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2.義弟の敬一

 銀の鈴は、修学旅行の時に集合場所だったからスグ判る…と思っていたが、すっかり様相が変わっていて、構内をグルグル迷ってしまった。
 とはいえ、シノさんが言う通り ”銀の鈴” は鉄板の待合せ場所なおかげで、構内の案内表示をきちんと見る事によって、なんとか辿り着く事が出来た。

「もしもーし! ケイちゃん? 俺、今、手ェ上げて振ってるんだけどっ!」

 スマホに向かって喋りながらシノさんが、むやみに手を上げてブンブン振り回す。

「あ、柊一兄さんですか? 迎えに来ていただけて、助かります」

 真後ろから声を掛けられて、俺達は振り返ったのだが。

「ケイちゃん?」
「はい、敬一です」
「うわー、デッケェなぁ…!」

 俺とシノさんの前に現れたのは、こちらがビビってしまうほど正統派のイケメンだった。
 日焼けした顔は落ち着いていて大人っぽく、180cmを越える長身がラルフ・ローレンの紺ブレをスポーティに着こなしていて、肩幅の広さや胸板の厚さがジャケット越しにも窺い知れる、見事に凛々しい青年だ。
 だが実を言うと、俺とシノさんが銀の鈴に着いた時から、彼はそこに居た。
 だけどシノさんから聞いた彼の情報…つまり「幼少時は小っちゃくて可愛い美少年で」とか「私立の一貫校にかよっていたのに、いきなり方向転換して国立大に現役ストレートで合格した」とかって話から、俺は ”小柄で細っこい秀才クン” をイメージしていた。
 それに、もっと正直に言ってしまうと、彼の容姿を形容するのに ”大人っぽい” って言葉はかなり飾った言い回しで、かなり贔屓目に見積もっても、彼は20代後半に見えた。
 だから、そこに居た彼がシノさんの言う敬一クンだったなんて、想像もしなかったのだ。
 俺は身長だけは無駄に190cmを越えてるので、辛うじて見降ろされずに済んだ。
 でも自称172cmのシノさんは、実際は170cmに欠けているので、完全に敬一クンを見上げている。
 しかし見降ろされずに済んだ俺だって、ガリガリに痩せているので、肩幅も二の腕の筋肉も、敬一クンの半分も無さそうだ。
 彼の拳骨を食らったら、俺は確実に骨折するだろう。

「お久しぶりです。お忙しいところ、手数を掛けさせてしまってすみません」
「そりゃいーんだけどサ。それにしてもあの小っこい美少年が、ちょーデッカクなってて、ちょービックリだ」
「美少年? 誰の事だろう?」

 真面目な顔で首を傾げている。
 言葉も態度も折り目正しく立派だが、しかし見掛けの精悍さを裏切って、かなりの天然かも…。

「こっちは多聞蓮太郎、俺の幼馴染で、今日は運転手してもらってんだ」
「はじめまして、中師敬一です。今日はありがとうございます」
「ナカツカサ? あれ、なんでシノさんと苗字が違うの?」
「シノノメは俺の親父の苗字で、ナカツカサは再婚相手の親父さんの苗字さ。俺の戸籍は動かしてないから、俺はシノノメ。でもケイちゃんはババアの義理の息子なんだから、俺の義理の弟でイイじゃん!」

 ややこしい家族構造で誤魔化そうとしているが、要するに ”弟” が欲しいシノさんが、戸籍上では赤の他人である敬一クンを、強引に ”弟” に仕立てている…というのが俺の中の結論だった。

「敬一クン、昼飯は? この辺のレストランか、または途中でファミレスかどっか寄る?」
「昼は電車に乗る前に済ませました。迎えに来てくださった上に気まで遣わせてしまって、すみません」
「ケイちゃん、そんなにかしこまる必要はねェぜ。俺ら兄弟なんだし、レンと俺は幼馴染だから、コイツは准兄弟みたいなモンだ」
「なんなのその、補欠みたいな扱い…」

 パーキングに停めてあったフィアットに戻ると、シノさんは少しだけ迷ったようだが、敬一クンが持っていたバッグを素早く取り上げると、後部シートに乗り込んだ。
 どんな時でも強引マイペースで自己中のシノさんが、自分より体格の勝る敬一クンに助手席を譲った事に、俺はちょっと驚いた。

「シノさん、後ろでいいの?」
「俺は後ろ座席がイイんだ!」

 もしかしてこれって、シノさんが ”お兄さんぶっている” のか?
 敬一クンはシノさんと俺の会話を不思議そうに見ていたが、俺が指でチョイチョイと助手席を示すと、黙ってそこに乗った。
 車を発進させると、シノさんは助手席と運転席の間から顔を出してきて、敬一クンに話しかけた。

「ケイちゃん、下宿の目当てとか、希望とか、あんの?」
「学生寮があればそこに入りたかったんですが、本郷キャンパスには無いようなので、これから他を探します」
「学生寮? なんで? せっかく親元離れたんだから、もっと、こう、パァ〜っとサ! 管理されないトコのほーがよくね?」
「自炊した事が無いんで、賄いが無いと困るんです。だから希望といえば、食事付きの所かな…」
「ええっ! じゃあケイちゃん、ずっとあのメシマズババアの飯食ってたの!?」
「めしまずばばあ…? それは何ですか?」
「シノさんは、自分の母親をメシマズとかババアって呼んでるんだよ」
「え…それは酷いですよ、おかあさんは今でも若々しくて綺麗です」
「だってもー50だぜ、じゅーぶんババアじゃん」
「シノさん、小学生の時からそう呼んでるよね?」
「なんだぁ、ヘタレン! メシマズの肩を持つ気か?」
「いや、あの、別に……」
「へたれん…? あの、もしかして、めしまずって料理が下手って意味ですか?」
「そーだよ」
「俺はおかあさんの料理は、食べた事が無いんです。おかあさんが家に来てくれる以前から、家政婦さんがいたので、家事は全部そちらにお願いしてましたから」
「ああ、そーいえばケイちゃん家って、ちょ〜リッチだったっけ。上手いコトやりやがったなババア、ケイちゃんに激マズメシ食わせて、嫌われずに済んで」
「敬一クンのお父さんって、そんなにお金持ちなの?」
「そーだよ。メシマズが俺を呼び寄せようとして、わざわざ写真に撮って送ってきたから知ってンだけど、ケイちゃんの家は鎌倉のデッカイお屋敷なんだぜ!」
「いえ、ただ旧家なだけです。それより柊一兄さん、これから直ぐに不動産屋を回ってもいいですか?」
「え、なんで? なんか急ぐ用事あり?」
「出来るだけ早く、アルバイト先を探したいんです。父の援助を受けずに学校に行きたいと思っていて…」
「え、なんで? なんで鎌倉のお屋敷から来た子が、そんなコトゆーん?」
「どう説明したらいいのか…。俺は今までずっと、父が選んだ学校に行ってました。良い学校でしたから得る所もたくさんありましたが、大学を出たらそのまま仕事を継げと言われて、引っ掛かってしまって…。父の敷いたレールに乗っていたら、自分が本当にやりたい事が解らない人間になってしまうと思ったんです。それで、自分で決めたこっちの大学を選んでしまったので、父は機嫌が悪くなってます」
「はあ、国立に受かって嫌な顔をされるって、変わってるねぇ…」
「父が望んだ進路と全く違う方向なので、仕方ありません」
「専攻はもう決めてあるの?」
「今、興味があるのは物理なので、そちらの方面に行ってみようと思ってます」

 国立大学で物理学を専攻したいなんて、どんだけ頭がイイんだろう?
 ルックスだってスポーツマン体型にしてイケメンで、オマケにシノさんみたいなとんでもファッションをした義兄(モドキ)がいきなり出現しても、嫌な顔をもせずキチンと接している。
 出来の良い息子の見本みたいで、父親にしてみれば、期待を全部裏切られた気持ちなんだろうな…。

「ん〜、よし! じゃあ、レン。ウチ帰ろう!」
「えっ? だって敬一クンは不動産屋に行きたいって…」
「不動産屋なんて必要ねェよ! だって考えてもみろよ、本郷ったら、ウチから大江戸線の牛込神楽坂で3駅? 4駅? 賞味10分も掛からんじゃろ。それに俺のトコに居れば、メシは俺が食わせてやれるし!」
「それは大変ありがたい話ですが、そこまで迷惑を掛けてしまうのは…。柊一兄さんのお住まいはどこですか?」
「神楽坂。ちょ〜便利で地の利イイぜ! 都内は車より地下鉄使ったほーが足がイイから、俺なんて車の免許も持ってナイのさ〜!」

 自慢気に語っているが、シノさんが免許を持って無いのは、教習の最中に教官を殴ったからだ。

「良さそうな場所ですね。でも一方的に迷惑を掛ける訳にはいかないので、神楽坂周辺で下宿を探してみます」
「何言ってんだよ、俺ら家族じゃんか! それに俺、バアチャンが死んでからずっと一人暮らしでつまんねェって思ってたから、丁度イイし! とりあえずウチ来て見てみなって! そんでケイちゃんが気に入らなかったら、下宿を探すってのでどうよ? ケイちゃんが俺ん家オッケーってなら下宿代なんか払わなくてイイし、バイト先も近所ですぐ見っけてやれるぜ!」

 確かにシノさんは、おばあちゃんを亡くした時には、かなり凹んでいた。
 けれどその後の一人暮らしがつまらないとか寂しいなんて微塵も思ってなかったと思うし、そもそもシノさんの人生に、つまらないなんて感じる暇が、ほんの少しでもあったとは思えない。
 それがここまでグイグイと押してる答えは、一つしか無い。
 これはモーレツな勧誘で、シノさんは敬一クンが、よほど気に入ったのだ。
 敬一クンの様子を敢えて動物に例えるなら、利口で躾の行き届いた大型犬のようだ。
 誰が見たって学歴も体格も下回るシノさんを、最初から ”兄さん” と呼んで、名前の通り、きちんと敬っている。
 ちょっと会話をしただけでも真面目で礼儀正しく、スレてるトコが全然無いのが解るし、俺やシノさんには縁の無い、体育会系的な年功序列とか礼儀作法とか、しっかり身につけてきてるようだ。
 シノさんは、そういう出来の良い敬一クンが、弟として自分に従ってくれるのが楽しくて仕方ないに違いない。

「でも食事まで出してもらえるとなったら、光熱費その他も掛かりますから、家賃を全く受け取ってもらえないのも困ります」
「そんなン気にするコトねェって!」
「ああ、ほら敬一クン、アレがシノさんの住んでるビルだよ」

 俺は急勾配の路地まで車で入って行って、赤ビルの前でフィアットを停めた。

 シノさんと敬一クン、それに敬一クンの荷物をビルの前に降ろし、俺はフィアットを駐車場に置きに行った。
 なぜ駐車場が赤ビルの近所にあって、俺のアパートの傍に無いのかと言うと、駐車場を借りているのもフィアットの持ち主も、シノさんだからだ。
 シノさんはアニメ映画の ”カリオストロの城” を見てからずっと、この型の黄色いフィアットを欲しがっていた。
 前述の通り、シノさんは宝くじだかロト6だかを当てて手に入れたあぶく銭で、赤ビルと共に念願のフィアット500を手に入れたのだ。
 シノさんは、バイクも車もフォークリフトも操作が出来るが、車の免許は持ってない。
 教習所に行って、ちょっと横柄な教官が出てくると、必ずやそこでトラブルが発生して出禁になるからだ。
 どうして免許も持って無いのに車を購入出来たのかは、シノさんが言わないので俺は知らない。
 結局、免許を持っている俺がほぼ専属運転手になっている。
 ちなみにフォークリフトまで運転出来るのは、シノさんがバイトしていた印刷業者で操作を覚えたからだ。
 神楽坂というと、最近すっかり観光地化された華やかな印象があるが、実は直ぐ近所に江戸川橋を挟んで大日本印刷があるので、中小零細の印刷業者がひしめいている。
 コンビニバイトのような接客業は、即日解雇が鉄板のシノさんだが、己の足とツテで得た近所の印刷屋のバイトは結構上手くやっていた。
 と言うか、その印刷屋が昭和の香りが濃厚に漂うアットホームな会社で、シノさんのメチャクチャな性質を迷惑に感じなかった…どころか、むしろ面白がっていたからだろう。
 そもそも「公道さえ走らなければフォークリフトに免許はいらない」などというアブナイ発言が、社内で悪気もなくまかり通っていたし、操作が上手いからって理由で免許を持ってないシノさんが公道でも操作をしていたような会社だったから、そりゃシノさんみたいな性格でも勤まって当然だった。
 俺が駐車場にフィアットを駐めて、赤ビルの前に戻ってきた時、敬一クンは端正な顔にあまり似合わない半口を開けて、ビルを見上げていた。

「どうしたの? 中入らないの?」
「ああ、いえ…。柊一兄さんがこんな立派なビルのオーナーだなんて、全然知らなかったので、驚いていたんです」

 確かに、此処に来るまでに一度もシノさんの家が五階建てのビルだと説明していなかった…とは思うが、そもそも敬一クンはシノさんが住んでいる場所すら知らなかったようだから、どうやら椿サンは敬一クンにシノさんの事をあまり話して無いようだ。

「ケイちゃーん! エレベーター動いたから! 上に行こうぜ!」

 裏口の扉から顔を出したシノさんが、敬一クンと一緒に路地を歩いている俺の姿に気付く。

「なんだよレン、戻ってくんの早すぎね?」
「シノさん、また動かなくなったの? そろそろ、ちゃんとメンテナンス呼んだ方が良くない?」
「面倒いコトゆーんじゃねェよ、蹴っ飛ばせばまだ動くんだし!」

 定員は七人と書いてあるが、本当に大人が七人乗ったら、そのまま奈落の底へ落ちるんじゃないかと思うようなエレベーターだ。
 酷い軋み音を響かせながら、やたらに重い鉄製の扉を手で開閉しているのを目の当たりにして、敬一クンは先刻とは別の意味でビックリしているようだ。

「柊一兄さん…自分であんまり言いたくないですが、これ、俺が乗ったら落ちるんじゃないですか?」
「ヘーキだって! ほら、乗った乗った!」

 シノさんはちらっと俺に振り返った。

「ワカッテマス。俺は階段でしょ?」
「んっ!」
「あ、それなら俺が階段使います…」

 エレベーターに押し込まれていた敬一クンが、階段上りを申し出た時には既に、激重の鉄柵をシノさんが乱暴にガチャンと閉めていた。

「ケイちゃんは、今日はまだお客さんなんだからいーんだよ!」

しおり