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 理沙は陰気な娘だった。
 裕福な家庭に生まれ、それ以上に両親からの愛に恵まれて育った。勉強もスポーツも人並みかそれ以上。礼儀正しく、人には親切、結果友達も多かった。
 けれども。何かの拍子でふと、彼女が一人きりでいる時。そんな時彼女はいつも、長く伸ばした髪を顔の前に垂らしてうなだれているのだった。そしてその姿を見た時、誰もが例えようのない暗い影を彼女に感じたものだった。
 むしろそれゆえ、人々は彼女にひきつけられたのかもしれない。どうにかして、その寂しさの影をぬぐってやりたいと思わせる、可憐な少女であったから。
 それでも、誰も「何故?」と彼女に問うことはできなかった。
 理沙には、聞いてはいけない秘密がある……

 その年のクリスマスイヴは、冬には珍しくあいにくの雨模様であった。
 どうせ降るなら雪がいいのに、と人々は思いつつ、それでも巷の賑やかさは例年と変らなかった。目抜き通りはモールできらきらしく飾り立てられ、美しいというよりは、いささか商売気のほうが割り増しに感じられる……まさしく例年通り!まぁ、こういうもんじゃないかな?要するにお祭りなんだから!道行く人々の雨傘の下にはどこにも、そんな雰囲気に酔いしれた顔があったのだが。
 そんな賑やかな通りを避けるように、学校帰りの理沙は、一人裏路地をとぼとぼと歩いていた。
 半分苔むしたコンクリート塀をなでてみたり、足に当たった小石を軽く蹴ってみたり。こうして誰もいない道を歩くのが好きだった。みんなの屈託の無い笑顔を眺めているのが苦痛なときは、彼女にはある。ことに、今日の町の賑わいは耐えられない。
 せめて、孤独というほろ苦い自由だけは、かみ締めたいと思う。
 だれも本当の私を知らない……
 そんなことを思いながら、小石を蹴ってはその行く先を眺めていたのだが、それが何かに当たった。
 道端に打ち捨てられた、小さなダンボール箱。
 そして、まるでマンガか何かから抜き出したようなお決まりのセリフがマジックペンで大書きされている。
 【だれかこのこをひろってください】
 「このコも……独りなのかな……」
 いわゆる「聞き分けの良い子」であるところの理沙。あまり両親にねだりがましいことは言ったことがない。ねだれば、彼女の願いは大抵かなえてくれる両親なのだが。二人には、理沙に対してある「負い目」があるから。そしてそれこそが、彼女の暗い影の大元なのだ。けれども……だからこそ!
 普段は、優しい両親の弱点をえぐるようなことはしたくない、と思う娘なのだ。
 しかし今日だけは、理沙は珍しく、自ら禁じたカードを切りたくなった。
 「お願いしたら、飼ってもらえるかしら……」
 それにしても。
 なんだか箱の中が妙に静かだ。鳴き声もしない。今度は不安に駆られる。
 この寒空の下、それも雨の中、「このコ」はどれだけの間、ここに置き去りにされていたのか……
 「それとも……もしかしてもう……?」
 死に対して誰もが感じる恐怖と嫌悪、それは一瞬のしびれとして理沙の体を硬直させた。が、それ以上に大きな衝動が彼女を突き動かした。
 駆け寄って、箱を開けた。 

 「いや~まさかね?!まさかこのオイラをホントに拾っちゃう人間がいるなんてねぇ!驚きだなぁ!」
 【それ】の口調はいたってケイハクだった。
 箱の中に入っていた【それ】。あるいは、【その動物】というべきなのだろうか?しかし、いったいこの世界のどこに、こんな【動物】がいるというのだろうか?
 全体が鮮やかな深紅の、どろどろとした形の定まらない、動物の内臓のような塊で、手足はおろか、頭も胴体もまるでわからない。そこに真っ白な繊維質が不規則に絡み付いて、しかもそれらがすべて落ち着き無くザワザワと蠕動している。
 そしてなにより、この【動物】は、自在に人の言葉を操っている!
 はっきりした形のある器官といえば、その声の出るラッパ状の管と、そして。
 体の真ん中に、不自然なまでに大きい目玉が、一つ。それだけ。
 「……怖くないの、キミ?」
 「うん……ちょっと、ドキドキしてるかも……」
 路地から家まで、【これ】の入っている箱を抱えて走ってきた。他人に見られてはいけないと思ったから。家のドアを開く瞬間が一番の賭け。母親に知られずに自分の部屋に入れて一安心だったが。鼓動が高鳴っているのは、実は多分、そのため。【これ】が怖いわけではなかった。
 その点に若干の勘違いも含みつつ、【それ】の口調はあいかわらず軽い。
 「『ちょっと』かい?へぇ~、まったくコイツはすごいや!いやね、実はさ、あそこで他にも何人か、オイラの箱空けたヤツラいたんだけどねぇ、そりゃもう!
 みんなスゴイ声出してすっ飛んで逃げてったよ。
 まー、予定通りっていうか、それが面白そうだったからやってみたんだけどさ……こういう展開は、さすがのオイラにもまったく予測不能だよ、お嬢ちゃん」
 まったくのところ、理沙にも自分の気持ちがよくわからない。何故こんな奇怪な、醜悪極まるモノを?
 ただ、一つだけはっきりいえることがあった。
 「あのね…あなたの目が…」
 「目?」
 「なんだかとってもキレイだったから…」
 「ふうん?ああ、そうか、確かにキミはオイラと似ているのかも知れないなぁ。
 キミの目玉は、片方はつくりものだからねぇ」
 いとも簡単に。ずけずけと。【それ】は無遠慮に言い放った。
 生まれつき、理沙の右眼球は視力が無かった。瞳や角膜といった画像を結ぶための器官が欠損していて、目の機能をまるでなさない白く丸い球体がただそこにあるだけだったのだ。
 両親は彼女のために精巧なコンタクトを用意した。事情を知らない他人には、おそらく見破れるものではないほどのもの。
 理沙の秘密。両親と、ごく一部の親族と、彼女の赤ん坊時代を知っている者しか知らない秘密。

 「……落ち着いてるね?」
 この【動物】、どうやらわざと「不意打ち」したらしい。
 「怒ったり、泣いたり、しないの?」
 ちょっと黙り込んだ理沙だったが、自分でも思いもよらず平静だった。
 「そうね……案外平気。不思議……いつもとっても気にしてたはずなのに……あなたに言われてみてちょっとわかった。」
 「何がさ?」
 「わたし……自分の姿が嫌いなんじゃないんだって。でも、みんながこれを知ったら……みんな多分『かわいそう』とか言ってくれると思うの。みんなちょっと気持ちが重たくなるでしょ?それがイヤなんだ、って。」
 「……優しいね、キミは。そしてやれやれ……
 不便なもんだねぇ、キミたちは。姿が人と違ってることを、うんと気にしなきゃいけないんだから。オイラは今こんな体だけど、【故郷】にいた頃は……
 あれ?ええと?確か?脚が6本、腕が前に2本で後ろに3本、目玉が3つ……だったかな?どーでもいいからよく憶えてないんだよね。
 【故郷】から【ここ】に赴任するのに、【船】で長旅になるから。余計な器官は全部仲間に預けてきたんだ。【故郷】に帰れば、オイラもまた違う姿になると思うよ。どーせ、オイラが預けた体の一部なんて、今誰がどう使ってるんだかわかんないし。脚も腕も多分、今はアイツラが勝手につかってるんだか、他のヤツにくれてやっちまってるかも……まぁオイラも、『ちゃんと管理してくれ』なんてそんなバカなこと、頼みもしなかったしね」
 「……え?」
 「いいかい、ちょっと見てろよ。こうして……」
 いままで【それ】の体を覆って無意味に動いていた白い繊維が、根元からわさわさと一つの場所にまとまり、束になった。その束が、しゃべるラッパに蛇のように、蛸の腕のようにくるくると巻きつくと、そのまま無造作にラッパを引き抜いた。
 「で、こんどはコイツを……」
 本体から切り離されたはずのラッパが、勝手にしゃべっている!
 「この辺に植える、と」
 もぎ取ったラッパの根元を最前とは別の場所に押し付けると、ラッパは何事も無く本体と癒着した。
 「どうだい、ざっとこんなもん。ま、オイラたちにはフツーのことでね。手だろうと脚だろうと目だろうと耳だろうと、自由に取り外し可能だし、他人にくっつけたりもらったりも出来るのさ。
 だから、そもそも『自分の体』っていう意識があんまない……っていうか、【ここ】に来て、キミたちを観察してそういう感情をようやく理解したんだけどね。
 そんなわけだから、姿なんてテンデンバラバラ。力仕事が必要なヤツは体もデカイし手足も多い。細かい仕事が好きなヤツは小さくて、そのかわり指がやたらとたくさんついてたり。ていうか、そういうはっきりした理由で体を『組んでる』ヤツの方が少ないね。ファッション?ていうかさ、気分?みたいなもんで。だって、欲しければ誰からどの器官だって自由にもらえるし、いらなくなったら誰かにやっちまえばいい。だったらそんなのその時のノリで決めればいいことだろ?
 こだわる必要がないんだ。いっそ自分に飽き飽きしたら……」
 「???」
 「全部くれてやっちまうことも、出来る。二人で一人に融合するのさ。そうやって、まるごと新しい自分になるってわけ」 

 「……面白いのね」
 理沙はいたって素直に、そういった。
 「『面白い』だって?ふうん……ふふふ、面白いのはこっちの方……ちょっと【気が変った】よ、キミに会えてさ。」
 【それ】の口調が少し重たくなった。
 「いや実はね、オイラ、もうすぐ【故郷】に帰るんだよ。【ここ】での仕事、調査はおしまい。【故郷】の連中がさ、見切りをつけちまってねぇ……
 【ここ】の連中とは気が合わない、友好関係を結ぶのはムリだから、いても意味が無いって。ぶっちゃけオイラも同じ意見、ていうか、オイラがそう報告したから連中もそう考えたってことだけども。
 もうオイラたちは、キミたちに会うこともない。だって、キミたちはどうせ【ここ】から【出られない】。このままでいけば、それが出来るようになる前に、キミたちは【いなくなる】。それなら、最初から会わなかったことにしておけばいいだけの話だから……だろ?」
 子供の理沙にも、【それ】が言っていることが何となくわかってきた。
 この人たちと、わたしたちは、違いすぎる。そして。
 「違っていることが当たり前」のこの人たちとはちがって、わたしたちは、「他人と違うのは困る」のだ。
 そしてそのために、いつまでもいつまでも争っている……
 「でまぁ……会わなかったことにするなら、オイラがこうしてキミに姿を見せちゃいけないはずだけどさ?そこはさ?好奇心っていうか。
 【調査】の最後に余興として、実際の反応を確かめておくのも悪くないかもって、思ってねぇ。ああして路地で『捨てられたペットのふり』をしてみたわけ。ドッキリ大成功!と思ったんだけど。最後に、オイラの方が驚かされた。キミにね。
 帰る前に、キミにだけ、いいものをあげるよ。ちょっと待ってな」
 【それ】がそういうと、見る間に、体の中心にあった目玉が沈み込み、埋まって見えなくなった。そしてそのあたりの肉がしばらくグニャグニャと動いたのち、小さな薄い貝殻のような何かが表面に浮かんできた。ラッパを引き抜いたのと同じ要領で、【それ】はその貝殻のようなものをぺロリと体から引き剥がした。
 「オイラの目玉をさ、作り変えてみたんだよ、キミに合うように。これをあげよう」
 人間の瞳にそっくりなそれ。生きているコンタクト・レンズ!
 「目は【故郷】に帰ったら誰かにもらえばいいし。実際【船】の航行中は目視はあんまり役に立たないからねぇ。ヒゲがあれば、電波でも宇宙線でも自由に感知できるんだ。荷物は少ないほうがいい。でも……使ってみる気、あるかな?」
 理沙にためらいは無かった。
 「ちょっと……ドキドキしてる。でも、わたし……あなたたちのことが知りたい」
 「なら、遠慮なく、御嬢ちゃん!!」
 ふるえる指で、それを受け取り、右目に入れてみる。即座に、いままで閉ざされていた理沙の右半分の世界が開いた。
 両目で見る、初めての世界。
 いや、それだけではない!何かが違う!
 理沙は窓に駆け寄って空を見上げた。
 雨雲の広がる、まっくらな夕方の空……なのに星が見える!そして、今まで見たことの無い、例えようの無い色の光の筋が空を覆っていて…
 「多分ね、今見えてるのは地磁気と太陽風、じゃないかなぁ?ああ、そうかキミにはまだ難しいかもね。
 ま、大きくなって、うんとお勉強したらわかるさ」

 【訃報】リサ・ミズモリ(理論物理学者・平和活動家、享年78歳)
  時間と空間に関する理論に、今世紀最大の前進を成す。平和・人権活動家としても知られ、晩年は戦災孤児の養育施設の運営と教育に専心。
 ノーベル物理学賞・同平和賞他、過去多数の表彰の候補となるも、いずれも本人の意思により固辞。 

 -W・ポスト

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