(11)宇宙までの距離
「こんな時間にこんなところで何してんのよ」
驚きが大き過ぎて声も出なかったが、彼女の方はあっけらかんとしている。
動揺を隠し、平静を装った。
首を持ち上げて足元を見た。
波打ち際は足先よりもずっと先にある。
そうだ。波はこんなところまで寄せては来ない。
束《つか》の間、夢を見ていたようだった。
そっちこそ何をしているんだと言いたかった。
眠れずに散歩に出て来たのか。
波の音を聞きに来たのか。
星空を眺めに来たのか。
それとも——。
彼女はちょっとだけ砂を気にする素振りを見せながら、それでも隣に腰を下ろして体育座りをした。
パジャマ代わりであろうTシャツにショートパンツという軽装。
ついついその脚に目が行ってしまうが、彼女が口を開いたので慌てて目を逸らした。
「何となく眠れなくて。そしたら怪しい物音がしたもんだから、そおっと部屋を出てみたの。弓道場に黒い人影が見えたから、こっそり後をつけて来たんだ」
言いながら笑っていた。その笑いで嘘だと分かった。嘘だとは分かったけれど、乗っかってみた。
「危ないじゃないか。女の子ひとりで」
「あれ。女の子扱いしてくれるんだ」
「そりゃまぁ、一応、」
「一応って何よ。でも、そうね。頭から布袋とか被せられて、そのまま船に乗せられて、どこか遠くの知らない国に連れ去られちゃったりして」
「怖い怖い。ほんとに怖い。妄想が怖過ぎるよ」
今度は二人で声を合わせるようにして笑った。
「何となく眠れなかったのは本当。ちょっと歩こうかなと思って外を見たの。黒い人影じゃなくて、ちゃんと誰だか分かったよ。きっと合宿の練習が辛《つら》くて逃げ出すんだと思って、引き止めに来たの」
彼女はよく笑う。
この夜もよく笑った。
「逃げ出すほどきつい練習してないじゃないか。もっとテニスさせろってくらいだよ」
テニスの練習よりも、海水浴や観光の方が長い合宿の日程だった。本当に緩いサークルだったのだ。
「で、何してんのよ」
波の音が好きなんだと、素直に答えた。
「うわ。ロマンチックなこと言っちゃうんだ。わたしのこと、口説こうとしないでよ。一応、女の子なんだから」
予想通り茶化しながらも、彼女も隣に横たわった。そして、今さらながらに星の多さに驚いて見せた。
「すごい。星がたっくさん」
本当に気がついていなかったようだ。まるで幼い少女のようにおどけて言った後、声のトーンを落として続けた。
「宇宙を見てる——っていうか宇宙にいる——そんな感じ」
「実際、宇宙にいるよ」
「そうだけど」
「でも、僕らは確かに宇宙の中にいるのに、今の宇宙を見るには宇宙は遠すぎる。いくら目を凝らしても、望遠鏡を大きくしても、宇宙は過去の姿しか見せてくれない。例えば、織姫だって、僕らが見ているのは二十五年前の姿だ。実際の彼女は二十五歳も老けている」
「どうしてそんなこと知ってるのよ?」
中学時代、友達から頼まれて天文部に在籍していたことを打ち明けた。
「人数が足りなくて廃部の危機だったんだ。積極的に活動に参加してたわけじゃないけど、まあ多少は知識が増えた面もある」
「どうせ女の子の気を引くために利用しようとか思ってたんでしょ」
「そ、そんなわけないだろ」
部長が可愛かったなんてことは、絶対に言えなくなった。
「冗談冗談。むきにならないで。わたしは女の子扱いされるの大歓迎だから、いくらでも気を引いてくれていいわよ」
「さっきは口説くなって言ったくせに」
「まあまあ。男の子は細かいことにこだわっちゃだめよ。で、織姫さまは地球から二十五光年離れているってことよね。じゃあ彦星くんは?」
「地球からだと十七光年」
「わたしたちが見ているのは十七年前の彼ってわけだ。すごい。遠くに行けば行くほど若く見えるってことか。てことは、好きな人とは距離を置いてた方が若い自分を見てもらえる。毎年一光年ずつ離れていけば、ずっと同じ姿を見てもらえるってことだ。好きな人とは近くにいたい……でも、ずっと綺麗な自分を見ていて欲しいなら離れていた方がいい……。こりゃなかなか意味深かも」
「実際には若く見られるほど離れられはしないんだから、成り立たないよ」
「でも、日進月歩だよ。わたしたちがおじいちゃんおばあちゃんになった頃には可能になっているかも。まあ、もうおばあちゃんになってたんじゃ意味ないけどさ」
「そりゃそうだ」
ひとしきり馬鹿話をしたところで、会話が途切れた。