6-15. 目覚めと赦し
「いた、いたたたた……っ!」
「身体を起こすだけでも大仕事だな……」
傷自体は良くなっているが、一時瀕死の状態で昏睡していたユウリの身体は、未だダメージが蓄積しているようだ。
何か栄養のあるものを食せというオットーの命で、沢山のクッションを背面に設置して身体を起こされたユウリは、身体中の痛みに悲鳴を上げていた。
ヨルンとユージンは仮眠中で、今は先程まで休んでいたロッシがユウリを助けている。
「ほら、口を開けろ」
「これ、なんて拷問ですか……」
文句を言いながらも、片手を上げることすら激痛のユウリに為す術はなく、赤みの増した頰を膨らませるに留まった。
尖らせた唇に、ロッシから無理やりスプーンを押し当てられて、薬草スープを流し込まれる。
「んぐ……ロッシさん、優しくない!」
「……お前が抵抗するからだ」
零れたぞ、と細い指先で口元を拭われて、確かに抵抗しない方が良かったかもしれないとユウリは真っ赤になった。
扉から覗いたオットーとレヴィはそれを見て、呆れたように呟く。
「数時間前まで死にかけてたとは思えない回復ぶりだな」
「ええ……まさかロッシさんに、ここまで甘ったるい空気を出させるとは……」
思わずスープを吹き出しそうになって、ユウリは涙目で二人を見上げた。
その声音に反して、優しげな二人の微笑みに見つめ返されて、彼女は眉をハの字にしながら俯く。
「あの、心配かけて、ごめんなさい……」
目覚めてからすぐ、ユージンは兎も角、ヨルンにまで、ユウリはしこたま怒られていた。
いくら暫く平穏が続いたからと言って、一人で行動したことは完全に彼女の落ち度だ。
「大事にならなくて、良かったです」
「ごめんなさい……」
「まぁ、後からナディアにもみっちり怒られてくださいね」
「う……」
「まあまあ、俺たちがきっちり言っておいたから、もういいよ」
眠たげな目を擦りながら、ヨルンが処置室に入ってきて、ロッシの隣に腰掛けると、いつも以上に柔らかにユウリの頭を撫でた。
「本当に、目が覚めて良かった」
「ご、ごめんなさい」
「謝るくらいなら、はじめからやるな」
いつの間にかヨルンの後ろに立つユージンに紺の双眸で睨まれて、ユウリは益々顔が上げ辛くなる。
それに気づいてか、ユージンは乱暴に彼女の頭を掴むと、無理やりドアの方を向かせる。
「リュカさん……」
レヴィとオットーの影から現れた淡藤色に、ユウリは安心した。
目覚めてからこの方、彼の姿だけを目にしていなかったからだ。
あの日袋詰めにされていたのはただのおが屑だった、と聞いていたので、無事だとは知っていたが、ちゃんと元気な姿が見られて嬉しかった。
知らずに微笑んでいたユウリに、リュカは一瞬困ったような笑みを浮かべてから、深々を頭を下げる。
「俺は、君の忠告を無視して、結果、巻き込んでしまった。すまない」
「や、やめてください! 私が、勝手に突っ込んでいっただけです」
「……俺が蔑ろにして捨ててきたものが、こんな形で返ってくるとは思わなかったんだよ」
表情は見えないが、その声音から、リュカが自身を嘲るように吐き捨てたのだとわかる。
「カウンシルの皆にも迷惑をかけた。俺は、ここにいてはいけないと思う」
「え、リュカ、ちょっと待って」
「伝統ある学園のカウンシルの執行役員が、情事の末に刃傷沙汰なんて、外聞が悪過ぎだろ?」
止めるヨルンを振り返り、リュカは何でもないように肩を竦めて見せた。
その様子に、ユウリは思わず呟いてしまう。
「リュカさん、また、捨てるんですか」
ギクリとしたリュカを、ユウリが真っ直ぐに捉えた。
ふつふつとした怒りが湧き上がってくるのを感じて、ユウリは言わずにはいられなかった。
「私は、自分で無鉄砲に突っ走ってしまったお陰で、死にかけました。それを、オットー先生やカウンシルの皆んなが助けてくれた。だから、それに報いるように、これからも頑張ろうと思いました」
迷惑をかけたから、消える。
そんな選択肢は、ユウリの中になかった。
全てを消して、関わらないようにするなんて、シーヴやグンナルがいなくなった時と同じではないか。
捨てることでなかったことにしようなんて、リュカが今までしてきたことと何が違うのだ。
(こんな風になるために、死にかけたわけじゃない)
「リュカさんがしたことは、褒められたことではないと思いますけど……変わろうと、したんですよね?」
ユウリの言葉に、リュカは息を呑む。
彼女に、どこまでも見透かされていることが、恐ろしくもあり、泣きそうなくらい切ない。
「結果はどうであれ、リュカさんが誠実になろうとしたことを、私も、多分皆んなも、責めていません。もし、これからもカウンシルに居続けることが出来ないと感じているとしたら、それは、リュカさん自身の罪悪感だったり、責められることが、怖いからじゃないですか」
踏み込み過ぎなのかもしれないけれど、ユウリは、リュカが
自分の言葉が、少しでも彼の塞ぎきった心に届くなら、言わなければならないと思う。
「また、全部捨てて目を背けることで、終わらせることもいいと思います。でも、そうしたら、いつまでも同じことの繰り返しになるんじゃないですか?」
淡藤色の瞳が揺れて、漆黒の中に飲み込まれそうになる。
慌てて瞼を伏せて、リュカは聞こえるか聞こえないかの音で呟いた。
「怖いんだ」
今までこぼしたことのない本音が溢れて、彼は必死に声が震えそうになるのを抑える。
「俺が側にいることで、大切なものが次々となくなってしまうんじゃないかって。悪いのは去っていく彼らではなくて、俺自身じゃないかって……」
「リュカさん」
凛とした、けれど、どこまでも柔らかい声音に呼ばれて、リュカはゆるゆると顔を上げた。
弱音を吐いた自分を笑うことなく、ユウリの瞳は優しげな光を湛えている。
「私、なくなっていませんよ」
「……っ」
「カウンシルの皆んなも、いつだって側にいますよ」
ハッとして見回すと、ヨルンも、ユージンも、ロッシも、レヴィも、しっかりとリュカを見据えていた。
「もう、ご自分を責めずに、幸せを夢見てもいいんじゃないですか」
——溶ける
あの日からずっと止まっていたリュカの心の時間が、ユウリの声で少しづつ融解していく。
あの日々の暖かさと同時に、絶望と喪失感が蘇り、けれど不思議と、逃げ出したいとは思わなかった。
瞠目したリュカの瞳から、一筋の雫が零れた。
「……っ」
決壊した心の氷河は、リュカの瞳から次々あふれていく。
「全く……《始まりの魔女》にかかれば、パリアの貴公子が形無しだな」
「うるさいなぁ! ちょっと油断しただけだよ!」
ユージンに泣き顔を茶化されて、いつもの調子に戻ったリュカに、ユウリが破顔する。
それに照れ笑いを返すと、リュカは頰を拭って、ヨルンの肩に手を掛けた。
「ヨルン、ちょっと許してね」
「え?」
ぽかんとしたヨルンを押しのけて、リュカはユウリをぎゅっと抱きしめて、耳元で囁く。
——ありがとう、愛してる
予想外の甘い囁きに、ユウリは一瞬で指の先まで真っ赤になった。
ヨルンが慌てて二人を引き剥がし、ユウリを外套に包み込みながら抗議の声を上げる。
「リュカ! ユウリは病み上がり!」
「クリスには、言えなかったから」
そう言って片目を瞑ってみせるリュカの顔は、どこか晴れ晴れとしていた。