あれがお姫様だ
許嫁?
結局何か言いすぎてしまったみたいで、それから先はルースは話さずじまいだった。っていうかイ・イ・ナ・ズ・ケ・ってどういう意味なんだかも聞かなかったな。もしかしてなんか果物を漬けたやつか?
……と、そんなこと言ってる間に、外の通りがにぎわってきた。そろそろ馬車が通るからか、こぞって町の連中が場所を取り合っている。
けど俺んトコは大丈夫だ。なんせ二階建てだしな。それに雨漏りしてたから補強もしたし、俺が乗っかっても絶対に抜け落ちることはねえ。
「おうさまくるの?」
「いや王様じゃねえ、王子様とお姫様だ」
「おうさまとどっちがえらいの?」
「え……っと、王様の次と、そのまた次だったっけか」
納得してくれたのかどうかは分からないが、とりあえず分かったって言ってくれて助かった。早く学校に行ってこういうところも勉強しなきゃいけないとは思うんだけどな……けど、なんか 行きたくねえ気分も結構あるし。
さてと。俺はチビを肩車して二階の通りに面したベランダへと昇って行った。
今日はいい感じに晴れている、青空もきれいだし風も心地いいし、最高だ……と思ったんだが、なんで俺んちと関係ねえ連中がこんなにいっぱい屋根にいるんだ!!!
ざっと数えたとこで……うん、みんな知ってる奴らだけど、10人はいるし。お前らいったいどうやってここに上ってきたんだ。中にはもう酒をかっくらって大の字になって寝てるオヤジまでいるしで。
「いいじゃねえかラッシュの旦那。ほれ、これ場所代ってことでな」
半ば無理やりまだ焼き立てのパンを押し付けられた。これで見逃してくれってことか。まあ知らない間柄じゃないからいいんだが……これ、マジで見ず知らずの奴だったらここから叩き落してたぞ。つーかこれで屋根が抜けたりしたら全員ぶっ殺すぞ。
そしてここでもチビは人気者のようで、手土産代わりにもらった揚げたてのドーナツをにこにこ笑顔でぱくついている。お前今さっき朝メシ腹いっぱい食ったばかりだろうが。俺に匹敵するほどの底なし胃袋だな。
しばらくすると遠くの方から歓声にも似たざわつきが聞こえてきた。それがだんだんと俺たちのいるところへと近づいてきて……
すげえ、いつも俺らが仕事に行くときにあてがわれる真っ黒い馬とは全然違う、白くて端正なスタイルの、そしてご丁寧に鎧までつけた馬がまず最初に通ってきた。
隣のオヤジに聞いてみると、王を守る近衛兵って連中らしい、なんでも騎士よりさらに上の兵隊さんだとか。そういわれてみるとこの前のクソな騎士団よりさらに銀ピカに磨かれてきれいな全身鎧に身を固めている。俺があんなの着たら身動きとれねえな。
そうしているうちにいよいよ王子の乗る馬車の登場だ……と思ったら、その前に来た馬に乗っているやつ。あのザイレンだ。こうしてみるとこの野郎って結構身分高いやつだったんだな。
そして奴の左手に抱かれている奴は……
ルースだ! この前会ったとき同様の黒い詰襟の服を着ている。
こうして見てみると、ルースってすごく高貴な感じに見える……うん、確かにあいつの毛の色って普通の白とはまた違うもんな。
「あそこにいるちっちゃいのって、ラッシュの旦那の友達じゃねえのかい?」なんて四方八方から質問が飛んでくるから、俺も適当にああそうだと答えていると……
「おとうたん、おしっこ」
って、こんな時にトイレかよ!姫さん来たらどうすんだ!
俺は大急ぎでチビだけ部屋に降ろした。一人でトイレなら何度も行ってるし。
そうしている間に沿道の歓声がひときわ大きくなってきた。あちこちの屋根の上、そして脇からは白い花びらをぱあっと撒く人までいるし、なんかもったいねえ。
近衛兵同様のほっそりした馬に引かれ。そして……ああ、わかる。金に装飾されたキラキラとまばゆい、ひときわ大きな馬車が俺らの前を通ってきた。
沿道の声援にこたえ、窓から笑顔で手を振っているのもわかる。俺たちの方を向いているのは、あのおてんばお姫様のネネル……じゃなかった、エセリア姫だ。
……俺のこと、覚えているかな。
なんてちょっぴり思いつつ、俺はついついネネルと呼びそうになってしまった。あぶねえあぶねえ。
でも、ふと彼女が視線を上にあげたもんだから……
合っちまった。目が。
当たり前だが、この前中庭で初めて出会った時の、泥まみれの彼女の姿とは大違いだ。馬と同様に白くキラキラ光るドレスに、小さな金の髪飾りを付けて人間というよりはまるで人形みたいな感じすらした。
ネネル……いや、姫さんは俺ににっこりと微笑んでくれた。チビが俺に向けてくれるような、まじりっけ一つない素敵な笑顔で。
「え、エセリア姫様がこっち向いてくれた!?」
「違うぞ、俺の方を見てくれたぞ、俺に気があるんだ!」
「バカ言うな、俺だ!」
案の定、視線の先にいた屋根の上の連中はたちまち大喧嘩を始めていた。単純な奴らだ。
「おひめさまいっちゃった?」俺の後ろでは、チビが脱げかけたパンツを履きなおしながら戻ってきていた。よくひとりで行けたな。感心感心。
チビを肩車して、もうはるか遠くに行ってしまった馬車を俺は指さした。
「見えるか? あれが王子様とお姫様が乗った馬車だぞ」って。
そして俺たちの視界から、馬車はいなくなってしまった。