バケモノ
荒い呼吸で落ち着きを失いつつあるドールを押さえつけ、俺は続けた。
「いいか、その王様しか知らない最高機密っていうのはおそらくウソだ。デタラメだ! それが証拠に俺のギルドはほぼ収入ゼロだし、今でも食うメシに困ってる!」
うん。ウソにウソを重ねちまった。
「それに前の親方……ガンデって言うんだが、もうとっくに死んじまったしな。つまりその言い伝えがウソか、別に聖痕持ってる奴がいるんだ!」
「なんだ……と!?」
「悪いが他をあたってくれ。いいか、俺はそんな凄い奴じゃねえ!」
「オ、おまえではナイと言うノカ!?」
ドールの声が、口調が徐々に変になってきた。
なんというか、耳障りな、トーンの高い声。
「私ノ……私の信じてきたことハ全テ間違っていタのかあアァァァァ!」
絶叫したドールは激しく咳き込んだ。ほらみろ言わんこっちゃない……と俺が手を伸ばしたその時だった。
奴が血を吐いた……んだが、口元を抑えるその指の隙間から、石造りの床に瞬く間に広がっていくそれが……
赤い血じゃなかった。
真っ黒な……人間でも俺たちでもこんな漆黒の液体なんか流さねえ。
そんな液体が、ドールの口から、目から、耳から溢れるように止めどなく流れ出てきた。
「身体ガ、もうコレ以上は……」
ドールの目は黒く染まり、肌の色は血の気を失い、蠟のように白くなった。
そしてだらんと下がった両腕は、床についてしまうほどにズルズルと音を立てて伸びてゆき……
「お、おい……なんなんだお前、その姿」
生まれて初めて見たそれは、人間でもなく、ましてや俺たち獣人でもない。
そう、それはまさしく「バケモノ」と呼ぶにふさわしい姿へと変わっていった。
俺はその時、初めて恐怖というものを感じた。
地平線いっぱいに広がる敵軍を目の当たりにしても全然怖いと感じなかった俺の、心の中で初めて生まれた感情。
背筋に冷たい水をぶっかけられたような、ぞわっとする感触とともに。
さっきまで人間だった存在はみる見る間に膨れ上がって、やがて天井にまで達した。
「アア、血ガ足リナイ……モウ……」
どうなってるんだ一体、こういう病気ってあるのか!?
それとも……アスティ同様、俺も消そうとしているのか。なら誰が一体何のために?
もしや、これがゲイルのなってたマシャンバルの秘薬とか……
「失礼します! こちらでなにか叫び声が……うわあぁぁぁぁあああああ!」
ドアの向こうでドールの声を聞いたのだろうか、騎士の一人が大急ぎで来てくれた……んだが、バケモノの伸びた腕が瞬時にそいつの身体に巻き付き、反対側の壁へと叩きつけた。
「おい、お前の部下だろそいつ。なんてことするんだ!」
「部下、知ラン……ウルサイ……」
凄まじい力だ、叩きつけられた男はすでにこと切れてしまっていた。
「ラッシュ君……私ト組モウデハナイカ……ソノ聖痕サエアレバ……」まだそんなこと言ってるのか、いい加減忘れたもんだとばっかり思ってた。
「誰が作ったか知らねえが、そんな妄言信じてる方がバカだろ……」
「貴様アァァァァァァァァァァァァァ!」
瞬間、バケモノの腕は俺の身体を弾き飛ばし……
崩れた壁ごと、俺は……ってここ、城のてっぺんじゃねえのか⁉
「うわあぁぁあああああああああああああああああ!」
落ちた。