第七十六話 変わりゆく景色
受験者は皆、足場の悪い道に悪戦苦闘を強いられており、思うように走ることが出来ず、初っ端から体力を削られていた。そんな中、モニタールームで注目を集めている者も何人かいた。だが、その中でひときわ注目を集めていた者は、
「おいおい、何であいつあんなに速く動けんだ?」
その疑問を言葉にしたのはレオだった。
「確かに速いね。何か特殊な訓練でもしたのかシン?」
「いや、別に特殊な訓練なんてしてないさ、ハク。ただ、彼は毎日道が悪い山道を全力で駆け上がって、そして、全力で下ってたからね。これぐらいの道を走ることなんて、彼にとっては日課の一部に過ぎないさ」
「へえ、なるほど。道理で走り慣れてるわけだ。というか、このペースで走ってて、何の息切れもしてないなんて……さすがは、シンの弟子だね。ちゃんとシンの走行技術をマスターしてるってわけか」
白髪の男、ハクは焔の走りに自身の解釈を上げ、納得したように首を縦に振る。だが、シンは笑って、シンの解釈に訂正を入れる。
「ハハハ、違う、違うよハク。別に俺、焔に自分の技の伝授なんてしてないよ」
「なに? じゃあ一体……」
絶対に当たっていると思われた自身の解釈を否定され、ハクは少し動揺する。それと同時に総督以外の者たちもハクの言動に納得を示していたのか、違うと言われ、シンの次の言葉へと耳を傾けた。
「伝授してないって言うのはちょっと違って、できなかったって言うのが正しいんだけどね」
「できなかった?」
「そう、できなかった。彼てんで才能ないんだよ」
その言葉を聞いたハクはあまりの驚きに思わず笑ってしまった。
「ハハハ、信じられないな。あのマサさんの息子なのに……てことは、あのスピードで何の息切れもしないってのは」
「それは何の技術でもない。彼自身の体力さ」
「体力……か。えらくシンプルだね」
「ああ、シンプルさ。彼の強みはこのシンプルさにある。できることが限られているからこそ、できないことはしない。その分、俺は彼に必要だと思ったことだけを極端に鍛え上げた。そうしたら、こんなことになっちゃった」
「へえ、そういうこと」
一応、頭の中ではハクも理解できた。だが、
(シンは普通に言うが、ここまで鍛え上げるには、尋常ない苦難が強いられたはず……それもたったの2年で。やはり彼はマサさんの息子で間違いなさそうだ)
これはハクだけではなく、この場にいたもの全員が思ったことであった。そして、ここで一旦仕切り直すように総督が話を持ち掛ける。
「さて……焔も相当なものだが……やはり、最も注目すべきは……」
まだ、言いかけていた所であったが、何を言わんとしているのか察したのか、その場にいた全員は一つのモニターに視線を移す。
「こいつだ」
そこに映っていたのは金の髪を一つに束ねた少女の姿であった。
「この子が通った道、草木が全く揺れてない」
最初に口にしたのは小さめの女、ペトラだった。
「シン、この子が例の……」
クール目の女、ヴァネッサがシンに何かを投げかける。すると、シンはにこりと笑い、
「ああ、そうだね」
「なるほど。話には聞いていたが、まさかこれほどまでとはな」
ヴァネッサはあまりのすごさに苦笑いを示した。ここで、話をするのを止め、というよりもその少女のあまりの異様さに止めさせられた。
その異様さとは少女が息切れすることもなく、焔と同じほどのペースで、しかも全くと言っていいほど、姿勢も変えず、音も出さず走る姿に、そして、顔から全くの感情が読み取ることが出来ないことにあった。
モニタールーム、中央のモニターには受験者の順位が映し出されており、総受験者428名のうち1位にはその少女の顔が、そして2位には焔の顔が映し出されていた。
―――ここまで走ってきたが、何かさっきよりもより草木が鬱蒼とし出したな。走りづらいったらありゃしねえ。
焔は今までの道とは少し様子が変わってきたことをいち早く察知し、あたりに先ほどよりも注意しながら、進みだした。すると、突然前方に、
ん? 何か道の先に……木か!?
焔の行く手には大きな木が寝転んでいた。それはまるで受験者の行く手を阻むように作為的なものに焔の目には映った。
「おい、AIあの木って……」
「……総督からのサービスです」
「やっぱし、この1本だけだと願うけど……よっと!」
焔は木の手前でジャンプし、寝転んでいる木の上で片手をつき、そのまま地面へ降りようとした時、前方を確認した。その光景を見て、自信の予感が的中し、思わず苦笑いを見せる。
目の前にはほぼ等間隔で、今飛び超えている木が何本も視界の先まで続いていた。
「中々手厚いサービスだこって」
「総督は中途半端が嫌いな方ですから」
「……みたいだ」
苦言を言いながらも焔は軽快にこのゾーンを進んでいくのだった。
焔と金髪の少女がほぼ同時に木がたくさん道に寝転がっているゾーンに入った中、いまだに他の受験者たちは焔たちにかなりの差があった。中には、もう走るのを止め、歩いている者も何人かいた。そんな中茜音もまた、この鬱蒼とした道に悪戦苦闘を強いられていた。
(ダメ、思うように足が動かない。道は悪いし、草木が道を邪魔して行く手を邪魔する。でも、体力はまだまだ持つ。教官から体力テストがあるって聞かなかったら、ちょっとヤバかったかもしれないけど……)
「AI、時間」
茜音は口数を減らすため、簡潔にAIに時間を尋ねる。
「現在、32分経過。残り時間6時間28分です」
(32分……か。時間は分かる、これは確かにうれしい……けど)
「AI、距離」
「お教えすることはできません」
(やっぱりダメ。そう、この試験では時間は知れても距離は教えてくれない。これがとにかく厄介。まだ、そんなに時間が経ってないし、体力にも余裕があるから、大体の距離は分かる。でも、これからおそらくそんな余裕なんてなくなる。時間が知れても距離は分からない。これじゃあ、ペースを上げなきゃいけない時、知るすべがない。でも、7時間ある。よっぽど歩いたり、立ち止まったりしない限りは絶対にゴールにたどり着ける。そう、歩いたり、立ち止まったりしない限りは……)
茜音は自分に言い聞かせるかのように、同じ言葉を復唱し、一定のペースで焦らず、着実に進んでいく。この先、足も止めたくなるほどの苦難に強いられるとも知らずに。
―――「よっ!……よいしょ!……もういっちょ!……ラストッ!」
焔はようやく木を飛び越えるゾーンが終わり、安堵のため息をついた。だが、焔はすぐに気合を入れなおし、もう一度走り出す。
やっと抜けれた。ざっと10m間隔で100本……約1㎞ってところか。というか、俺どれだけの距離走ってきたんだ?
「AI、俺どれだけ走ったんだ?」
「それは教えることはできません」
「え? マジかよ……そんじゃ、今どれくらい経った?」
「38分経過。残り時間6時間22分です」
「38分……5㎞以上は行ってると思うけど……5㎞以上10㎞未満ってところかな」
焔は一応の目安を口にすると、別にそんな考えることじゃないかと次の行く手を阻む仕掛けのことに注意を向け始めた。
すると、しばらくすると、案の定景色が少し変わり始めた。道が開けると、そこには泥池がずーっと広がっていた。そして、その池の上にはここを通れと言わんばかりに石が乱雑に置かれ、道のように伸びていた。
「おいおい、どれだけ体力削れば気が済むんだ総督さんはよぉ」
文句を垂れながらも焔は石の上へと乗り移る。そして、その石場がちゃんと安定していることを確認すると、次々に飛び移っていった。奥に進むにつれ、その乱雑さは顕著に表れ、更には石場の大きさも段々と小さくなっていった。だが、
「よっ!……よっ!……よいしょ!」
焔はこのゾーンを難なくクリアし、止まることなく、次を目指して走って行った。その様子を見ていた総督はやや長めのため息をつく。
「ハー、もうちょっと難しくしておくんだったかな……こう、いとも簡単に突破されては製作者としてはグサッと来るものがあるな」
「まあまあ、焔にはともかく、体力や脚力が削られた他の受験者にはかなり効果的だと思いますよ」
「そうであることを願うか」
すると、その会話を聞いていたペトラがヴァネッサの袖を引っ張り、コソコソ耳元へ手を当て話始める。
「ねえねえ、総督って受験者落としたいのかな?」
「んー……おそらくそれは違うだろう。総督がこの試験を難しくしたのは半端な覚悟で受験しに来た者と、そうでない者の選別をするためでもあるんだろうが、これほどまでに試験内容を難しくしたのは焔に一泡吹かせたかったからだろう」
「焔に? 何で?」
「総督は一見クールに見えて、物凄く負けず嫌いだからな。シンから『焔には入隊試験は簡単すぎる』みたいなこと言われて、頑張って作ったんだろう」
「ああ、なるほどね」
「お前たち一体何をくっちゃべってるんだ?」
いつの間にか総督はペトラとヴァネッサを鬼のような形相で睨みつけており、2人は慌てて気を付けの体勢にになる。
その様子を面白く思ったのか、シンは少し噴き出してしまった。それを見たヴァネッサは恥ずかしさと怒りが入り混じったような顔に変り、思いっきり自身のかかとをシンのつま先に踏みつけた。
「痛って!!」
足を抱えながら、飛び回る真の姿を見て、ヴァネッサは満足気に笑う。総督は後ろの騒がしさにため息を漏らす。
(ハー、こんなやつが師匠とはな。自身の策が通じないことがますます不甲斐なく思えてしまう)
珍しく弱気な総督とは対照的にモニターに映っている焔は次々に総督が考えた体力を削る用の仕掛けをクリアしていく。そして、
ん? 光の射し方が変わる。まるで、ジャングルが終わるみたいだ。
焔は草木をかき分け、その光を目指し、突き進む。そして、ついに光の下へとたどり着くと、そこに広がっていた光景に焔は愕然とした。
何とそこはジャングルの中とはガラッと180度変わり、広大な砂漠が突然姿を現したのであった。
「うそーん」
その焔の表情を見た総督は少し嬉しそうに笑うのだった。