第七十一話 2.14 乙女たちの交錯(後編)
「おい焔! 今までどこにいたんだよ」
まず最初に焔に駆け寄ったのは龍二だった。その次に龍二の後ろから綾香が顔を出す。
「そうだよ! 急にいなくなるから心配したんだか……」
徐々に目線を下に移していった綾香は焔の手元を見て急に、
「ら!!」
語尾が異様に強くなり、安堵していた表情から一瞬で焦りと動揺を露呈させた綾香。急に大声を出すものだから、焔と龍二もビクッと驚いてしまった。
「おい何だよ綾香。急に驚くからビビったじゃねえ……」
焔の手元一点を凝視し、固まっている綾香を不思議に思い、龍二も同じように視線を追うと、
「か!!」
綾香と全く同じ反応を龍二も示し、再びビックリする焔。
「な、何だよ? 2人とも同じ反応して……」
焔は少しビックリした顔で2人を見やると、龍二が焔の手元を指さし、
「ほ、焔……その手に持ってるものって……」
「ちょ、ちょっと待って龍二! まだ心の準備が……」
反射的に質問した龍二に綾香は焦って止めに入ろうとするが、無情にも焔は簡潔に3文字でその答えは言ってしまう。しかも、それは綾香が最も考えたくない答えだった。
「チョコ」
「……ハッ!!」
そう息をのむと綾香はその場にうなだれてしまった。龍二は『しまった!』と言わんばかりの表情を見せるもすぐに綾香のフォローに回る。だが、焔が追い打ちをかけるようにチョコを貰った経緯を話し始めた。
―――実はさっき綾香が来た時にいきなり会長から電話がかかってきて……あ、今は会長って言うよりも元会長って言ったほうが正しいかもしんねえけど。で、出てみれば『すぐに来い! 早く来い!』なんてめちゃめちゃせかすもんだからよっぽど急ぎの用でもあるのかと思って、急いで行ったわけよ。
そんで、裏門の近くに会長がいるのを見つけて、『なんか急用でもあるんですか?』みたいなことを言ったら、バレンタインってことでチョコを作って持ってきてくれたみたいなんだけど……まあ、こっから長いのなんの。
このチョコ作るのにすごく時間がかかっただの、受験終わったばっかりなのにわざわざ作ってやっただの、副会長にやったらめちゃめちゃうまいって言ってただの……とにかく前置き? というか自慢話ばっかしてきて、なんかうざかったけど全部聞いたんだよ。
そしたら、最後に『お前がどうしても欲しいって言うならくれてやってもいいんだけどな~』って、なぜか上から目線で言ってきたもんだから、『じゃ、いいですわ』って、反射的に断っちまったんだよ。もうこっからめんどくさいのなんの。
さっきまでの上から目線が嘘みたいに泣きついてきて、『そんなこと言わないでもらってくれよー!
これ作るのにめっちゃ時間かかったし、何度も失敗してようやく成功した1つなんだよー! 頼むから食べてくれよー!! 焔ー!!』って、帰ろうとする俺を強引に引き留めて大声で泣き叫ぶもんだから、他の生徒から見られてめちゃめちゃ恥ずかしかったんだよなー。で、貰ったら貰ったでまた上から目線の態度に戻ってうざかったけど。
―――と、話し終えた焔は、続いて思い出したように綾香を見て、
「そういや綾香、あの時俺たちに何か用事でもあったのか?」
「……い、いえ……何も……」
辛うじて声に出した綾香だったが、もう魂が抜けきり、心ここにあらずであった。龍二はと言うと、あまりの居たたまれなさに綾香を直視することが出来ず、後ろで目を背けていた。
(居たたまれない。本当に居たたまれない。そして、会長さん……なんかすいません。あなたが焔に好意を抱いていたのはうすうす感じていたんですけど、こいつ……全然嬉しそうじゃなくて、完全なる愚痴話みたいな口調で会長さんの話してて……なんかすいません)
と、心の中で綾香の不憫さを嘆き、会長への謝罪を済ませるのと同時に焔と自分の立場が逆になってくれと本気で祈る龍二であった。
その後、流れるように時は過ぎ、帰りのHRとなってしまった。先生が今年もチョコがもらえなかったと愚痴を垂れている間、綾香だけは机に両肘をつき机とにらめっこ状態だった。
(どうしよう……このままじゃ学校終わっちゃう。焔にチョコ渡せないままになっちゃう。休み時間にあげようと思ったのに、こんな時に限って蓮君とか他の男子、挙句の果てには先生まで来ちゃうし……ああもう!!)
自分の不甲斐なさと絶妙なタイミングで邪魔が入ったことに腹を立て、頭を掻きむしる綾香。それから少しの間を置いた後、ムクッと顔を上げる。
(よし! このHR終わったら、もうすぐ渡そ! 大丈夫! チョコ渡すだけなんだから何も恥ずかしいことなんてないわよ綾香! どうせ焔直ぐに帰るし、何も変な空気になったりなんか……ま、まあ、もしかしたら? これがきっかけで? 焔が? 私のことを? 意識し出したりなんて? しちゃったりなんかして……)
その後、HRが終わる数分間、綾香の席付近から不気味な笑い声が聞こえてきたとかなんとか。
キーンコーンカーンコーン
チャイムが鳴り、学校中が一気に騒がしくなった。そして、焔はチャイムが鳴ったと同時にすぐに席を立ち、教室を後にしようとする。
(来た! チョコは手に持ってる! 後は……!)
教室のドアに手をかけたのと同時に綾香が焔に話しかける。
「焔!……これ!」
そう言って、両手で焔に丁寧にラッピングされた箱型の容器に入ったチョコを渡す。すると焔は、
「お、サンキュー」
それだけ言って、チョコを手に持つとそそくさと教室を出て行った。
あまりのあっけなさに、綾香は今まで自分は何を悩んでいたんだということと、変な展開を期待した自分のことがなんだか無性に馬鹿らしく思えた。それと同時に、やっぱりこんな感じになるんだなと少し安心している節もある綾香であった。
「ハハハッ……はあ」
―――「ただいまー」
シンとの特訓を終えた焔はくたくたになりながら家に帰ってきた。奥で夕飯の準備をしている焔の母、珠代は焔のことを確認することなく、調理をしながら、
「おかえりー。そう言えば焔、あんた宛に何か荷物届いてたわよ」
「荷物?」
「まさかあんた母さんに内緒で変なもの買ったんじゃないでしょうね?」
「しねえよそんなこと」
「あっそ。荷物リビングの机の上に置いといたから」
「はーい」
焔は少し疑問に思いながらも荷物を確認する。荷物はレターパック型で、差出人は書いていなかった。とにもかくにも封を開け、荷物を確認すると、ラッピングされた薄い箱型の容器が出てきた。これまた何だと思いつつも箱を開けてみると、ハート形の大きなチョコレート1つが入っており、表面にはホワイトチョコレートか何かで『大事に食べてね♥ 咲より』と書かれており、安堵のため息を漏らす。
(何だ咲か。しかし、わざわざ送ってくれなくてもいいのに。というか、こんなもんお母さんに見られたらめんどくさいことになりそうだな。早く食っちゃお)
そう思った矢先、いきなり電話が鳴りだす。ポケットから取り出すと、画面には虎牙と出ており、急にどうしたんだと少し怪訝に思いながらも、スマホを耳に当てる。
「もしもし。どうした?」
「お! 焔! お前チョコ貰ったか?」
そう尋ねてくる虎牙の口調はなぜかご機嫌なものだった。
「ん? まあ貰ったけど」
「おーそうか! 俺も貰ったんだよ。誰からだと思う?」
「ん? 知らね」
大して興味がない焔は適当に返すが、それとは対照的に虎牙はずっとウキウキしていた。
「なんと……咲から貰ったんだよ!! どう? すごくね!? 最初はあんなに俺のこと拒絶してたのに、今ではチョコをくれる中になったんだよ。もうこれは友達以上……そして、最終的にはー」
と、ここまで言いかけた時に焔から、
「あー、俺もちょうど咲からチョコ届いたとこなんだわ」
「……と、届いた? え? え? わざわざ焔のところに咲がチョコを送ったってことか?」
さっきまでのウキウキが嘘みたいに消えさり、不安が募る虎牙。
「まあ、そういうことだな」
「あ、ちなみにー……チョコって言うのはどんな感じのチョコなんでございましょうか?」
「は?(なんで敬語?)お前もチョコ貰ってんなら一緒なんじゃねえの? こう、大きなハート型のチョコだろ?」
「……あ、ああ!! そうそう!! うん! そんな感じのチョコだった!! ああそう、ふーん……じゃ、じゃあ俺これから飯だから!!」
「ああ、そんじゃあな(で、結局こいつは何で電話をかけてきたんだろう)」
電話を切ると虎牙はしばらくの間ベッドの上に座り、うつむいたままでいたかと思うと、急に立ち上がり、床で腕立て伏せを始めた。その表情はひどく赤面していた。
(は、恥ずかしい!! チ〇ルチョコ2つ貰っただけで浮かれて焔に電話した俺……メッッチャ恥ずかしい!! あー恥ずかしい!! ほんと恥ずかしい!!)
その後、虎牙は恥ずかしさのあまり600回連続で腕立て伏せをし、最高記録をたたき出したのであった。
ちなみに、公喜はチ〇ルチョコ3つだったとか。
そして、すっかり夜も更け、焔は自身の部屋で今日出た宿題をしていた。
(はあ、うちの担任バレンタインにチョコ貰えなかった腹いせで宿題増やしやがって……めんどくせえったらありゃしねえぜ。と、そう言えば、今年はお母さんからチョコ貰わなかったな。流石にもう高2の息子には渡さねえか)
手を止め、背伸びをする焔。背伸びをしている最中机に置いていたチョコに目が行く。
(そういや、勉強には糖分が良いんだっけか)
そんなことを思い出した焔は1つだけチョコを手に取る。
(これは……綾香から貰ったチョコか)
箱を開けると、チョコと1枚の紙きれが入っていた。その紙には『後で感想教えてね』とだけ書かれていた。
(感想ねえ。ま、明日にでも教えてやるか)
そう思い、チョコを手に取ろうとする焔であったが、ピタッとその手が止まる。そして、さっき置いた紙をもう一度手に取り、凝視する。
(何だこの既視感は……この字……どっかで……)
焔はこの妙な既視感が気になり、自信の記憶をたどっていく。すると、この妙な既視感の正体を見つけ、思わず焔は笑ってしまった。
「ハハ(ああ、なるほど。道理で変な既視感を覚えるわけだ。しかし、何でこんなことに今まで気づかなかったんだろうな。あーあ)」
焔は紙を置き、チョコに手を伸ばす。そのままチョコを頬張ると、笑いながらもため息をつく。
(何年分だ? こりゃえらく高くつくな。毎年こんなチョコ貰ってたんだからな。はあ、中々の出費になりそうだなこれは)
困りはてているはずなのだが、未だに焔の顔には嬉しそうな笑みがこぼれていた。
それから1か月後、ある女子高生の机の中にはとても高級なブランドのチョコが入っていたそうな。
『全部うまかった』とだけ書かれた紙を添えて。