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「付き合ってるはずないです。だって相手の男の人は別の社内の子と付き合って一緒に住んでますから。あの子がストーカーみたいなことするから、二人の関係も気まずくなっちゃってるらしいもん」

「横山さんも迷惑してるらしいしね」

「え? 私もう宇佐見さんと別れたって聞いたよ? 横山さんが振ったって」

「マジで!?」

宇佐見? それはさっきの女のことか?

「じゃああの子が別れさせたの?」

「そう。横取りしたらしいよ」

三人は俺の存在を忘れたかのように噂話に夢中だ。

「でも私、その前に二人は既に別れてたって聞いたよ」

「そうなの?」

「私が聞いたのは北川さんが寝取ったって」

「何それ最低! 北川さんもだけど、横山さんも浮気したってことでしょ?」

「てか北川さんが横取りしたって話誰が言ったの?」

「実は……直接宇佐見さんから……」

「えー! 宇佐見さんがそう言ったなら横山さんが浮気したんじゃん!」

ぎゃあぎゃあと騒ぐ三人に呆れながら、俺は「失礼します」と言って台車を押して夏帆を追った。

今ので大体の話は分かった。恐らく夏帆は嫉妬されたのだ。夏帆が寝取ったわけでも、強引に別れさせたわけでもない。
あいつ、くだらないことに巻き込まれたな……。

俺は夏帆を探して通路を歩いた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



朝会社の前を歩いているときから視線は感じていた。
早峰のエントランスに入ってエレベーターを待っているときも、総務部のフロアに入ったときも。
同僚がこそこそと私を見ている。ここ数日で気になるほど目立ってきた。

「おはよう」

丹羽さんが出社してきた。

「おはようございます」

「夏帆ちゃんちょっといい?」

「はい……」

丹羽さんはカバンをデスクに置くとすぐに私を非常階段まで引っ張っていった。

「どうかしましたか?」

こんな風に丹羽さんに二人きりになる所に呼ばれるのは良くない話の時だ。

「あのね夏帆ちゃん、修一くんとうまくいってる?」

「え?」

「何か困ってることない?」

「どういう意味ですか?」

「夏帆ちゃんのこと噂になってるのは気づいてる?」

「え? えっと……」

丹羽さんの言うことは何もかもがどう答えていいのか分からない。

「修一さんとは順調だと思いますけど……特に困ってることもないですし……」

「嫌な思いしてない?」

「いえ……大丈夫だと思います……」

「社内の噂はもう耳に入ったかな?」

「噂? 私のですか?」

「修一くんと夏帆ちゃんの」

「え?」

「夏帆ちゃんが修一くんを宇佐見さんから奪ったって」

「そんな! 違います!」

「夏帆ちゃんが修一くんにストーカーしてるんだって」

「どうしてそんなこと……」

だって私たちはお互い好きだから付き合ってるんだ。修一さんにストーカーなんてしないし、私は奪ったわけじゃない!

「違うんです! 修一さんと宇佐見さんは先に別れてたし、奪ったわけじゃないんです!」

「落ち着いて。私は夏帆ちゃんが修一くんを横取りしたなんて思ってないし、ストーカーみたいなことをしないって知ってるけど、もう社内でかなり噂が広まってる」

「誰がそんな噂を……」

はっと丹羽さんの顔を見た。

「宇佐見さん……」

もしかしたら宇佐見さん本人が噂を……?

「宇佐見さんかは分からないよ。営業推進部じゃない他の部署の人かもしれないし。憶測で判断しちゃだめ」

「はい……」

「とにかく、社内で何か嫌なことを言われても気にしないこと。修一くんにも噂を否定してもらった方がいいかもね。それを言いたかったの」

「はい。相談してみます……」

「契約更新の時期でしょ?」

丹羽さんに言われて思い出した。契約社員の私は来年の春に契約更新の時期だ。このままよくない噂が広まれば契約が更新されないかもしれない。

丹羽さんには決めつけないように言われたけれど、私は宇佐見さんが嘘の噂を流していると確信している。宇佐見さんの私を見る目は本当に怖い。
やっぱり私が修一さんを取ったと思ってるんだ……。





「夏帆ちゃん、各部署から発注書のコピー全部揃った?」

「いえ、レストラン事業部がまだです」

「もう、いつも遅いんだから」

「私取りに行ってきます」

「いいよ、持ってこさせな」

「ついでに受付で郵便物ももらってきます。請求書も届いてるかもですし」

「じゃあお願い。ごめんねー」

「いえ、行ってきます」

私は立ち上がってフロアを出た。



すれ違う社員が私を見てすぐ目を逸らす。あるいはじっと顔を見る。今年入社した後輩まで挨拶がよそよそしい。
一体どこまでどんな風に噂になっているのだろう……。

1階の受付で郵便物をもらった。受付の女の子だけがいつもと変わらず挨拶をして笑顔を見せてくれる。
彼女も契約社員で今年入社したばかりだからあまり社内のことが詳しくないのかもしれないが、今は変わらない態度が嬉しい。

ふと入り口を見ると、自動ドアのすぐ横の台座に新しくアレンジメントが飾られている。では椎名さんが来たのだろう。
もうアサカグリーンの窓口を総務の誰かと交代したい。顔を合わせたくない。

『夏帆ちゃんとあの人じゃ似合わないね』

椎名さんにそう言われて傷ついた。また同じようなことを言われたら、社内の噂で潰されそうな私の心は止めを刺される。



レストラン事業部のフロアに向かって歩いていると、コツコツとヒールの音が通路の先から聞こえてきた。こちらに向かって歩いてくるのは椎名さん以上に会いたくない宇佐見さんだった。
一瞬怯んだけれど、今引き返すのは逃げたと思われる。私悪いことなんて何もしてない。いつも通りにやり過ごせばいいんだ。

宇佐見さんとすれ違った時「お疲れ様です……」と何とか言葉を出し、そのまま距離が離れたと思った。

「北川さん」

予想外に宇佐見さんに呼ばれて恐る恐る振り返った。

「な、なにか……?」

「営業推進部の扉のすぐ上の電球が切れちゃったんです。交換しといてくれません?」

「……私がですか?」

「そう」

そんなの気づいた人がやってくれればいいのに。電球の予備が置かれてる倉庫は営業推進部のフロアと同じ階にある。なのに私に頼むというの?

「……分かりました」

ここで断ったら今度はどんな酷い噂を流されることか。だったら嫌な雑用でもやるしかない。

「さすが雑用係の北川さん」

宇佐見さんは怖いほど明るい笑顔を向けた。そう思った瞬間、急に真顔になった。

「浮かれて調子に乗らないでね」

そう言い捨てると通路を歩き去った。

「え?」

今、調子に乗るなって……私に言ったよね?
足から力が抜けそうになり、壁に手をついて体を支えた。

どこをどうやって歩いたかは覚えていない。レストラン事業部に発注書をもらうのを忘れたし、エレベーターに乗ったら階数ボタンを押し忘れて動かないまま数分中でぼーとしていた。

宇佐見さんに正面から向けられた悪意が怖かった。

無意識に総務部のフロアに戻ろうとしていたようで通路を歩いていた。人の気配と話し声に顔を上げると、通路の先に三人の社員と椎名さんがいた。
宇佐見さんの次は椎名さん。
椎名さんの顔を見て抑えていた涙が溢れそうになる。
同僚に泣いてるなんて知られたくない。椎名さんに見られたくない。もう何も言われたくない。

私は慌てて来た通路を引き返し逃げた。
誰もいないところへ。誰にも見つからないところへ。

通路の奥の非常階段の扉を開けた。外階段だけどビルの裏にあるここなら誰にも見つからない。

修一さんは噂のことをなんて思ったかな? 二人でそんな話はしたことがない。噂があること自体知っている? 私が宇佐見さんから奪ったなんて否定してくれるよね?

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