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6.敬一の豹変

 翌日、新しいバイト探しに午前中を費やし、一息ついて部屋で昼メシにカップラを食っていたら、スマホにメールが着信した。
 シノさんは用事がある時はストレートに電話を掛けてくるし、DM以外はスパムしか着信しないから、普段はメールボックスは放置にしてる。
 でもホーム画面に ”中師敬一” の名前が表示されたので、慌てて中を見た。
 メールは短く、相談したい事があると書いてあったので、早速シノさんがなにかやらかしたのかとビビリつつ返信をしたら、時間があるなら直ぐにも来て欲しいと返された。
 何事かと焦りながら俺は赤ビルに向かった。
 いつもならこの時間には開いてるはずの店の扉が閉まっていて、ガラス越しに中を見ると敬一クンの姿が見えたので、扉をノックする。

「呼び立ててしまって、すみません…」
「今日は空いてたから大丈夫だよ。それより、どうしたの?」
「兄さんが逮捕されたみたいなんです」
「えええっ!」

 仰天した俺に敬一クンが話してくれたところによると、今朝までは格別どうという事は無く、午前中に敬一クンは、シノさんの勧めでシノさんのスーパーカブを借り、学校までの通学ルートを試しに走ってみたそうだ。
 往復の道のりはスムーズで、敬一クン的には此処に同居する事にかなり乗り気になって帰ってきたら、事件が発生していたという。

「一階に背広姿の公務員風の男と制服警官が居て、兄さんは制服警官に連行されてしまいました」
「なんで?」
「それが俺にもよく解らなくて。警官は公務執行妨害だと言ってましたが、そもそも俺が戻った時にはもう、その警官と兄さんが言い合いをしてたんですが、言ってる事の内容は、ただの罵り合いみたいでした。警察沙汰になってしまったなら、父に連絡して弁護士を頼んだ方が良いかとも思ったんですが、俺がそう言うと兄さんはそんな必要無いと言っていましたが、警官に連れて行かれてしまったので、それ以上は話し合う事も出来なくて…」
 そこで言葉を濁した敬一クンを見て俺は、彼はシノさんに不要だと言われたのと同じくらい、彼自身も父親に電話したくないんだろうな…と、思った。
 今までの彼だったらシノさんが何と言おうと、きっとすぐに父親に連絡して、弁護士の手配をしたのだろう。
 でも初めて父親の意向に逆らって父親の元から離れて来た途端に、遭遇したトラブルに立ち往生して父親に連絡してしまったら、やっぱり父親の庇護するレールに戻れと言われるに決まってる。
 なんとかしてあげたいのは山々だが、なんせ話がサッパリ解らない。

「その、公務員風の男ってのは、なんだったの?」
「判りません。ずっと黙っていたし、警官と一緒に去ってしまったので」
「う〜ん…」

 困りながらキョロキョロしてみると、レジカウンターの上に真新しい名刺が一枚放置されていた。
 それを手に取って、なんとなく事態が見えてきた。

「敬一クン、公務員風の男は、税務署員だよ」
「え?」

 名刺を手渡し、俺はカウンターの周囲を更に探しまわって、散らかっていた数枚の書類を拾い、それらを敬一クンに差し出した。

「この店、まだ始めて一年ちょいなんだよね。俺もうっかりしてた。昨日も言ったけど、シノさん数字を見ると怒り出すから、たぶん、督促状を無視してたんだと思う」
「でも税務署の職員が、警官まで連れて来るでしょうか?」
「この近所の交番に居る巡査、俺らの幼馴染なんだけど、ちょっとシノさんとは確執があってね。でもイロイロ気には掛けてくれていて、時々巡回に来るんだよ。税務署員とモメてる時に通り掛かったんじゃないかな。とにかくこの名刺の番号に連絡を入れて、事情聞いてみよう」

 名刺に書かれていた電話番号に連絡を入れると、状況は、ほぼ俺が想像した通りだった。
 書類を何度郵送してもシノさんが何もしないので、名刺の税務署員が直に訪問したところ、意味不明なほどシノさんが怒り出し、暴れそうになったところへ警官が飛んできて、シノさんはそちらへ連れて行かれたと、電話口で税務署員が説明してくれた。
 まあ税務署員もいきなりシノさんのアレをやられたら、ビックリした事だろう。

「多聞さん。兄さんが数字を見ると怒り出す…って言うの、具体的にどういう事なんですか?」
「うん…シノさんのコト悪く思われたくないんで、あんまり話したくなかったんだけど…こうなったら隠してらんないね。シノさん、数字がまったくダメなんだよ」
「怒って喧嘩になるほど計算がダメなんですか?」
「計算じゃなくて、数字。自宅の電話番号とか住所の番地とか、全然覚えられないんだよ。でも頭が悪いワケじゃないんだよ? ほら、必要なら、調理師免許でもなんでも、ちゃんと取れるんだからさ。ただ、数字を覚えるのが極端に苦手で、そのせいで間違ったり面倒が起きたりするから、ますます数字嫌いになってて。でもってその悪循環が、超悪化してるの。もう数字覚えたり考えたりするのを放棄してる。放棄してるのに目の前に突き付けられると、怒り出すワケ」
「なるほど。でもこんな小ぢんまりとした商店の経理関係は、経営者がやらないと利益にならないでしょう」
「敬一クン、零細商店の内情なんてよく知ってるね」
「家庭教師が付いていて、経営の勉強もしてましたから」
「そっかぁ…。やっぱり秀才は違うなぁ…」

 俺が薄らぼんやりと呟いた言葉を遮るように敬一クンが言った。

「多聞さん、ここのレジを開けてもらえませんか? 経理の内情を見させてもらいます」

 敬一クンの顔つきは、今までのお坊ちゃんお坊ちゃんした、のほほんとした様子とはまるで違っていた。
 俺は敬一クンの豹変に驚きつつも、とにかく税務の事から片付けないとどうにもならないのが判ってたので、”勝手知ったるナントカ” で、レジを開けた。
 そこで俺と敬一クンで【MAESTRO神楽坂】の原価計算やら帳簿付けをし始めたのだが、シノさんの帳簿は見事にメチャクチャだった。
 オマケにシノさんの散らかし体質も遺憾なく発揮されてて、領収書やらなんやら、申告に必要な材料の置き場所もメチャクチャだった。
 けど、逆にシノさんの溜め込み体質も発揮されていて、肝心な物が結構ちゃんと残ってた。
 メチャクチャな置き場所に関しては、シノさんをプロファイル出来る俺が、シノさんならこの辺に放り込んでありそうだな…って要領で探し出したのだが、それ以外の作業に関しては、敬一クンの手腕にひたすらたまげた。
 社会経験も殆どない未成年で、本人は経営よりも物理に興味があると言っているのに、役所のワケワカラン書面をどんどん処理してしまい、ちょっと解らない部分があってもネットでガンガン調べてしまう様子は、とてもじゃないがネットで物件探しが出来ると思ってなかった人間と、同一人物と思えない。
 元々がキリリとしたイケメンなので、それが集中してPCを操作し書類を捌いていく横顔は、正直とても年下に見えなくて、オッカナイくらいにカッコ良かった。
 シノさんの隠し玉探しをした後の俺は、ほぼ呆気にとられて敬一クンの作業を見ていただけだ。
 シノさんの溜め込み体質でレシートを始めとする申告に必要な物はある程度揃っていたが、しかし全く整理されていないクッチャクチャの、かなりゴミと紙一重状態だったそれらの材料を使って、敬一クンは驚くほどの短時間で書類をまとめ、あっという間に税務署が納得する内容の申告を済ませてしまった。

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