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俺を睨み付けるように見上げて質問する宇佐見は無視した。

「ここの支払いは俺がしますので」

そう言うと背を向けてレジまで歩き出した。

「どうしてあの子ばっかり……」

宇佐見の恨みを含んだ呟きには答えることも振り向くこともしなかった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



修一さんと別れてから特に変わったことはなく、数日たっても変な噂が立つことはなかった。修一さんも積極的に言いふらすことはないだろうし、私たちが何かを言わなければ問題なく仕事ができそうだ。

少しづつ『雑用係』なんて不名誉な呼ばれ方を変えていこう。まずは私がしっかりと自分の仕事に自信を持たなきゃ。

もう自然と胸に手を当てる習慣がついてしまった。
修一さんに付けられたキスマークは薄くなって今ではほとんどわからない。彼にも全く未練はない。今の私の頭の中は椎名さんのことでいっぱいだ。



出社してエレベーターを降りると私の足は止まった。通路に置かれている観葉植物の陶器の鉢が割られていた。広げた新聞紙の上に置かれたそれは、割れている陶器の間から土がこぼれ、葉がむしり取られて枝が根本から折れていた。

「なに……?」

先日椎名さんが幸福の木から新しい種類に変えたばかりだ。名前は分からないけれどこれも綺麗な葉だった。それが今は見る影もない。
これは何があったのだろう。
植物自体がめちゃくちゃになってしまってはアサカグリーンに弁償しなければならない。植物も陶器含めてリースしているのだから。

「おはようございます。あの通路何があったんですか?」

フロアに入ると部長と主任、丹羽さんが深刻な顔で話し込んでいた。

「おはよう夏帆ちゃん。朝来たら観葉植物がああなってたの。取りあえず新聞の上に置いて土とか破片をまとめておいたんだけど……」

「何でそんなこと……誰かが割っちゃったんでしょうか?」

「他のフロアに置いてある鉢もいくつか同じように割られているの」

「え!?」

ということは、誰かが故意にやったということだろうか。

「北川、観葉が各フロアのどこにいくつ置いてあるかの明細はあるか?」

部長に言われてアサカグリーンからの納品書の内訳を渡した。

「悪いが他が割られていないか全部確認してくれ。もし割られてたら取り敢えず同じように新聞の上に載せとけ。片付けるなよ。現場保存だからな」

「はい」



社内を見回った結果リースしている全ての植物を確認し、無事だったのはエントランスに置いてある鉢と生花アレンジメントだけだった。人が必ずいる場所では何もできなかったようだ。外部の人間ではなく内部の人間の仕業だと思われた。

場所によって被害の大小があり、総務部の鉢が一番酷く、役員フロアの鉢は倒されたが土がこぼれただけで、葉や枝は無事だった。それでも秘書室の宮野さんは激怒していた。植物が好きな宮野さんは一緒に鉢を起こすと愛おしそうに葉を撫でた。

「総務部長はもちろん上に報告するでしょうが、私からも被害を報告させていただきます。こんなことをするなんて許せません」

怒った宮野さんはいつもの冷たい印象に輪を掛けて恐い。今後怒らせないように気を付けようと思ってしまった。

「誰がやったか調べる。分かるまではアサカグリーンには何も言うな」

「はい……」

部長もこの件には参っているようだ。上に報告のためか出ていくと午前中いっぱいフロアに戻ってこなかった。

「酷いね……こんなことするなんて」

「本当に……」

私と丹羽さんだけが落ち込んでいるわけではなかった。割れて散らかされた観葉鉢は多くの社員が見ている。社内全体が浮き足立っているように感じた。





プルルルルル

部長がフロアを出てから1時間もたたない内に丹羽さんのデスクの内線が鳴った。

「はい、丹羽です。……はい……はい、分かりました」

受話器を置くと丹羽さんは私の方を見た。

「夏帆ちゃん、部長が第一会議室に来てって」

「え? はい……さっきの件ででしょうか?」

「さぁ……」

総務部のフロアの中では話せないことなのだろうか。
立ち上がり丹羽さんとエレベーターに乗った。

第一会議室に入るのは初めてだった。役員会議にしか使われないそこは役員フロアの下の階にある。
私と丹羽さんが乗るエレベーターが会議室の階に着き、ドアが開くと目の前には社長、副社長、専務とそれぞれの秘書がドアの前に立っていた。

「お疲れ様です……」

役員の方々に前を開けてもらいエレベーターを降りると、役員がエレベーターに乗るのを見届けた。

「え、何? 緊急会議だったの? 部長も出席して?」

事態を不安に思いながら第一会議室まで通路を歩いていると、先にある会議室のドアが開き中から営業推進部の部長が出てきた。

「お疲れ様です」

「お疲れ様」

総務部長と同期の営業部長は大柄で人の良い方だ。営業部長は私と丹羽さんに「すまなかったね」と声をかけた。

「あの、何のことでしょうか?」

「詳しくは中で話すだろうけど、総務部にはいつも迷惑をかけてすまない」

「あの……」

明るい雰囲気とはほど遠く、今の営業部長は疲れた顔をしてエレベーターに乗ってしまった。

「何? 今の……」

「さあ……」

不思議に思いながら私たちは第一会議室のドアをノックした。

「失礼致します」

会議室の中には総務部長一人だけが座っていた。

「悪いな。ちょっと内密の話があってここまで来てもらったんだ。まあ座って」

円形のテーブルを囲んで部長と向かい合うように座り、丹羽さんが私の隣に座った。

「今朝の観葉鉢を割ったやつが分かった」

「え!? こんなに早く……誰ですか?」

「宇佐見さんですよね」

驚く私の横で丹羽さんは静かに部長を見て宇佐見さんの名前を出した。

「そうだ」

「やっぱり……」

丹羽さんは犯人を予想していたのだろう。でもどうして宇佐見さんが?

「防犯カメラに宇佐見が鉢を割るところが映ってた」

「防犯カメラ?」

「この会社にはエントランスと、役員通路と総務部の通路の天井にカメラがあるんだ。総務部と役員フロアには金庫があるからな。まあ他にもあるけど言えないな」

「知らなかったです」

「その映像に鉢をハンマーで叩き割る宇佐見が映ってた。そりゃあもう力一杯ハンマーを振ってたよ」

部長は手で壁に沿って下ろされたスクリーンを指した。先ほど役員とその映像を見ていたようだ。

「さっき宇佐見本人をここに呼んだんだが、自分がやったと認めたよ」

「そんな……」

「彼女は処分されるんですか?」

丹羽さんは冷静に受け止めているようだ。私は宇佐見さんの愚行に頭がついていかないのに。

「明日から1ヶ月停職処分だ。あと弁償する鉢の代金も宇佐見の給料から差し引く。まあ当然だな」

宇佐見さんの言動は少しおかしいと思っていた。まさかここまで理解できないことをするとは思わなかったけれど。

「この事は明日正式に辞令が出るまで他言無用だ。まだ役員連中と総務部では課長しか知らない。だから丹羽、まだ旦那にも言うな。お前も旦那から宇佐見のことは色々聞いてるとは思うけど、これは言うなよ」

「分かりました」

「アサカグリーンとの話は俺がやる。丹羽も北川も今までと変わらずにな」

「はい」

「もしかしたら今日中に割れた鉢をアサカグリーンに確認に来てもらうことになるかもしれない」

「はい……」

もし椎名さんが悲惨な状態の植物を見たらショックを受けるかもしれない。彼には見せたくない。でもこれは仕方がない……。

「以上だ。業務に戻っていいよ」





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