ファン数100万人の人気グループですよ? 知りませんか?」
恐怖と涙を溢れさせつつ尋ねたが返事は来ない。
獣の圧力に耐えられなくなってきた俺は切り札を繰り出した。
「実にけしからん! “イマドキの若い連中”のダンだ!」
敬礼に似たポーズを作り、シルバーグレーに染めた髪の上でビシリと止める!
いつも動画の冒頭挨拶で使っているポーズだ。
俺は人気者だから、何かしらの反応が返ってきて然るべきである。 だが、豹頭の男の返事は非情だった。
「知らん」
周りで野次馬していた獣人たちまでが口々に無慈悲な答えを返してくる。
「知らんなぁ……」
「知らんね」
「知らん」
「知らねえなあ」
獣人たちの言葉は、絶望の闇へと誘う呪詛にも等しかった。
ここは俺の世界と似てはいるが異世界なのだ。
人気者だった俺を知るものはいない。
周囲から舌なめずりの音が聞こえる。
獣人の町において人間は餌なのだ。 圧倒的弱者であり、捕食対象なのだ。
どこにも逃げ場はない。
「詰んだ……」
両ひざが力を失い、アスファルトに引かれた白線上に崩れ落ちる。
「詰んだ~~~~っ!」
胸を染める絶望は、叫びとなって灰色の空を振るわせた。
「ダンくんお立ちになってください! インタビュー中に座ってはなりませんわ!」
灰色の空を眺めている俺に向かって、朝日色に波打つロングヘアの少女が叱咤を浴びせてきた。
メディ・ゴルゴーン。 俺の動画プロデューサーを名乗るジャリガキである。
幼いくせに上品ぶった顔立ちをしており、クソ生意気にも旧家のお嬢様という立場ではある。
だが、実際のところこの異世界に俺を勝手に召喚してコキ使っている許しがたき誘拐犯であることを俺は知っている。
「お立ちになって! 周りにいる獣人さんばかりが映りこんでしまいますわ!」
メディの構える撮影用カメラの前には、獣人たちが群がっていた。
カバ顔の獣人とネコ顔の獣人がマヌケな会話をしている。
「あの人たち、テレビ局の人かば~?」
「見たことがないタレントさんだにゃ~?」
豹頭の男に至っては、カメラに向かって ピースサインを連打している。
「いぇーい! 母ちゃん見てるぅ? ピスピスピスピス!」
散々にビビらせてくれたが、完全なる田舎者ムーヴだ。
ようやく恐怖から己を奪い返せた。
こいつらはテレビカメラを珍しがるような田舎者なのだ。 委縮などすべき相手ではない!
「散れ! 散れ! カッペども邪魔だ!」
「もう終わりかば~? いつテレビで放送されるかば~?」
カバ獣人が眠そうにあくびをしながら尋ねてくる。
「テレビじゃねえ! 動画だ! 人気配信者たる俺様のためのカメラだぞ! 見るな! 映るな! 近寄るな!」
シッシッと掌を振ると、獣人どもはつまらなさそうにカメラの前から去っていった。
「ダンくん、失礼ですわ! これからわたくしたちのチャンネルのファンになってくれるかもしれない方たちに!」
「都会派配信者たる俺様にカッペのファンはいらん!」
「ダンくんは性格が悪すぎますわ!」
「それが俺様のいいところだ!」
胸を張ってはっきり言ってやった。
元の世界でもこのキャラで登録者100万人を集めた。
そんな人気者をこのメディが勝手に召喚し、誰も俺のことを知らない世界に連れてきた。
俺は多くのファンが俺の動画を待っている元の世界へ、とっとと帰らねばならんのだ!
俺が召喚されたこの世界は、パラレルワールドの日本である。
文明レベルは俺の知る日本と大差がない。
インターネットは生活の中に溶け込んでいるし、有名動画サイトも存在する。
決定的な違いは、俺たちの世界において伝説に過ぎなかった獣人やエルフ、果ては神々までもが実在することである。
俺のいた世界とどんな関係なのかは不明である。 メディに聞いても「今は教えられませんわ」と突っぱねられった。
いろいろ試したが分からなかったので、とりあえず考えないことにした。
ここは獣人の町。
オオカミ男などの半人半獣に変身できる人たちが集って住む町である。
俺の知る日本地図に当てはめると福岡県付近に該当する。
今、立っている場所は飲み屋や賭博店などが立ち並ぶ、いわゆる繁華街だ。
風俗関係らしき店が、昼間から悪趣味な電飾をギラつかせている。
電柱の陰ではハンチング帽をかぶったキリン男が、長い首をキョロキョロとさせている。
チケットの束を手に持っているところを見ると、たぶんダフ屋なのだろう。
通行人も肩で風を切って歩いているような荒くれものが多い。
「実に下品だ! 育ちの良い俺様にふさわしくない! 撮影は中止だ!」
「プロデューサーとして撮影中止は許可できません! せっかく魅力的な企画なのですから完成させましょう、“【獣人の町】獣人さんの正体を変身前に当ててみた!”を」
メディは俺たちのデビュー作となる予定の動画タイトルをそのまま言葉にした。
“【獣人の町】獣人さんの正体を変身前に当ててみた!”
変身前の獣人にインタビューをして、外見や性格からどんな動物に変身するかを予想するという動画である。
「獣人はその魂の姿の獣になる――この町に伝わる伝説ですわね」
例えるならば、勇敢でカリスマ性のある奴はライオンの獣人になり、おおらかでのんびりした奴は象の獣人に変身する、ということであろう。
俺が“この世界ならではのもの“というテーマをもとに考えた企画である。思いついたときはバズり間違いなしと自信を持っていた。
「だが、この町にきて分かった! 実現不可能だ!」
獣人たちは最初から一人残らず獣に変身しているのである。
最初から変身されていては、企画が成り立たない。
「ちゃんと探してくださいまし、変身していない獣人さんがきっといますわ」
「お前が探せ! 俺はごめんだ!」
俺に面倒な仕事を押し付けようとするメディを突き放す。
「自分が嫌なことをレディに押し付けるだなんて、殿方として恥ずかしくてよ?」
「お? 何だ、ビビッてんのか? お前、神様だろ? 獣人ごとき雑魚にビビるなよ」
俺が煽ると、メディはムッとした顔をした。
「……今は神の座にありませんわ」
「そうだったなあ! スキャンダルで蹴落とされてから、ずっと無職なんだってなぁ!」
「くっ……必ず取り戻して見せますわ! 本来いるべき神の座を!」
悔しそうににらみ返してきた。 気の強いメスガキだ。
慌てて目を逸らしたが、俺がビビッているわけではない。
ゴルゴーンという姓から察しが付くように、こいつに睨まれるとやばいのだ。
何よりメディに神の地位を取り戻して貰わないと、俺は元の世界に帰れない。
この世界における神とは、政治的指導者のことである。
俺の世界にあてはめれば大臣に該当する地位だ。
強大な権限を持ち、異世界への送還への認可を出すことさえできる。
つまり俺を元の世界に返せるということだ。
その座に座るものは選挙で選ばれるのだが、立候補をするには二つ条件を満たさねばならない。
一つはこの世界の特権階級である神族であること。
これに関してメディはクリアしている。古よりの神の家系だ。
もう一つの条件が、担当分野における実力を示すこと。
戦争の神なら戦闘指揮官として実績を挙げれば良い。知恵の神なら国難を救うための策を見せる。火の神ならファイアーリンボーでパーティを盛り上げると、規定された要件は分野によって様々だ、。
今回メディが目指しているのは、娯楽の神。
今までなかったポストの新設が決まったことで行われる、特殊な選挙なのだという。
娯楽分野で何らかの指導者的実績をあげていることが、立候補に必須となる。
実績と認められるものは多岐に渡る。
映画監督としてのもの、漫画家としてのもの、テレビプロデューサーとしてのもの、ゲーム開発者プロデューサーとしてのもの。
そして動画プロデューサーの場合、
「バズる動画を作ることですわ! 目指せ10億再生!」
新設したチャンネルで10億回の再生数を記録することだ。
期限は選挙の立候補締め切りまでの一年間しかない。
大人気配信者ならともかく、新人がそれを実現するのは極めて困難。
メディは指導者どころか娯楽分野に関わったことすらない。
そこで他力本願にも魔術で召喚したのが、人気者の俺様というわけである。
「最強の人気者である俺様を召喚できて、お前は運がいい!」
「頼もしいですわ! わたくしには、ダンくんのどこが人気なのかさっぱり分かりませんけど」
「分からんか? 有能さのにじみ出るイケメンフェイスを見ても!」
「見た瞬間に、顔パンしたくなるお顔立ちであることだけは分かりますわ」
「ちんちくりんめが! 顔パンしてみせろ! ジャンプしても届かんのだろぉ~?」
「うぅ~、わたくしちんちくりんじゃないもん!」
俺に抗議してくるメディ。 背伸びをして対抗してくるが俺は百八十センチ弱ある。百四十センチ弱のちんちくりんでは対抗できまい!
からかい続けていると、右肩に圧迫感。 ふと見れば黒い獣の手に肩を掴まれていた。
「よう、人気者の兄ちゃん」
「酒場でおごってくれよ、人気者!」
恐る恐る振り向く。
グラサンをかけた虎と、たてがみをリーゼントにしたライオンがそこにいた。
1960年代のアメリカ映画に出てくるような革ジャンのライダー姿で、いかにもワルそうである。
「そ、その……俺は人気者ですがお金はないんです」
「本当か? ジャンプしてみろよ」
「こ、こうっすか?」
「小銭の音がするぜ、ウソをついちゃあいけねえなあ」
この町を一刻も早く離れたい真の理由がこれである。
俺様は極めてカツアゲされやすいタイプなのだ。
獣人たちに裏路地に連れ去られこまれて数分後、ようやく解放された。
「う、奪われた……何もかも……」
下着のシャツにパンツ一丁という情けない姿である。
「まあダンくんたら……。女から見たら最低の性格でも、同性にはモテモテですのね」
いかがわしい妄想をしているのは、赤らんだ頬をみれば丸わかりだ。
幼く純粋そう、かつ上品なお嬢様フェイスをしているが、その内面は腐女子なのである。
「何もされていない! 渡した金が足りないと言われて、身ぐるみ剥がされただけだ!」
「フフッ……裏路地で何をされてしまったか、お顔に書いてありますわ!」
そりゃそうであろう。 去り際に思い切り顔パンされた。 鼻血はダラダラ、皮膚は腫れている。 どんな顔になっているのか、鏡を見るのが怖い。
この顔を見ていかがわしい妄想をしている時点で、こいつの性癖がヤバいことが分かる。
だが、今はそれどころではない。
腫れた顔よりも、体の方がさらに深刻なのだ。鳥肌が立ち、骨にまで冷気が凍み渡ってくる。
「さ、寒い……」
ここはパラレルワールドの日本。気候も俺たちの世界同様である。冬のこの時期、下着姿で外にいてはあまりにも危険だ。
着ていたコートもセーターも奪われてしまった。動画の収益で買った、かなり値の張る代物だったのに……。
歯の根がガタガタ言い始めた。
「ど、ど、どこか建物へ……」
四肢の関節もマヒし、歩くことすらおぼつかない。
「この辺りはまだ空いていないお店ばかりですわ」
辺りにある建物は、ヤバイ組織が営業していそうな風俗店や、昼間は開いていない飲み屋ばかり。
道行く獣人たちはさして驚きもせず、見て見ぬふりをしている。
何という冷たい奴らだ……!
「極寒の中で死線をさまよう配信者! 再生数が稼げそうですわね! さあ撮影再開ですわ!」
非人道的な命令が返ってきた。
メディには無駄に前向きだ。そして前しか見てない。
「……む、無理だ……寒すぎる」
「仕方がありませんわね……迎えの車を呼びましょう、着替えを持ってこさせますわ!」
メディはスマホを取り出し、屋敷に電話をかけ始めた。
この町まで来るためにメディのリムジンを使ったのだが、撮影が長引くことを想定して館に返してしまった。
今すぐ呼び出しても、この町に戻ってくるまでに二時間以上はかかるだろう。
それまで体が持つのか?
無理だ……!
今日ここで俺は果てる……見知らぬ世界の片隅で……。
死の予感が冷気の形をして全身を包み込み始める。
冷気が濃度を増し、意識がかすみ始めた時、両肩からふわりとしたぬくもりが降り注いできた。
紳士もののロングコートだ。
「あのー、大丈夫でしょうか?」
男が俺の前に立っていた。
シマウマの顔をしている背広姿の男。 この男も獣人だった。
「その恰好ではお寒いでしょう? 良かったら着ていてください」
シマウマ男はサラリーマンらしき風体をしている。
スーツもネクタイもそう高級品ではないものの、実直な印象を受けた。
繁華街を往来しているチンピラまがいとは異なる雰囲気だ。
「お兄さん、温かい?」
シマウマ男の隣には、ボアつきの赤いコートを着た少女が立っている。
「娘があなたのことを見つけて心配しましてね。 もしかしてカツアゲにでも遭ったんでしょうか?」
「……そうです」
「やっぱり! 私もカツアゲによく遭うんですよ! それで、ついおせっかいしてしまって」
情けない部分でシンパシーが発生した。
「ありがとうございます、助かります」
コートのぬくもりで血が体に巡りはじめ、ようやく立てるようになった。
この男は恩人である。
勝手に人を召喚して仕事を押し付けるメディとは異なる。 敬語を使うに値する人物だ。
「お兄さん、手が冷たいね、ミオが暖めてあげる」
ミオは、自分の手袋を脱ぎ、小さな両掌で俺の右掌を握り、暖めてくれていた
「ありがとう……」
体温以上に感じる心の温もり……。
さきほどまで凍てついていた心が溶け、雪解け水が心の中に滴った。
父親の善性は娘にも受け継がれている……!
「ご親切な方、わたくしたちこういうものです」
メディが名刺を渡すとシマウマ父は目を見開きつつ、娘にそれを見せた。
「おお! この人たちは動画配信者さんだぞ! すごいな、ミオ!」
ミオと呼ばれた娘も、名刺を見て色めき立つ。
「かっこいい! ミオのお兄ちゃんも動画配信者になりたいって言っていたよ!」
「私はこういうものです」
シマウマ父も名刺を出してきた。
メディだけではなく俺にも渡してくれる。
ビジネスマナーに則ったきちんとした社会人だ。
「株式会社ラスカンカンパニーの課長さんでいらっしゃいますのね」
「有名な会社なのか?」
尋ねるとメディは困り眉になった。
慌てたようにシマウマ父が否定する。
「いえいえ!ご存知ないと思いますよ。 社員二十人程度の小さな会社ですから!」
「課長さんなのか、パパは偉いんだな」
娘のミオに話しを振った。
俺的にはシマウマ父をフォローしたつもりだったのだが、シマウマ父本人からは恥ずかしそうな声が返ってきた。
「いえいえ、下っ端でして……」
「ご謙遜なさらずに」
「後輩たちに出世を追い抜かされて、アゴで使われている始末でして……年齢が半分くらいの子にも呼び捨てにされているんですよ」
「……大変ですね」
この男、人はいいがそれだけに出世は難しいかもしれない。
とはいえ、俺にとっては恩人。 軽くあしらうことはできない。
借りたコート姿で街を歩き、ブティックを見つけて冬着一式を買う。
店を出ると、シマウマ親子はそこで待っていてくれた。
「ありがとうございました、こちらはお返しいたします! 助かりました!」
丁寧に折りたたんだコートを渡すと、シマウマ親子は笑顔で受け取ってくれた。
「では、私たちはこれで」
「お兄ちゃん、お姉ちゃんバイバイ!」
コートを元通り着込むシマウマ父と、その横で右手をふるミオ。
幼く可愛らしい手を見て俺は気づいた。
「おいメディ! この子は……!」
「ええ、獣人というのはそういうものですのよ」
俺は去りかけたシマウマ親子を追いかけ、再び声をかけた。
「失礼ですが、お二人は実の親子ですか!?」
シマウマ父は振り向いて答える。
「もちろんです、それが何か?」
「けど、娘さんは普通の人間の顔をしているじゃないですか?」
「ミオはまだ獣化していませから」
「では、満月を見れば獣化するのですか?」
テンションが上がってきたのことが自覚できる。
“獣化していない獣人”が眼前にいるのだ。
しかも画面映えも充分なとびきり可愛い女の子だ。
乗り気になれなかった俺も、配信者としての本能が刺激されていた。
だが、ミオが口を開くと生まれたばかりの希望は失望に変わった。
「なれるわけないよー。 ミオ、まだ八歳だもん!」
「まだ早いですね。獣人は十五歳になって初めて迎える十五夜に魂の姿の獣の姿になるんです」
「変身は七年後ですのね」
さすがにそれは遠すぎる。ミオを主役にした動画作りは無理そうだ。
めげずに別の可能性を探ってみる。
「普段は獣化せずに生活している獣人さんはいないんですか?」
「いませんね、最初の変身をしたらその後、獣人が元の姿に戻ることはまずありません。 戻ることは可能なのですがメリットがないので……」
「メリット?」
「人間の姿と獣人の姿では身体能力がまるで違いますから。私もひ弱なシマウマではありますが、獣化しておけばいざというとき娘を担いで逃げることくらいはできます。まあ、ボーっと歩いているときにたまにカツアゲされちゃいますがね」
確かにこの治安の悪い町では、獣化状態でいることが身を守る手段になるだろう。
「大人の獣人は常に変身した姿で、子供の獣人は変身できない……か」
詰んだ。これはマジで詰んだ! これは企画中止だ。
「参りましたわね……また構想から練り直しでしょうか?」
メディにも、諦めムードが漂い始める。
「どうしました? 我々が何かご迷惑でも?」
シマウマ父が小心者らしく泡を食っているので、今回の企画に関して説明してやると、隣で聞いていたミオが頬を嬉しそうに紅潮させた。
「じゃあ、うちのお兄ちゃんがいいよ!」
「お兄ちゃんがいるのか?」
「ウチのお兄ちゃん、こないだ十五歳になったんだよ! 初めての満月だから今夜、獣人化するんだ!」
俺とメディが顔を見合わせる。
「……そうか! 大人がダメで子供もダメでも!」
「大人が子供になる瞬間なら企画が成立しますわ!」
俺たち人間には、厳密に子供が大人になる瞬間というものがない。
成人年齢や成人式はあるがあくまで形だけだ。 人がいつ大人になるのかというのは永遠の謎である。
だが、獣人は違ったようだ。“その時”があり、そしてそれは今夜なのだ!
「ね! だからお家に来てよ! お兄ちゃんを動画に出してあげてよ!」
無邪気にはしゃぐ娘に対して、シマウマ父は言葉を濁していた。
「ミオ……それは……」
「いいでしょ、お兄ちゃん動画配信者になりたいって言ってたもん!」
シマウマ父は困惑していたが、やがてはっきりと反論の声をあげた。
「お断りしよう! 今のレイはこの人たちに怪我をさせてしまうかもしれない!」
穏やかではない言いぐさだ。
困惑している俺の前で、ミオは父親に対して食い下がっていた。
「ミオが話すよ! お兄ちゃん、ああなっちゃってからもミオには優しいもん!」
空気読みゲームガチ勢の俺様は確信した。
この親子に関わると、確実に面倒なことになる!
「メディ、帰るぞ」
だがメディは俺様の明察を無視し、シマウマ父に話しかけてしまった。
「お家にお邪魔するとご迷惑でしょうか?」
「迷惑だなんてとんでもない! ただ息子の方がご迷惑をかけてしまうことが心配なのです」
非常に腰が低く大人な断り方である。
ところがメディときたら……!
「ご迷惑でないのですね、ではお邪魔いたします!」
「ええ……?」
シマウマ家での取材を決めてしまったのだ!
このメスガキ、強引すぎる!
シマウマ父の息子のレイはどんな少年なのか……? シマウマ父の家に向かう道中、不安しか湧かなかった。
獣人の町の郊外にある団地。
そのA棟301号室がシマウマ一家の家だった。
ドアをくぐったとたん、顔面が衝撃に見舞われた。
「お邪魔するぞ……グハッ!?」
鼻先に当ったものがスリッパだと、それが足元に落ちてから気付く。
「てめぇらどこ中のモンよ!?」
続いて飛んできたのは恫喝。
さらには雑誌、写真立てにハンガー、めちゃくちゃに物が飛んでくる。
「どこ中のもんよ!? どこ中のもんよ!?」
投げつけてくるのは、ジャージを着た中学生くらいの少年だった。
俺たちと同じ、人間の顔である。
野球部員を思わせる五分刈り頭。だが、険のある表情とドスの効いた声が相まって爽やかさはゼロだった。典型的な田舎ヤンキーである。
「オレは獣一中のレイやぞ!
間違いない。シマウマ父の息子で、取材対象者のレイだ。
この少年がどんな獣に変身するのかを当てるのが、今回撮影する動画の主旨なのだが……。
「やはり詰んでいる! 帰ろう!」
逃げようと背中を向けると、そこをめがけてさらに物が投げつけられてきた。
「いてっ! いてっ!」
俺様ボコボコである。
「獣一中なめてんのか! お前、何中よ!?」
「お前の評価基準は中学の校名しかないのか!?」
こちらとら19歳で大学生である。
「お兄ちゃんやめて、怖いよ……」
ミオが目を潤ませると物体の嵐が止まった。
さきほど“お兄ちゃんは今でも自分の言うことなら聞く”と言っていたミオだが、ハッタリではなかったようだ。
ヤンキー少年も狂騒を治める。
「すまなかった、ミオ……今夜、獣化すると思うと興奮しちまってな」
「落ち着いて! お兄ちゃんならきっと大丈夫!」
「ああ! 立派な肉食獣になってお前を守ってやるからな!」
幼い妹に優しい眼差しを向けるレイ。元は優しい兄であること、その理性を取り戻しつつあることが見て取れた。
「あのね、今日は動画配信者さんを連れて来たんだよ!」
「何! カムヒアさんか!?」
レイの声が興味の色を帯びていた。
俺の世界の日本において、レジェンドであるカムヒア。
十年以上毎日動画投稿をして、一度も炎上したことのない配信者界の聖人である。
この俺様すら一目置いている人物だ。
なぜ彼の名がこの異世界で知られているのかは分からない。だが、カムヒアがいけるのならばこの俺も……?
期待を込めていつもの挨拶をしてみた。
「実にケシカラン! “イマドキの若い連中”のダンだ!」
「誰だよ、知らねえよ!」
「痛い! 痛い!」
再び物をめちゃくちゃに投げつけられた。完全なる藪蛇である。
そこにシマウマ父が口を挟んできた。
「レイ、この人たちは変身の瞬間を動画にしたいそうだ。お前が一人前の獣人になる門出には悪くないと思うぞ」
とたん、レイの顔に狂暴な怒りが蘇った。
「オレを見世物にする気か!」
「え、いや……この人たちが困っているから……」
「ふさげんな!」
逆上したレイは棚に置かれていた花瓶を手に取り、父親めがけ投げつけた。
今までレイが投げていたものは、当たっても怪我をせずにすむ範疇のものだった。
だが、花瓶では当たり所によっては致命傷を与えかねない。
「グッ!」
長い鼻先を撃たれたシマウマ父はよろめき、カーペットに膝をついた。
それでも少年の狂気は止まらない。
「何でシマウマになんかなったんだよ! オヤジがシマウマなせいで、オレたちがどんな思いをしているか分かってんのか!?」
今度はガラスの水差しが飛ぶ!
シマウマ父の右肩から鈍い音がした。 投げ付けられた水差しからこぼれた水でスーツが濡れ、無残な姿になる。
「お兄ちゃん、やめて!」
さきほどは効力を発した妹の声も、もはやレイの耳には届いてすらいなかった。
激情に我を失った表情で重厚な置時計を手にとる。
「オレはオヤジみたいな弱い草食獣にはならねえ! 獰猛な肉食獣になってやる!」
双眸を赤く濁らせる憎しみは、明らかに父親へ向いている。だが、投げ付けた置時計はその標的と異なる方向に飛んだ。
「ぁ……」
ミオの小さな体が、一度大きく仰け反ってからうずくまる。
置時計の着弾地点は、幼い妹の額だった。
赤い筋が滴って白い額を染める。
「ミオ!」
レイの瞳から狂暴な光が消えた。 理性を取り戻したのだ。
時すでに晩く、ミオは動かなくなっていた。
「すまねえ! オレ……!」
声を震わせつつレイが駆け寄ろうとしたとき、シマウマ父がいなないた。
「触るな!」
ミオの体を予備動作なしに抱き上げる。
「父さんが病院に連れて行く、お前は自分が何をすべきか考えなさい」
娘を軽々と両腕で抱き抱えたまま玄関へと向かう。まさに成人した獣人の膂力、いや父の強さだった。
「ダンさんとメディさんはすみませんが、息子を見張っておいてください」
家を出ていく際に残した確固たる意志には逆らいがたいものあった。
「どうする? 情緒不安定な不良少年を押し付けられたぞ」
リビングのソファーに座らされている俺たち。
レイの監視を頼まれたわけだが、当の本人は奥に引っ込んだまま出てこない。
「ここまで来たのです、何とか撮影協力を取り付けましょう。 ただ、わたくしがイメージしていたのはほのぼの系の動画とは違うイメージになってしましそうですわ……」
メディはこの動画をほのぼの系に仕上げるつもりだったらしい。
否! 俺は今回の動画を炎上系にして稼ぐつもりである。
元の世界でも俺の動画で再生数を稼いでいるのは炎上系、つまり視聴者を怒らせることで注目を集めたものばかりなのだ。
ファンは俺が何をやらかすかを楽しみにしている。俺に批判的な人間は叩くのが目的で動画を見てくれるし、ネットで話題になれば俺を知らない人も動画を見にきてくれる。
配信者界における炎上は、勝利の炎なのだ!
こっちの世界でも熱く再生数を高めるつもりなのだが……。
「本人がアレじゃあなあ……」
引きこもったままでてこないのでは薪に使うどころか、撮影すらできない。
「わたくしとしたことが……絶好の撮れ高にカメラを回していなかったなんて」
メディがしょげているのは、レイが荒れ狂っていた場面を撮れなかったことだろう。
“撮れ高”と呼ばれる見せ場になる場面である。
ハプニング動画として公開すれば話題になり再生数も稼げただろう。
炎上配信者の目線から見ても理想の展開だった。
だが、撮れていたとして動画化して公開したのかは別の話だ。
炎上させるにしても“質”というものがある。
「いいさ、兄が妹に怪我をさせる場面はさすがに動画にしたくない。二人にとっても忌まわしい思い出となるだろう。 あれは撮らなくてよい場面だったんだ」
「ダン君……? 珍しくお優しいことをおっしゃいますのね?」
その言葉に俺は慌てた。
「や、優しくないぞ! 何故、とっさにカメラを回さなかった? このゴミプロデューサーめが!」
「急に態度が変わりすぎて不自然ですわ!?」
危なかった。また弱い自分がでてしまうところだった。デビュー当初の弱小配信者に戻りかけていたのだ。
特に今は元の世界に、家族の元に帰るのに数字が必要。
優しさは捨て、容赦なく炎上させねば数字は稼げない。
「それにしてもレイ君、お部屋からでてきませんわね」
「首でも吊っているんじゃないか? ホトケさんを撮りにいくか?」
「悪趣味ですわ!」
そんなことを話しているうち噂をすれば影、というべきかレイがこのリビングに戻ってきた。
不可解なのはその行動だった。
トレイを左手に乗せ、俺たちの前のテーブルに右手で配膳をしている。
「食え、腹が減っているだろ?」
ぶっきらぼうな言い方ながら、レイは食事を勧めてきた。
「綺麗なレッドベリータルトですわね、レイ君の手作りですか?」
メディの問いかけにレイは恥ずかしそうにうなずく。
「誕生会だからオヤジとリオと三人で食おうと思ってこっそり作っておいたんだ……でもこんなことになっちまった。捨てるのももったいないし、食ってくれ」
今日のために作ったのに、今日が忌まわしい思い出になってしまった。
レッドベリーの鮮やかな赤すらも、妹に流させた血を連想してしまうのだろう。
「仕方がない、食ってやるからありがたく思え」
昼間は獣人に脅されたり、カツアゲされたりして飯どころではなかったので腹ペコなのは事実だ。
食ってケチョンケチョンに味をけなして、新たな炎上の種火としよう!
罪のない幼女が怪我をするシーンよりは、遥かに炎の質が良い。
「うまっ!」
口に入れたとたん褒めてしまった。
甘さと酸味のバランス、それを支える土台の歯ごたえが絶妙だ。
「美味しい……レイ君器用ですのね」
「美味い! 悔しいが美味いぞ!」
どれだけ食べても新たなピースに手が伸びてゆく。
小食な俺の胃袋がここまで活性化するのは稀だ。
「調理実習で作ったのを仲間に食わせたら喜んでくれたからな、それから時々、自分で作って差し入れしているんだ」
恥ずかしそうに言うレイだが、本人はタルトに手を出そうとしない。
「レイくんは食べないのですか?」
「食欲がなくてな……」
レイは思いつめた顔をしていた。
「オレの分はいい、あんたたち全部食べてくれ」
一口も食べずに席を立つと、レイはハンガーにかけてあったスカジャンを着こみ始めた。
「お出かけですか?」
メディの問いにレイは、乾いた声で答えた。
「家を出るんだ、オヤジとミオにはあんたたちから伝えておいてくれ」
「勝手なことをするな、俺たちはお前をネタにするために撮影に来たんだぞ」
「勝手なのはお前らだろ! アプリ実況でも撮っていろ!」
「勝手に企画変更しないでください」
勝手という言葉が三者が飛び交っている。一体、誰が勝手だと思っているのだ!?
むろん、俺ではない。
「男の責任は取るぜ、あばよ」
ポケットに手を突っ込み、背中を煤けさせて歩き出すレイ。まだ薄い少年の背中からは本心が透けて見えた。
「逃げるのか?」
俺が声をぶつけると、レイは立ち止まった。
振り向いたレイの不愉快そうな顔面にさらに声をぶつける。
「逃げるとウサギ獣人になるぞ」
「な!?」
「俺の故郷には脱兎のごとくという言葉があるからな! ここで逃げたらウサギ確定だ!」
繰り返し挑発をすると、レイはやけくそ気味にその場に腰を下ろした。
「逃げねえよ! 家出するつもりなんか最初からねえよ!」
カバンを放り捨て、ジャンパーも脱ぎ捨てる。リビングのカーペットの上にどっかと座り込んだまま、威勢よく啖呵を切った。
たった今、家出すると宣言したばかりなのに言っていることがめちゃくちゃである。
「すげえ狂暴な肉食獣に変身してやるからな! そのカメラでよく撮っておけ! てめえらが怯える顔もな!」
「肉食獣といってもいろいろいますが、どんな獣人さんになりたいんです? ワーライオンさんですか? ワータイガーさんですか?」
獣人は呼称として冠にワーを付ける風習がある。ライオン獣人ならワーライオン、シマウマ獣人ならワーゼブラというようにだ。
「なりたいとかじゃねえ! オレはなるんだよ!
レイはイキッた顔で断言した。
「今夜ワーウルフにな!」
「ワーウルフ……? 狼男か?」
ワーウルフは獣人の代表だ。
下界の創作物でもときにヒーローとなり、ときにヴィラン(悪役)となる。
スタイリッシュ、ワイルド、ダーティーの三拍子を兼ね備えた人気クリーチャーだ。
「何で自分がワーウルフになると予想しましたの?」
メディの問いにレイは自信満々に答えた。
「ワーウルフはさ、トップアスリートや世界的アーティストにたくさんいるだろ?」
「いますわね、アーベル・アーロンとか庵リンクスとか」
「ベルリック・ヒロもだ!」
「ヒロの名を出すなら、ディミトリ・コリアスのこともご存知?」
「白狼のディミトリを知らないわけがない! ディミトリこそワーウルフの中のワーウルフ! 日本に移民してきてこの町を作った英雄だ!」
「何を言っているのか分からん……」
召喚されたばかりの俺にはまったく付いていけないが、この世界におけるスターの名前なのだろう。
「シンパシー感じるんだよね、あいつらに……! 同族の匂いっていうかさ……。 だからオレ……ワーウルフになると思うんだよね!」
一緒に盛り上がっていたメディすら、対応を塩味に変えた。
「あ、そうなんですか」
「こいつ凄いイキリ虫だな」
「ダン君とどっこいですわ」
メディの言うことはスルーだ。せっかく面白い玩具が目の前にいるののに、こいつに構っている暇はない!
「で? そういうスターになるために、お前は何か努力してんの?」
「いや、していないよ。 必要ない。 だって分かるからさ、本質的にあいつらと同じだって! オレ、才能あるからさ、何やっても余裕だと思うんだよね! 学校の勉強とかはできないけど、そういうのはスターに関係ないからさ!」
「レイ君、すごい早口になってますわ!」
「はいはい、お前がワーウルフになるっていうのは予想じゃなく、単なる願望ってことだな」
「そうじゃねえよ! オレの本質が分かんねえか? 大胆不敵かつ冷酷、獰猛にして凶悪な孤高の存在だろ! まさにオオカミのソウル!」
ソウルのところだけ、すごい巻き舌だった。
「オレのダチに聞いてみろよ! みんな絶対、そう言うから!」
「よし聞いてやるから電話番号を教えろ」
「え……? だ、誰がいいかな……。 夜遅いし、電話したら迷惑かも……」
小声になっている。あまりにも脆い自信である。
「やっぱり言わないかも……オレは奥の深い男だから、ダチにも本質は見抜かれていないかも……」
そろそろトドメを刺してやるべきだろう。これ以上は見るに堪えない。
「無理だろ? 根はヘタレだもん、お前」
「うっ……」
図星を突かれたのか、レイは顔をしかめた。
「本来は優しくて気遣いができる方ですわね、手作りタルトからもそれが伝わってきますわ」
レイは頭を抱え、駄々をこねはじめた。
「いやだ、草食獣はいやだ! 俺は肉食獣になるんだ!」
「いいではありませんか草食獣さんでも! わたくしはレイくんがお父様と同じシマウマになると予想していますわ!」
獣人は親と同じ獣になるとは限らない。反映されるのはあくまで魂の姿であり、遺伝子は無関係らしい。
家族間で性格がまるで異なることなど珍しくない。遺伝にも多少は影響されるが、生きてきた環境や心持ちによって変化してゆくのが性格であり、魂だと俺は考えている。
「俺はウサギ、メディはシマウマ、お前はオオカミ、これが変身前の予想だな」
変身前の獣人が、どんな動物になるのかを当てる。 その動画のコンセプト的においては大事なポイントである。
賞品がでるわけではないが、当たればメディにマウントが取れる。
「草食獣は嫌だ! 絶対になるもんか!」
「何でそこまで嫌がる?」
「……ナメられるんだよ、草食獣は」
レイの言葉には、深刻げな響きがあった。
「法律上はどの獣人も平等とされているけどそれが現実だよ。草食獣は肉食獣の前にでると本能でビビっちまう。獣人同士の人間関係で損をしがちだし、就職や結婚だって不利を背負わされる。獣人皆、平等なんて建前に意味がないことは子供だって知っているさ」
「差別社会というやつか」
「オヤジは毎日、会社のために馬車馬のように働いているし、周りへの気配りも欠かさない。 それでも草食獣だから昇進が遅れて、後輩の肉食獣にアゴで使われる」
そういえば、そんなことをシマウマ父自身も嘆いていた。
「ミオだって草食獣の子で気が優しいから学校じゃいじめられている。 グリズリーだった母さんが生きていたときはそんなことなかったんだけどな。 家族に肉食獣がいない家の子は、たいていイジメられちまうんだ」
「優しさや穏やかさのような美徳が、必ずしもプラスに働くとは限らない……おとなしくばかりしていると舐められる。 それはどの世界にも共通した現実だな」
それはかつて身を以て痛感したことだった。
高校時代まで俺は“いい子”に振る舞っていた。
やりたいことや言いたいことは抑え、周りに気を使って生きてきた。
なのに、周囲の奴らときたら、生まれつきの顔に言いがかりをつけ、俺様を侮辱してきたのだ。
「お前、内心では人を見下しているだろ?」
「そのムカつく顔に傲慢さが滲み出ているんだよ!」
俺が尽くしてやった相手に限って、心ない言葉を投げかけてくる!
そのたびに『ああ、そうさ! お前らみたいな奴ら尊敬するわけがないだろう!』と言い返していたのだ。
……あくまで心の中だけでだ。
そんなことを言ってはいけないし、言ったら終わりだと思っていた。
動画配信を始めてから、その認識は変わった。
最初は普段通りの好青年キャラ通していた。
動画は毎日投稿、一本一本丁寧に作っているのにまるで再生数が稼げずに悩んでいた。
虚無と戦うような日々。
ある日、気分転換に生配信をしたときハプニングが起きた。
通行人インタビュー中に言いがかりをつけられ、あげく顔がムカツクと言われた。 さらには顔パンまでされたのだ!
さすがの俺もカッとなって本性をむき出しにし、相手を罵倒しまくった。
それがバズった!
SNS上で炎上し、無に等しかった視聴者数がうなぎ登りに増えたのだ!
好青年を辞めたのはそれがきっかけだ。
動画も生配信も相手を煽り、ズケズケものを言うスタイルに変えていった。
コメント欄は荒れ、視聴者からは批難コメントが飛んでくる。
だがそれが何だ!今の俺には数字がある!
配信で稼いだ金でファッションを整え、叩かれ上等で堂々とするようになるとリアルでも人気者になった。
底辺だったスクールカーストも急上昇した。
いい人は食い物にされる! いい人を捨てて本音で生きろ!
これが19年間生きた末に俺が得た真理だ。
おそらくレイもそれを感じ取っているのだろう。
悲壮さと決意が入り混じった複雑な表情で叫んだ。
「俺は肉食獣になる! オヤジもミオもその力で守ってやるんだ!」
俺たちの前で狂暴にふるまっていたのも、自信のなさの裏返しのように思える。
レイは弱っている! ここで大人の俺様がとるべき態度は。
「お前のメンタルは豆腐だ! 希望しているような強い獣になれるとは思えん! このまま社会的弱者になってみじめな人生を送るがいい!」
俯いているガキに、思い切り笑いを浴びせてやることだ!
「うぁぁぁぁ! 言うなぁぁぁ!」
「ダンくん!弱っている少年をさらに叩くなど人道的に許せませんわ!」
分かっている……俺だって心が痛む。
だが、やらねばならないのだ……お互いのために!
バズる動画のシナリオはすでに頭の中に描かれている!
「泣くな! なりたいのなら、なれるようにあがけ!」
「あがく……?」
「獣人は十五歳の十五夜にその魂の姿になるのだろう? まだ月が出るまでにまだ四十分ばかりある、その間に変わればいい! オオカミの魂に!」
「たった四十分で強くなれってか?」
「心はそう簡単に変えられるものではありませんわ」
窓から見える獣人の町は、すでに薄闇に包まれている。レイにとって運命の満月も、天へ昇らんとしているのだ。
「お前らは凡人だからそう考えるだろうな! 人間いつだって変われる! 俺は変わった! 人気者の俺様に任せておけ!」
「四十分で魂をオオカミに変える秘策! そのためには……ここを使うんだ」
頭を人差し指で示してみせる。
「頭を使えってか? かなり悪そうだが?」
「ええ、性格と同じくらい悪いですわ」
レイに向かってメディが頷いている。
何というメスガキだ! その言葉をそっくりそのまま返してやりたい!
だが今は時間がない、スルーだ! ……恨みは後にとっておく。
「髪形だ! ヘアスタイルを変えればお前はオオカミになれる!」
「はあ?」
レイは怪訝な顔をしたがメディは得心したようにうなずいた。
「そういうことですか……」
「バカバカしい……そんな小細工で心まで変われたら、苦労はしねえよ」
憮然としているレイに向け、俺はファイティングポーズをとってみせた。
レイがギロリとこちらを睨む。
「何だ? やんのか?」
「違う、お前も俺様と同じポーズをとってみろ」
レイは首を傾げつつもファイティングポーズをとった
「どうだ、強くなったような気分にならんか?」
「……気分だけならな」
「こうしてカメラを通して見ても、精悍なお顔になっていますわ」
弱気になりかけていたレイの顔に、最初の頃のような好戦性が戻っていた。
俺が生まれる前、ボクシングの映画が流行したとき、映画を見終えた男たちは皆、ファイティングポーズを取り、強くなったと錯覚した。そんな逸話を元に編み出した策だ。
「人間など単純なものだ。 外見を変えただけで気持ちも変わる。 肉食獣になった獣人が自信を持ち、草食獣になった獣人が弱気になるのもそういう理屈なのだろう」
「小細工が意外に有効ってことか? 理屈は納得してやる、だが物理的に無理だろ」
レイは自らの五分刈り頭を指で示した。
「レイくん、安心なさって。 髪の毛の長さは気にしなくていいですわ。 すべてわたくしに任せて、好きな髪形を選んでくださいな」
メディは自分のスマホを取り出し、ヘアカタログサイトを開いてレイに渡した。
「強そうな髪形か……そんなものあるかな?」
「なかなか見つかりませんわね……モデルさんも線の細い方ばかりですから余計ですわ」
それを横からのぞき込んでいたメディが、ふいに呟いた。
「あら、このモデルさんダンくんと同じ髪形ですわね」
突き付けられたスマホの画面を確認する。
「ツーブロックビジカジフェザーマッシュという髪形だ。 知的でスタイリッシュなイメージを引き立てるヘアスタイルだ、俺様にお似合いだろ?」
シルバーグレーに染めた髪をかき上げてみせた。
配信者として人気者になり、ブランドものの服をそろえ、髪形をこれに変えてから俺はリアルでも人気者になった。
俺の栄光を象徴する自慢のヘアスタイルだ。
ところが、返ってきた反応は心外なものだった。
「髪形はかっこいいが顔がムカツク」
「ええ、心の底から顔パンしたくなるお顔ですわ」
「お前ら、無礼すぎだろ!?」
協力してやっているのに胸糞の悪い!
せっかく望み通りの強い肉食獣に変身させてやって、ハッピーエンドで終わらせようと思っていたのに!
……復讐せねばなるまい、このクソガキどもに!
まだヘアカタログを見ているレイの焦りを促す。
「グズグズせず早く決めろ! もう時間がないぞ!」
「見つからないんだよ、強そうな髪形ってのが」
レイは焦り始めている。 残り時間は三十分とない。
「いいことを教えてやろう、ウルフヘアという髪形が世の中にはある」
「ウルフ? ズバリ、オオカミって意味じゃねえか! それにしてくれ!」
「ウルフヘア? あんなものでいいのですか?」
「あんなものって、どんなものだよ?」
レイはヘアカタログサイトでそれを確認しようとしたが、俺はすかさずスマホを取り上げた。
「ダメだ! お前は目を閉じていろ!」
「何で?」
「精神衛生上の問題だ、直視してしまうと施術中に発狂する恐れがある」
「何だ、それ!?」
レイはスマホ画面を確認しないまま怯えたように目を閉じる。 何だかんだ言って従順な奴だ。
メディはそのレイの頭に両掌をかざし、そして叫んだ。
「ヘアーーッ! ゴルゴーン!」」
叫びに呼応して、レイの髪がゾワッと蠢いた!
毛穴から数万の寄生虫の群れのごとく、髪の毛が這い出してくる!
「キモッ!」
前に一度見たことがある俺様も思わず口に出してしまう。
「あああああああ、気持ち悪いぃぃ~! 何だこれぇぇ!」
レイが目を閉じたまま悶える。
伸び始めた髪の毛は、数万匹の毒蛇の如くのたうっている。
皮膚感覚だけで悪寒がするのだろう。 少女のような悲鳴をあげていた。
「レイくん、目を開けてはなりません!」
不安に瞼を開きかけたレイの視界を、メディの掌が覆う。
「どうなってんだ! 怖い! 怖い!」
「お動きにならないで! 髪の毛が毛穴を食い破ってしまいますわ!」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
完全にグロ動画である。 動画にする際はカットせねばならない。
「ゴルゴーン神族秘伝の頭蛇術ですわ! 形を自由に変えるばかりではなく、色や長さ、量までをも自由に変えられるのです!」
これがメディの魔術である。 自分の髪はもちろん、他人の頭髪をも操れる。
この術がゆえに、メディたちゴルゴーン一族は髪が蛇になった化け物として実態をゆがめられ、神話上の悪役にされてしまったのだという。
今、レイの髪はその量を増大させ、くるくるうねうねと変幻自在に踊りつつ姿を変えていった。
「レイくん、もう目を開けてもよくてよ」
数分前はで五分刈りだったレイの髪は、ウルフヘアに変化していた。
「……誰だ、この美少女?」
俺の感想がこれだった。
今までドスの利いた表情を作っていたのでその印象がなかったが、レイはかなりの女顔だ。
妹のミオと基本は同じ顔なのである。彼女が成長したら、やはりこんな顔になるだろう。
レイ本人はといえば、鏡を見ながら微妙な顔をしている。
「ウルフヘアってこういうのだったのか……もっとワイルドなのだと思っていたぜ」
名前こそ勇ましいが、肩まで伸びたシャギーヘアである。
「おっと残念、ワイルドな顔が人間すれば、よりワイルドになるんだがお前では“男の娘”にしかならんようだな! これはさぞかし可愛い獣人になるだろう!」
俺が予想したウサギ獣人への道筋を作ってやった。言葉の響きだけで勇ましげな髪形だと判断した情報弱者の敗北だ。
「てめぇ! ハメやがったな!」
「ざまあみろ! 騙されたお前が悪いのだよ!」
俺様をコケにした報いである。
「冗談じゃねえ! やりなおしだ! もっとワルっぽいヘアスタイルにしろ!」
怒鳴り声でリテイク要請をしたが、メディはほんわかした顔になっている。
「このままでよろしくありませんか? これほど女性的な少年ならば逞しい男性と素敵な恋物語を繰り広げられそうですわ」
「オレを腐った妄想のネタにするな!」
レイはますます焦りだしスマホのヘアカタログを探しはじめる。
月の出が近づいてきているのだ。
「ああ! もう時間がない! 何か見つけないと!」
この慌てぶりはよい! こういうのが動画ではウケるのだ!
コケにされた仕返しはできたし、撮れ高も発生した。
そろそろ当初の予定通り強い獣になる方向で協力してやろう。
実のところ、とうに答えは用意してある。
見た目にもインパクトがある動画映えする髪形だ。
おしゃれ系のヘアカタログには載っていないかもしれない髪形だが、普通にネット検索をすれば、見つけるのにそう苦労はしないだろう。
メディもレイも俺に感謝をし、さきほどの無礼を詫びるに違いない!
俺は自分のスマホを開き、ネット検索を開始した。
「あったぞ、この髪形はどうだ?」
スマホに表示させたのはモヒカンヘアのパンクロッカーの画像だった。
「まあ! ワルワルのワルですわね!」
「いいじゃねえか! ワイルドでイカす!この髪形にしてくれ」
焦りに曇っていたレイの目が見開かれる。
上機嫌でメディの前に座った。
あとは術でモヒカンヘアに変えるだけだ。
どうにか間に合ったことにほっとしたそのとき、脳裏に得体のしれない不安がよぎった。
「……待て、この髪型はどこかで見た気がするぞ?」
呟く俺に、不満げな顔をレイが向ける。
「当たり前だろう、お前が見つけたんだから」
「それはそうだが……」
何かが引っかかる。
「お前のせいで時間がなくなったんだろ! これ以上ごちゃごちゃと邪魔をするな!」
「クッ……」
壮絶に嫌な予感がするのだが正体が掴めないので、言い返すことができない。
「いいから急いでやってくれ!」
レイに促され、メディは再び施術に入る。
「 女の子のように可愛いレイくんに似合うとは思えませんが仕方がありませんわね……ヘアーーーッ!」
魔術を発動させんとした瞬間だった。
「やめたまえ! モヒカンヘアは!」
嘶きにも似た野太い声とともに、あの男が部屋に入ってきた。
「やめたまえ、モヒカンヘアは!」
バラエティー番組のCM開けの如く、言葉を繰り返してリビングに入ってきたのは、この家の主でもあるシマウマ父である。
「オヤジ! ミオは?」
立ちあがって問いかけるレイに、うなずきをみせるシマウマ父。
「大丈夫だ、検査はしたが脳に問題はない。 念のため今日は入院させるが、明日には帰って来られるはずだ」
「すまなかった……」
「いいんだ、私も父としてだらしがなさすぎた。 それよりモヒカンはやめるんだ! 父さんと同じ人生を歩むことになってしまうぞ!」
その言葉で俺は、渦巻いていた予感の正体に気づいた。
レイも俺と同じくシマウマ父の頭上を見ている。
父親の頭上に乗っている、“それ“に視線が釘付けになっていた!
「オヤジと同じ髪形じゃあねえか!」
野生のものも含め、シマウマはモヒカンなのだ。
先ほどから感じていたデジャヴの正体は、これだと得心した。
「私も15歳のとき弱い自分に暗示をかけ強い獣になろうとしたんだ。まずは形からと思い美容室に行きリーゼントパンチか、モヒカンか悩んだ。結局、モヒカンヘアにしたんだが、美容室を出ると友人たちにシマウマみたいだとからかわれてね……」
後悔のにじみ出るシマウマ父の語りに、息子が憐れみの目を向ける。
「それでその姿になっちまったのか……」
「お前には、私の選ばなかった道を歩んで欲しいんだ」
息子の前で俯くシマウマ父。悲しい真実である。
「もう月が昇る、変身が始まってしまうぞ!」
「クッ、何の準備もできてねえ! お前が余計な茶々を入れるから時間が……!」
恨みがましい目で俺をにらみつけるレイ。
このガキ、俺に罪悪感を着せてマウントを取るつもりか!?
気に食わん! どう言い返していいか分からんが、とにかく何か言ってやる!
「お前もモヒカンにすべきだな」
「何でだよ?」
「男手一つで育ててくれた父親の人生を否定するな! お前はその苦労を体で知った方が成長する!」
一瞬、辺りが静寂に包まれた。
レイは意表を突かれたように俺の顔を見つめ、悟りきったかのようにうなずいた。
「かもしれねえ……」
やけくそで思いついた適当な言葉なのに、予想外に納得されてしまった。
まずい……!
父親と同じシマウマなら同じ人生を歩むようにも見えるが、レイは年齢差を差し引いても遥かに精神力が弱い! より悲惨な人生を送るかもしれない。
それは見るに忍びない……!
焦りかけて、俺は冷静さを取り戻した。
いかん……いつの間にか、またお人よしの弱い俺に戻りかけている……!
再生回数を稼ぐためなら、今回の結末はバッドエンドのほうが都合がいい。
どこの世界でも人の不幸は蜜の味。ましてやイキっているヤンキーなど酷い目に遭うほうがネット上ではウケがとれるのだ!
元の世界に帰るためだ! 数字を稼がないと!
いや……だが良心がうずく……!
葛藤している俺の眼前では、メディが何かを思い出したかのように声をあげた。
「そうだ、お父様! さほどモヒカンの他にもう一つ候補があったって言っていましたわよね?」
「ああ、あれのことですか? それなら……」
シマウマ父は、棚の扉を開けて、古い木箱を取り出した。
木箱の中には写真の束が入っていた。」
レイやメディも、横から写真をのぞき込んでくる。
「何だこりゃ? とんでもない髪形だな」
「ガラ悪すぎですわ~」
「リーゼントパーマというんだ、父さんが若いころ流行ったヤンキー映画の主人公のヘアスタイルでね。 みんな真似したもんだ!」
チリチリのパーマにした大量の髪が、生え際から砲弾状に突き出している。
「ダセー! 昔はこんなのが流行ったのかよ?」
「今の子からしたダサいのか……憧れたんだがなあ……」
シマウマ父は肩を落としつつ、メディに頼みごとをする。
「すみませんが、元の髪形に戻していただけませんか? 普段通りのレイで変身させるしかありません」
「ええ、ありのままのレイ君が一番……かもしれませんわね」
俺もそれに同意する。
本人以外の三人が、妥協案を飲み込む決意をしていた。
だがレイ本人が出した結論は別のものだった。
「今すぐこの髪形にしてくれ!」
「リーゼントパーマに!?」
「ダサいが、よく見りゃイカすぜ! オヤジが選ばなかった人生の選択肢、俺が選んでやる!」
「レイ……お前……」
息子の宣言に、シマウマ父の瞳からは涙があふれ出す。
本人は照れたようにそっぽを向き、頭を掻いていた。
「ヘアーーーッ! ゴルゴーン!」
メディは術を再び発動させ、レイの髪形を変えた。
「イカスじゃねえか、気合が入っているぜ」
レイは手鏡の角度を変えながら満足そうにリーゼントパーマを眺めている。
まったく似合っていないし、納得もいかない。
「いいのか父親として? あんなのマイルドヤンキー通り越して、ガチのチンピラだぞ!?」
「いいのです、あの子が望む自分になれるのならば……。弱いシマウマの子ということでさぞかし辛い思いもしたのでしょう」
だが、この髪形は狂暴すぎる。
若き日のシマウマ父が選ばなかったのも、そういう理由だろう。
「レイが狂暴な獣になり、その爪で私の皮を切り裂き牙で肉を噛みちぎりたいのなら、そうすればいい。 血肉となって子を育むのが親の役目です」
「お父様……」
「温厚で優しいだけでは、他人様の餌となる人生しか送れないことは誰よりも私がよく知っております」
シマウマ父の言葉は重かった。
「それが獣人社会というものか……いや、あるいは普通の人間の社会も」
その言葉の先を口に出すべきか俺がためらっていたその時、涼しい風が肌を撫でた。
レイがベランダの戸を開けたのだ。
外はすっかり闇に包まれ、 運命の月は暗き天上へ姿を現している。
「いろいろ迷惑もかけたし、世話にもなったな」
レイが、夜空を背に俺たちに語り掛けた。
その髪はリーゼントパーマに固められている。ガラの悪さが女顔にまったく似合っていない。
だがその目は精悍で自信と決意に満ちていた。
「オオカミになってくるぜ」
宵闇の中、地平線の向こうから顔をだした大きな月。
月光を浴びて、肉体が変化し始めた。
齢十五を迎えた獣人は月齢十五の時、その魂を表す獣へと変貌する。
伝説が今、実現するのだ!
「う、うぉぉぉぉ……」
呻き声に伴い、骨のきしむ音が聞こえ始める。
通常の人間ではありえない壮絶な肉体の変化が始まっている。
今、レイを襲っているのはおそらくは激しい苦痛。
それに耐えて大人になろうとしているのだ。
神聖とすら表現できる姿であり、直視していることさえはばかられた。
ふと隣にいるシマウマ父の方を見る。
息子が成人する瞬間を見守る父親の表情を確かめたかった。
だが、それを確認することは叶わなかった。
「ヒヒィーーン、ダメです、もう見ていられない!」
シマウマ父は、掌に顔を伏せていたのだ。
「どうしました!?」
「私は余計なアドバイスをしてしまった! 余計な干渉をせずにあるがままにしてやるべきでしたぁ! レイがチンピラになったら亡き妻に顔向けがぁぁ」
「いまさら!?」
「すまない! やっぱりお前がいないとダメだぁぁ! 男手一つじゃ無理だったよぉぉ!」
どうやら天国にいる妻に謝罪しているらしい。
「お父さま、落ち着いてください」
「結果を見るまではまだ分かりませんよ!」
メディと二人でシマウマ父をなだめているうちに、布が裂けるような音が聞こえた。
着ていたジャージの繊維が裂けたのだろう。
レイの全身の筋肉が膨張し、狭かった肩が左右に張り出してくる。
鼻先が長く突き出して、鋭い犬歯を持つ獣の顔へと変貌した。
「おお! あれは!」
「オオカミさんのお顔でしょうか!?」
最後の変化は獣毛だった、白い肌に縮れた獣の毛が生え、覆い尽くしたのだ。
「白い毛……まさか!
「白狼!? うちの息子が白狼に!?」
シマウマ父も息子の変貌に打ち震えている。
「白狼とは?」
俺の問いにシマウマ父が答える。
「獣人社会において、百年に一度しか現れないと言われる伝説の獣人です。 社会を大きく変える英雄の相だとされています」
「この獣人の町を作った方も白狼なのですわ! 欧州で迫害されていた獣人族をまとめあげて日本に移民した獣人界の偉人、ディミトリも!」
さきほどメディがレイと盛り上がっていた獣人談義の中に、確かそんな響きの名があった。
単なるスターではなく、偉人だったらしい。
「レイがまさかその白狼に……!」
「ありがとうございますダンさん! 貴方のお蔭です!」
シマウマ父が俺の手を取って目を潤ませている。
息子が大人になる瞬間を見つめる父の横顔を目にできたことに、俺は感謝した。
情に流され、本来の意図である炎上とは違う方向に流れてしまった結果だ。
本来の意図とは違う、だが……。
「イケる……!」
俺は確信を拳の内に握り締める。
伝説の白狼に変身する瞬間、これが話題にならないわけがない。
マスメディアでも話題になり、それをきっかけとして面白い動画をだしていけば
チャンネル登録者数は爆増! 再生数も稼げるだろう。
メディは娯楽の神になれ、俺は元の世界に帰れる!
炎上商法はやはりクソだ! 人に優しく真面目に生きよう! そのほうが視聴者も見ていて気持ちがいいに違いない!
生き方を元に戻すことを決意しかけたときだった。
遠吠えが月の夜空に響いた。
「ウォォォォォォン!」
少年は白き体を持つ獣人への変身を遂げ終えたのだ。
レイは、変幻した自分の体を無言のまま眺めまわしている。
「……オオカミか? オレはワーウルフになれたのか?」
まだ鏡を見ていないから、自分がどんな獣人になったか確信はできないのだろう。
レイの問いかけに俺とメディは互いに顔を見合わせ、そして答えた。
「オオカミの仲間ではある」
「強い獣か?」
「ああ、狩りも得意だ」
「やったぜ! へへっ、コレのお陰かもな!」
リーゼントパーマをレイは満足げな手つきで撫で上げる。
獣化しても髪形はそれを引き継いでいた。
「リーゼントが似合う獣だぞ……レイ、お前の魂そのままの姿だ」
父親に認められたレイは月に向かって喜びの遠吠えをあげた。
「やったぜ! イカしてるぅ! ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!」
レイが月に向かって勝利の遠吠えをあげているうちに、シマウマ父が俺たちの腕を引っ張ってきた。
「今のうちに逃げますよ」
「ええ!?」
「真実に気づいたら、レイはめちゃくちゃキレますよ! あの子が鏡を見てしまったら終わりです!」
「しかし、お父様まで逃げたらレイくんは……」
心配するメディに向け、シマウマ父は首を横に振った。
「一晩も荒れ狂えば落ち着きます! それから改めて話し合えばいいんです!」
「情けなくはあるが、大人のやり方ではあるな」
俺は肯定せざるをえない。面倒くさい不良に絡まれ続けた中学、高校時代の経験からしてそれが正解なのだ。
「レイくんが、こうなるとは思いませんでしたからね……」
メディとともに、満月を背後に歓喜の遠吠えするレイの姿を改めて眺める。
「まさか、トイプードルだなんて」
レイが変身したのは、獣人族の英雄たる白狼ではなかった。
トイプードルの獣人、ワートイプードル……。
主に愛玩用として飼われている犬種。甘えん坊でフレンドリーだが、時として激しい反抗期を迎え寂しいとよく吠える。狩りも得意である。
そして何よりリーゼントパーマがよく似合う。
まだ事実を知らないレイは、獣人となった歓喜の雄叫びをあげ続けていた。
「オヤジ! ミオ! これからはオレが守ってやるからな! ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!」
翌日の早朝、寝室のドアが激しくノックされる音で俺は目を覚ました。
「ダンくん! 開けてくださいまし! 非常事態ですわ!」
現在、俺はゴルゴーン館の一室に寝泊まりしている。ギリシャ出身のメディが日本に移り住んできた時に買ったという古い洋館。
アンティーク家具に飾られた歴史の趣ある部屋だ。
鍵を外してドアを開ける。
「やかましいぞ、どうした?」
メディは薄桃色のネグリジェ姿だ。旧家で厳しく躾けられたお嬢様がこの格好で男の部屋に駆け込んでくるというのは、よほどの事態に違いない。
「再生数を見て!」
メディは俺に自分のスマホを突き付けてきた。
画面には昨日アップした動画、“【獣人の町】獣人の正体を変身前に当ててみた!”が表示されている。
動画画面の下に表示された再生回数は……。
「15回か」
「こんなに少ないはずが……バグでしょうか?」
「いや、こんなもんだろ?」
「ええ? わたくしがいつも見ている動画は一晩あれば、少なくとも30万再生はいきますわ?」
「分かってないな、全然分かってない! お前ダメ、全然ダメ! まったくもってダメだ!」
「徹底的すぎるご否定ですわね!」
メディはぷくぅと頬を膨らませている。
「一晩で万単位の再生を稼げるのは人気配信者だけだ! 無名の新人配信者の動画なんて基本的に見てもらえない」
こちらの世界のネット事情も、俺様の知るそれとほぼ一緒である。
人気配信者の動画はとてつもない再生数を日々稼いでいる。
一方で誰にも見て貰えないままネットの片隅に眠り続ける動画が圧倒的に多い。いくら活動しても知ってさえもらえない配信者もいる。
かつての俺がそうだったように……。
残酷なまでの格差がネットの海にはあるのだ。
むろん、当初の予定通り炎上させて話題作りをしたり、あるいは白狼に変身させて伝説的動画を作ったりできれば一気に再生数は稼げただろう。
だが、そうはならなかった。
「知りませんでした……厳しい道のりになりそうですわね」
メディは一年間で10億再生というとてつもない壁を越えねばならない。
前途の多難さを思ってか、顔に焦りが浮かんでいる。
それに関しては俺も一蓮托生だ。
メディが娯楽の神にならない限り元の世界に帰れないのだから。
「落ち着け、分かり切っていた結果だ……」
自分に言い聞かせつつ、他のデータを探る。
「動画にコメントがついているじゃないか?」
再生数15の動画にコメントをつけるとはヒマなリスナーもいたもんだと思いつつ、コメント欄を見て戦慄した
投稿者名は“獣一中のレイ”
ワープードルになったあのレイのものだったのだ。
「あら、レイくん! 動画を見てくださったのですね?」
メディは呑気に喜んでいるがそれどころではない。
「アドレスを教えていないのにこのチャンネルに辿りついたのか!? あいつ、エゴサしやがったな!」
レイが望まない人生を歩むことが決定づけられた瞬間、それをテーマにした動画なのだ。
本人にとっては屈辱に違いない。
しかも俺たちが余計なちょっかいを出した結果である。あの田舎ヤンキーは復讐に来るに違いないのだ!
「荒らしコメントか? 殺害予告か? 運営に即通報するぞ!」
「ダンくん落ち着いて! ちゃんと読んでください!」
メディに言われ、改めてレイのコメントを見直した。
『昨日は世話になったな!ミオは退院してきた、治るまでオレが看病するぜ!』
そんな文面とともに、画像ページへのリンクが貼ってあった。
開いてみるとミオに白い獣毛をモフモフされているトイプードル獣人の画像が出てきた。
激情に任せ妹に怪我をさせたことで落ち込んでいたレイだが、幸いにも兄妹仲にヒビは入らなかったようである。
コメントには続きがあった。
『オレはこれでいいんだ。狼にはなれなかったが人を楽しませるのは俺にとっても嬉しいからな! いつか動画配信者になってお前らのライバルになってやる!』
レイはヤンキー仲間内でイジラレキャラだったようだ。
イジメに近いイジラレなら拒否すべきだが、彼は愛されキャラであり、自分でそれを受け入れたのだろう。
さらにもう一枚の画像へリンクが貼られているのに気付く。
『お前らの動画面白かったぜ! 仲間に広めておいたぞ!』
不良少年仲間と肩を組んでサムズアップしているワートイプードルの画像だ。
「ダンくん、ご覧になって! 再生数が!」
カウンターの数字が、どんどん伸びていく!
再生数は41にまで上昇していた。
10億再生という俺たちの目標から見れば足しにもならないような数字だ。
だが、開設したばかりの無名チャンネルとしては大いなる一歩目である。
「あの悪ガキにも、使える部分はあるじゃないか」
動画のコメント欄に、友人たちからのレイへの祝福の言葉が次々に並び始めていた。
言葉は粗削り、文章も内輪向き、誤字や乱文が多い、だが素朴な友情に溢れている。実に田舎のヤンキー仲間らしいやりとりだった。
「バカ丸出しの文章だな」
不良どもに煽りコメントを入れて炎上させてやりたくなってきた。
「今回は控えてやるか、こんな小さなところで騒ぎを起こしても仕方があるまい」
俺はレイとその友人のすべてのコメントに、“いいね”ボタンを押してやるのだった。
(完)