とある青年の日常
チュンチュンと外で鳥が鳴く音が小さく聞こえてくる。
「ん?」
最近耳にするようになったその音に目を覚ますと、まだ室内は暗いまま。足下が見えるかどうかといったぐらいの明るさなので、夜明け前なのだろう。
この世界は変わった世界だ。俺が前いた世界の常識など、ここではあまり通じないほど。
「……んー少し早いけれど、もう起きるか」
ベッドからゆっくりと下りる。布団から身体を出すと、朝の冷えた空気に包まれる。
「これぐらいなら問題ないな」
現在は冬になったかどうかという頃。朝晩の冷えが少しずつ増してきているが、元々居た世界の方が寒かったので、これぐらいはどうってことはない。
元々住んでいた世界にも季節というものはあったが、基本的に寒い日が多かったので、暑い日というのは一月か二月ほどしかなかったと思う。
この世界の季節は結構はっきりとしている。それでも段々暑くなってから、段々寒くなっていくのだが。毎年その繰り返しだ。と言っても、この季節も二年前に導入されたばかりなのだが。
俺がこの世界に来た十年前には、多少の寒暖差はあれども一年中穏やかな気候だった。それが二年前に、季節を導入すると言われてこうなった。改めて思うと冗談のようだが、実際こうして暑くなった後に寒くなってきたのだから冗談ではなかったのだろう。
部屋を出ると、顔を洗うために庭に出る。庭の井戸で水を汲むと、それを持ってきた桶に溜めて顔を洗った。
「ふぅ。今日も一日頑張らないとな」
顔を洗った後、軽く身体を解しながらそう思う。今日も朝食の後に訓練をしなければならない。
この世界はとても苛酷だ。町の中であれば安穏と暮らせるのだが、町の外に出るにはしっかりと力を身につけなくてはならない。そのための訓練だ。
俺がこの世界に来てから十年。訓練もこの世界に来て少しした頃からやっているので、こちらも十年だ。自分がどれぐらい強くなったのかは分からないが、強くなっているのは確実だ。なにせ今では、町近くに在る森の浅い部分であれば一人で行けるのだから。
元の世界の感覚的で言えば、少なくとも一般人の域は優に超えているだろう。街を滅ぼしていたあの魔獣ですら一対一なら負けるとは思えないほど。
それ程でいながら、ここでは森の浅い部分に踏み入るのが精々なのだから、やはりこの世界はおかしい。俺達に訓練を施してくれている教官であり、町を管理しているメイマネ様の話によれば、俺が苦戦する蟲の群れはこの世界では底辺に位置する強さらしい。もう少し森の深くに行けば魔獣も出るとか。それも、俺の世界で街を滅ぼした魔獣が可愛く思えるほどの強さらしい。
そんな話に身を震わせたものだが、その魔獣ですら大した事のない部類だと言われて、俺は強くなるまで森の深くには絶対に入らないと固く誓った。これからどれだけ訓練を積んだとしても、その魔獣を倒せるようになるかどうかぐらいまでが限度だとは思うが。
まぁ、生きていく上ではそれでも問題ないからいいが。
「そもそもこの実があるからな」
身体を解した後に軽く休んでいる間に視線を向けたのは、庭に生えている一本の木。背の低いその木には、美味しそうな色の大きな果実が二つなっている。
味も元居た世界では中々食べられなかったほどに美味しく、この実は摘んでも必ず朝と夕に二つ生るのだ。
これ一つで十分満腹感を得られるし、栄養も豊富。狩りや採集などしなくとも、これだけで生きていくことが可能なほど。
この木と井戸を庭に創ってくださったのは、この世界の管理者であるれい様。俺達兄妹がこの家に住む時に、生きていくうえで必要だからと、この二つをくださったのだ。
れい様に関しては、俺はあまり詳しくは知らない。メイマネ様に伺ったところ、れい様こそがこの世界の創造主らしい。つまりは神様だ。メイマネ様を創造なされたのもれい様だとか。
そのような方だけに、これだけの物を一瞬で創ってくださったのだろう。特にこの木は元居た世界では聞いた事もなかった。
「うーん、そろそろあいつも起きてくる頃か?」
朝の準備をしている間に明るくなった空を見て、この家に一緒に住んでいる妹の姿を思い出す。元居た世界では考えられないほどに健やかに育ち、もう大人と言ってもいい年齢になった。
訓練の方も一緒にやっているが、あいつは簡単な魔法しか扱えない俺と違って魔法の才があるらしい。それを駆使すれば、森の浅い部分になら妹も一人で踏み入る事が出来るぐらい。
「収穫しておくか」
実を二つ収穫すると、家の中に入る。この実は一日だけ保存が利くので、今収穫しても問題ない。もっとも、どうやら半日ほどしたら味が落ちてしまうようだが。まぁ、これから朝食で食べるのだから問題ない。それに味が落ちても食べられないほどではないのは救いか。
果実をそのまま洗って食卓に置いた後、木の実と山菜を軽く炒めた物も少量用意する。
質素だが今用意出来るのはこのぐらいだ。時折メイマネ様が肉を下さるが、調味料はあまりない。一応塩は支給してもらっているので、それをちょと振るぐらい。
「まぁ、これでも昔よりは贅沢だよな」
元居た世界では食べられない日も珍しくないし、腐った物しか食べ物が無いというのも割とあった。食べられても僅かに空腹を誤魔化す程度。そんな日々を送っていたのである。今がどれだけ恵まれているか。
「最初来た時はどうしようかと思ったけれど、今ではここに来られた事を感謝したいぐらいだ」
あの日、俺と妹は死すべきはずだった。しかし、そうとは思えないほどに今は恵まれている。この感謝はいつまで経っても忘れられないほどに深く心に刻まれている。
そうして用意した朝食を前に日々の感謝を想っていると、妹が起きてきた。
「おはよう。お兄ちゃん」
「おはよう。朝食は出来ているから、早く顔を洗っておいで」
「はーい」
庭に出ていった妹を見送ると、戻ってくるまでに今日の予定を思い出す。といっても、それほどやる事がある訳でもないが。
「まずは教会に顔を出さないとな」
この町の住民は少ない。俺と妹を入れても八人しかいない。残りの六人は教会の方に住んでいる。
「その後は訓練場に行って、訓練後は森に行ってみるか」
今日一日の予定を思い出したところで、妹が庭から戻ってくる。
「お腹空いた~」
「じゃあ食べようか」
「うん」
「「日々の糧をお恵み下さるれい様に感謝を」」
元々神など信じていなかったが、この世界には本物が居る。それに、実際れい様が果実と井戸を恵んでくださらなかったら、数日で俺達は死んでいただろう。
なので、俺と妹は初めて食事をした日から常にれい様に感謝を捧げている。といっても、最初は名前も知らなかったので「管理者様に感謝を」と言っていたのだが。
朝食を口にしていく。食器類は元々この家に在ったので困っていないが、そろそろ自分達でも作れるようになりたいところ。木製であれば何とかならないかな? 木を伐りに行かなくとも薪があるし。
台所に積まれている薪は無くならない。これもまたれい様のおかげで、自力で薪が問題なく調達出来るようになるまでは減らないらしい。今のところは木の一本ぐらいなら伐採出来るが、それも中々命懸けなうえに、なにより伐採した木を森から町へと運ぶのが難しかった。よって、未だに薪は減る事はない。
「本当に感謝しかないな」
「ん?」
朝食を食べながら思わず零してしまった言葉に、妹が首を傾げた。
「れい様は偉大だな、という話」
「何を今更」
俺の言葉に、妹は呆れた顔をする。まぁ、確かに今更ではあるが。
「まぁな」
それからは黙々と朝食を食べると、片付けまで済ませる。
「今日も教会に行くんでしょう?」
「勿論」
ニマニマと嫌らしい笑みを浮かべた妹に問われるも、それももう慣れたので普通に返す。
「それで、いつになったら二人は一緒に住むの? 家は用意してくださるって話だったでしょう?」
「メイマネ様はそう仰っていたな」
「なら、さっさと一緒に住めばいいのに。あっちの子供達も大きくなったんだし、もうお義姉ちゃんがお世話しなくても問題ないでしょう」
「それはそうだけどさ……」
「心配しなくても、教会の近くに家を貰えばいいんだから。いくら競争相手が居ないからってモタモタするのもどうかと思うよ」
「…………まぁ、うん」
「本当、ちゃんと考えなよ」
呆れと焦れったさでも感じているのか、少し苛立たしげにそう言うと、妹はさっさと外に出ていった。俺もその後に続いて外に出た。