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テーブルに着席し、紅茶がそれぞれの前に置かれたところで、アレックスは口を開いた。
「それで、エスターの用件はなんだ?真理・・・アメリアは君からの謝罪を必要としてないのは伝えてある通りだ」
王子に話題を振られて、エステルは硬い表情を一層青くする。
しばらく躊躇うように瞳を揺らせて俯くのを、真理は固唾を飲んで見守った。
シンとした雰囲気に焦れたクロードが少し威圧するようにエステルを見て言う。
「クリスティアン殿下は暇じゃないっすよ。言いたい事があるなら、さっさと言うっす。でないとこれで終わりにするっすよ」
言われて、彼女は一瞬目を閉じたがすぐにそれを開けると、覚悟を決めたように顔を上げた。
真っ直ぐにアレックスを見て、唇を震えさせながら話し始めた。
「私が生まれた時から仕えてくれた、ナニーが3週間前、退職願を残して行方不明になりました・・・」
アレックスが眉を顰めた。
「マダム・ウエストが、か?」
真理にはアレックスが言ったマダム・ウエストが誰かは分からないが、恐らく自分がエステルに会った時に部屋の隅に控えていた年配のご婦人だろうとは思い当たった。
グレート・ドルトン王国では働く女性も多く、ナニーと言う職業が確立されている。
一時的なベビーシッターとは違い、仕事の幅が広く、幼稚園・学校の送迎、食事といった身の回りの世話だけでなく、子どもの勉強を見たり、しつけをしたり、情操教育などを含む教育係で、いわば母親代わりの役割まで果たしている。
特にエステルほどの上級貴族であれば生まれながらにナニーが付いているは常識だろう。
「仮にマダム・ウエストが侯爵家のナニー職を辞したからと言って行方不明は大袈裟じゃないか?実家に戻ったか、新しい身の振り方を考えたか・・・」
アレックスはそのナニーと面識があるのだろう、そう言うと、エステルは青ざめた顔のまま、いいえ、いいえと否定した。
「何を言いたいっすか?ナニーが行方不明になったことが、殿下とアメリア様になんの関係があるっすか?」
デザートが無いので手持ち無沙汰そうなクロードが話の核心が見えずに、ややイラっとしながら問いただす。
エステルは震える指先をギュッとテーブルの上で組むと、クロードを見て話しを続けた。
「アンヌ・・・マダム・ウエストはクリス殿下はご存知ですが、幼い頃から・・・私をクリス殿下の妃にすることを望んでいました」
アレックスが心配そうにチラッと自分を見たのに真理は気づいたが、今はエステルの話に耳を傾ける。
「彼女は私が誰よりも信頼する女性でしたから・・・私も彼女の言う通り、そうなるのだろうと・・・思ってました・・・」
浅はかと思われても仕方がないですが・・・言いながら、涙目でアレックスを見つめる。
「成年になったころから、どういう伝手を頼ってか、私には分かりませんでしたが、常にクリス殿下の動向・・・その・・・特に女性関係をとても気にしてました。
報道が出るたびに、私には記事の内容以上のことを教えてくれ、そして殿方の気まぐれなお遊びだから心配しないように、と慰めてくれて・・・」
真理はあの日のエステルの言葉を思い出す。
真っ赤な顔で「そういう事をしないから、大切にされている」そう信じて言われたことに確かにショックを受けたが、ナニーの影響を受けていたのかと、合点がいった。
とても夢見がちな内容だと思ったからだ。
それを聞いて、アレックスは顔を真っ赤にしたが無言を貫き、クロードはひゃひゃひゃっと笑う。
複雑そうな顔をしながら、エステルは真理にちらりと視線を走らせると続けた。
「そんな彼女が昨年の春頃から様子がおかしくなりました。外出することが増えて・・・外で誰かと会ってるようでした」
真理はエステルの言いたいことが少し分かってきた。春頃と言えば、自分がちょうどアレックスと付き合い始めた頃だ。
クロードが静かに口を挟んだ。
「アメリア様が殿下の私邸に出入りしてることを掴んでたっすか?」
その問いに令嬢は、はいと肯定して続けた。
「その頃から彼女は私にクリス殿下と会うようにと頻繁に言うようになりました。彼女から殿下に連絡してくれましたが・・・」
「俺は忙しいからと断っていた」
「そうですね・・・それで彼女はハミルトン様のパーティーに殿下がいらっしゃることを、どこからか聞いてきて、お会いして話しをしてくるようにと・・・」
ふうとアレックスは息を吐いた。
「それが、あの夜か」
問いかけるでもなく呟かれた言葉に部屋は一瞬、静まり返った。