エセリアとネネル
「シャルゼ……か。あの小心者がいきなり私に求婚するわけなどなかろう」
ルースたちが帰った中、すっかり冷めた紅茶を一口。エセリアはひとりつぶやいた。
「しかし、ドールが最後の一人だとばかり思っていたのだがな。まさかマシャンヴァルの信奉者までいたとは……奴ひとりとは限らんと思った方がよいかもな。さてさて、どうやっていぶり出そうか」
ーこうなったら、ルースとマティエに全部話してみるのはどう?
静寂の中、エセリアの中に……いや、ネネルの中にいるもう一人の彼女が問いかけた。
「それも一応考えたさ、だがルースはラッシュと違い抜け目のない男。私の正体を知ったら、いつこっちの首を取られるとも限らないしな。それにマティエという厄介な女も増えたことだし。まだまだ様子見じゃ」
ーネネルって、二言目には必ずラッシュのことを話すね。それほどまでに大好きなんだ。
「え……そうか? ふん。悪いか?」
彼女の心は笑い、そしてネネル自身も笑った。
ーそういえば、マティエが父様に報告をしているときに耳に入ったんだけど……ラッシュが乱戦のさなかに思いもよらぬ力で敵を蹴散らしたらしいわ。
「!? それはまことか、エセリア!」
ーええ、ラッシュと仲間たちがみんな倒れてしまったとき、彼だけ突然立ち上がって、武器の一振りで何百匹もの敵を倒したんだって。その時の見た目がまるで鬼神のようだったってマティエは話してたみたい。
「な……!? まさか……黒衣の血がまた目を覚ましたとでもいうのか。いや……そんなはずはない」
固く握られたネネルの拳が、細かく震え始めた。
「だめだ、いまその血が目覚めてしまうのは非常に危険だ! 一刻も早く……しかしどうやって……」
ーいったいどうしたのネネル? 落ち着いて! それに黒衣っていったい……?
自身を落ち着かせようと、エセリアは懸命に自身をなだめた。
「ああ……ラッシュ、いやディナレたちの祖となる古代狼種のことじゃ」
ーえ……ということはラッシュって普通の獣人とは違うってこと……?
「そうじゃ。あやつは普通の獣人ではない。それだからこそ……」
ネネルの口の端に笑みが浮かぶ。だがそれはいつもとは違う笑顔。
「わたしは……ラッシュに惚れたのじゃ」
………………
…………
……
「ぶへーっくしょい!」
「ラッシュさん……風邪でもひかれましたか?」
「いや、なんか鼻に入ったみてえだ。つーかそもそも病気なんて生まれてから一度もかかったことないしな」
「そうですか、それなら安心ですね、けど……」
「けど……なんだエッザール?」
「私の国に古くから伝わる言葉なんですが、予兆もなく起こすくしゃみは、どこかで誰かがよからぬ噂話をしている……とのことです」
「俺のことを噂する奴なんているのか?」
「いないとも限りませんよ。ご注意を」
「ご注意っていっても、なぁ……」