第四話 II
「「「っ!」」」
最初に気づいたのは誰か。
そんなことは誰もわからなかった。
最初は、急にそこに現れたかのようなその人物に驚いただけだった。
しかし、壁や白衣などの白が目立つこの場の雰囲気にそぐわない、黒い服のその人物に、皆すぐに違和感を感じた。
そしてその違和感が恐怖に変わるには、それほど時間はかからなかった。
「ここの研究所のトップは誰だ?どこにいる?」
紅白は、熱も、冷酷さもなく、淡々と言葉を発した。自分がここにいるはずのない人間だということはわかっている。むしろそのつもりで来ている。今更驚かれることに、何かを感じることはなかった。
ほとんどの者の思考が一時停止した中で、すぐに再起動させた者もいた。
「あ、あなたは誰?どうやってここに入ってきたの?」
ひとりの女性職員が、声を発する。その声は、どこか震えていて、とても平常心とは言えないだろうが、この状況で言葉を発し、身体が動ける状況になっているのは、彼女だけだった。
しかし、紅白にそんな質問に答えるつもりはない。わざわざ死にゆくモブ達に名乗る名もなければ、伝える行動原理もない。紅白は、彼女をジッと見つめたあと、パチンと右手を鳴らした。
「っ?」
彼女にはそのスナップの意味が分からなかった。ジッと自分を見つめられたかと思うと、急にパチンと音が鳴ったのだ。彼女の視界には、紅白の手元など入っていなかった。視覚ではなく、聴覚でしかスナップを認識出来なかった。
スナップの直後は、何も起こらなかった。彼女だけでなく、ほかの者たちも、何が起こったかわからなかった。しかし、困惑も束の間、
「………っ、あ、熱い!」
彼女が叫んだ。叫びながら、左の首元を抑えた、その瞬間だった。
パンッ!
何かが弾けるような音がした。
何が弾けたかは一目瞭然だった。
彼女の首元から鮮血が飛び散り、真っ白の壁や、床や、天井が、白衣が、真っ赤に染まっていく。そして彼女はその場に崩れ落ち、首元から流れ出る血が、彼女を包みこんでいく。誰が見ても即死は確実だった。
その姿を目の当たりにして、周りの人間は凍り付いた。
最初は何が起きたのか、誰も認識出来なかった。
熱いと叫んだ女性が、急に首から血を流して倒れた、それだけと言えばそれだけだ。
永遠とも思える刹那の時間。
状況を理解した者から、その場を立ち去ろうと躍起になる。
それを見た紅白は、再び指をスナップさせ、数回音を鳴らした。
その音を聞いた者たちは、顔から血の気が引く感じがした。否、直後には、実際に血が流れだしていた。
再び、パンッ!とはじける音が空間内に幾度も響き渡り、その音と同じ数の人間が、首から血を流して倒れていく。
「もう一度聞く。ここのトップは誰だ?どこにいる?」
この部屋で残されたのは、女性ただ一人だった。腰が抜けたのか、地べたに座り込み動けずにいたが、震える腕を何とか持ち上げ、指をさした。その指の方向を辿ると、一つの部屋がある。女性は、声を震わせながら、部屋の場所を紅白に教えた。ひねり出したような詰まった声が、彼女の恐怖を物語っている。
紅白は、踵を返し、部屋の出口へと歩く。その後ろ姿を見た女性は、心拍数は上がり、腰は抜けたままだったが、どこか安堵したように、一つ息を吐いた。
その動きを認識してなのか、そうでないのかは定かではないが、紅白は部屋を出る直前に足を止めた。紅白が足を止めたことで、その部屋に、いや、彼女に再び緊張が訪れる。今から何が起こるのか。それとも何も起こらないのか。
緊張で肩が震える彼女を背に、紅白は少し上げる。それは「じゃあな」というポーズにも見える。彼女は、それが情報に対しての感謝だと思った。が、その安堵も束の間。非情にもその右手は、少しずつ閉じていき、中指と親指の先がくっつく。
彼女はもう声が出なかった。さっきでさえ振り絞るのがやっとだったのに、これ以上はもう出ない。
終わりだ。叫びたい。助かりたい。命乞いがしたい。そんな生への感情を全て消し去るかのごとく、紅白は右手をスナップさせた。
パチン、という音と共に、絶望に歪んでいく彼女の顔。限界ギリギリで動かせるようになった体を引きずって、せめてもの抵抗として逃げようとするも、時すでに遅し。
「あ、あぁっ!」
彼女の首元から鮮血が飛び出し、この部屋で生きているのは紅白だけとなった。
紅白は早々に部屋を後にする。そして先程の女性が指さした部屋へと進んでいく。