バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

2.麗人・海老坂クン

 赤ビルの正面扉はお店の出入り口になっていて、メゾンの玄関はビルの脇道の奥にある。
 ビルから見ると路地奥の ”裏口” だけど、正面扉と同じアールデコっぽいデザインの扉が付いていて、結構広い玄関ホール兼エレベーターホールには、表の店舗に抜ける廊下に繋がる扉と、カフェの厨房に入る扉が並んでいる。
 両開きの扉を全開にすれば、自転車やバイクなんかも簡単に屋内に引き入れる事が出来て、二輪車を持っているなら厨房に入る扉の脇にある駐輪スペースに置くようにと入居の時に言われた。
 鋼鉄製の扉と柵で出来たエレベーターには、その周りを取り巻くように階段が付いている。
 古いビルでもエレベーターがあるのはありがたい…と、思うかもしれないが、このエレベーターに限って言えば、それは微妙だ。
 ビルと同様に経年劣化が激しくて、しかも設置当時の姿そのままに扉を人力で開閉するエレベーターなんて、僕は生まれて初めて見た。
 部屋の内覧の時に、そのレトロを通り越したオンボロ装置に、おっかなビックリ乗ったところ、20cmぐらい昇ったところでガクンと止まって動かなくなった。
 それ以来、柊一サンに「コグマが乗ったら絶対壊れっから!」と宣告されて、エレベーターの使用を禁じられている。
 その時はマジで僕の所為で壊れたのかと思ったけど、実のところこのエレベーターが動かなくなるのは日常茶飯事で、今から考えると原因の全てが僕にあったとは思えない。
 だけど柊一サンには逆らえないし、敢えて利用したいようなエレベーターでも無いので、僕は階段のみを使っている。
 表に柊一サンが居る時は、メゾンへの出入りにも店舗内の廊下を気安く使わせてもらえるが、店番が多聞だった場合は、ビルの脇道しか使えない。
 カフェのオープンスペースはせり出した二階部分が屋根代わりになっているけど、ビル脇の路地やメゾンの玄関口には屋根が無いので、雨の日なんかはお店の中を通らせてもらえないと難儀なのだ。
 だけど今日は天気も良いし、せっかく柊一サンに会えたし、うまくすれば夕食のご相伴に預かれるかもしれないし…と思って、僕は粘って立ち話を続けていたのだけど、そこで不意に後ろから声を掛けられた。

「すみません。ちょっとお尋ねしたいんですが、このビルに中師敬一って住居人いますか?」

 振り返った先には、キラキラするほど美しい青年が立っていた。
 色白で美少女のような顔立ちなのだが、付くべき筋肉はしっかり付いた綺麗な体型をしていて、長い睫毛に縁取られた瞳は目ヂカラに溢れている、まさに僕好みの麗人だ。

「ん? どちらさん?」

 僕は思わずポカンとしてその美青年に見惚れてしまったが、僕越しに顔を出した柊一サンが返事をした。

「中師の友人です。住所聞いてきたんですけど、ここら路地だらけで、番地が判りにくくて」
「ケイちゃんの友達かー! 俺、ケイちゃんのお兄さんだよ!」
「ああ、助かった。どうも初めまして、俺は海老坂って言います、中師の部活仲間です」
「そっかー、よく来てくれたねえ! ケイちゃん上の部屋にいるよ〜、案内しちゃる」

 柊一サンはニカッと笑って、美麗なる海老坂クンの肩をパンパン叩き、そのままチャッチャとエスコートして、レジ奥の通路へ連れて行ってしまう。
 僕は殆ど無意識に麗人・海老坂クンを見つめたまま、二人にくっついて行った。

「レン! 店じまい頼まぁ! ケイちゃんの友達が来たから、俺、上にあがっちうから!」

 表のカフェと奥の厨房は隣り合わせになっておらず、真ん中に部屋を挟んでいる。
 店とエレベーターホールを繋ぐ廊下の途中には、その部屋に出入りをするための扉が付いていて、柊一サンはその部屋を中古レコードショップの事務所として使っているのだ。
 もちろん僕はその部屋になんの用事も無いので入った事は無いけど、中には商品である中古レコードを保管するための棚がぎっしり置いてあるし、買取希望の商品を整理したり、注文商品の梱包をするための作業台なんかも置いてあって、どうやら多聞は発送物を作っているようだった。

「はあっ? ちょっとシノさん! 今日は発送が多いから一緒に作業するって言ったよねぇ?!」
「そうだっけ? んじゃ後で手伝いすっから、とにかく戸締まりよろしく!」
「も〜、勝手ばっか言うんだから! ホントにちゃんと手伝いに来てよね!」

 この男が柊一サンの恋人なのかと思うと、見る度にモッタイナイと言うか、釣り合わないと言うか、とにかく理不尽な印象しか無い。
 だから柊一サンが気ままに身勝手な発言をして、多聞が困っている姿を見ると、分不相応な恋人を持ったツケとして当然だと思う。
 僕はエレベーターホールに来たところで、重い手動式の扉をサッと開けた。

「お〜、コグマ、気ィ利くじゃん! ついでに先に上に行って、到着したら開けてくれよ」
「喜んで!」

 三階の僕の部屋ではなく、五階の柊一さんの部屋で扉を開けてくれと言われたって事は、上手くすれば、この美麗なる海老坂クンをもっとじっくり鑑賞出来たり、一緒にお話が出来るかもしれないって事だ。
 僕は柊一サンと美麗なる海老坂クンがエレベーターに乗ったところで扉を閉め、脱兎の如く階段を駆け登った。

「あの人は一緒に乗らなくて良かったんですか?」
「あー、コグマが乗るとコレ壊れっから、使用禁止なんだ」
「あはは、そうなんだ」

 アールデコっぽい鉄格子で出来ているエレベーターの柵囲いは、出入り口やお店の窓に使われている物と違って、ガラスは嵌め込まれていない。
 一般的に見かけるエレベーターと違って、全く密閉されておらず、僕が駆け上っている階段に音は丸聞こえだし、同じ高さに居たら中まで見える。
 僕が五階のステップを踏んだのと、二人が乗ったエレベーターが到着したのは、ほぼ同時だった。

「さあ、どうぞ」
「さっすが体力自慢だな〜。マジで間に合うと思わねかった。ついでに、ウチで晩メシ食ってくか?」
「是非!」

 柊一サンのこういうノリ、実に素敵だ。

「ケイちゃーーーーん! お客さん来たぞーー!」

 エレベーターを降りた柊一サンは、自宅の扉を開けると同時に、室内に居るであろう敬一クンに向かって叫んだ。
 五階はビルのオーナーであり、メゾン・マエストロの大家でもある柊一サンと、義理の弟の敬一クンが暮らしているペントハウスだ。

「おかえりなさい」

 玄関を上がって直ぐのところにあるリビングへの扉が開いて、敬一クンが出迎えた。
 彼は、この春に進学したばかりの、現役大学生だそうだ。
 柊一サンと対照的に日焼けしていて、しっかり鍛えられているボディは僕も一目置くところだが、残念ながら彼は全く僕の好みではナイ。
 むしろナンパする時に一緒にいれば見栄えが良くて、僕好みの美形を引き寄せるいい相棒になりそうな感じだ。

「ケイちゃんのお客さんだぜ!」
「よお」

 柊一サンの後ろから挨拶をした、麗人・海老坂クンを見て、敬一クンは驚いた顔をしている。

「海老坂? どうしたんだおまえ?」
「どうって、遊びに来たのさ、まずかったか?」
「まずくはないが、突然で驚いた」
「ん、すまん。俺、今、下宿探ししててさ。こっち方面来て、そう言えばおまえが神楽坂でお兄さんと住むようになったって、思い出したから寄ってみた」
「なんで今頃、下宿探しなんかしてるんだ?」
「ケイちゃん、立ち話もなんだからリビング行きなよ! 晩飯は俺が作るから、ゆっくり話してていいぜ!」
「え、でも今夜の食事当番は俺です」
「いーよ、いーよ! 俺がキッチンやっとくから、ケイちゃんはエビちゃんと、積もる話でもしてなって!」
「あはは、フランクなお兄さんだな」

 いきなり勝手なニックネームで呼ばれても、麗人・海老坂クンは意にも介さぬように笑っている。

「兄さんはざっくばらんな人で、悪気は無いんだ」
「解ってるって。お兄さん、俺のフルネーム、海老坂千里っていうんです」
「えーマジ? じゃあもしかして、エビセンとか呼ばれちゃってる?」
「もしかしなくても呼ばれてます、面と向かって言う奴は、ほとんどいないけど。なあ、中師」
「エビセン? おまえそんな風に呼ばれてるのか?」

 本当に初めて聞いたようにポカンとしている敬一クンを見て、麗人・海老坂クンと柊一サンが、一緒に笑っている。
 僕好みの美形が並んで笑っていて、夢のような景色だ。

「エビちゃん面白いなあ!」
「じゃあ兄さん、お言葉に甘えて…。海老坂、こっちだ」

 敬一クンは、麗人・海老坂クンをリビングに置かれているソファへと導いた。

「こらこらコグマ! 誰がそっちくっついてってイイつったんだよ!」

 麗人・海老坂クンに付いて行こうとした僕の襟を、柊一サンがむんずと掴んだ。
 柊一サンのペントハウスのリビングはとても広い。
 キッチン部分は大きなガラスの扉で仕切られているが、リビングとダイニングには仕切りが無く、しかもフロアの半分以上を閉めている。
 麗人・海老坂クンを連れた敬一クンは、ダイニングよりもちょっと手前に置いてある、ソファセットに座ってしまったので、キッチンからは話しかける事も、二人の会話を聞く事も出来なくなってしまった。

「ケイちゃんの友達に鼻の下伸ばしてんじゃねェよ! ウチで晩飯のご相伴に預かりたかったら、支度の手伝いぐらい進んでしろつーの」
「彼、実に美しいですよね〜」

 ガラスの扉越しから麗人・海老坂クンの横顔を眺め、僕はため息混じりに言った。

「確かにエビちゃん美形だけど、それにしたって、コグマは惚れっぽすぎると思うぜ!」

 キッチンに立った柊一サンは、冷蔵庫から目についた食材をドバドバと取り出してどんどん僕に渡してきた。

「僕は博愛主義なんです」
「ただの面喰いじゃろ」
「そんなコトは無いですよぅ。そんなコト言ってる柊一サンだって、僕に口説かれて、まんざらでもなさそうだったじゃないですか」
「そんなら、目移りしィの浮気症に訂正してやってもイイぜ。このタマネギ刻んでくれ」
「タマネギは、僕にはちょっと無理です」
「ったくしゃーねーな! んじゃ、こっちのキャベツを千切りにせい。まな板も包丁も、壊したら弁償だかんな!」
「壊しませんよ」
「どーだか。乗っただけでエレベーターブッ殺した前科モンじゃろ!」

 僕がおぼつかない手つきでキャベツの千切りをしている間に、柊一サンは冷蔵庫の中にあった残り物を適当にアレンジし、更に新しい料理を2〜3品、ちゃちゃっと作ってしまう。

「ケイちゃん、出来た〜! メシにしようぜ! エビちゃんも食ってけよな〜!」

 柊一サンは出来上がった料理をパパッとテーブルに並べ、リビングのソファで向かい合っていた敬一クンと麗人・海老坂クンに声を掛けた。

「いきなり来たのに、御馳走になっちゃっていいんですか?」
「ダイジョーブ、むしろ頭数に入れて作ってあるから、食ってかない方がKYだぜ!」
「それならありがたく御馳走になります。でも俺、かなり食べますよ」
「全然OK! 若い子はたっぷり食ったがええよ!」

 ダイニングに置いてあるテーブルは、広い部屋に見劣りしない大きなテーブルで、敬一クンと二人暮らしなのに椅子が全部で十脚も置いてある。

「柊一サン、以前は一人でこのペントハウスに暮らしてたんですよね? その時から、このテーブルで食事してたんですか?」
「そーだよ」
「一人暮らしにこんなテーブル、大きすぎませんか? てか、一体いくらしたんです?」
「タダだよ。このテーブルも他の家具も、近所のセレブが模様替えをするからって捨ててたの、丸っと全部拾ってきたんさ。だから俺、自分で家具買ったコトなんかナイんだぜ!」
「そんな話は初耳です」
「だってケイちゃん、そーいうコトいちいち訊かないじゃん。俺だっていちいち説明しないから、知らなくてとーぜんじゃん」
「このテーブル、本物のマホガニーですよね。表面は象嵌だし、造りも上質だ。お兄さん、スゴ腕のトレジャーハンターですね」

 席に付いた麗人・海老坂クンが、テーブルを見て柊一サンを褒めた。

「あー、くれたセレブがそんなよーなコト言ってたかも! 俺はそーいうのは全然ワカンナイけど、テーブル欲しかったから貰ったんだ」
「おまえ家具に興味があるのか?」
「興味ってほどでもない、ちょっと知ってるだけさ」

 麗人・海老坂クンの謙虚に縁取られた微笑みは、まるで神々しい天使像のように見えた。

「そういえば、おまえ下宿探してるって言ったよな? どうしたんだ?」
「ああ、それな…。入居したトコに、出ちゃったんだよ」
「出た? 何が? まさか妖怪とか?」

 物凄く大真面目に敬一クンが言う。
 彼は物理を専攻しようとして国立大に通っているというけど、僕はしばしば、彼の知性を疑いそうになる。

「違うって。害獣だ、ハクビシンだ」
「ハクビシン!?」

 全員が一斉に聞き返していた。

「ハクビシン、イタチみたいな奴ですよ。俺もあんなもんが東京の真ん中に出るとは思わなかった。エライ騒ぎで、酷いニオイになって、ようやく捕獲してもらったケド、もう天井がダメになってて。改装に時間掛かるからって、敷金礼金返されて住めなくなった」
「そりゃあ災難だったねぇ!」
「今まで鶴巻で部屋借りてたから、近辺で探したいんだけど。こんな時期じゃ、学生向けなんて全然見つからなくて」
「だろうな。俺も兄さんが居なかったら、もっと部屋探しに困ったと思う」
「エビちゃん、ゴハンおかわりする?」
「お願いします」
「大盛り、いっちゅう?」
「ガバッとやっちゃってください」
「おまえ今もそんなに食べるのか?」
「おまえだってこれ位は食べてたろ」
「部活をやってた頃は、な。以前ほど動かないから、食べる量はかなり減った」
「部活してなくとも、トレーニングはしてるんだろ?」
「まあな、適当に動いてないと、気分がすっきりしない」
「動けば腹が減るだろう。しかもお兄さんの料理、めちゃくちゃ美味しいじゃないか。こんな食生活させてもらえたら、俺だったら毎食おかわり連発したくなるぞ。一階のカフェ、お兄さんが経営してるんですよね? お兄さんはシェフなんですか?」
「チゲーよ、店の名前はMAESTRO神楽坂! カフェじゃなくて、中古レコードの買取販売と、キッシュとピザの店! どっちもバリバリ営業中だぜ!」
「レコードとキッシュって面白い組み合わせだな。お兄さん、器用なんだ」
「ああ、一階に造り付けの大窯があって、兄さんはその窯でキッシュやピザを焼いてる」
「柊一サンのキッシュは絶品ですよ! そうだ、僕が貰ったこのキッシュを、海老坂クンに譲ってあげましょう」
「気が利かねぇなあ、コグマ! せっかく譲るなら、冷たいまんま渡すなよ!」

 差し出そうとした皿を、柊一サンが素早く奪った。

「ちょっと待っててくれな。熱っちあちのほーが絶対ウマイから!」

 柊一サンはチャッと立ち上がると、ダイニングテーブルの傍に置かれている食器棚に設置されているオーブントースターにキッシュを入れてタイマーを回した。

「柊一サンのキッシュは絶品なんだけど、あったりなかったりするし、直ぐに売り切れてしまうから、なかなかご相伴に預かれないんだよ」
「変わった経営方針だな」
「うん。俺も最初は、毎日同じように営業した方がいいんじゃないかと思ったんだが。兄さんのところに買い物に来る常連の人達は、兄さんの営業方針を面白がっているようだ。おまえもツイッターで、店のアカウントをフォローしておいたら良いぞ。この近所で部屋を借りるつもりなら、兄さんの惣菜が便利な時もあると思う」
「おまえの口から、ツイッターのアカウントをフォローなんて言葉が出てくるとはビックリだ。以前はSNSどころか、メールもろくすっぽやらなかったじゃん」
「まあな、自分でも驚いてるくらいだからそう言われても当然だ。此処に来てからまだ一ヶ月ほどだが、急に視野が広がった気がする。兄さんは物事の本質が解る人だし、店を手伝ってくれてる多聞さんも経験豊富で、すごく勉強になる」

 楽しそうに語る敬一クンの話を、麗人・海老坂クンも楽しそうに頷きながら聞いている。

しおり