【また次に会う日まで】
【また次に会う日まで】
リーシャは、淡い雪が降る空を見上げた。
灰色の曇った空から降る雪はとても冷たい。しかし、リーシャがルカに監禁されていた土地よりは遥かに温かい土地だなと思った。黒いコートと、毛がついた帽子や手袋があれば、十分に寒さをしのげる。肌が出ている頬は寒いが、身をすくむような寒さではない。
「帰ってしまうのかい?リーシャ」
ルカは、もう何度目にもなるが、訊いてきた。
マスロフスキーの屋敷の扉の前で、リーシャは子爵家の馬車に乗ろうとしていた。黒い馬が導く自分の馬車には、ラザレフ家の家紋であるテンが記されている。
「一応、父さん亡き今、私は子爵家の当主ですからね。仕事に恵まれているので、帰らなくては···」
アレクセイが殺され、リーシャはラザレフ家の当主を継ぐことになった。
彼が殺された真相を知ってから、驚くほど速く日々が過ぎていく。アレクセイの葬儀、ラザレフ邸の屋敷の相続など、やることは山ほどあった。
人が死んだ後やらなければならない事が多いのは、ずっと故人を忍び、悲しみ続けることがないようになのかもしれない。
「···リーシャ。君が帰ってしまうなんて、ボクは耐えられないよ···」
自分のコートの袖を、ルカはぎゅっと握りしめた。彼の悲しみの表情を見て、リーシャは苦笑する。
(···この方は、子供みたいですねぇ)
自分よりも年上のはずだが、そうは見えない。悔しい話だが、彼のしょぼくれた顔には、つい可愛らしいと思ってしまうような力がある。
「はぁ、監禁したい···」
「···物騒なこと言わないで下さいよ。もう監禁生活は御免です」
彼が握る袖口を、取り払う。可愛いなどと思ったのは間違いだったらしい。
「あなたの誘拐、監禁は警察には言わなかったのですから、感謝して下さい。もし言っていたら、例え公爵でも警察に捕まりますよ」
―――事情聴取をされた際に、リーシャはルカの家に監禁されていた事実を、言わなかった。アレクセイが殺された後、ルカが自分を誘拐しなければ、自分はファリドに捕らわれていたのかもしれない。
何も知らない自分は、そのまま結婚証明書にサインをしていた可能性だってあったのだ。偽皇女として祭り上げられていたかもしれない結末を考えれば、まだルカに監禁されていた方が、良かったと言える。
(···それに···)
リーシャは自身の中に芽生えた感情に気づき、警察の前で口を閉ざしたのだ。
「私、あの日々は楽しかったですよ。ルカさんが屋敷から連れ出したことや、監禁されたなどと警察に言って、誤解されたくありませんでした」
彼の別邸で過ごした日々が楽しくなかったと言えば、嘘になる。
愉快な使用人に囲まれ、ルカと推理ゲームをしたりして、リーシャは楽しんでいた。
リーシャの言葉を聞き、ルカは驚いていた。
「リーシャ···」
ルカは目を光らせた。うっとりした視線を浴びると、やはり居心地は悪い。視線を彷徨わせると、ルカが自分の手を握ってくる。
「それって、もう一度監禁していいってことかな?え、誘ってる?」
「···いえ、そういうこと言ってるんじゃないんですよ。あなたのそういうところ、本当にイラッとしますね」
何とかして、自分をまた閉じ込めたいと思っているのだろうか。
リーシャは苦笑を零しながら、ルカが本当に自分の気持ちを理解してくれるのはいつになるのだろうと思った。
自分は外に出たいと言っているのだが、彼としては閉じ込めたいらしい。
(···本当、少しずつでも理解してもらうしかないですね)
「だってボクは君を愛しているから、ずっと側にいることができるようにしたいんだよ」
手を強く握られ、ルカに囁かれた。
彼の夢見るようなうっとりとした言い方に、くらりと目まいを覚える。
(···側にいることと、監禁が繋がるとは――本当に、とても歪んだお考えでいらっしゃいますね)
長年培った彼の暗い感情と、リーシャは上手く付き合っていくしかないのだろう。
「監禁しなくても、私はあなたと共にいますよ」
リーシャは、彼の手を握り返した。
彼の手もまた手袋に包まれており、厚みがある手袋越しでは、温度は伝わらなかった。ルカが、え、と小さく動揺したのがわかった。自分から握ってきたくせに、握り返されるとは思わなかったのだろう。彼の反応に対し、リーシャは優越感を覚えた。
手にキスされた時のお返しが、やっとできたのだろうか。
「私が言った意味を、どうぞ推理して下さい」
彼の言葉を待たずに、リーシャはパッと手を離し、くるりとルカに背を向けた。馬車に乗り込み、優艶な笑みを見せ、頭を下げる。
「それではルカさん。またお目にかかる機会を、心よりお待ち申し上げますよ」
淡く外から降りてくる雪空の下、屋敷の前で立ち尽くす彼に、リーシャは告げた。