バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

父は事故以来完全に自分の足だけで歩くことが困難になってしまった。リハビリをすれば杖一本で今よりも楽に歩くことは可能になるかもしれないけれど、時間がかかることだった。
現在家の中ではほとんど松葉杖を使って移動し、外では車椅子で移動していた。会社までは毎日母が車で送迎し、社内では社員の協力を得ながら車椅子で仕事をしているようだ。
思ったほど介助の必要がないことに母も私も父本人も安堵していた。気をつけることといえば階段と入浴くらいだ。

「柴田君は何時に来るんだった?」

「7時だよ。念のため寝ちゃってないか確認してみるけど」

今夜はシバケンが我が家に夕食を食べに来る。非番の日だから来る前に仮眠を取ると言っていた。そのまま熟睡していないかどうか心配ではあった。やっと父がシバケンと付き合うことを認めてくれたのだ。疲れて寝てしまうのは仕方がないことではあるけれど、今は父の機嫌を損ねたくはない。

父は私の交際相手として坂崎さんにはもう未練はないようだ。部下だから付き合いはあるのだろうけど、坂崎さんが我が家に来ることはもちろんなくなって、私が会うことはもうなくなった。

『あと20分くらいで着くから』

そうLINEがあったことを父と母に伝え、リビングの掃除は完璧か、料理や食器は揃っているかを母以上に確認した。

玄関のチャイムが鳴り、ドアを開けると箱を持ったシバケンが立っていた。

「お疲れ様」

「はぁ……やっとこの日がきた」

シバケンの溜め息の理由が分かって笑ってしまう。今夜は同棲する挨拶を兼ねた食事会だ。
家の中に入るとシバケンは母に持っていた箱を渡した。

「実家から送られてきたリンゴです」

「まあ、ありがとうございます」

母はリンゴを受け取りご機嫌だ。もともと坂崎さんよりもシバケンの方が私にお似合いだと思っていた母はシバケンがお気に入りだ。健人くんなんて呼んで未来の息子を可愛がっている。

「こんばんは。お邪魔いたします」

リビングに入って父に挨拶をすると仕事明けのシバケンを労うこともしない。私は呆れて父を無視してシバケンに座るように促した。けれどシバケンももう父のことをわかってきたのか気分を害した様子はなく笑顔だった。

通り魔事件で活躍したエピソードを父に聞かせるうちに、シバケンと父の話は盛り上がっていった。同じ仕事の話でも、父の会社の話と警察の仕事の話では興味が全然違い、私も母も楽しめる食事だった。

トイレに行った父が戻ってくると手にはワインのボトルを持っていた。

「柴田君、君も一緒に飲もう」

「ちょっとお父さん、シバケンは車で来てるんだから……」

「いいじゃないか。泊まっていけばいい」

「はい!?」

「明日は休みなんだろう? なら飲んでも平気だな。今夜は泊まっていけばいい」

シバケンの許可も取らずに父はグラスに並々とワインを注いだ。

「どうしよう」と口にはせずに目で聞いてきたシバケンに「私に言われても困る」と目で合図を返した。泊まることは構わないのだけれど、問題はシバケンがお酒にそんなに強くないことだった。まだ付き合う前に居酒屋で会った時もお酒が入っていたから私を抱きしめたのだ。

「さあ乾杯だ」

気を良くした父は一方的にグラスをぶつけ飲み始めた。仕方がないと頷いて合図するとシバケンも渋々ワインに口をつけた。そこからはあっという間にボトルが空になり、父もシバケンも面倒くさいほどに酔っ払った。

「そんなんじゃ実弥と一緒に住むことは許せん!」

「ちゃんと守れますから!」

「親に向かって何だのその口は!」

「まだ親じゃないって! なんなら今すぐ入籍を認めてください!」

「巡査部長ごときに娘はやれん!」

「これからもっと出世しますから!」

怒鳴り合いにうんざりした私は母の剥いたリンゴをかじりながら、勝手にテレビのチャンネルを替えてドラマを見始めた。
何だかんだ父とシバケンは似ている。酔うと自分勝手に動くシバケンは父にそっくりだ。こうなると私の言葉なんてちっとも届かない。母はそんな二人を楽しそうに見ている。

ドラマに夢中になっていると、気がつけば部屋は静かになっていた。いつの間にか父はソファーで寝ているし、シバケンは床でいびきをかいて寝ている。
リンゴの入っていたお皿を片付けるためにキッチンへ行くと母は食器を洗っていた。

「二人とも寝ちゃった」

「あら、呆れた」

やかましい食事会はあっさり終わった。けれど総じて楽しかった。

「男二人を動かすのは大変だから、もう少し寝かせときましょう。実弥は先にお風呂入ってくれば?」

「シバケンは客間で寝てもらうの? 布団敷いてこようか?」

「じゃあお願い」

階段を上りかけたとき、「みやぁ」と寝ぼけた声がした。振り向くとシバケンがリビングから顔を出していた。

「起きたの? 今布団敷いてくるんだけど、先にお風呂入る?」

「あー、布団敷くの手伝う……」

「そう?」

シバケンは私の後ろについてゆっくり階段を上がってきた。
父が事故に遭って以来、2階にあった両親の寝室を1階の客間に変えた。寝室だった部屋を客間にしたため、今夜シバケンが寝る部屋は私の部屋の向かいだ。

「ベッドじゃなくてごめんね」

敷き布団の上にシーツをかけて枕を置いた。

「羽毛だけじゃ寒いかな? 上に毛布もかける?」

押入れから毛布を取ろうとした瞬間、後ろからシバケンに抱きしめられた。

「ちょっとシバケン?」

引き剥がそうともがくとシバケンの腕はますます私を締め付ける。

「実弥……」

囁くように名前を呼ばれ、うなじにキスをされた。抵抗するとシバケンは私を抱いたまま体をひねって布団に押し倒した。

「だめだって!」

本気で怒っているのに、私を押さえつけ見下ろすシバケンは目の焦点が合わない。

「んー……」

目を閉じたシバケンは寝ぼけ声を出してゆっくりと顔を下ろし、貪るようなキスをしてきた。私は諦めて強引なキスを受け入れ、下唇をかじられながらシバケンの頭をよしよしと撫でた。こうなっては彼が隙を見せるまで止められないのだ。
一旦満足したのか唇が離れた瞬間、バシッとシバケンの頬を両手で叩いた。乾いた音が部屋に響き、痛さで「ぶっ!」と声を出すシバケンを無視して頬を挟んだまま押して顔を引き剥がした。シバケンが渋々私の上から退くと、そのまま布団に寝転がって動かなくなった。

「シバケン?」

恐る恐る声をかけると寝息が聞こえた。

「まったくもう……この酔っ払い」

仕事はあんなにかっこいいのに、酔うととんでもなく面倒くさい男だ。恋人の実家で押し倒すなんて信じられない。下の階には父も母もいるのだ。明日起きたらお説教してやる。
寝ているシバケンの鼻をつまんだ。「んごっ」と苦しそうな声を出したけれど、起きることなく再び規則的な寝息を立てた。仕事明けだから余計に酔いが回ったのだろう。

「今事件が起こっても出動できないよ、お巡りさん」

そう言って毛布をかけた。羽毛布団の上で寝てしまったから体にかけるものは毛布一枚しかない。風邪を引いてしまう心配があった。
酔った末に風邪を引いたヒーローなんて頼りにならないな。そう思いつつシバケンが愛おしく思えて頭を撫でた。

私のヒーロー。私の愛しい人。
シバケンといたい。この先何があっても、どんな事件事故が起ころうとも。
私だってシバケンのためならどんなことだってしてみせる。
だからどうか、この素敵なお巡りさんとずっとずっと一緒にいられますように。



END

しおり