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得るもの、失うもの

ーお断りします。
ロレンタがはっきり言い放ったその言葉に、ルースは返した「それは承知の上だ。君がそう言い切るのも分かっている」と。
だからあえてそれを願いに来たのだ、とも。

「あれに対する心身の負担……いえ、代償がどういうものか、特にマティエさんはご存知ですよね?」
そう、彼女は以前に秘蹟を受けたことがある。
幼少期に厳格な祖父に連れられてこの教会を訪れたこと。
「ソーンダイク家は代々このイニシエーションを受けることによって、真の騎士へとなることができるのだ」。祖父のその言葉は今でも忘れることがない。

いわゆる【オグードの秘蹟】は、ひいてはこのソーンダイク家のためだけに現在まで引き継がれていったと言っても過言ではない。
そして、マティエ自身も……
「自分の心の中の、何か大切な部分を失ってしまった」のだと。

「今一度自分を取り戻したいのだ。そしてこの誇りも、全て」折れた自身の角の欠片を握り締め、震える声でマティエは言った。

「えっ……と、ルースさんは、【それ】を認めたのですか?」アスティの言葉に、ルースは力強くうなづいた。

「オグード……このディナレ教会の二代目の方。彼はずっと貧民街で育ち、ある日ふとした過ちで盗みと、さらには何人もの人を殺めました。そして彼が心を入れ替えディナレ教会に就いたときも、秘めていたその心の影は彼を日々蝕んでいたと言います」
「ああ、僕もそれは知っている。だからオグード師はすべての過去にけりをつけるためにこの秘蹟を生み出したのだと」
ロレンタは、ルースの応えにふふっと笑みを漏らした。

「過去にけりを……確かにそうでしょうね。オグード様はもはや懺悔そのものでは自身を受け止めることができなかったんだと思います。それゆえに心の崩壊を唯一止めるために、この秘酒を作り出したのでしょう。あらゆる禁忌を冒してまで」
「その話、僕も知らなかった……オグードというこの教会の先代の話は聞いていたんですが、あの方にそんな過去があっただなんて……」

「ディナレ教会はあらゆる過去の者でも受け入れる。今までの厳しい戒律を排してまでこの規則を作った人……と、ここまではアスティに教えてきましたけどね」
「そう、だから僕……デュノ家やソーンダイク家のような血塗られた過去を持つ家の者たちも、ここで落ち着くことができたんだ。だからこそ……」
「オグード様はそれによって身体の自由を失ってしまった。だけどそこからが始まりだったのです。晩年まであらゆる影にうなされながらも、彼は秘蹟によって忌まわしい過去を克服し、ひいては穏やかに生きることができたとさえ聞いています。マティエさんは……」
それ以上言うな。とマティエはロレンタの言葉を決意に満ちた目で制した。

「僕もだ。この件でマティエがいかなることになろうとも、僕たち2人の愛は変わらない」

愛という言葉を聞き、はぁ。と諦めに近い深いため息。
「……初めて会った時と全然変わらない。あなたはこうと決めたら絶対に譲らない、鋼のような頑固さだもんね」
「知っているだろうロレンタ。それも秘蹟によって得た代償のうちの一つだってことを」
ロレンタとマティエ、いつの間にか二人の間にはもはや認める空気すら満ちていた。

……

秘酒の収めてある蔵へと入り、古い甕に満ちた、その濃緑色の液体をコップへと注ぎながら、ロレンタは一人小さくつぶやいた。
「……また、あの優しかったころの彼女に戻れたら、いいのにね」

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