【特別な子?】
【特別な子?】
自分は、“完璧”でいなければならない。
そうリーシャが思ったのは、幼い頃にラザレフ家に引き取られてからだろう。
自分がラザレフ家に引き取られたのは、孤児院で、イワン皇帝に関して作文を書くという課題があったことがきっかけだ。
皆がアデリナ皇女のミステリーについて書く中で、リーシャはイワン皇帝が提案した最北の大地のシビリ開拓には十分な意義があったのではないかと書いた。それがたまたま、アレクセイの目に止まったのだ。
『君は、特別な子だ。特別な子は、相応しい教育を受けなくてはいけない』
孤児院で孤児としてではなく、貴族の子になる。あまりにもお伽噺のような話に、リーシャは物語の主人公になったのではないかと、自分の心が弾んだのを覚えている。
『これを、特別な子にあげよう。落としたら割れてしまうから、十分に気をつけるんだよ』
きらきらと輝く赤い宝石をもらい、幼いリーシャは喜んだ。金糸で刺繍が施された綺麗なドレスを着せてもらい、お伽噺のお姫様になったかのような感覚を覚えた。
しかし、喜びもつかの間に過ぎなった。ひたすら勉強ばかりの日々になり、リーシャは必死に勉学を頭に詰め込んだ。
アレクセイが求める完璧さを保てなければ、自分は捨てられてしまうのではないか。自分はまた、孤児院の孤児になってしまうのではないかと、強迫観念に囚われながら、リーシャは必死になって勉強に打ち込んだ。
(完璧でいたから、お貴族様の子になれて、伯爵家の婚約者にもなれて···)
「リーシャ?」
リーシャは、呼ばれて顔を上げた。向かい側には、ルカが腰掛けていた。
2人の間には、真っ白なテーブルクロスがひかれた四角いテーブルが置いてあり、朝食が並べられている。
ライ麦を原料にした黒いパンや、チーズやサラミ、スメタナと呼ばれるヨーグルトと似たもの、ビーツで作られたスープなど、朝食は簡素だ。
リーシャは黒いパンをちぎっている途中で手が止まっていた。
「はい?」
「料理は、口に合わなかったかな」
「いいえ、十分すぎますよ。家で食べていたものと同じですし···」
リーシャは言いながら、ルカと朝食を取ることに慣れてきていることが怖かった。
(監禁されてから、もう1週間になるんですよね)
リーシャは、監禁生活に順応していた。
元々ラザレフ邸でも、勉強漬けの日々で家に閉じこもりがちだったのだ。本邸で暮らすアレクセイとは食事のタイミングが合わず、1人で食事を取ることも多かった。
(むしろ、私は今の生活のほうが人と話していますね)
ルカは、昼間はどこかに出かけているが、朝と晩は必ず自分と食事をするようにしているようだ。ガリーナも自分と常に側におり、1人でいることは全くなかった。
ラザレフ邸の生活とは、真逆である。
(いや、だって食事を怠ることはできません。もし逃げ出すことができる時があったら、その機を逃すわけにはいきませんからね)
誰にする訳でもない言い訳を心中でしながら、リーシャは黒いパンの上にチーズをのせ、食べる。食べている姿を何故かじっと見られているが――これは食事の度のことなので、リーシャはいい加減うんざりしてきていた。
「何でしょうか?」
「今日も愛しいリーシャを見ることができて嬉しいなぁと思ってね」
ーーお決まりのセリフに、リーシャはイラッとした。それはどうも、と一応の笑みを浮かべて応える。
(何かと言えば、適当な嘘をつくんですから。真相を隠すために、必要なことなのでしょうか)
リーシャは考える。利害などなく、人を愛することはありえない。何か裏があるに決まっているのだ。
(まやかしの愛の言葉で、私の推理の邪魔などはさせません)
「リーシャ、今夜にスヴィエトを開こうと思うんだけれど、どうかな?」
「はい?スヴィエト、とは何のことでしょうか?」
ルカは驚いた素振りを見せた。スメタナを食べようとしていた彼の手が止まったことで、リーシャも驚く。
「スヴィエトとは、我が国では主に中流階級から上流階級の方々が家で行う宴のことですよ。上流階級に属するリーシャ様がご存知ではないとは、少し意外ですね」
後ろに控えていたガリーナが、淡々と語る。彼女の抑揚のない、長々と説明をしてくれるところに、リーシャは好感を抱き始めていた。
「そうなんですか?ラザレフ家では行われていなかったように思いますが···」
いや、もしかしたら夜会などと一緒に行われていたのだろうか。
リーシャは先日行われた夜会以外、参加したことがない。いつも離れから、本邸で行われているきらびやかな貴族たちの宴を、羨望の目で横目にしていた。
「オーブルチェフ帝国の冬は、大体皆が家にこもりきりになるからね。少しでも楽しめるように行われるんだろう。可愛い人形を手縫いで作ったり、赤ワインを開けたり、ごちそうを食べて、夜通し遊ぶんだ」
大陸でも北に位置する国では、意義があるイベントなのだろう。ルカも楽し気な口調で、リーシャは少し興味が湧いた。
(夜通し遊ぶなんてこと、私はしたことがありません)
「まぁ···お邪魔でなければ···」
ぜひに、という気持ちを正直に告げることができず、リーシャは控えめに言った。監禁されている自分が進んで誘拐犯の案に乗るのが嫌だったのである。
「じゃあ、準備手伝ってね」
「準備?···私達も、何か準備を手伝うのですか?」
「そうだよ、ボクもやるからね」
リーシャが指していたのは、自分やルカも手伝うのかということだ。宴の準備を行うのは、普通なら使用人だけのはずである。
「頑張りましょう」
後ろからガリーナが、珍しく言葉少なく、ぽんと肩を叩いてきた。