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4.MAESTRO神楽坂

 俺は自転車を引っ張り出して、それを引きながら商店街に出た。

「最近は観光地みたくなってるけど、商店街にはフツーのスーパーもコンビニもあるし、本郷の学校に通うならイイ場所だと思うよ」
「来る時に車窓から見えたのが、洒落た観光地みたいな雰囲気だったので、俺が住める場所か心配だったんですが、それを聞いて安心しました。ところで柊一兄さんは、レコード店を経営していると言っていたような気がしたんですが、店を開けて料理するって、どういう意味ですか?」
「ああ、まだペントハウスしか見てないんだっけ? あのビル、一階の奥にデッカイ窯があるんだよ」
「窯?」
「あのビルはこの辺りの地主が、趣味のパン屋だかなんだかをやるのに建てたんだって。赤レンガなのも見た目だけじゃなくて、建物全部ちゃんとレンガ造りになってる。で、一階に造り付けの大窯があって、パンでもピザでも焼けるんだ」
「なるほど…」
「うん。シノさんはあのビルの外観が気に入って衝動買いしたんだけど、衝動買いの理由の半分くらいは、その窯が気に入ったのもあるね」
「ビルを衝動買い? 柊一兄さんは何をしてる人なんですか?」
「本人が言ったとーり、中古レコード店だよ。ビルを買ったのはクジが当たったからさ。高校出た後しばらくバイト生活してて、いきなり宝くじだかサッカーくじだか当てたんだ。ホントはなんのくじがいくら当たったのか、俺は正確に知らないんだけどね」
「それは凄い」
「確かにスゴいよ。場所が場所だけに、くじで当たったお金だけでビルなんて買えないだろうって俺は思ってたんだけど、なんか丁度、地価がめっちゃ下がってた時でさ。それに普通は平地にしてからの方が価値が上がるらしいんだけど、あのビルを解体するのはモノスゴクお金が掛かるらしくて、それに持ち主の方も急いで売りたかったらしくてね。シノさんはトントン拍子で買っちゃったみたい。リフォームも業者が最初の一年の間は、リフォームの見本にさせてくれるなら割り引くって話になって、シノさんの希望を聞いたら業者の方も面白がっちゃって、ノリノリでやってくれたんだよ」
「凄い強運の人なんですね」

 話をしながらスーパーに入る。

「運もスゴいけど、シノさんスゴい凝り性でさ、一度スイッチが入ると、ホンット細かいトコまで拘るっつーか。シノさんが窯で焼いたものは、マジで美味いよ」
「それは楽しみです」
「ただ、その窯…ってゆーか、窯の煙突があるから、ビルの北側には窓が無いんだって」
「ああ、それで真ん中の居室には全く窓が無かったのか」
「敬一クン、ビールどれがイイ?」
「いや、俺はまだ未成年なので」
「あ、大学生って、まだそうだったっけか。じゃあペットボトルでお茶を買うけど、なんか好みある? シノさんは麦茶派なんだけど」
「同じもので構いません。食べ物の好き嫌いはほとんど無いので、大丈夫です」
「それは助かる。シノさんは偏食がメッチャ酷くて、色々面倒…」

 そこまで言い掛けて、これ以上言っちゃうとまたシノさんの点数下げそうでヤバいと気付き、話題を変える。

「敬一クン、体格イイよね。なんかスポーツとかやってるの?」
「高校まではバスケ部で、趣味でサーフィンもやってました」
「過去形だけど、大学では続けないの?」
「両立出来るほど器用じゃないんで、今後は勉強に専念しようと。でもスポーツは好きだから、気晴らしになるよう続けたいと思ってます」
「気晴らしか…なるほどね」

 敬一クンの言葉は別世界的にハイソなのだが、本人がおっとりしている所為か、全然嫌味がなくて、それどころか内容のカッコよさが、ますますシノさんを喜ばせそうだ。
 買い物を済ませて荷物を乗せたら、自転車のタイヤが三角形になったんじゃないかと疑いたくなるほど動かなくなった。

「今こそ、神楽のチカラが必要だ…」
「なんですか? カグラノチカラって?」
「ああ、いや。神楽坂って、地名は、津久戸明神が、牛込に移転した時に、お神輿が重くて、坂を、登れなかっ…てくて、…そんで…、神楽を、演奏したら、お神輿が、軽くなっ…、ラクに、登れる、ように、なった…って……」
「自転車、俺が押しましょうか?」
「ああ…、押して…、もらえると…、助かる……」

 俺は肩でゼーゼーと息を切らせながら、ちょっとだけ立ち止まった。
 すると俺から自転車のハンドルを受け取った敬一クンは、タイヤは当然丸いと証明するみたいに、スタスタと坂を登っていく。

「なるほど、それで神楽坂って言うんですか」
「いや、諸説、あるらしい、けどね。ただ、俺は、その説が、好きで」

 自転車を押していないのに、俺はまだ息が切れている。

「多聞さんのお仕事は?」
「情けない事に、バイト暮らしでね」
「今日は休みだったんですか?」
「ん〜、まぁ、そんなモンかな」

 ヘヘっと笑って、俺は言葉を濁した。
 敬一クンを迎えに行くために、シノさんに無理矢理呼び出され、バイトをクビになった…なんて話をしたら、敬一クンには恐縮されちゃうだろうし、話したコトがシノさんにバレたら殺されかねない。
 赤ビルに戻ると、正面の扉が開かれていて、開店準備が整っていた。


 
挿絵




「ここ…本当にアナログレコードの中古販売店ですか?」
「まぁこの店を見たら、だよね…」

 思わず苦笑いしてしまう。
 なぜなら、シノさんの経営している中古アナログレコードの買取販売店【MAESTRO神楽坂】は、誰が見たってシックでレトロなお洒落カフェにしか見えないからだ。
 エレベーターの金属枠と同様に、入り口の重い木製の両開きドアも、上部にはアールデコ風の金属枠に厚手のガラスが嵌め込まれているものだし、正面入り口の左右にはレトロな照明が壁に取り付けられている。
 テラス側のフランス窓もアールデコ調の鋼鉄枠で、全面ガラス張りだ。
 日和が良い春先や秋口なんかは、それを全開にするのだが、すると洒落たアンティークの家具が並ぶ店内が、殆ど一望出来る。
 敬一クンは、テラスに並べられている観葉植物のプランターと木製のカフェテーブルと椅子を眺めて、目を瞬かせた。
 内装は、シノさんが一人でアナログレコード店をやっていた頃は、乱雑と言うかぞんざいと言うか、アールデコもレトロもシックもお構い無しにとにかくシノさんが金も労力も掛けずに、思いつきだけでやりたいようにやっていた感じだったが、色々あって今は綺麗に整っている。
 店内の家具や調度品はアンティーク調に揃えられていて、L字型のレジカウンターの向こう側の重厚な棚には外国製の茶葉の缶とかコーヒーサーバーなんかが並べてある。
 そんなカフェ然とした店の奥側に、レコードの試聴席がパーテーションで仕切られていて、そちらの壁際にはアナログレコードが一面にズラッと並んだ棚が設えられているし、天井から下がっている洒落たライトの脇には、高性能なBOSEのスピーカーが設置されていて、シノさんの音楽データや店のアナログレコードプレーヤーから音楽を流せるようにしてある。
 俺は点在するテーブルと椅子の合間を縫って、敬一クンを厨房に案内するように先に立って歩いた。

「実は、この店にはレコード目当てのお客さん、殆ど来ないんだ。造り付けの大窯があるって言ったでしょ? シノさんが表のテラス席…前はただシノさんの椅子とテーブルが置いてあっただけなんだけど、そこで自分で焼いたキッシュ食べながら好きなレコード掛けてたら、通り掛かりの男にキッシュの販売を勧められて、こういう店になったんだよ」
「柊一兄さんはピザ職人かなんかなんですか?」
「違うよ」
「それじゃあ、個人で作った食品を販売しているんですか?」
「いや、衛生局の許可証はあるし、調理師免許も持ってるよ。だから、販売するのは全然問題無いんだけど。けど、職人じゃあないよ」
「それはどういう状態なんでしょうか?」
「つまりシノさんは、自分がやりたいコトだけは必ず実現する男…つーか。調理師免許も、キッシュの販売を勧められた後に取ったんだもん。勉強嫌いなんだけど、ムッチャ勘がイイつーか、強運つーか、試験は一発合格だった」

 敬一クンはシノさんのメチャクチャ伝説にもう慣れてきたのか、感心したように頷いているだけで、さほど驚いてないようだ。
 ちなみに、シノさんにキッシュの販売を勧めた男に、俺は一度も会った事が無い。
 シノさん曰く、いつも大きな花束と、広尾や恵比寿辺りの洋菓子店で限定販売されているケーキを持って、シノさんが一人で店番をしている時に現れる…らしい。
 なにその偽物の紫のバラの人みたいの…と言いたくなるが、それをシノさんの作り話と一笑に付してないのは、花束と洋菓子という物的証拠が必ず残っているのと、シノさんがそんな限定菓子を買いに早朝から出掛けるとなったら、必ず俺が呼び出されるはずだからだ。
 それに衛生局の許可証を取るには、当然の事ながら面倒な役所の手続きが必要になるし、調理師免許は国家資格だから、受験資格の実務経験は絶対条件だ。
 一般的には、どっかの飲食店に勤めて実務経験を積むか、もしくは養成学校などに通えば済む話だけど、バイトもまともに勤まらないシノさんが飲食店で働くなんて不可能だし、あの時点では既にあぶく銭は使い果たしていただろうから、養成学校に行くようなお金は持っていなかったはずだ。
 更に、それらのハードルをクリアした後に、あんだけシッチャカメッチャカだった店内を、こんなに趣味の良いしかもかなり金が掛かってるアンティーク家具で揃えるなんて、シノさん一人じゃ絶対に出来るはずが無い。
 こんな洒落た店がすっかり準備万端整って、俺が知った時にはもう開店出来る状態になっていたのだから、その物好きな男は本当に実在するのだろう。
 ちなみに中古レコード販売を始めるにあたっては、店を出すための雑用のほとんど全部、シノさんが俺に丸投げだったのは言うまでも無い。
 カフェフロアから廊下を通って厨房に入ると、シノさんは一番奥にあるデッカイ窯にボンボコと薪を放り込んでいた。
 奥の厨房は、シノさんが五階をペントハウスにリフォームした時に、窯だけ業者に手入れをさせただけだったのを、カフェを始める時に大々的にリフォームをして、キッチンの一式は最新式のピッカピカな設備が整えられている。
 が、基本的にシノさんは窯でピザとキッシュを焼く以外の事はあまりしてないので、それらの立派な設備はかなり宝の持ち腐れ感が強い。

「材料、色々買ってきたよ」
「よっしゃー! そんじゃ俺、ケイちゃんに激ウマピザをゴチソウするぜ!」

 普段はグータラだけど、こういうノリノリの時のシノさんは、実にキビキビと作業をする。
 シノさんは本場のピザ職人顔負けにドウをぐるぐる回しながらブン投げて、平たく伸ばし、バッサバッサと具を載せると、ガンガンに熱くなってる窯の中にそれをどんどこ放り込んだ。
 敬一クンがまた、感心した顔でそれを眺めている。

「柊一兄さん、本職のピザ職人にしか見えないな…」
「ケイちゃんさぁ、いちいちシューイチにーさんって呼ばなくてもいーよ。にーさん、俺しか居ないんだし! てか、話し方もフランクでいーぜ。俺らキョーダイなんだし!」

 兄さんで兄弟をやたら強調しつつ、シノさんはそこで、どんどこどんどこピザやらキッシュやら、デニッシュ生地にクリームとフルーツを乗せた小洒落た菓子パンやらを、焼いて焼いて焼きまくっていく。
 シノさんの気合いが入ってるのは、件の ”最新式設備” なガスオーブンを使ってデニッシュパンまで焼いているのを見ても、よくワカル。

「兄さん。御馳走してもらえるのは楽しみなんですが、そんなにたくさん作ってもらっても、さすがに食べきれないかと…」
「でぃじょぶだよ〜、これは見本じゃから。ケイちゃんが食べたいの選んだら、後のは売っちまうからさ〜」
「ああ、それなら…。でも急に作って、そんなに簡単に売れるんですか?」
「でぃじょうぶ〜、たぶん売りる〜」

 シノさんが大活躍している間に、俺が敬一クンにこの店の事をざっくり説明した。
 【MAESTRO神楽坂】は、シノさんがあぶく銭を手に入れた事によって、赤ビル購入と同時に趣味のレコードコレクションを更に充実させるために始めた店だ。
 そもそも俺とシノさんは若かりし頃にロックバンドで一花咲かせる一歩手前までいった事があるのだが、当時からの知識とシノさんの ”野生の勘” を合わせたセンスのおかげで、ネットでの店舗はロック系のアナログレコードを収集している一部のツウに非常に支持されている。
 だが実店舗は殆ど開店休業状態で、だからシノさんは昼間からキッシュを噛じりつつ、好きなレコードを聴いたりしていたのだ。
 そしてレコード店に、シノさんがその日の気分で焼いた物を売るカフェを併設したところ、これまたネットで支持を集めているブロガーがたまたま食べに来て、その記事をきっかけに神楽坂を特集した雑誌などにちょこちょこ紹介され、こちらもまた ”知る人ぞ知る” 隠れ家カフェになった。
 隠れ家どころか、レコード店は開店休業状態でも週休二日で営業しているが、シノさんカフェの方は全くの不定期営業で、隠れる以前の状態だ。
 なんたってシノさんの気分と機嫌で、商品があったりなかったりする。
 商品が無い場合、大概のお客さんはガッカリしつつも大人しく帰って行くが、場合によって女性客というのは、モノスゴク強引に出る。
 せっかく来たのにと怒って文句を並べ立てたり、更に強引な場合「今直ぐに焼きなさいよ!」などと言い出す豪の者までいる。
 だが強引な事ではシノさんも百戦錬磨のおばさんに勝るとも劣らないので、すかさず「とっとと帰れ! ババア!」などと怒鳴り返して、店頭で大喧嘩になったりするのだ。
 シノさんは検挙された事は無いが、近隣の警察関係とビミョ〜に反りが合わないので、そこにお巡りさんが登場してしまうと、無駄に話がこじれて大変な事になる。
 そこで俺が考案したのが、シノさんにSNSを使わせる事だった。
 掲載雑誌には「お店の営業は不定期! 出掛ける前にお店のツイッターをチェックしてね!」と書いてもらうようにお願いして、シノさんにアカウントを作らせたのだ。
 そして窯から焼き上がった商品を、スマホで写真に撮って呟かせる。
 すると雑誌や店頭でシノさんのアカウントをフォローしている人達が、呟きをチェックしてやってくるのだ。
 予約不可で早い者勝ちなので、なかなか競争率は高い。
 基本的に持ち帰る客の方が多いが、店頭がカフェの仕様になっているので、そこで食べる客も居て、そういう人達には半セルフでお茶とコーヒーのサービスもしている。
 そして、シノさんは奥で商品をどんどん作っているから、接客は俺がやらざるを得ないってのが鉄板の流れなのだ。
 今もシノさんが窯から出したばかりのピザやらキッシュやら菓子パンやらを呟いた途端に、後から後から客が来て、敬一クンは魔法を見ているような顔をしていた。
 でもそんな顔をしていられたのは初めのうちだけで、すぐに店がモノスゴク忙しくなったから、俺と一緒に売り子と言うかウェイターと言うか、とにかく手伝わねばならない事になっていた。
 だがどんなに忙しくなっても、商品がなくなったところで完売の旨を呟くと、客はピタッと来なくなる。
 最後にシノさんは、敬一クンが食べてみたいと言ったピザやキッシュを自宅用に焼き、窯の火を落とした。

しおり