エピローグ2
ー帰りの馬車の中は、まるで水を打ったかのようにひっそりと静まりかえっていた。
あわや大惨事となったであろう張本人のマティエを、ルースが連れ帰ることでこの騒ぎは一旦は落ち着くかのように思えた……のだが。
「私を一体どこへ連れてゆく気ですか……王子」
「決まっているじゃないか。マティエ。君をこのまま街に居させておけば、また彼のもとに戻って復讐を果たすであろうことは目に見えて明らかなのだからね」
「うん……当分の間は城にいててもらうよ。街には行っちゃダメ。それと……」
王子の顔色をちらりと伺ったルースは、ため息混じりに続けた。
「君との結婚の話……あれも一旦お預け。わかるだろう?」
頑なに首を縦に振らないマティエに、王子がバトンタッチ。
「もう一つあるんだ。一週間後にマシューネからの援軍が我が国に到着する。君には彼らの警護をお願いしたいんだ……マティエ。君でなければ務まらない大役、分かるか?」
「はい、仰せの通りに」
王子は焦っていた。ドールの一件で現在のリオネング軍は消耗している。騎士団長亡き今、騎士団を……いや兵たちを率いてくれる者が一人でもいいから欲しかったのだ。そしてその一人が彼女、マティエだったから。
獣人であろうと、角という種の誇りを失ったことであろうと今はそんなことに拘っている暇はない。それどころか着々と異形の軍勢を増やしつつある敵国オコニド……いやマシャンヴァルに対抗すべき力を一刻も早く持たなければならない……そのためには。
「ところで……エセリア。お前さっきからなんか様子がおかしいぞ?」
彼女はひとり、衣服に染み付いた「何か」の匂いをしきりに嗅いでいた。
袖口はともかく、胸元やスカートの裾に至るまで、まるでなにか得体の知れないものに触れてしまったかのような。
「あ、いや、香水がいつもと違う感じしたので……ちょっと違和感が」
誤算だった。兄とルースにラッシュと出会えた話をしようと思っていたはずが、一緒に連れてきたマティエという、寡黙にして終始イラつきを振りまいているこの女によって、楽しくなるはずだった帰路の空気が一瞬にして……まるで葬儀を終えた時のような重々しささえ醸しだしている。
しかも会話から察するにこの女……最愛のラッシュを己の面子のために公の場で殺害しようとしていたのだから、並々ならぬ憎しい思いが彼女には、エセリアにはあったのだ。
そう。この場で今「ラッシュ」という名は禁句であった。
ルースは「ラッシュに会ったのかい?」と。
王子は「ラッシュはどんな人なのかい?」と。
その一言が言えずに、さらに重苦しい空気を引き起こしていたのだ。
そして、エセリアもいま、服に残されたラッシュの匂いに不可思議な思いを抱いていた。
(なぜだ! なぜラッシュの身体から、姉上の……ゼルネーに似た匂いがするのだ!)と。
(ラッシュ……奴にはまだ隠されし秘密があるとでもいうのか……⁉︎)
さまざまな想いを胸に、馬車は城門をくぐっていった。
リオネング城へと。