バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

3.シノさんのペントハウス

 
挿絵




 俺がぜいぜい言いながらペントハウスのリビングに入ると、シノさんが敬一クンに、得意気になって家の中を見せていた。

「リビングからバルコニーに出られっけど、窓がデカイから明るいんだぜ」
「ベンチプレス台があるんですね。こっち…は、何の道具ですか?」

 敬一クンは、ハンガーやらバッグやらがいい加減に引っ掛けられている健康器具を見て言った、
「それはぶら下がり健康器。懸垂すんのに買ったんだけど、今は部屋干しすんのに活躍してるんだぜ」
「部屋干し…。なるほど。じゃあ、こっちの機械は?」
「そりゃスタイリーだ。ワタシニ電話してクダサーイってオッサンが売ってた、アレだ。やると結構オモロイから、今でも時々やってんだ」
「え? ええっと…誰に電話を?」

 俺はシノさんの脇腹を突いた。

「そんな大昔のCMネタ、若い人にわかるわけないでしょ」
「んっか」

 シノさんはギャグが不発だったのがつまらなかったのか、コロッと話題を変えた。

「乾燥機が使えねェ洗濯物は、ここのバルコニーより屋上の物干し使った方がいいぜ! エレベーターの機械室があるだけで、風通しがめっちゃイイから、バルコニーに干すより早く乾くし!」
「それと、シノさんの趣味の菜園ね…」

 俺の補足に、シノさんはピッと親指を立ててサムズアップをしてみせた。

「菜園が屋上にあるんですか?」
「ちぃと大きめのプランターに、色んなハーブとか野菜を植えてんだ。買うと高いヤツとか、あんまり売ってないヤツとかさ。自慢の鉢はサフランだぜ!」
「本当に広いし、眺めもいい」

 敬一クンは、つくづく感心するみたいに呟いた。
 赤ビルの周辺にも、タワーマンションモドキみたいな建物は結構あるのだが、この辺りは高低差が結構あるので、窓の外の景色はおしゃれなアーバンライフ…って感じで、此処に至るまでの路地の狭さからは想像出来ない開放感がある。

「ケイちゃんが結婚して、マゴが出来たって収納出来るぜ!」
「残念ながら、今のところそんな予定はありません。付き合ってる人もいませんから」
「えー、マジ?」
「まったく無縁です。ずっと部活ばっかりやっていて、女性と話する機会もほとんど無かったし」
「ふぅん…」

 敬一クンは苦笑してるが、こんな出来たイケメンにカノジョの一人も居ないなんて、俺にも意外だった。
 シノさんは顎を撫でながら敬一クンの顔を見て、ニカニカしている。
 ペントハウスとシノサン自慢の屋上を見て回り、シノさんは最後に敬一クンをキッチンに案内した。
 そしてそこでコーヒーを淹れると、それを持ってリビングのソファに向かい、ようやく腰を落ち着けたのだった。
 このリビングには、ソファセットが二箇所に設置してある。
 一つは大画面テレビの前に、イエローグリーンのソファがカウチポテトするために置いてあって、ソファ周りに小物が置けるようになっている。
 もう一つはコーヒーテーブルを囲む形に置いてあるナチュラルグリーンでL型の物なのだが、同じソファがなぜか三台もあって、どっかの企業の応接間みたいにセッティングされている。
 シノさんは一人暮らしだし、そもそも客なんて俺ぐらいなモンだと思うのだが、最初の時からソファはそうやって二箇所に置かれていて、なぜと聞いてもハッキリした答えは返ってこない。
 テレビの前のソファは、年中シノさんがゴロゴロしているのを見かけるが、こっちのコーヒーテーブルのヤツは使ってるのを見た事が無く、本当になんのためにおいてあるのやら? と思っていたのだが、今回はそこがバッチリ活躍して、シノさんは敬一クンをナチュラルグリーンのソファに座るように促した。
 L字型のソファは三台あって、シノさんが座面の広い端にあぐらをかいて座り、敬一クンはシノさんと同じソファに一つ席を空けて座り、俺はその隣の別のソファに座った。

「そんで、ご感想は?」
「う〜ん、確かにこれは魅力的な物件だな」
「だろ、だろ? 俺、このビルの一階でアナログレコードの中古販売店やってっから、固定の電話もあるし。ケイちゃんの親父さんだって、自分の女房の息子と自分の息子が仲良くするの、嫌がったりしないだろ? メシマズはなんかゆーかも知んねェけど、でも俺はマジでパクられたコトは無ェから大丈夫だよ」

 最後の方の言葉は、むしろ敬一クンをたじろがせるような内容だった気もするケド、どうやら敬一クンには意味が通じてなかったみたいだし、それにシノさんの言葉はまんざら嘘でも無い。
 未成年の喫煙やら万引きやら無免許運転やら、いわゆる不良少年がする軽犯罪の殆ど経験済みで、実は近在の派出所からは、かなり大きな花マルでマーキングされているシノさんなのだが、実際に検挙された事は一度も無いのだ。

「電車にしろバイクにしろ、こっからならガッコ通うのも便利だと思うぜ! ところでケイちゃん。今日はどこ泊まる予定なの?」
「実家に戻るつもりです」
「ええー! じゃあ毎日鎌倉から物件探しに来る気だったの?」
「宿泊するより、電車料金の方が安いので…」
「フツーさぁ、ネットとかでリサーチとか下見とかしてくるんじゃないの?」
「インターネットで物件探しなんて出来るんですか?」
「イマドキ、スマホからだって出来ンじゃね? てか、その歳になって家のパソコンに子供用の安全ロックとか、してないよなあ?」
「安全ロックの掛ったパソコン? それって何ですか? 動かせないように固定かなんかしてあるんですか?」

 今度は俺が、敬一クンの返事にビックリした。
 さすが物理学専攻なんて言ってるだけあって、箱入りっちゅーかなんちゅーか…これっていわゆる一般的な知識が欠落した、学者バカってタイプなのかな。
 見た目はちっともそんな感じじゃないけど…。
 俺はたまげたけど、シノさんはますます面白がっているようだった。

「とにかくいちいち実家まで帰るコトないって。俺のベッド超キングサイズだから、ケイちゃんが一緒に寝てもまだまだヨユーあるぜ。一緒に飯食って、今夜泊まってみて、ココの住み心地を試してみなよ! 鎌倉のメシマズには電話でそう言っときゃ済むじゃろ」
「そう言ってもらえるなら、お言葉に甘えて泊まらせてもらいます。俺も柊一兄さんと懇意になりたいし。それに、実を言うと友人達にはもうこの時期じゃ、まともなところに空いてる部屋なんて無いかもしれないと言われてたんです」
「よっしゃー、そうこなくっちゃな!」

 やっぱりシノさんは、敬一クンが自分の意見を素直に受けるのが嬉しくて仕方ないのだろう。
 話が決まったので、敬一クンはiPhoneを取り出し、実家に電話を掛けたようだ。

「…はい、大丈夫です。柊一兄さんには本当に色々と良くしてもらってます。…あ、じゃあ柊一兄さんに代わります」
「うい? 俺は、メシマズと話すコトなんかねェよ〜」

 『誰がメシマズよ! このイカレた怠け者のバカ息子っ!』
 敬一クンはただの親切心でスマホをシノさんに差し出したのだろうけど、シノさんの返事をしっかり耳にした椿サンは、スピーカーにしたのかと思うほどのデカイ声でシノさんを叱り飛ばした。
 おかげで俺は、久々に椿サンの怒声を聞くハメになってしまった。
 シノさんはビックリして固まっている敬一クンの手からスマホを取り上げると、そこで猛スピードのディスカッション…と言うか、そっくり母子の怪獣大戦争を始めてしまったので、俺はコーヒーカップを片付けるフウを装って立ち上がった。
 そして、ゴジラ対キングギドラの戦いを呆然と見ている敬一クンに、見てても仕方ないからと声を掛け、無理やりそこから引き離した。
 ペントハウスのキッチンは、シノさんがこのビルをリフォームする時に一番チカラを入れていた場所で、かなり広い。
 コの字型のシステムキッチンの中央に、半円形をした作業台があり、キッチンとリビングの間には大きなガラス製の縦長の仕切りと言うか、屏風型の扉が付いている。
 普段はその仕切り扉の一箇所だけ開けてあるが、全開にするとダイニングとキッチンが一つの部屋みたくなる造りだ。

「おかあさん…、あんなに鉄火な所がある人だったのか…」
「アレを見たの、初めてなんだ」
「俺は、おかあさんに叱られた事が無かったので…」
「あ〜…、でも仕方ないかな」
「何が、ですか?」
「ネコ被りが完璧なんだよね、シノさんも椿サンも。ってか、なにもかもがソックリってゆーか…」
「…タモリさん、でしたっけ?」
「タモンだよ、多聞蓮太郎」
「すみません。俺、人の名前とか顔とか覚えるのが苦手で…」
「俺もそーいうトコあるから、大丈夫だよ」
「申し訳無いです。それで多聞さんは、柊一兄さんの幼馴染だと言ってましたよね?」
「幼稚園にあがる前からの腐れ縁だなぁ」
「じゃあ本音で訊かせてもらいたいんですが、柊一兄さんは、会ったばかりで人となりも解らない俺と、本当に同居がしたいんでしょうか?」
「ん〜、確かに会ったばっかだけど、俺から見てもキミはイイ印象だし、シノさんも敬一クンが相当気に入ったんだと思う。シノさんはそーゆートコ、ハッキリし過ぎなくらいハッキリしてっから、自分が乗り気じゃなかったら、家に連れてきたりしないよ。それにもっとぶっちゃけると、俺もシノさんのコト、おばあちゃんが亡くなってから一人でほうっておくの危ないな〜って思ってたから、敬一クンが同居してくれたらイイと思ってる」
「危ない?」
「あ〜、う〜んと。コレ本人に言うと怒るから、言わないようにしてるんだけど、シノさんすっごい数字が苦手なんだよね」
「計算が苦手なんですか?」
「いや、計算とかいうレベルじゃなくて、数字がね、覚えられないんだよ。数字の話をすると怒り出すんだよね」
「はあ?」
「まぁしばらく一緒にいれば、ワカルと思うケド…。でもシノさん、敬一クンのコトはかなり気に入ってるみたいだから、暴れたりはしないと思う…たぶん」
「数字の話で怒って暴れるんですか?」
「数字だけじゃなくて、言葉より先に手が出るタイプで…って、こんな説明ばっかしてると、敬一クンがドン引きするよーな話ばっかりになっちゃうんだけど…。ホント、イイ奴なんだよ? ただ悪いトコが、悪目立ちするっつーか…説明しづらい性格で」
「はあ……」

 敬一クンは、困ったような考えこむような、なんともいえぬ表情になってしまっている。
 まぁ、当然だろうけど…。
 でもシノさんが引き止めたいと思っている敬一クンに好印象を与えて、シノさんの点数を少しでも上げようとしたつもりが、全く逆効果になっている事に俺は焦っていた。
 俺がここでアレコレ言ったのが理由で、敬一クンが同居しなくなった…なんてシノさんに思われたら、オソロシイ事になる。

「えーと、えとえと…。それじゃあ、俺のケータイ番号とメアドを教えとくよ。一晩位なら平気と思うけど、敬一クン的に理解不可能な行動を取り始めたら連絡して。下宿からなら三分ぐらいで来られるからさ」

 カップを洗って棚に戻し、俺と敬一クンがリビングに戻ると、シノさんはブツブツ言いながらスマホの通話終了のボタンを押しているところだった。

「あーもー、うるせぇババアめ! ケイチャンに変なコト吹き込んだり、ワルイ遊び教えちゃダメよ〜だってさ! あ、ケイちゃんスマホ、サンキューな」
「そんでシノさん、今日は店どうするの?」
「ん〜? ああ、そっか。じゃあ、まぁ、ちょこっと開けて…、そんでケイちゃんにゴチソウ作るぜ! レン! 買い物行ってきて!」
「タマゴとホウレンソウ?」
「んにゃ、今日はピザも焼く! フルコースでおもてなしすっから、フル材料調達してきて!」
「解った」
「買い物に行くなら荷物持ちをします。本当に此処に住むとなれば、近所の様子も見ておきたいので」
「そう? じゃあ一緒に行こうか」

 シノさんは、俺が敬一クンを連れて行ってしまうのが不満そうだったけど、敬一クンが自主的に着いて来てしまうのだから止めようもない。

しおり