碓氷:アクタ今日の昼一緒に食べない?
芥川:あー、そうだな
芥川:ん、待って
碓氷:どうしたの?
芥川:ごめん野暮用っぽいわ
俺はLINEを閉じた。
「あっ、先輩、やっほー」
昼休み、階段を降りてると神奈月遙にばったり会った。
「ここ大学棟だぞ?」
「クラスの、課題提出ですよ、学級委員、なんでっ」
両手にはクラス分のノートが積まれ、かなりの量だ。今も腕をぷるぷるさせながら俺と話をしている。
「重そうだけど大丈夫か」
「これくらいどう、ってことっ…!」
言ってるそばからノートがジェンガみたく右に左に揺れ始めた。
さすがに見ていられないので、半分くらい貰い受ける。そもそも学級委員だからって、女の子にこういうことさせるなよ。
きょとんとした神奈月遙は、手元にあるノートと俺の手にあるノートを交互に見たあと少し驚いた顔をした。
「ありがとうございます」
「おう」
今気づいたが、神奈月遙はポニーテールだった。どうりで表情がよく見える。
♠♡♢♣♤♥♦♧
ノートを提出し、神奈月遙はいかにも「はあ疲れた」って顔で事務課から出てきた。
そして俺を見つけると「ところで先輩」と一言。
「どうせ持つなら全部持ってくださいよーw」
「終わったあとに言うなや……!」
こいつ、こういうところあるよなぁ…。
これ以上言い返しても手酷いしっぺ返しが来そうなので諦めて階段を降りる。
「ちょっと先輩ー!そのくらいでしょげないでくださいよー!」
「しょげてない、俺、疲れてる」
あと俺、学習してる。言い返しても無駄。
「へー、仕方ないですね。じゃあ癒してあげましょうか?」
何言ってんの、と振り返る。
ニタニタした神奈月遙が、足をピンと伸ばして階段を降りてきた。
「先輩、身長どのくらいですか?」
「175くらいだけど」
「私は160です。じゃあこの辺りかな」
俺より三段上で立ち止まった神奈月遙は、バッと手を開いて言った。
「だいたい20cm、ハグに最適な身長差です!」
「…男女逆じゃね?」
「先輩疲れてるんですよね?だから私が癒してあげます!」
「届かねぇよ…」
「あー……」
三段も離れれば横の距離もかなり遠くなる。既に俺たちは握手もできないくらい離れていた。
「でもハグの身長差か…」
「おやご興味がおありですかな?」
ほんとはネットで調べても良かった。でも、ほんの少しだけ神奈月遙が残念そうな顔をしていた気がしたので、話を続けることにした。
「仕方ないですねー、先輩のお察しのとおりハグ以外にも色んな身長差があるんですよ!」
例えば。
神奈月遙は俺の横に来た。
「身長差15cm、これがなでなでの距離です。ちなみにキスの距離もこれだと言われてるんですけど…」
神奈月遙は一段登って、背伸びした。
「私はこっちのほうが好みですね。だいたい5cm…、どうして逃げるんですか先輩?」
「いや別に…」
どうしてこいつは急に距離縮めてくんの?
そんな内心を察したのか、神奈月遙は恒例のニタニタした顔を作った。
いやでもよく見ると"ニタニタ"より"によによ"か…?今日はポニーテールなこともあって本当に表情がよく見える。
「あれー?もしかしなくても照れましたねw」
「だったらなんだよ」
「離れてあげます!」
今度は一気に階段を駆け上がる。踊り場までつくと神奈月遙は勢いよく振り返った。
「これに見覚えありません?」
「…!」
すぐにピンと来た。主人公とヒロインの出会いの場所。踊り場から見下ろす形でヒロインが主人公に難癖をつけるシーンだ。
この構図はどんなに描き直しても、ヒロインが浮いてしまうような感じになってしまい諦めて放置した。
「そうか、足の置き方か!」
でも実際に見てわかった。つま先の位置がまるで違う。他にもくるぶしとか全体的な姿勢とか、描いてるだけじゃ気づけなかった粗がどんどん見えてくる。
そして神奈月遙の下着も見えた。急いでそっぽを向く。ちなみに黒だった。
「うおっ」
「今頃気づいたんですかw」
神奈月遙は今度こそニタニタしながら俺を見た。
「でもそんな童貞先輩に朗報です!これ水着なんですよ!」
「おおそうか安心安心……ってなるか!……おい待て捲るな捲るな!」
「えー、先輩の漫画だとスカートもっと短かったですよね?」
ヤバい、完全に神奈月遙のペースに流されている。今までは外野からのトラブルがあったけど今日は期待できそうにもない。だってここ普段誰も来ない最上階付近だし。
(ならもうヤケだ!)
俺は鞄からノートと鉛筆を取り出した。
「ちょ、何してんですか先輩!?」
「アテを取ってんだよ!水着なら別にいいんだろ!」
「しゃ、写真でいいじゃないですか!」
「スマホ持ってない!」
「嘘だッ!」
はじめは色々文句を言った神奈月遙だったが、黙々と描いていると根負けして大人しくなった。
その間も俺は筆を走らせる。身体の輪郭、影の入り方、服のシワ………。
気づくとアテだけじゃ満足できなくなっていた。
想像の中でも、人形でも、出すことのできない本当の質感。それを一欠片も逃さないようにデッサンする。ふと表情も描きたいな、と思い神奈月遙を見た。
さっきまで夢中に動いていた手が止まる。
ほどよく見開いた瞳。
ぎゅっと噤まれた唇。
顔は、朱が滲んだようにすこし紅みがかっている。
彼女の顔には、はじめ発露させてた怒りなどは微塵もなく、むしろ緊張と困惑と……あとほんの少し嬉しそう(?)、不思議な表情だった。
その時である。
キーンコーンカーンコーン
「うわやべぇ!三限だ!」
「三限…?なっ、お昼休み終わってる!!先輩何してくれてるんですか!」
「うるせえ!元はと言えばお前がからかったからだろ!」
「絵のモデルをしてあげた人にいう言葉ですかそれ!?」
急いで階段を降りる。
悲しいかな、俺の方が先に息を切らした。一方、隣の神奈月遙はずいぶんと楽しそうだ。
その日、俺は久しぶりに倒れ込むくらい走った。