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王子様の恋人宣言から、しばらく経ちやっと私邸の周辺は落ち着きを見せはじめた。
真理は自宅に戻らず私邸にとどまっている。
彼が番組でお泊まりデートもする、と言ってしまったし、自宅で護衛に付かれるのも、なんか落ち着かない気がしたのだ。
当然ながらアレックスは帰ることを許さなかった。
公務に軍務と忙しいアレックスから、恋人との逢瀬の時間は1秒たりとも無駄にしたくない、ここにいて欲しいと、自分が帰る場所にいて欲しいと、押し切られ絆されてしまった。
叔父のロナルドからは、相変わらず、あのバカ王子!と毒づくメッセージは来ていたが、それ以上は何も言わないことにしたようだった。
そんな叔父に申し訳ないと思いながらも、アレックスへの想いが深くなるばかりだから、叔父には謝らないことにした。
アレックスを好きな気持ちは本当だからだ。
ネット上では変わらず王子の恋人の素性をあたかも本当のように晒すフェイクニュースやアンチアカウントなども出ていて、面白いように辻褄の合わない記事が多い。
ジャーナリストの端くれとしては、こんな記事が出回ることに憤りを覚えるが、個人としては気にならなかった。
性格か仕事柄か育った環境ゆえか分からないが、真実味がないことには興味も関心もわかないのだ。
私邸へは、匿名の郵送物が増え悪意のあるものが多くなっていた。アレックスと自分の関係を快く思わないことが、まざまざと分かるそれらに、アレックスは心配をするな、と穏やかに言う。
もともと悪意のある郵送物は、王子に対して一定数あるからとの説明を受けて、真理は王族がいかに大変であるのかということに、改めて驚いていた。彼らは日常的に悪意や危険の中にいるのだと痛感する。
アレックスも周りの側近達も、少なからず起こる真理への誹謗や中傷を心配していたが、どれも実態がないものだからと、彼女は大らかに笑い飛ばして気にしない。
その態度に安心し、真理の気質に頼りすぎ、次のウクィーナ共和国への進駐準備と合わせて、脇が甘くなっていたのかもしれない。
それは唐突に始まった。
真理は私邸を出た時から、気づいていた。
護衛ではない、他の誰かに付けられていると。
WEBプログラマーとしての仕事は在宅ワークだ。打ち合わせや発注、納品まで全てオンラインで行う。
だから、普段から真理はあまり外には出ない。それは王子の私邸での生活も変わらない。
外に出ると言えば、朝の軽いジョギングかスーパーでの買い物位だが、さすがに護衛をつけてのジョギングは嫌なのでやめていた。
で、今はスーパーだ。
ここのところアレックスは王宮にいる。
ガンバレン国が停戦合意を拒否したことで、軍務が慌ただしくなっている。近々ウクィーナに行くことが決まっているが、それが意味するのは交戦だ。
気の重い話だが、行かないでなんて言うつもりはない。
せめて少しでも軍務に集中できるようにしたいという思いがあるだけだ。
今夜は久しぶりに帰れるから、ゆっくり夕食が取りたい、君の手料理で、とアレックスのおねだりがあったから、食材を買いに来ていた。
私邸から徒歩10分もかからないところだが、過去にはここでパパラッチに撮られた。だが真理は、王子の普段どおりに、と言う言葉に甘えて、生活をあまり変えてない。
少し離れて護衛は付くが、自分の手で彼のために作る料理の食材を選ぶことをやめたりはしないのだ。
この心境の変化は、別に撮られても良い、自分が誰か分かっても良い、そしてハロルドが自分であると知られてもいい、と腹がすわったからかもしれない。
アレックスがあれだけのことをしてくれた以上、自分も、自分の存在を隠すことをやめたのだ。
だから、遅かれ早かれ、こんな事は起こるだろう、と予想していたので、真理はどうしようかと思いながら店を出た。
護衛に伝えても良いが、何をするか分からない以上、あまり大ごとにもしたくない。
そして自分は大抵の荒事は切り抜ける自信はある。
ゆっくりと私邸に向かって歩く。目抜き通りの人が多い道だ。
人を避けながら歩くと、後ろからあの足音が近づいて来る。
顔を見ることは出来るか、でも人を巻き込むのはダメだ・・・真理が歩く速度を上げると、その足音も速くなる。
やっぱり付けられてる。護衛は2人、この足音より後ろにいるはず。だから、なんとかなるだろう。
目的が知りたい・・・探求熱心な性格は恐れ知らずだ。
真理はそう判断すると、そのまま人気《ひとけ》が減る路地に入った。この先にお気に入りのコーヒーショップがある。不自然じゃない。
歩く速度をはやめて、その足音が付いてきたのを耳にし、周囲に人がいないのを確認した瞬間、真理は唐突に足を止めて振り返った。
——-見たことのない、若い男だ———
当の男は真理が自分を狙って振り返ったことを、すぐに悟ったのだろう。
手に持っていた瓶のようなものの蓋を開けるのが見えて、真理は咄嗟に自分の身体の前で、スーパーの荷物とバッグを掲げた。
それは一瞬だった。
ジュッ!!という音とともに、ビニールが焦げる独特の薬品臭さとともに、穴が空いたそれから、どさどさと食材達が落ちていく。
バッグはシューシューという音を立てながら、白い煙を出していた。
「うわぁーーーーっ!!畜生ーーー!」
走ってきた2人の護衛に男は取り押さえられ、地べたに身体を押し付けられて拘束されていた。
場が騒然とする中、真理はさすがに驚いて地面に散らばった残骸を見つめた。
自分がアシッドアタックを受けるとは思わなかったからだ。
護衛に守るように肩を抱かれ暴漢から離れる。程なく警察官が駆けつける騒動の中、真理は明らかに自分に敵意を持った人間がいるのだと気がついたのだった。