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恥ずかしさのあまり顔が赤くなっていくのを感じた。犯罪に巻き込まれたわけでもないのに裸足でいるなんて頭がおかしいと思われたに違いない。

「それは災難ですね。でも事件ではなくてよかったです。ただ裸足でいるだけなら声はかけなかったのですが、泣いてしゃがんでいたので事件かと思いまして」

「すみません……」

恥ずかしくて逃げ出したい。よりにもよってシバケンに職質されるなんて。

「彼氏さんとはただのケンカなんですね? 極端な話、暴力をふるわれて逃げてきたわけではないですよね?」

「え……はい……」

「彼氏さんの家に戻れますか?」

「どうでしょう……入れてくれるかどうか。どうしてですか?」

「このまま裸足で帰るなんて怪我してしまいそうですから」

そう言われ、もしシバケンについてきてもらって太一の部屋からカバンとスマートフォンを取れたとしたら助かるなという考えが頭をよぎった。けれど警察官を連れて太一の家に戻ったらきっとものすごく怒る。只でさえ泥沼なのに火に油を注ぐだろう。

「大丈夫です。今日はこのまま帰ります。明日取りに行きますので……」

「そうですか。何かあったら警察に言ってくださいね」

「はい、ありがとうございます」

シバケンはあの頃と変わらない笑顔でいてくれる。笑うと目尻が垂れて柴犬のようだ。少しだけ記憶よりも表情が凛々しくなった。

「あの、今からちょっと交番まで来ていただけますか?」

「え?」

あまりにも怪しいから職質だけじゃ解放してもらえないのだろうか。

「裸足じゃいくらなんでも危ないですよ。履くものをお貸しできるかもしれません」

「え、いいんですか?」

「いや、あるかはわからないんですが……ここを真っ直ぐなんで。もう見えてますよ」

シバケンが指した先にはレストランがある。その奥には交番らしき建物があった。

「ついてきてください」

自転車を押すシバケンの後ろについて歩いた。視線の先の背中はホームで守ってくれた姿よりも大人びているし、あのとき違和感があった制服姿も今は似合っている。7年たった今、シバケンは30歳のはずだ。警察官としてはベテランになったのかもしれない。

「ちょっと待っててくださいね」

交番に着くとシバケンは自転車を停めて交番の中に入っていった。私はガラスの扉の前で待ち、しばらくしてシバケンが戻ってきた。

「すみません、履くものっていってもこれしかなくて……」

シバケンは申し訳なさそうな顔をして私の前に1足の靴下を差し出した。

「この交番には女性警官がいないから靴もなくて、男の靴じゃサイズが合わないですから代わりに……」

私の足よりは遥かに大きいグレーの靴下を受け取った。

「差し上げますので」

「え!?」

「予備の靴下なんで。あ、もちろん綺麗に洗ってありますよ」

「いいんですか?」

「はい。すみませんこれしかなくて」

シバケンは目尻も眉も下がっている。私は申し訳なさと恥ずかしさで顔が赤くなるのを感じた。

「家に送っていくとかそういうことはできないので、すみませんが……」

「いえ、本当に十分です」

シバケンの靴下を履けば少なくとも足が痛いことはないだろう。駅まで歩ければあとはタクシーに乗ればいいのだ。私はその場で片足で飛び跳ねながらバランスを取って靴下を履いた。靴下も男性用だから踵に余裕があって弛んでいる。

「あの、お名前を教えてください……」

私が恐る恐るそう言うとシバケンは「柴田と申します」と答えた。

ああやっぱり……この人と再会できるなんて夢のようだ……。

「ありがとうございました」

「お気をつけて」

震える声でお礼を言って最後にシバケンの顔を見たけれど、彼は私と過去に会ったことがあるのだとは気づかないまま頭を下げた。



スカートに伝線したストッキングとグレーのぶかぶかな靴下を履いた姿は駅前では目立った。それでも私の足取りは軽かった。

シバケンに会えた。それは私にとっては大きなことだ。彼は今でも警察官で、私の憧れた通りかっこいい警察官でいてくれた。嬉しくて太一への怒りなど吹き飛んでしまった。

もっと話をしたかった。私のことを覚えていますかと問いたかった。けれど恥ずかしいところを見られて再会を喜べる気分ではない。もっと違う形で挨拶がしたい。

私はシバケンが好きだ。

改めて気持ちを確認する。あのときは叶わない初恋だった。けれど今私は高校生じゃない。大人になったのだ。シバケンとの距離を縮めることはずっと簡単なはず。

家に帰ると早速シバケンの靴下を洗濯した。少量で洗濯機を回すことに母はいい顔はしなかったけれど、何を言われようとこればかりは譲らない。洗った靴下を洗濯バサミが付いたハンガーに吊るし、自分の部屋のフックにかけて除湿機のスイッチを入れた。

次の日の朝いつもより早く起きると、まだ生乾きの靴下にドライヤーの温風を当てた。完全に乾くとそれをキャラクターが大きくプリントされたテーマパークの袋に入れカバンに入れた。



始発が動き出す頃に家を出て太一の家に向かった。部屋のチャイムをやや乱暴に押して寝ぼけ顔の太一が顔を出すと、私はことさら不機嫌な顔をして睨みつけた。昨夜されたことを忘れたわけじゃない。恋人だからといって裸足で追い出すなんて酷すぎる。

「実弥ごめん!」

太一は深く頭を下げて私に謝罪した。

「俺はほんとに酷いことした!」

「………」

太一は心から謝っている。反省しているのだと感じることができた。けれど素直に許すことができないほどにはまだ怒っていた。

「カバン返して」

太一は慌ててリビングから私のカバンを取ってきた。中にスマートフォンと財布がちゃんと入っていることを確認した。玄関に置きっぱなしの昨日履いていたパンプスを持ってきたビニール袋に入れた。始終無言の私の顔色を窺うように太一も無言で私を見ていた。

「じゃあ行くから」

「……うん」

出勤前に太一の家に寄っただけでも時間のロスだ。

「実弥」

道路に出ようとする私に太一は声をかけてきた。

「また連絡するからさ」

それにすら返事をしないで歩き出した。昨夜からまだ頭を整理できていない。背後から「ほんとにごめん!」と声が聞こえたけれど振り返らなかった。

駅までの道を歩き、シバケンのいる交番の角まで来た。この後会社に向かっても定時まで時間はギリギリだ。それでも靴下を返したかった。

「すみませーん……」

交番の前まで来てガラスのドアから中に声をかけた。奥からシバケンよりは少し若い警察官の男性が出てきた。

「はい」

「あの……柴田さんはいらっしゃいますか?」

「柴田ですか? 今はちょっと出てます」

「え……」

シバケンがいない。それは予想外だった。

「何かご用でしたか?」

「あの……ではまた来ますので」

早足で逃げるように交番から離れた。そんなことをしたから不審に思われたかもしれない。シバケンが交番にいない場合を想定していなかった。あの人に靴下を預ければよかったじゃないかと駅に着いてから気がついた。

また会いに行こう……そのときに靴下を直接返そう。


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