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気力十分で、精力的に仕事をこなすアレックスを首席秘書官のテッドは冷ややかな視線で眺めていた。
「すっかり、ご機嫌ですね。クリスティアン殿下」
この際、嫌味は気にしない。
「そうか、いつもどおりだけどな」
「ミス・ジョーンズはご自宅に無事に入られたと報告がありました」
その言葉に、普通に分かった、と返すアレックスにテッドはちょっと面白そうな顔をした。
ちょうどキリの良いところになったので、数分の休憩が必要だ。
「今週はお時間は作れませんよ、6週間後からは国境警備も始まります」
何をとは言わずに席を立ち、最後の書類をアレックスから受け取ると、彼はインカムでお茶を持ってくるよう指示した。
アレックスはやれやれと背筋を伸ばすように椅子の上でふんぞり返って伸びをした。
「分かってる、彼女にもそう言ってある」
テッドはおや、と片眉を上げると揶揄うように続けた。
「お珍しいですね、何日か私邸に囲って放蕩三昧かと思いましたが」
過去に遊び相手とホテルにしけこんで、仕事をなんどかドタキャンしたことがある。
大したことはないセレモニーパーティーの参加だったから、事なきを得たが、今のアレックスは持っている公務も重いものが多い。
穴を開けることは、許されないのだ。
テッドの揶揄にアレックスは不機嫌に顔を顰めた。
「彼女はそんな風に扱っていい女性じゃない。それに今の俺は、過去の俺と闘ってるんだ」
過去の俺、と言う珍しいセリフに、さすがのテッドも吹き出した。
この王子に、ここまで言わせるとは。
テッドもミス・ジョーンズの略歴は把握している。
彼女は派手なことを好まず、親戚や友人を大切にし、フリーのWEBプログラマーとして真面目に仕事をし、納税を行う品行方正な 国民であり、良識ある女性だ。
そして報道カメラマンの【ハロルド】である。
非公式の勉強会ごときでは、滅多に感想を述べることのない国王陛下と王太子殿下からも、胸に迫る作品を見ることが出来、いまいちど国を統べるものとして学ぶべきことがあった、とのお褒めを頂いた。
クリスティアン殿下の企みに付き合うのは、いつでも補佐官のクロードと自分だが、この勉強会のことを相談された時は、まさか王子にこんな一途さがあるとは思わなかった。
命の恩人探しの一つだとたかを括っていたのだが。
「彼女には付けてあるな?」
「はい、婚約者というお立場ではないので、近衛は付けられませんが、民間の警護を付けています」
それでいいと、アレックスが満足そうに頷いた。
その様を珍しいと思いながら、テッドは見つめた。
私邸に女性を入れることもはじめてなら、護衛を付けろというのも初めて。婚約すらしていないというのに。
「まぁ、護衛は必要なさそうですが」と思わず呟いたのが王子にも聞こえたのだろう。
彼は穏やかな笑みを零して「まぁ、念のためな」と言う。
優しさの滲み出た物言いに、この王子にもやっと本気の想い人が出来たのだと思うと、感無量だ。
お目付役時代から、王子と行動を共にしていたテッドとしては嬉しくもある。
この王子が、なにかと幼少から孤独であることは理解している。
不遜なくせに、自己肯定感の低いところがある。そして、そんな鬱屈した気持ちから軍人になったと言うことも、なんとなく分かっていたからだ。
そう思うと、過去の王子の遊びには全く心が動かなかったが、ミス・ジョーンズとのことは秘書官として守ってやりたいと思う。
そんな柄にもない純情が分かるから、クロードも、ブチブチ文句を言いながらも、なんだかんだ王子の言付けに従っているのだろう。
——コンコン——
入れ、と言う前に勢いよくドアが開く。
こんな重いドアを気軽に開けるのはクロードくらいだ。
「はーい、お待たせっす!紅茶っすよー」
器用にタブレットを小脇に抱えて、ティーセットが乗ったワゴンを押しながら、脚でドアを支えて入ってくる。
王子の行儀を悪くしたのはこのクロードなので、テッドはため息つきながら、ドアを支えて部屋に通した。
「何かあったか?」
クロードに来客があっていなかったのは知っていたので、テッドは尋ねた。
聞かれたくない話なのだのう、自分から紅茶を持ってくる時はだいたいろくな話はない。
「 そうっすねー、やっぱ、早いっすよ」
言いながら、クロードが王子の前に紅茶とフィナンシェを置いてやる。
「・・・撮られてたか?」
アレックスの問いにクロードが肩を竦めた。
「そりゃ、大通りであんな派手なことしたら撮られるっすよ。まぁ仕方がないっすね」
クロードは持ってきたタブレットを開くと、撮られていたものを見せた。
ごろつきに襲われて、真理と大通りまで走り抜けたところで、アレックスは彼女を抱きしめた。
そこら辺から撮られている。
抱きしめているところ、抱き上げてグルグル回してるところ、そして護衛に囲まれはじめているところだ。
ズームで撮ったのか、夕方の薄暗さと合わせて、画像が粗いのが救いだ。
キスしてるところはなくて、アレックスはホッとした。
「・・・真理の顔ははっきり分からないな」
写真を確認してアレックスが言うと、テッドも「そうですね」と同意した。
クロードは肩を竦めると続けた。
「写真は見せられたものは全部抑えたっす。
映画祭帰りのアレックス殿下だと言うことは認めてあるっす」
「相手についてはどうしたんだ」
テッドが尋ねた。
クロードはワゴンからフィナンシェをつまんで口に放り込むとモグモグしながら答えた。
「うーん、苦し紛れ感ハンパないっすけど、、、この日のクリスティアン殿下はパートナー不在&私的な外出だったため、民間の警護を伴って映画祭に参加。帰り途中、暴漢に遭遇。女性の警護官に守られて事なきを得たところ、女に手の早い王子が女性の護衛に感激して感謝の抱擁をしていた、って答えてあるっす」
「ほぉ、民間の警護会社の女性に護衛、感謝の抱擁ですか」
テッドは面白そうに笑った。
色々と突っ込みどころ満載だが、虚実を混ぜて、何気に彼女のことを守るには都合の良い回答だ。
「女に手の早い・・・」
全く関係のないところにアレックスは食いつくが、クロードは気にせず続けた。
「こうとしか言えなかったっすよ。民間の警護会社と言っとけば、警護に支障が出るから顔晒すな、公開するなって潰せるっすから。
この際、殿下の評判は二の次っす。この程度じゃ殿下の評判なんて変わらないっすよ」
不本意ながらも「そうだな」とアレックスは答えた。
クロードの後始末は無茶苦茶なようで、よく考えられており、なにかとうまくいくことが多いのだ。
そこで肝心なことを確認してしなかったことを思いだした。
「おい、この写真、どこが持ってきた?」
その問いに、クロードはアレックスを憐れむような流し目をした。
「デイリー・タイムズっすよ。その場にたまたま居た素人から持ち込まれたようっす」
クロードの答えにアレックスは別の意味で「はぁ」と嘆息した。
デイリー・タイムズの編集長はロナルド・ジョーンズ、、、真理の叔父だ。
「ダメじゃん」
王子はがっくり項垂れると、両手で顔を覆った。