むかしむかし。海を見下ろす小高い岡の上に、ちいさな町がありました。
そこに、一羽の風変わりなカラスが住んでいました。そのカラスはたいへんなひねくれ者で、他のカラスと誰ともつきあわず、いつも一羽でおりました。そして、時も所もかまわず年中泣き喚き、目に当たるものをなんでもつつきまわして台無しにしてしまうので、町の人間達からも、犬や猫や兎や牛や馬からも、そして他のカラス達からもたいそう嫌われておりました。
そのカラスは生まれつき、片方の翼が真っ白でありました。
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「やれやれ……今日もシケてやがる……今日もシケてやがる!!」
ひとしきりごみ溜め場を漁り、まずい食事を済ませた後。カラスは空の上からまた、大きな鳴声であてつけがましくがなり立てた。
「人間共め、此の頃ろくなメシを寄越しゃしねぇ……手前で食いきれない無駄飯を、俺様に残すぐらいしか能が無ぇくせに……能が無ぇくせに!!
ちっ、こうして鳴いてみたところで、あいつらには俺の言ってることなんかわかりゃしねぇんだ。なんだって人間ってのは、こうバカばかりなんだ?他のどの生き物だって、言葉だけなら通じるんだがなぁ。ああ、アア、あのバカ野郎共めが!!
もっとも今日は、あいつらの『祭りの日』だからな。明日の朝は、今日よりはまともなメシにありつけるだろうぜ。
ふん……『祭り』ねぇ……『人間』の『神様』ねぇ!!
くだらねぇ。くだらねぇ!!
人間共め、生意気に自分達の神様なんてものを考えて、乙にいってるようだが、とんだ笑い事だ。あいつらに神様の本当の姿なんてちっとも見えてねぇんだから。他の生き物にはみんな見えてるっていうのに。
……なぁ神様?俺はもう、こんなくだらない『命』なんてもの、ぶらさげてるのはまっぴらだよ。あんたが『まだ生きろ』というから、こうして生きちゃぁいるが……いつになったらそっちに行けるんだい?ええ?ええ??」
結局、カラスの繰言は、いつもここに尽きるのだ。
何故、そしていつまで、自分はこうして生きていかなければならないのか?わめきちらしても飛び回っても、神は「生きろ」というばかり、他の答えは返ってこない。
そして今日もくたくたになったカラスは、やがて、町外れの一軒家にたどり着き、庭先の木に翼を休めた。
その家はそこそこ裕福らしく、この町でも大きめの門構えを見せていた。ただ、家禽を飼うことを営みにしているらしく、アヒルやニワトリやガチョウの声がかまびすしい。わざわざ辺鄙な場所に住んでいるのは、鳴声が近所迷惑にならないようにということなのだろう。
垣根の中でたくさんの家禽達が、餌桶のトウモロコシをついばみながらくったくなく話を弾ませているのを樹上から見下ろして、カラスはまたやれやれと思った。
「あいつらめ、気楽そうな顔してやがる。ま、確かにこちとらと違ってメシには困らねぇだろうが、いいご身分とはいえねぇかもな。なにしろ窮屈そうだ……おや?おや?」
その時ふと、一羽のガチョウが彼の目にとまった。他の家禽達からポツンと離れた、垣根の隅に。一羽だけ、小さな入れ物に別の餌をあてがわれて。短い杭に脚をしばられて。
そして、その白いガチョウは、片方の翼だけ真っ黒だった。
何か、痺れるような気持ちになりながら、カラスはそのガチョウのそばの垣根に飛び降り立った。
「おいお前、おいお前!」
「あら……カラスさん、ごきげんよう。何かわたしに御用ですか?」
そうガチョウに問われても、カラスには返すべき答えが無かった。
「用ってことは……別に無ぇんだが……そのメシはお前のもんか?」
素焼きの餌皿に盛られたトウモロコシ。しかしどうやら、ガチョウがそれをついばんだ跡はなかった。
「ええそうですよ。ただ、今は食べる気がしないんです。残しておいても、後で他のみんなが食べてくれると思ってますけど。よろしかったらいかが?」
「ふんそうか……だったら遠慮なくもらっておくぜ。腹が減ってたから来たんだ」
それは嘘だった。食事なら済ませたばかり、答えに困っていたところにちょうど良かっただけ。それを、カラスは無作法に大袈裟に餌皿をつつきまわしてごまかした。
「実は、わたし、ここからカラスさんがあの木にとまるのをお見かけしてそれで……お願いしたいことが出来たのですけれど……お聞きいただけますかしら?」
「何?俺に何か用があるって?……まぁいい言ってみろ」
こちらから用もなく近づいて、ねだりがましい嘘をつかざるを得なかったところだ。このままでは少々バツが悪い。多少のことなら聞いてやっても構わないだろう、と。普段の乱暴な彼には似合わない気持ちになっていたことに、カラスは自分でも気がつかなかった。
「ありがとう、ちょっとおうかがいしたくて。あそこに、大きな羽のようなものが4本ついて、くるくる回っている……あの変わった建物は何ですの?」
「……ああ?何だお前、用ってそんなことが聞きたいのか?」
「はい」
「あれは人間が『風車小屋』って呼んでるもんだ。風の力で回ってるのさ。人間は、あれをつかって麦を粉にすりつぶしてるんだ。ふん!無駄なこったね、麦ならそのまま食えばいいものを!!」
「そう……あの、それから、いいかしら?あちらの遠く……白い鳥の仲間がいつもたくさんいるみたいですけど、あの方達はこちらにはいらっしゃらなくて。一度もお話したことがありませんの。なんとおっしゃる方々なのかしら?」
「……ええ?ああ、あの連中ね……あいつらは『カモメ』ってんだ。口の肥えたやつらで、なにしろ魚しか食わねぇ。だから海の傍から離れないんだ。市場の魚もつまみ食いしやがるんで、人間共とは仲が悪い……まぁ俺たちカラスも似たようなもんだがな」
「『市場』?」
「おいおい!それもか?あのなぁ市場ってのは……」
あとからあとから湧いてくる、子供のようなたわいもない質問。どうやらそれがガチョウの「用事」らしい。
カラスは聞いて答えてやった。どうしてこんなばかばかしいことにつきあっているのか、とっとと切り上げて退散すればいいのに。そうは思ったが、その時は何故かガチョウの傍を離れることが出来なかった。
「『海』……『海』とおっしゃいましたか、カラスさん?あの大きな大きな池。あれはどこまで続いているのですか?」
「『池』だって?!ハハハ池だって?!おいおい……海ってのはな、とんと特別なもんさ、池なんかとはワケが違うぜ……あきれるほどでかいんだ!!どこまで続いてるのかなんて、そいつはコッチが聞きたいね」
とうとう、答えることの出来ない問いが来て、カラスはほっとした。切り上げる潮時だと思ったからだ……今日のところは。
「やれやれキリが無ぇな、お前の用事ってやつは。ハハハ!今日はこれでかんべんしろ。また明日、なんでも教えてやるから」
また明日。カラスは自分でそう言った。本当に自然に、そうしてやりたいと思ったからだ。だがしかし。
「……御免なさい」
「ん?」
「明日はもう、わたしはカラスさんとお会いできません。今晩の『お祭り』で、わたしはこの家の人間達のごちそうになるんです」
「……何だって?!何だって何だって何だって!!そりゃあ食われるってことじゃないか!!お前がお前が!!」
「はい。そういうことです」
「ふざけるな!お前、自分のことだぞ!逃げろ逃げろ!!」
「無理です。こうして縛られていますし……私たちガチョウは長いこと人間に飼われているうちに、飛ぶことができなくなりましたから。たとえ逃げても、すぐにつかまってしまいます」
「馬鹿!ばかやろう!何を落ち着いていやがる!!落ち着いていやがる!!」
カラスはいらだった。無性に腹立たしかった。何故怒っているのか自分でもわからないまま、わめきちらすしかなかった。
ひきかえに、ガチョウの言葉はしんと静かで優しかった。
「ありがとう。でもこれは、私達ガチョウのつとめですから。神様のお決めになったことです」
「何の神だ?人間共の『神様』か?!あんなものあんなもの……」
「まやかし……ですわね。でも。私達に見える本物の神様も、私達と同じように、人間達のことも嘉されていらっしゃいます。
その愚かさを許すようにと、いつもおっしゃっておいでですわね?」
「ああそうだったな!俺にだって、それはいつも聞こえてるさ。だが知ったことか!!俺はいい。俺は自分勝手に生きて自分勝手に死ぬ。いつか自分勝手に死ねるから俺はいい……なんでお前がやつらを許せる?!なんでだなんでだ!!」
「神様が、お決めになったことですから。わたしは今晩、ガチョウのつとめを果たします。それでいいのです。こうして杭につながれて、毎日何一つ為すこともなくただ養われていただけのわたしの、それが最後の、たった一つの『つとめ』なんです。だだ……」
「ただ、何だ?!ただ、何だ?!」
「毎日ここにつながれたまま、同じ景色を眺めながら、何が見えているのか全然わからなかったのが、心残りだったんです。それを今日、カラスさんが叶えてくださいました。あなたは、そうあなたも、神様のお使いですわ。
あなたの色違いのその翼。わたしに会わせてくださるよう、神様がおはからいになられた印です。そうはお思いになりません?」
それだ。それが自分がこいつに引き寄せられた理由だったのだ。カラスはようやく自分の気持ちの正体を悟った。
この真っ白な片翼のおかげで、同じカラスの仲間達から忌み嫌われた。だから一人で生きてきた……
「実は他のガチョウも、今日はこの家から何羽か買われていきました。みんな『ごちそう』になるのです。ただわたしは売り物にはなりませんでした。この真っ黒な片翼が、なんだか『縁起が悪い』というのですよ、人間は。それで、この家の主人が、自分のお祭りのためにわたしを使おうと思ったのです。おかしな話ですわね。例えばカラスのあなたになら、当たり前のただの黒い翼なのに。
……人間は愚かですね。だから私は許すんです」
「……うるさい!!うるさい!!そんな理屈があるもんか黙れ黙れ黙れ!!」
いつの間にか、カラスの声はありえない大声になっていたらしい。それを聞きつけたのか、庭にこの家の主人が出てきた。
「このいたずらガラスめが!うせろ、お祭りのガチョウに傷でもつけたらただじゃおかないぞ、うちの子供らが今夜のごちそうを楽しみにしてるんだ!!
……よしよしいい子だ、おいで」
そういうと、男はガチョウの首を小枝でも折るようにポキリと折って、そのまま家の中に引きずっていった。
カラスはひときわ高く、言葉にならない鳴き声で鳴いて、その場から飛び立っていった。
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カラスはそれからも、この町に住んでおりました。
ただ以前とすっかりかわっておとなしくなり、そして。
毎日片方の白い翼を、いとおしげに毛づくろいするさまがみられるようになったのでした。