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というかこれはパワハラではないのだろうか?

洗濯カゴを持ってベランダに出た。とにかく洗濯物を干してしまわなければ。
龍峯の制服のシャツをハンガーにかけて物干し竿に吊るすと、アパートの下の車が目に入った。
黒のコンパクトカーは聡次郎さんの車だ。老舗企業の御曹司にしては庶民的な車で、龍峯茶園の専務が乗っているとはとても思えない。
車の横のガードレールに腰掛けた聡次郎さんはスマートフォンを弄っている。その姿もどこにでもいそうな普通の男性だ。
他の衣類を干しながら下で私を待つ聡次郎さんのことを考えていた。
休日に会うような恋人はいないんだろうか。いたら私なんかに偽婚約者なんて頼まないよね。元は平社員だけれど有名な会社の御曹司でルックスも悪くないのに、というか私の好みじゃないだけで結構なイケメンな方だと思う。なのに恋人がいないのが不思議。まあ問題はあの性格かな。月島さんとは大違い。

全て干し終わるともう1度下にいる聡次郎さんを見て部屋の中に戻った。
クローゼットから着ていく服を選ぶ。仕事の日は制服で出勤してしまうことも多いからデートに着ていけそうな服が少ないことに気がついた。
私、女としてどうなんだろう……。
生活するだけで精一杯で、彼氏もいなくて可愛い服も持っていない。今日の苦行を乗り切ったら新しい服を買いに行こう。
手持ちの中から何とか服を選び、化粧をすると髪を整えた。玄関の鍵を閉めると小さく「よし!」と呟いて気合を入れた。

「お待たせしました」

聡次郎さんの元へ行くと再び私の全身を見られた。

「さっきよりはだいぶマシ」

その言葉に気合を入れた心が早速折れかかる。さっきまでの部屋着でノーメイクのボサボサ髪よりは今の姿はかなりまともだ。けれど聡次郎さんの言葉は褒めているようには聞こえないどころかバカにされているようにさえ受け取れた。

「乗れよ。ちゃんと助手席にな」

聡次郎さんは先に運転席に乗り込んだ。私はのろのろと助手席のドアを開けて乗った。

「どこに行くんですか?」

「いろいろ」

具体的な場所を言ってくれない聡次郎さんは今何を考えているのかさっぱりわからない。私に一緒に行ってほしいところとはどこなのだ。

「月島さんもお休みですか?」

「いや、あいつは仕事。なんで?」

「私なんかよりも月島さんに付き合ってもらえばいいのにと思って」

だってお友達なのだから。お兄さんの秘書という以上の親しさを2人からは感じられる。

「あいつが気になる?」

「え?」

「梨香は明人には気安いじゃないか」

「そうですか?」

「表情が違う。明人にはよく笑顔を見せる」

自分では意識していないけれどそうかもしれない。月島さんは聡次郎さんと契約を結ぶ前から知っているのだから他の人とは感覚が違う。

「まあ以前からカフェの常連さんとして顔は知ってましたから。月島さんに気安くなっちゃうのは仕方ないです。慣れない環境で知った人のそばにいたら油断できますし」

「俺のそばじゃ油断できないの?」

そう言われてなんと答えたものか迷ってしまった。聡次郎さんのそばにいて落ち着くなんて嘘でも言えない。何を言われるかとビクビクしてしまうのに。
無言を肯定だと思ったのか聡次郎さんは真っ直ぐ前だけを見てハンドルを握り何も言わなくなってしまった。

これはまずい。

私は焦った。聡次郎さんを怒らせてしまった。車という密室で気まずい空気のまま2人で過ごすのは勘弁してほしい。

「すみません……」

考えた末に謝った。

「何で謝るの?」

「あの、聡次郎さんが嫌いなわけじゃないんです。でも月島さんは雰囲気が柔らかいですし、落ち着くというか……」

「俺と明人を比べて明人を褒めてんの?」

「違います! そうじゃなくて……」

うまい言葉がみつからない。月島さんを褒めたいわけでも、聡次郎さんに文句を言いたいわけでもない。

「いいよ。昔から俺と明人は比べられて、いつも明人の方が人に好かれるんだ」

「………」

聡次郎さんの何かを諦めたような声音に思わず顔を見た。相変わらず怒っているわけでも悲しんでいるわけでもない、感情の読み取れない顔だ。

「子供の頃から明人は優秀で勉強もスポーツもできて、俺の周りはみんな明人に惹かれてた。俺は何をやってもあいつには勝てない」

「聡次郎さん?」

思わず名前を呼んだ。突然自虐的になる聡次郎さんに驚いた。

「兄さんもそうだ。優しくて気遣いができる。努力家だから父さんも小さい頃から兄さんを後継者として育ててきたんだ」

聡次郎さんの心に触れた気がした。けれどそれは聡次郎さんにとっても私にとってもいい話題だとは思えない。

赤信号で停車し、聡次郎さんの話も止まると私は口を開いた。

「はっきり言って、私は聡次郎さんを嫌いじゃないですが苦手です」

思い切って本音を口にした。

「何を考えてるかわからないし、強引だし、きつい言葉に傷つきます。今日だって突然家に来られても困りますから」

聡次郎さんが驚いて私を見た。

「連絡先を知っているんだから電話なりLINEなりしてから来てください」

「……ごめん」

初めて聡次郎さんから謝罪の言葉を聞いた。でも私以上に目を見開いた聡次郎さんは変なものを見るように私を見つめる。

後続の車のクラクションで我に返ると目の前の信号は既に青になっていた。走り出した車内で無言の状態が続き、しばらく走り続けた車は大型商業ビルの駐車場に入った。

「ここに用事ですか?」

「雑貨屋に寄りたい」

それだけ言うと聡次郎さんは先に車を降りた。車の前から回り込んでシートベルトを外す私の横に立つと助手席のドアを開けてくれた。

「ありがとうございます……」

意外な行動を不審に思いながら車を降りた。

「梨香」

名前を呼ばれつい身構えた。出会ってからの短期間でも聡次郎さんに呼ばれると警戒する癖がついてしまったようだ。

「俺の前でも梨香を笑顔にしてみせるから」

「え?」

言われた言葉を飲み込めずに聞き返した。

「梨香が俺のそばで安心できるように努力する」

聡次郎さんは至近距離で見たことのない真剣な顔を私に向けた。その目が吸い込まれそうなほど綺麗な瞳なことに気がついた。こんなに近くで聡次郎さんの顔をまじまじと見たことなんてなかった。

「あの……」

努力するとはどういう意味ですかと問おうとしたとき、「行くよ」といきなり私の手を握り入り口まで歩きだした。

「え、え?」

前触れもなく手を握られ更に驚いた。

「聡次郎さん、手」

「あ?」

「手!」

私の慌てぶりに聡次郎さんは不機嫌そうな声を出す。

「駐車場は危ないだろ」

確かに車が突然動いたり向かってくることもあるだろう。だけど私はもう子供じゃないのだ。

「嫌なの?」

「嫌じゃないですけど……」

不機嫌な聡次郎さんに嫌だとは言えない。けれど手を繋ぐこの行為の意味が知りたい。

「婚約者だろ。手ぐらい繋ぐ」

「今はふりなんてしなくていいじゃないですか。会社の人は誰もいませんよ」

「普段から自然にしてないと家族の前で誤魔化すなんてできないだろ」

「そうですか……」

言い返すこともせず繋いだ手を解かないまま黙って聡次郎さんの横を歩いた。
婚約者を演じる必要がない時間でもこうして婚約者でいなければいけないなんて契約にはない。さっきの言葉といい、もしかしたら私をからかって楽しんでいるのかもしれない。このままこの関係が続けば聡次郎さんのそばにいて安心できる日が来るとは思えない。





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