第1話 間違え
異世界ファンタジー。近年において爆発的なブームを巻き起こしているジャンルだ。
小説、漫画、アニメ、ドラマ、映画など、あらゆる娯楽メディアで異世界ファンタジーは展開され、人々は喜んでそれを受け入れる。最近では、娯楽メディアの9割が異世界ファンタジーという異常ともいえる状況となっている。
それらの中で特に異常ともいえる状況となっているのが《《小説》》だ。
出版各社の新人大賞ではまず異世界ファンタジーであることが求められるようになった。その次にその作品は売れるかどうか。そして最後に内容の面白さである。
さらに、小説界の最高の名誉とされる芥河賞と直樹賞でさえ、まず最初に異世界ファンタジーであるかどうかを確認される。
それにより、小説界では大きく分けて三つの作家が生まれた。
異世界ファンタジーを書き、富と名声を手に入れた作家。
異世界ファンタジーを書くものの、そこまで売れない作家。
異世界ファンタジーを書かずに自分の作風を守り、世間から非難され、もう二度と這い上がれないところまで堕ちた作家。
世の中は狂っていた。異世界ファンタジーを書くことを強要され、創造の自由は失われた。
では、その異常なブームはどこから始まったのだろうか。
全ての始まりはweb小説投稿サイト『作家になろう』に投稿された一つの作品からであったとされる。
しかし、現在ではその作品は削除されており、確認することはできない。商用になるため削除されたのかといえばそうではなく、アニメ化はどころか書籍化にすらなっていなかった。そのため現在は見ることのできない伝説的な作品である。
では、その作品について何も知れ渡っていないかと言われればそうではない。題名のみ判明している。
『無双転生 〜転生したので最強を目指す〜』
とてもベタであり、ありきたりな題名。とてもブームの火付け役となった作品には思えないものであった。
内容は色々噂だけが出回り、現在はどれが正解なのか分からない情報だけが一人歩きしてる状態である。
噂の有力な候補は――
♢♢♢
「なるほどねー」
一人の青年は、自室の勉強机に置かれているパソコンの画面を見つめて呟いた。
青年の名前は安堂《あんどう》優也《ゆうや》。高校二年生の男子高校生である。身長が高く、スタイルもいいが、とても目つきが悪い。よく睨んでいるのかと間違えられることがある。
そして今は夏休みの真っ只中。あまり友達もいない優也はこうしてクーラーが効いている自室に引きこもり、一日中ゲームやネットサーフィンをしている。
現在パソコンの画面に映し出されているのは、匿名で投稿されている『異常なブーム』と題名が付けられたブログであった。
画面をスクロールし、コメント欄を見る。案の定、コメント欄は大荒れであった。
『何が異常だよ!ただ異世界ファンタジーを批判したいだけじゃねぇか!』
『ムソテン(無双転生 〜転生したので最強を目指す〜の略)を馬鹿にするな!』
『購入者が読みたい物を提供するのが作家でしょ?当たり前じゃない』
『氏ね』
そんなコメント欄に優也は苦笑いを浮かべる。
「それを異常なブームっていうんだよ。なんでコメント書いてるコイツらはそれに気づかないんだし」
優也は今見ていないブログウィンドウを閉じて、新しいのを開く。そのウィンドウの検索欄に『ヨムカク』と打ち込んで検索する。
検索結果の一番上に『ヨムカク』があり、それをカーソルでクリックをしてページを開いた。
トップページには当たり前のように異世界ファンタジー作品ばかりが並び、ミステリーやSFなどといったジャンルはジャンル選択欄にすら存在していなかった。
ミステリーやSFなどの他のジャンルの作品を読みたい場合、『最近投稿された作品』か『作品名』で検索しない限り出てこない。
「これも異常な異世界ファンタジーブームのせいだな」
安堂優也は異世界ファンタジーが嫌いだ。あらゆる作品が似たようなものばかりであり、絞った後の残りカスが残らないほど使い古されたネタが使い回しにされていることが多い。なのに、それらの作品は《《なぜか》》人気となってどんどん書籍化をされていく。
一方、それらの作品に比べて明らかに面白い作品が《《異世界ファンタジーではないから》》という理由で叩かれたり、炎上したり、投稿している作家の個人情報が晒されたりする。
「…………」
優也はお気に入り登録した好きな作品を無言で読んでコメントして回る。もちろん作品に対する応援コメントだ。
お気に入り登録した作品をいくつか回っていると好きな作品の更新が止まっていた。
「この作品も止まったか……」
この作品の投稿が一ヶ月前から止まっていた。もしかしたら投稿再開するかもと思って毎日見て回ったが結局打ち切りのようだ。
――優也は小さくため息をつく。
この異常な異世界ファンタジーブームの影響で、この『ヨムカク』でも異世界ファンタジー以外の作品が叩かれる。そのせいで明らかに他の異世界ファンタジー作品より面白い作品が打ち切りや削除されていく。
最近のネットニュースで話題になっていたのが、異世界ファンタジー以外の作品をweb小説投稿サイトで投稿していたところ、心ないコメントのせいで作家が精神的に参ってしまい、自殺してしまったというものだ。
優也はSNSでそのニュースについての反応が気になって見てみると、『自業自得』や『当然の報い』などと言った投稿が見受けられた。最悪だった。
一通りお気に入り作品を読み終わると、マイページへとアクセスする。優也自身も作品を投稿しているのだ。もちろん異世界ファンタジーではない。自分が面白いと思った作品を投稿している。
優也はコメント欄をチェックする。そして先程より一段と大きいため息をついた。
「やっぱり、か……」
コメント欄は優也へと誹謗中傷で溢れかえっていた。
『面白いって本当に思って投稿してるの?』
『早く消せ』
『ヨムカクを汚すな』
『俺は異世界ファンタジーが読みたいんだ。お前みたいな作品は読みたくない』
『特定班!早く投稿者の特定を!』
その刹那、優也はおもむろに席から立ち上がり自室の壁を殴りつけた。
鈍い音が響き渡る。壁紙は破れ、下地にまで拳が達していた。優也の拳には壁の破片によって傷つき、血が滴り落ちていた。
「匿名だからって舐めやがって……」
優也は吐き捨てるように言った。
ギシギシと歯を鳴らし、眉間にシワを寄せている。しかし、その目には大粒の涙が溢れていた。
本当に自分の作品が面白くないのなら、暴言を吐かれようと納得する。しかし、異世界ファンタジーではないからという理由でこうしてコメント欄が暴言だらけになるのは納得いかない。
怒りと悲しみの入り混じった感情が自分の心を締め付ける。
なぜ、正当な評価がされないのか。なぜ、異世界ファンタジーでなければいけないのか。なぜ、他のジャンルを書いてはいけないのか。
優也の頭の中を『なぜ』という疑問符が渦巻いている。
ただ、一つだけ分かることがある。
《《間違っているのは俺じゃない》》。《《今の世の中の方だ》》。
「ねぇ!今、大きな音したけどどうしたの!?」
母の声に優也はハッと我に返る。慌てて自室の扉を開けて一階にいるはずの母の声に答える。
「寝ぼけてベットから落ちただけだよ!怪我してないから大丈夫!」
「気をつけなさいよ……」
母の呆れた声で返事が返ってきた。ホッと胸を撫で下ろし、扉を閉めた。
穴が空いてしまった壁を見て、自分の頭を掻き毟った。
「やっちまった……」
衝動的にやってしまったとはいえ、やってしまったことには変わらない。どうやって隠そうかと頭を巡らす。が、あまりいい案が思い浮かばない。
「家具の配置を変えて穴を隠そうにも、急に変えたら怪しまれるしなぁ……マジでどうしよう」
このまま怒られる。そして修理代は優也の口座から自動的に引き落とされる。そうすると、年末のゲーム次世代機に向けて貯金してるお金がパーになってしまいかねない。
「あー!どうしよう!マジでどうしよう!」
優也そうやって頭を抱えていると、突然自室の扉が開かれる。
「さっきから本当にうるさいわよ……あっ!」
母は入ってきて早々、穴が空いた壁を目にする。優也の顔が真っ青になった。
「あっ、その……はい……」
必死に言い訳を考えようと頭を巡らすが、その前に母がピシャリと言い放つ。
「修理代はバイト代から払ってもらうね!」
バタンと大きな音を立てて母は出ていった。
「終わった……」
優也は項垂れるしかなかった。