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第3章-2 ヘル救出

 大気圏突入したアキト機からの情報は非常に役に立った。
 我とてダークマターの大気圏に突入した経験などない。ヘルの宇宙船からのデータでは、現在の惑星シュテファン大気圏内の気象情報が分からない。
 この気象状況であれば、宇宙船ごとの大気圏脱出も可能であろう。
『ジンの所業は、全て私とルリタテハ王国の為になるわ』
『少しは、オレの為にもなって貰いてぇーぜ』
 少しは、アキトの為になっているとも・・・。
 風姫の守護職でなくとも、ルリタテハ王家に出入りできるだけの実績を積ませ、能力を高めさせる。それはアキトにだけでなく、ルリタテハ王家と新開家にとっても利益になる。
 アキトの命は、ユキヒョウの中で優先度2位になっているのだ。アキト個人の価値ではなく、偏に新開家の次男であるということでの価値ではあるが・・・。
 そしてアキトを救うために、惑星シュテファンに激突する寸前、ジンは手打鉦の操作権限を奪った。センプウと地面の間にジンは手打鉦を差し込み、手打鉦の持つ斥力場をクッションとしたのだ。
「アキト、ユキヒョウよりセンプウの戦術コンピューターにアクセス許可申請がきているだろう。ユキヒョウの戦略戦術コンピューターに全アクセス許可権限を付与せよ。汝の無様な大気圏突入のデータが役に立つのだ」
 ユキヒョウの戦略戦術コンピューターとサムライ2機の戦術コンピューターの通信をリンクさせる。データの通信状態は非常にクリアだった。
『なあ、いちいち残念な形容詞をつける必要ってあんのか? 無様じゃなく、難しい大気圏突入を成功させた際のデータが役に立つでイイと思うぜ!』
 それとなく、難しいという形容詞をつけるところなぞは、中々に自分の売り込みが上手といえるかな? いや若い故に、無様に対して抗弁したかっただけだな。
 ディスプレイ越しに見えるアキトは、不満気な表情を隠そうともしていなかった。アキトの不満は風姫とでも会話して解消してもらうとして、放っておこう。
 何せ、我は忙しいのだ。
 風姫と彩香のオモチャにされて、却ってアキトの不満が募ったとしても、それは我の知るところではないな。
「ヘル、宇宙船の質量偏在データを詳細に寄越せ。汝が宇宙船ごと脱出したいのならばな」
『流石はジンだ。我輩の感謝と頭脳を存分に活用するがよい。さすれば、ルリタテハ王国の技術はミルキーウェイギャラクシー帝国にも、民主主義国連合にも負けはせぬぅうぅうううう』
「それは今でもだ。さっさと、質量偏在の情報を寄越せ」
『何をいうか? 送信したではないか』
「今、現在のを寄越せ」
『宇宙船の前部が潰れたのだ。そもそも質量偏在計算用の生データを再取得しても、精確性など保証できん。そんなのに、意ー味ーはないっ。ムゥーリィーだぁああああ』
「宇宙船ごと惑星シュテファンから飛び立つのだ。正確で精確な情報が必要である。1時間で情報を提出するのだ。やれっ!」
『どうやれというのだ、ジン。出来ないものは、出来ない』
 冷徹な口調でジンは、ヘルを誹謗する。
「出来ないだろうとの推測で思考停止するとはな・・・汝は本当に科学者か? 質量偏在情報がなく、どうやって宇宙船を大気圏脱出させるのだ。ヘルよ、一方的に無理な要求だけして協力できないなんぞ、子供の我儘に等しいな」
 厳然たる事実を言い放ち、科学者としての矜持を傷つけ、人格を蔑む。
 これで、ヘルの頭に血が昇る。
『ぐぬぅううう』
 ダークマターとダークエナジーの知識。研究開発力、技術力はヘルが圧倒的に上であり、それらを交えた議論では我は敵わぬ。しかし一条家の始祖にして、ルリタテハ王家に多大な貢献を成している我に、人を、組織を動かす議論で負ける要素はない。
 ヘルを思い通りに動かすための仕込みは上々。
「良いか、ヘル。汝の宇宙船が数日惑星シュテファンで過ごしたデータとサムライシリーズの大気圏突入のデータから演算した結果、4時間は気象が安定しているだろう。しかし、その後はどうだろうな? 故に、3時間後には宇宙船を地表から飛び立たせる」
 必死になって、船内コンピューターでシミュレーションしているのがわかる。
 苦渋の表情を浮かべ、ヘルは返答する。
『1時間では・・・無理・・・だ』
 そうだろう・・・1時間では、我でも無理だな。
 2時間以内に質量偏在情報がくれば良い。
 これでヘルは、どうすれば最短で質量偏在情報を導き出せるか、頭脳を最高速度で回転させているはずだ。他の考えに脳のリソースを割り当てる余裕はない。
「できなければ、汝は暫く惑星シュテファンに滞在すれば良いだけだ。我らは一旦ユキヒョウに帰還し、汝が質量偏在情報を送信できるまで待つとしよう。そして気象が安定している時に、作戦行動を開始する。嵐の中で大気圏脱出するなど、リスクを負うというより、失敗を前提として行う暴挙でしかないからな」
 嵐の一夜を過ごし、ヘルの宇宙船の破損は酷くなっていた。
 その時の嵐は、惑星シュテファンで当たり前の規模と推測されている。より酷い嵐があり得る。たとえば、嵐にダークマターとダークエナジーが混じりあい質量体が宇宙船に激突する。その衝撃は、宇宙船を破壊する程の威力かもしれない。
「次の嵐でも、宇宙船が無事ならば良いがな?」
 我は、4時間後に嵐がくるとは言ってなどいない。”どうだろうな?”とヘルに尋ねただけだった。4時間後も気象は安定した状態だろう。
 そして、少なくとも今から12時間は、嵐が来ないとユキヒョウの戦略戦術コンピューターは予測している。
 暫く沈黙してから、ヘルは絞りだすような声を出す。
『我輩に、1時間22分与えてくれ』
 シミュレーション計算が完了したようだった。
 1時間22分の間、他の事を考える余裕を奪うとしよう。
 ヘルの放った台詞を随所に使って、言葉の内容いで圧力をかけるよう語りかける。
「良かろう。ただし、その時間でデータを演算して質量偏在情報として出力できなければ、36年間の研究成果物はなくなる。汝が、愚かにも程があると言ってた結末を迎えるのだ。そして汝が、人類の技術革新を100年遅延させる事になるだろう。心して取り掛かるのだ。良いか、人類の未来の可能性を奪うも、救うも汝となるのだ」
『いいとも。やってみせるともっ・・・我輩は、人類の宝を持って帰ってみせるぞぉおお・・・』
 暑苦しいヘルの自己満足を遮って、アキトが呼びかけてきた。
『ジン、ヘルを言い包めてっとこ悪いけどよぉ。気象データを取得するために大気圏突入したんだったら、もうオレは必要ねぇーよな? だったら、ユキヒョウに戻ってるぜ。その方が、大気圏脱出のデータを取得出来る。それにだ、より多くの気象データを取得できるぜ』
 良い提案だ。しかし提案の裏側には、ヘルの相手をするのが面倒だという意図が見え隠れしている。
 その気持ちは分からなくもない。
 正直言うと、我も面倒で仕方ない。
「アキトよ、汝には任せたい重要な作業がある」
『重要ねぇ~?』
 疑り深い口調のアキトが鋭い指摘をする。
『それは重要な雑用という意味なんだろ?』
 頭の良さで人型兵器”サムライ”シリーズと防御システム”舞姫”の操作をマスターした。そして経験から、言葉の内容と現状を把握し、相手の意図を読みとれるようになってきた。
「理解が早くなってきたな。良い傾向だ。我が褒めてやろう」
『皮肉か?』
 成長は早いが、少し捻くれてしまったようだな。いや、そういう素養があったのだろう。うむ、そうしておこう。そうでないと、新開家から我の所為だとクレームがつくしな。
「いや、本気で褒めているのだ。成長したな、アキト。そうさなぁ・・・我の10歳の時の実力から一気に14歳ぐらいの実力にはなったようだ」
『オレは16歳だぜっ!』
「無論、知っている」
 そう言うと、早速ジンはアキトに重要な雑用を申し付けたのだ。
 ヘルの方は精確なデータ取得の為に、宇宙船内を駆けずり回りながら、ロイヤルリングで生データの収集とチェックを実施していた。
 アキトに与えた重要な雑用は、あくまで雑用。ジンは重要な作業を実施する。
 そして頭脳の大半のリソースを、現在の状況の整理と検討をし始める。
 天の川銀河系の人類の勢力は、大きく3陣営に別れる。3陣営の国力をパーセントで表すと、民主主義国連合39%、人口約1000億人。ミルキーウェイギャラクシー帝国35%、人口約1000億。ルリタテハ王国25%、人口約500億人ぐらいである。
 どの国家にも属していない独立勢力が幾つかあり、合計50億人ぐらいいる。しかし、そのいずれの勢力も、辺境といって差し支えない場所にある
 ルリタテハ王国は戦争を望んでいない。
 勿論、我も望んでいない。
 だが、ルリタテハ王国の技術力とオリハルコン鉱床・・・正確にはオリハルコンとミスリルの鉱床を手に入れたがっている。
 また、ルリタテハ王国内と王国周辺の詳細なワープ航路図。果ては王国内でも、ほんの一握りにしか公開されていない、幾つかのダークマターハローへのワープ航路図。
 民主主義国連合は、建前上戦争を忌避している。だが大義名分があれば・・・必要とあれば、捏造してでも戦争を始める。
 ミルキーウェイギャラクシー帝国は、あからさまに狙っている。
 ダークマターハロー”カシカモルフォ”のワープ航路図の作成に我は7年間をかけた。他にも10年間をかけ、幾つかのダークマターハローのワープ航路図を作成した。
 そう、コールドスリープの必要ないジンは、天の川銀河系一の冒険家であった。ルリタテハ王国の繁栄の一端は、間違いなく現人神”一条隼人”の功績である。
 我の今は、余生にしてゲームの参加者。
 余生は面白可笑しく、しかも愉しく過ごす。その為の環境づくりに、手間暇は惜しまない。
 それに、簡単なゲームは詰まらない。難敵共に対し、己の全能力を使って勝つから遣り甲斐がある。
 そのゲームの名は”国造り”。
 手駒は”ルリタテハ王国”。
 難敵は”民主主義国連合”と”ミルキーウェイギャラクシー帝国”。
 賭け金は”我が命”。いや、余生か・・・。それと、基本的には命の貸しがある者達。
 勝利の報酬は”ルリタテハ王族”と”一般市民の幸せ”。
 さて、と・・・。
 我が余生を、存分に愉しむとしよう・・・。

 ヘルは携帯型の質量測定器を持って宇宙船の前部で質量偏在データを取得し、長年課題にしていたパッチ作成も完了させたのだった。
 そして1時間17分で質量偏在情報を導き出し、ユキヒョウへのデータ送信は2分間で完了した。
「やはり我輩は、天才っだぁああああーーー」
 ヘルは両手を突き上げ全力で喜び、大声で己が天才である理由を叫ぶ。
「そう、1時間22分とコンピューターが導き出した最短時間を、我輩は3分も短縮したのだぁああああーーー」
『あのさぁあ、ヘル。たった3分の短縮が、何で凄いんだ? オレには、まっっったく理解できねぇーぜ』
 嫌味成分がたっぷり入ったアキトの台詞だった。
 しかしヘルは、気を悪くした様子が全然、まっっったく、微塵も感じられない。
 人は自分の能力の範囲内でしか他人の能力を計れない。故に凡人は、我輩がどれほど高みにいる天才であるのか理解できないのだぁあああーーー。まあ、そうだろうとも・・・。そんなことぐらい、寧ろ百も承知しているとも・・・。
「アキトだったな。子供でも理解できるぐらいに、噛み砕き、磨り潰し、粒子レベルにまで簡単にし、教授してやろう。いいか、心して聞くがよい」
 熱の籠った、ヤル気溢れるヘルの宣言に対して、アキトは素っ気なく平坦な口調で返答する。
『いや、いらないから』
 そう、わかっているとも・・・。科学者にありがちな、その分野の人間にしか理解できない単語ばかりで、延々と良く分からない説明をされると恐れているのだろう。
 だぁーがぁあああ・・・我輩はTheWOCの役員連中にプレゼンして、研究室の予算を獲得し続けてきたのだ。楽勝だぁああああ。
 だから、ヘルは気づけていないのだ。
 それが、TheWOCから放逐された一因になっていることを・・・。
「結論から言おう。コンピューターで実行する演算の一部を我輩が実行したのだ。そう、新しいアルゴリズムが突如として閃いたのだ。まぁ、さぁ、にぃー、天啓を授かったといって良いぐらいだ。もしかしたら、ジンの・・・現人神のお蔭かも知れんな」
 アキトの表情が少し和らぐ。
 どうやら、掴みは上手くいったようだ。
 流石は我輩。
 商品化の目途のない基礎研究であるダークマターハローの惑星調査企画を押し通した。その調査に、TheWOCの年間利益の1割もかかるとの試算であった。
 んっ?
 違ったか??
 おおぉー、そうだった。
 表向きは、大量のオリハルコンがある蓋然性が高く、鉱床発見の可能性があるとしていた。科学者、研究者の矜持にかけて、もちろん嘘はついていない。
 惑星に大量のオリハルコンは存在する可能性が高い。1%でも可能性があれば、嘘にはならない。それに実際、惑星シュテファンにオリハルコンは存在していたのだ。
 しかし鉱床の発見については、”可能性がある”とだけ報告しているのだ。鉱床になり得るのか? 鉱床になったとして採算がとれるのか?
 そこには、全然言及していない。そんなの我輩の知ったことではない。
 だから、ヘルは気づけていないのだ。
 それが、TheWOCから放逐された主要因になっていることを・・・。
 さあ、アキト。
 勉強のお時間だ。
「まずは基本からだ。現在の量子コンピューターのOSは、下位互換性を重視していて余計なロジックが大量に含まれている。量子ビットの並列化が順調に進み、演算速度に問題が出なかったから、見過ごされきたのだ」
 量子ビットが1つ増える毎に、量子コンピューターの処理能力は16倍になる。量子ビットの並列化は、処理能力向上に多大な貢献をもたらす。
「しかぉーし、これは美しくないのだよ。アルゴリズムと呼んで良い代物ではなぁーい。いいか良く聞け。そもそもだ。アルゴリズムとは、問題に対する解を求めるロジックの最適化なのだ。我輩は、兼ねがねパッチを作成して綺麗な無駄のないコードにしたいと考えていたのだ。ダークマターの研究以外に思考をリフレッシュさせるために、コードを解析していた。もちろん気づいた点はメモしてたぞ。そしてジンに追い込まれた刹那、そのメモが有機的に繋がったのだぁあああーーー。」
 アキトは真剣な表情をして、大気圏脱出の為の作業を実施している。
 少年とはいえ、流石はルリタテハ王国のトレジャーハンター資格を持つ者。知識と理解力を兼ね備えているようだ。
 説明し甲斐があるそぉおおおーー。
 いいぞ、いいぞぉおおおーーー。
 ヘルは更に気合をいれた。
 そして、声は喜びを伝えている。
「さてっ、いくら天啓を受けた我輩とて、OS全ての最適化を短時間で実施するのは難しい。しかしぃぃぃだぁあ。今回は、質量偏在情報を処理するアプリケーションと関連しているロジックのみに絞り込んで検討すれば良いのだけなのだ。アプリケーションとOSを繋ぐインターフェースからロジック変更箇所を特定し、改修パッチを作成したのだぁあああーーー」
 両腕を大きく広げ、オーバーアクションで、その素晴らしさを表現した。
「前段は、ここまでとし、いよいよ本題に入るぅうううう」
 ヘルは、その場でステップを踏み、右回転し、ポーズを決める。
「いいかぁあ、今から修正パッチのコードを送信する。全部で約200のコードがあり、OSのインターフェース毎にパッケージ化して・・・・・・」
 アキトの真剣な視線は、コードを見ていない。それにヘルは気が付いたのだ。
「おいっ!! アキトとやら・・・我輩の説明を聞いているか?」
『こっちは忙しんだ。邪魔すんなっ!』
 視線すら合わせないアキトの態度に、ヘルが激昂する。
「なっ、なんだとぉおおおお。我輩の・・・・・・」
 ジンが怒りの表情が、ヘルの宇宙船のメインディスプレイに映し出される。
『煩いぞ、ヘル。汝の宇宙船の為に、我達が苦労しているのだ』
「ジン、それには感謝する。しかしぃぃぃだぁ。それはそれ。これはこれ。この我輩の成果を説明するのに・・・・・・」
『黙れ!』
 我輩には判る。
 ジンがマジ怒っている。
 すっげぇー、ヤバイ。
「・・・はい」
 ルリタテハ王国の現人神に逆らうべきではない。それ以上に、デスホワイトと敵対関係となるのは、命を捨てるも同然。
 デスホワイトは、宇宙戦艦すら撃破するのだ。
『良いか、ヘル。汝の宇宙船をここより宇宙空間に脱出させる。その際、ダークマターがどれ程の脅威となるか、推測は不可能なのだ。出来得る限り我とアキトで、ダークマターから宇宙船を護るが、半端でない衝撃に襲われるのを覚悟しておくが良い』
 ヘルは素直に頷く。
「なるほど、理解した。つまり我輩の体を固定するだけではなく、衝撃を和らげる工夫せねば・・・。しかもだぁあああ。ダークマターが宇宙船に衝突したならば、無事には済まないだろう・・・と」
『漸く足元に眼がいったようだな。良いかっ。重要なモノほど、貴重なモノほど、船内で防護の堅い場所に仕舞っておくのだ』
 後1時間ぐらいで、出発となるのか。
 それでは、すぐに準備をせねばならぬ。
 何せ、我輩の宇宙船には、重要で貴重なモノが満載なのだぁあああーーー。
「承知したぁあああ。必ずや護りとおして見せようぅうううーーー」

 ジンが惑星シュテファンに降り立ってから3時間、アキトは勤勉に働いていた。彼は生存確率を上げる為の努力を厭わない。
 何もかもが、ジンの指示通りに動かなくてはならないのは非常に癪に障る。しかし指示の意図が明確に伝えられ、その作業結果も納得のいくものである為、反論もできない。
『ショーの時刻になったわ。みんな良いかしら? 盛大にやるわよ』
 準備が完了した。
 後は大気圏を脱出するだけだ。
「オレは、いつでもイイぜっ!」
『構わぬ。作戦コード”光の演舞”を開始せよ』
「・・・なあ、作戦コードなんて、いつ決まったんだ?」
『畏まりました。作戦コード”ヘルの道化踊り”いつでも構いません』
 あぁー、適当かぁ。
『作戦コード”アキトの特訓”開始するわ。ユキヒョウ全砲門、レーザー発射っ!』
 風姫の凛とした心地よい声音が、クールメットの骨伝導システムを通して鼓膜に響いた。
 作戦コード”(不本意だが)ヘル救出”開始だっ!
 アキトは心の中で呟く。
 声に出さない分、まだ風姫たちの悪乗りに染まり切っていない。ただ戯言を考えてしまっている時点で、染まり切るのも時間の問題だろう。
『レーザー発射っ!』
 彩香が復唱すると同時に、ユキヒョウからヘルの宇宙船へと眩いばかりの輝線が迸る。
 観測手の史帆が結果を告げる。
『全弾直撃』
 ヘルの宇宙船と共に、アキトのセンプウも吹き飛ばされる。
「ぐおっ、おぉおおおおおおーーーー」
 体が強烈なGに、襲われた。
 センプウの重力センサーを交換し、設定を5Gで最適化した重力制御システムですら操縦室に強力なGをもたらしたのだった。
『第2射用意』
 通常ユキヒョウの全砲門は幽谷レーザービームを発射するのだが、今はレーザーのみの設定にしている。
 レーザーは電磁波であり、ダークマターやダークエナジーと干渉しない。つまりレーザーにとって邪魔な物体はない。大気圏だけでなく、惑星すら干渉できないのだ。
 物理的な衝突で破壊するビーム(荷電粒子)は、惑星を射線上に入れてしまうと、ダークマターによって遮られる。惑星にめり込んだヘルの宇宙船を叩き出すのに、レーザーが効率良いのだ。
 もちろん、ヘルの宇宙船を破壊する訳にはいかないから、設置した手打鉦を狙ってだ。
 そう、アキトが3時間に亘り実施していた作業は、手打鉦の底を宇宙船にしっかりと固定することだった。
 アキトの固定した手打鉦を狙いやすい位置へとユキヒョウが移動する際、注意すべきは惑星の重力だけなのだ。
 つまりユキヒョウは、惑星の重力の影響を受けないよう気をつけていれば良い。
『斉射ぁ』
 風姫が再び命令する。
『斉射っ』
 彩香が復唱する。
『全弾直撃を確認』
 史帆が結果を告げる。
 ヘルの宇宙船は順調に高度を上げていった。
 手打鉦の内側に当たったレーザーが反射し、宇宙船は推進力を得ているのだ。
 宇宙船に取り付けられた手打鉦は15枚。ユキヒョウのレーザー砲は10門。手打鉦が5枚余っているが、その5枚はヘルのいる区画を護るように設置してある。
 数十回もの一斉射撃により宇宙船は、既に惑星シュテファンの粘性の高い層に到達していた。
 そこで、ヘルの宇宙船にレーザーが掠る。
 ユキヒョウのレーザーが的を外したのだ。
『オートモード切断。射撃を戦闘体制に移行。彩香、主砲を放て。宇宙船に当てさえしなければ構わぬ』
「はっ? オレたちには命中してもイイのかよ!」
『何の為の手打鉦かっ・・・。己と宇宙船ぐらいは護れるだろう。彩香、レーザー照射時間を最短に設定。連射モードに変更せよ。この高度から墜落したら、宇宙船は完全に潰れる』
 レーザーの照射時間を最短に設定したのは、的である手打鉦から外れ宇宙船に命中しても、被害を最小にするためだ。
「テメー、何が天啓を受けただっ! 失敗してんじゃねぇーかっ!!」
 怒鳴りながらも、アキトは5枚の手打鉦でランダムに迫りくるダークマターの塊から、宇宙船を防御していた。
『バカを言うな。我輩のパッチには何ら問題はない。緻密で精度の高い演算結果が得られるようになった。しかも演算速度も向上しているのだぁあああああーーーー』
 上から落ちてくるダークマターは方向を逸らし、下から迫りくる巨大な塊は手打鉦2枚と惑星シュテファンの大きな重力を利用し力ずくで叩き落とす。
「テストとデバッグは重要だぜ。やったのかよ」
 アキトの正面にあったダークマターが突然破裂し、多数の破片となってセンプウと宇宙船を襲う。それをセンプウの標準装備、多弾頭短距離ミサイルで迎え撃ち。センプウの手元に戻していた2枚の手打鉦を連続で投げつけた。
 これで斥力だけでなく、センプウとほぼ同じ大きさである手打鉦の物理的な衝撃でもって、撃ち漏らしを残らず撥ね退けた。
『そんなものは必要ないし、間違ってもいないっ。我輩のパッチにテストやデバッグなぞ不要なのだぁあああああ』
 巨大な塊から宇宙船の船底を護った手打鉦2枚を左右に展開させ、アキトは側面を警護する。
『それでは、説明になってないな。この結果の原因はなんなのだ。我が納得できる説明を聞かせてもらおうか』
 ジンがヘルを詰問した。
『簡単なことだ。データ自体が間違っている』
『データ自体に誤りがあるのは何故か? それとパッチのテストはしたのか?』
 その間も、ジンは手打鉦10枚を操り、ダークマターから完璧に宇宙船を護っている。
 鋭い視線の圧力に耐えきれなくなったのか、ヘルが斜め下を向き白状する。
『データ取得の為の船内センサーが、宇宙船前部で1割使用できなくなっていた。携帯型の質量測定器で実測したが、正確な値にはなり得ない。実測から補正した値と、質量測定器を持ち込めない位置は推測値としたのだ』
 ジンは平然とした表情で、かつ視線をヘルに固定している。その状態で、四方八方からの襲来するダークマターとダークエナジーを、手打鉦で弾き、逸らし、叩き落としている。
『・・・・・・テストツールで、ブラックボックステストを実行した。データは実際の値と境界値を使用した。もちろん繰り返し処理もテスト済みである』
『ならば、構わぬ』
「イイのかよ、ジン」
『問題はないな。宇宙船の前が潰れているのだ。精緻なデータが取得できるなどと、楽観なぞしていなかったし、期待もしていないかった。我は最初から・・・』
 ヘルの宇宙船が乱気流に巻き込まれ激しく揺れ、レーザーが手打鉦を外す。
 的を外したレーザーが宇宙船の潰れていた前部を直撃した。それも連射モードだっため、宇宙船の左舷から右舷までレーザーで穿たれた黒いドットが一直線に並んだのだ。
 黒いドットによって宇宙船の前部に描かれた点線は、明らかに装甲より穴の面積の方が多い。
 宇宙船の潰れていた前部分がキレイに無くなった。
『なっにぃいいいーーー。コヨーテの牙が無くなってしまったぁあああーーー』
 頭を抱えて中年男が身悶える姿は、美しくないがイイ様だ。
 ヘルに向かってアキトは、冷笑を浴びせようとした・・・。
『まあー良いかぁ。これで我輩の罪も帳消しになったようだしな』
「なる??っ! なあ、ジン。もう捨ててこうぜ」
『冗談でも笑えんなぁあ』
 やれやれ、とばかりに両掌を上にして肩を竦める姿は、オレのイラつきを倍増させる。
『宇宙船の前部分が無くなったのだから、もはやデータの再取得は不可能。つまり我輩の罪を証明することも不可能。なぁ、らぁ、ばぁあ、推定無罪が成り立つのだぁあああーーー』
 そういう態度が様になる翔太なら許せただろうが、禿頭のヘルをアキトは許せなかった。
 ダークマターの塊に、手打鉦で思いきり八つ当たりしてながらアキトが叫ぶ。
「オレはマジで提案してんだぜ。ポンコツ科学者がっ!」
 怒鳴り声に続き、暴言がまさに口から出ようとした瞬間、宇宙船が前方回転を始めた。
 キレイになった前部から粘性の高い層を斜めに抜けた結果、宇宙船のバランスが崩れたのだ。
 アキト機とジン機は宇宙船に両足を固定しているため、振り落とされることない。
『彩香、ユキヒョウの戦略戦術コンピューターの処理能力を全て砲撃に回し、宇宙船の回転を止められるか演算するのだ』
 サブディスプレイから、ユキヒョウ船内の映像が消え1分が経った。そして、ユキヒョウからの可視光線が、宇宙船に3発とセンプウに1発命中した。
 次の瞬間、サブディスプレイにユキヒョウの船内が映り、彩香が結果を伝えようとする。
『ジン様、演算した結果でシミュレーションを実施しましたが・・・』
 頭のイイ奴って、時々バカだな・・・。
『結果は直接、眼で確認した・・・が、如何にすべきか?』
 集中すると視野が狭くなって、単純な方法が思いつかねぇーだな。
「おおぉおぉーーっ!」
 縦回転を止めるには、回転方向と逆方向に力を加えればイイんだぜ。
 アキトは、宇宙船の後部分を5枚の手打鉦で上から叩きつけた。
『なんとっ』
 ヘルが驚きの声を上げた。
『我輩の船を傷つけるなぁあああーーー』
 もう一度、今度は調整するために、アキトは手打鉦を軽く宇宙船に衝突させる。
 これで完全に、宇宙船の回転が停止した。
「はっ? なんでだっ。そこは褒め称えるべきとこだぜ」
 アキトは、ヘルに噛みついた。
 そのアキトに、ジンが注意する。
『アキトよ、油断大敵だ。汝の義務を果たせ』
 まだ、惑星シュテファンの大気圏を脱出できていない。そして、粘性の高い層を抜けても、少ない数ではあるが、ダークマターの塊が存在する。
 それをジンが、10枚の手打鉦を操り、完璧に防いでいた。
「くっ、ヘル。テメーとは1度、徹底的に話し合う必要があるようだぜ。覚悟しとけっ!」
『承知したぁあああーーー。貴様の愚かさを、我輩の知識で完全論破してやるぅうううーーー』
 粘性の高い層を抜けてからは順調に進んだ。
 アキトとヘルの仲以外は・・・。
 ユキヒョウからのレーザー発射は、途切れることなく延々と続いていたが、漸く終わりが見えた。
 ヘルの宇宙船が大気圏を脱出し、暫くして惑星シュテファンの重力圏からも抜けたのだ。
 アキトは感慨深く、惑星シュテファンを顧みる。
 だが、ディスプレイには何も表示されていない。
「あっ・・・」
 そうだった。ダークマターは目で見えないんだ。
 オレは後ろを振り向かない男だっ! そういことにしておこう。
『アキト、ダークマターは見えないわ』
「そんなの知ってるぜ」
『では。何故、振り向いたのか説明してもらいしょうか?』
『声も出てた』
 史帆が指摘し、風姫が物証を提示する。
『証拠の映像もあるわ。ほらっ』
 メインディスプレイ全面に自分の顔が映り、”あっ”という間抜けな声が再生された。
「なぁ、そんなツッコミ必要かっ?」
『精神的なゆとりは必要だわ』
 オレのメンタルはっ?
 それは、どうでもイイってかっ!
 文句を心で呟きつつも、ゆとりを取り戻したアキトには思い出したことがあった。
「そういや、”コヨーテの牙”ってなんだ?」
『ヘルの宇宙船名がコヨーテだ』
「牙は?」
『我輩の秘密を、貴様に教える必要を見出せんなぁあ』
『宇宙船の前部が格納庫になっているのだ。口に見立てていると、我は推測しているがな』
「どうでもイイ情報だったぜ・・・」
 それから数時間後。
 ユキヒョウとコヨーテは、予定より5日遅れで合流を果たしたのだった。

しおり