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1.シノさんの呼び出し

 朝イチで、シノさんから電話が掛かってきた。

「今日、昼に東京駅行くから!」
「え! 俺、今日バイト入ってんだけど?」
「1時に迎えに来て車出して!」

 そう言って、通話は切れた。

 神楽坂と言う地名は、神輿が重くて登れなくなった時に、神楽を演奏したらサクサク登る事が出来た…って逸話から付いた名称だと、誰かに聞いたような気がする。
 それならMP3で神楽を聴いていたら自転車のペダルも軽くなれば良いのに…などと考えながら、俺は立ち漕ぎする足に力を込めた。
 大久保通りの坂を登り、神楽坂上交差点で早稲田通りを東京メトロ東西線の神楽坂駅方面へ曲がる。
 神楽坂の商店街は、あまり広くない道幅の一方通行路をひっきりなしに車が行き交っているが、歩道もまた油断出来ないほど人が歩いている。
 しかも坂が急勾配だから、本当は自転車で走行するのにはあまり向いていない。
 ヴァレンタインデーだかホワイトデーだかのイベント商品で賑わっている店と店の間の、ともすれば見落としそうな細い路地へ曲がって、そこから更にうねうねと幾つかの角を曲がった先に、シノさんの住む ”キングオブロックンロール神楽坂ビル” がある。
 ちなみにこのふざけた名称は、驚く無かれ、登記もされている正式名称だ。
 もちろんこんな名を付けたのは、他ならぬシノさんだ。
 外観が赤レンガで出来ているので、馬鹿げた正式名称は近所ではすっかり忘れ去られていて、通称 ”赤ビル” と呼ばれており、持ち主は当然命名者であるシノさんだ。
 シノさんは、俺…多聞蓮太郎の幼馴染で、フルネームは東雲柊一と言う。
 俺は勝手知ったるナントヤラで、赤ビルの横道に入った。
 ビルは鉄筋五階建て、レトロモダンな造りだが、全く管理されていなかった時期があったので、見るからに結構なオンボロだ。
 一階の正面は店舗になっていて、店が開いていない時には、ビルの脇の小道の奥にある裏口から出入りする。
 裏口と言っても住居用の玄関で、正面にあるのと同じ観音開きの立派な扉が付いているし、中に入るとちょっとしたホールになっている。
 シノさんから預かっている鍵を取り出して扉を開け、入って右側にある駐輪スペースの、シノさんのスーパーカブの隣に自転車を置いた。
 シノさんが住んでいるのは、最上階の五階だ。
 古いビルだが幸いエレベーターが付いているので、それを使って上階に上がる。
 このエレベーター。
 シャフトの外枠も昇降ボックスの内枠も、鋼鉄で出来たシースルー構造で、レールが付いている外扉と内扉は、人間が自力で開閉する。
 一応外観はアールデコ風のデザインで、造られた当初は洒落た設備だったのだろうが、今ではビルの外観同様にオンボロさの方に目が行く。
 簡単に言えば、かなり危険な香りがするシロモノである。
 本当いうと、あんまり使いたくない。
 とはいえ、五階まで階段で上がるのもキツイので、いつも一呼吸して覚悟を決めてからエレベーターに乗る。
 五階に上がり、エレベーターの扉がちゃんと閉まったのかを確認してから、俺はこれまた勝手知ったる…で、当然のように鍵が掛かっていないシノさんの住居の扉を開けて中に入った。
 ちなみにシノさんは金持ちでは無い。
 このビルが購入出来たのも、ペントハウスに改装出来たのも、サッカーくじだか宝くじだかに当たったからだ。
 元々は一階と二階が店舗で三階〜五階が賃貸部屋の建物で、シノさんが購入した時にほぼ廃墟みたいだったのをリフォームして、その時に五階をペントハウスに改装して、今の状態になっている。
 一言で ”ペントハウス” と言ってもそもそもワンフロア100坪だし、リフォームする時には件のくじのあぶく銭があったから、意味不明にシノさんのドリームが詰め込まれた注文建築状態だ。
 居室は4つ、それぞれ10帖ぐらいあるし、バルコニーが付いているバスルームは風呂に入りながら夜景や夜空を眺める事が出来るし、なにより敷地の半分以上をリビングとダイニングとキッチンにしてあるのが、なんというか実にシノさんらしい。
 シノさんはかなりクセのある性格をしていて、やりたくない時はやらなきゃいけない事もやらないけど、やりたくなったらやってない時のナマケモノ状態からは想像出来ないくらいチャカチャカとなんでもやりこなしてしまう。
 そしてシノさんは美味しい物が大好きで、更に「美味くない物はこの世に存在する事を許さん!」と言っている。
 ペントハウスの半分がリビングとダイニングとキッチンに占拠されている理由は、要するにダラける時にどこまでも都合よく快適に過ごせるリビングと、美味しい物を美味しく仕上げるためのキッチンと、美味しく食べるためのダイニングを形にしたらそうなったって事なんだと思う。
 玄関で靴を脱ぎ、廊下に上がって直ぐのところに、そのシノさんの夢のリビングルームへの入り口がある。
 扉を開けると正面にバルコニーが見えるのだが、その手前のところにはシノさんが通販で買った運動器具…いわゆるぶら下がり健康器とかベンチプレス台なんかが置いてある。
 シノさんは美味しい物が大好きだけど、少々ナルシストのケもあるので、カロリーを気にせず美味しい物を好き放題に食べてはいるけど、太って体型が崩れるのを恐れている。
 だけどやや飽きっぽい性格をしているので、この手の運動器具は目新しいモノをどんどん買ってきては、こうしてリビングに並べているのだ。
 運動器具の向こう側は、ソファセットとコーヒーテーブルが置いてあり、左側の奥にはテレビとソファがある。
 だけどそのどちらにも、シノさんは居なかった。

「シノさーん!?」

 俺はリビングから廊下に戻って、ほとんど怒鳴るように呼び掛けた。
 ビルはデカイし、ペントハウスもかなりの広さがあるが、音が響きやすいのでデカイ声を出せばだいたい聞こえる。

「なんじゃ〜?」

 声は、廊下の奥の方から聞こえてきた。
 シノさんは片付けが嫌いな上に溜め込み気質を持っているので、奥の三部屋をものすごく適当な物置として使っている。

「どこにいるのーっ!?」
「まんなか〜」

 声がした真ん中の居室の扉を開けると、シノさんは衣装箱をひっくり返しているところだった。
 重要視されているのがリビングだから当然の如く居室は北側にあり、両脇に他の居室がある真ん中の部屋には窓が無い。
 広さは10帖ぐらいあって、窓が無いのがむしろ好都合って感じで、シノさんはその部屋を衣装部屋と称して、着替えの類を適当に投げ込んだりして使っている。
 いっそウォークインクローゼットを気取って、それっぽい家具でも置けば良いのに…と思うのだが。
 モノグサなシノさんは、引っ越してきた時の状態のままに、服を入れていた行李を床に並べて置きっ放しにしているのだ。
 今時ダンボールじゃなくて行李ってとこがまた、シノさんの限りなくズボラな性格をありありと表している。

「いい加減、ハンガー掛けくらい買いなよ。ディスカウントショップとかに行けば、ハンガーラックって言うの? キャスター付きのパイプで出来てるヤツ、安く売ってるよ」
「俺は家具にはカネを掛けん主義なんじゃ。…おっかしいな、この辺に入れてあったはず…」
「東京駅なんかに、何しに行くの?」
「ん〜、ちょっと待て…」

 そこでしばらくガサガサやった後に、シノさんは黒くてギンギラのスパンコールと、ギンギラの金具が付いた、ギンギラのレザージャケットを取り出した。

「あった、あった!」
「それ、どうするの?」
「どうって、着るんだよ」

 黒のレザーパンツの上は、白のタンクトップ姿のシノさんが、その出したばっかりのギンギラなレザージャケットをバサッと着込んだ。
 バカげたギンギラのレザージャケットが、シノさんが着た途端にチンピラか、またはのど自慢に出る衣装みたいになった。
 ドヤ顔で着込んでいるから、何を言ったところで止めないだろう。
 それにそもそも、ミディアムショートのワンレングスなんて、普通の男がやったらかなりキモい髪型がピシっと決まってしまうイケメンなので、ぶっちゃけ少々イケてないファッションでも、ちゃんと格好が付いてしまう男なのだ。

「レン、車は?」
「ここ道狭いからチャリで来た。駐車場まで一緒に行こう」

 俺が促すと、シノさんはそのギンギラジャケットで、本気で出掛ける気らしく、部屋を出ると真っ直ぐ扉に向かい、そのまま正面のエレベーターに乗り込もうとしてしまう。

「ちょっと、シノさん!」
「なんだよ?」
「降りるのは、階段にしよう?」
「ああ? めんどっちぃなぁ! んったくオマエは、ヘタレンなんだから…」

 ブツブツ言いながらも、シノさんは階段を降り始めた。

 駐車場に置いてあるフィアット500に乗り込み、俺はエンジンを掛ける。

「それで、東京駅なんかになんの用なのさ?」
「弟を迎えに行く」

 シノさんの返事に、俺はあやうく前の車のケツにぶつけるところだった。

「おとーと!? 俺、シノさんと付き合って20年超えだけど、兄弟いたなんて初耳だよ!?」
「ん、俺も会うのはこれで二度目だヨ」
「なにそれ?」
「ウチのメシマズ、再婚しただろ?」

 この場合の ”メシマズ” とは、シノさんの母親…椿サンの事である。

「高2の時だっけ?」
「ん〜、まぁ学年は覚えてねェけど、高校ン時だったよ。で、あっちも子連れ再婚だったから俺に弟が出来たワケなんだけど、どっちも死別だからってんで、ドハデな結婚式をやってさぁ。そん時にその弟と顔合わせしたんだけど、幼稚園行ってるくらいの歳だったと思う。スッゲーちっちゃくて可愛かったぜ。その結婚式が終わるまでメシマズは俺に、都内に新居を構えて暮らす予定って言ってたんだけど、実はおっさんの方が神奈川に結構な家を持ってて、最初からそっちで暮らす腹づもりだったんだよ」
「なんのために、椿サンはそんな嘘を吐いたのさ」
「そりゃ、神奈川に引っ越すなんて話をしたら、俺がそんなド田舎行くのなんてヤダって言うって判ってたからじゃろ。オマケに、件の美少年を名門だか有名だかの私立学校に通わせる予定になってて、おっさんの顔が利くからって、メシマズは俺もそっちの学校に編入させて、大学まで通わせるわ〜っとか、言いだしてさ。そんな小煩そうなガッコ、誰が行くかつーの! そしたらばあちゃんが、俺がこっちに残りたいなら残ればイイって言ってくれたから、俺は残った」

 椿サン的には親心やらドリームやらあったのだろうし、それに相手方に持ち家があるんなら、仕事だってそっちでしてるんだろうから、普通はそっちで暮らすと思うが、シノさんにはそういう都合や画策がまるて通用しなかったようだ。

「それでシノさん家、いつもおばあちゃんしかいなかったんだ」

 神奈川をド田舎呼ばわりしたら、神奈川の人に怒られそうな気もするケド、そんなツッコミを入れたら話が脱線するので、俺はスルーした。
 俺はシノさんとは幼馴染だから、シノさんの父親が早くに亡くなった事も、母親である椿サンが再婚した事も一応知っていたが、逆に距離が近すぎてそういった基本情報を改めてきちんと聞く機会はもてなかった。
 なので、シノさんのところに遊びに行くと、以前はしばしば顔を見せていた椿サンが、再婚を境にあんまり見かけなくなったって事実は把握していたが、その詳細については全然知らなかったのだ。
 ただ椿サンの再婚前後の時期は、シノさんと椿サンの間の空気がものすごく不穏だったし、シノさんと椿サンは人格がそっくりの ”双子母子” と言うか、要するにどっちも頑固なジコチューなので、相応に愛情はあるがこじれると戦いが長引きやすいところがあった。
 ただ、俺も相応に第二次性徴期と言うか、型通りの思春期を過ごして親に反抗もしたけれど、18歳にもなってなんでこんなに親とモメてんの? と、疑問には感じていたが。
 しかし思っても口に出したら殴られるので、思っているに留めて詳細を聞くに至らなかったから、今のシノさんの話を聞いてようやく腑に落ちたと言うか、真相を知ったって気分だ。
 そして当時は、詳細が聞けないので勝手に ”二人のモメゴトがあんまり酷いから、離れて暮らしているんだろう” と思っていたのだ。

「しっかしケイちゃんも、とばっちりだったろうなあ! あんなメシマズに育てられたんじゃ、前に見た時と同じくらいちっこいままかも」
「椿サンがメシマズかどーか、俺は知らないし…」
「そっか、オマエはばあちゃんのメシしか食ったコトねェもんなぁ…」
「その話はもうイイよ。それより、その…ケイチャン? が、急にどうしたのよ?」
「ああ、義理の弟な、敬一ってゆーんだ。こないだメシマズが珍しく電話掛けてきて、ケイちゃんが上京するから都内で住む部屋探すの手伝ってやってくれって言うんさ」
「その…敬一…クン? って、幾つなの?」
「ジューシチ…か、ハチ…だったかな?」
「えっ? それじゃあまだ学生じゃん。私立の一貫校に行ってたんじゃないの?」
「ケイちゃん、国立に合格したから、コッチ来るんだと」
「こっちの国立って、本郷のアレ…?」
「アレだろなぁ」
「うわぁ、すっげ秀才じゃん!」
「んか? 俺がケイちゃんと顔合わせたの、披露宴のドサクサだったし。ケイちゃんおとなしい子で、話かけてもあんまり返事しなかったし」

 それはシノさんが、当時は今よりも更にとんでもアレなファッション路線をギンギンにキメていて、見るからにアレな雰囲気をギンギンに出しまくりで威嚇した故の無口だったのでは…? と思ったが、言ったら確実に怒らせるか拗ねられるかしてしまう事が判っていたので、俺はあえてそこには触れなかった。

「そんなンで迎えに行って大丈夫なの? 顔もよくワカンナイんじゃないの?」
「ヘーキだろ。鉄板の銀の鈴待ち合わせだし、ケータイ番号も聞いてあるし」

 俺はバイト先に欠勤を伝えたら、明日から来なくてイイと言う最後通牒を告げられてしまったが、シノさんの義弟にかなり興味が湧いたので、まぁよしとしよう。
 そもそもシノさんの強引マイペースに振り回されて、バイトをクビになるのは、今に始まった事じゃないのだ。

しおり