③
とうとう、エリーは来てしまった。
実際は、十数メートル手前辺りでやきもきしてただけだったが。
ちょうど行く予定があったと言う、アシュレインきっての衛兵隊の隊長……通称『輝きの衛兵隊長』ともてはやされる『イレイン=シャトーレイヴン』。
彼が、紳士的な態度で、自分の用事に同行しないかと誘ってくれなければ、エリーはきっと引き返していただろう。
それだけ、下手すると冒険者ギルド以上に彼より苦手とするムサイ男達が出入りすると噂の、ポーションパン屋には行けなかったのだから。
「…………あ、あれ?」
だけど、到着した時には、表に出来て大変だと聞く行列もなく。
あるのは、扉に『依頼相談中』、と書かれた立て札が紐で吊るされてるだけ。
店には珍しい大きな壁のようにはめ込まれてるガラス窓を覗いても、誰もいないように見えた。
「おや。仕方ありませんが、待ちましょうか?」
「ま、待つ?」
「ここはパン屋であっても、ポーション屋でもあるので時々依頼を受けたりするんですよ。その時は、何故かこのように人っ子ひとりいなくなるんです。ひと月程前からですがね」
「…………まさか、魔法?」
「気づいてる方は多いですが、暗黙の了解としておいてください。私の見解では、店主殿のスバルさんではなくラティストさんだと思ってますが」
先ほど名を教えてもらった、あの
彼を知る前だったら、ただわからないと疑問を持っただけだろうが今のエリーなら納得が行く。
あの時、彼の周りに浮遊してた精霊の数を、遠回しにギルドマスターに伝えたところ『加護者』との回答をもらえたからだ。
「……あいつなら、納得がいく」
「おや、彼と交戦でも?」
「い、いや、使うところを…………たまたま、見ただけ」
嘘はついてないが、ラティストには劣ってもそれなりに見目のいい男と二人でいるのも、やはり恐怖症が湧き出そうで危ない。
ロイズとの付き合いで、顔合わせが多いお陰があっても、多少は話せるがぎこちなさは抜けない。
恩人であるロイズとはまだ気兼ねなく話せても、それ以外の男となると美醜問わず、緊張感を持たなくては無理だ。
だから、今も隠してる手をしっかり握らねば、イレインの隣には立てないでいた。
「出直すにも、どうしましょうか?」
出来れば無言のままで待ちたいが、この男は結構おしゃべりが好きなのでそうもいかない。エリーの恐怖症のついては察してる以上に知ってるだろうに、克服させようとしてるのか熱心に話しかけてくるのだ。
「キュー」
突如、甲高い獣の鳴き声。
草原や森ならまだしも、こんな住宅街の中では少し珍しい鳴き声だ。
イレインも当然気づいたが、発生源が見当たらないのかきょろきょろしてるだけ。
エリーも慌てて首を動かすともう一度聞こえた時に、真正面だと気づいた。
「キュー」
鳴き声の先には、パン屋の扉があった。
そこを、『すり抜け』の魔法か
ただしそれは、首回りに春を思わせる『クレイア』と呼ばれる5弁花の薄桃色の花を咲かせていた。
「「咲き狐??」」
「キュー」
クレイアを咲かせている獣、『咲き狐』と呼ばれるそれは、文字通りに通り抜けてきた扉から転がるように出てきた。
そして、すぐに目の前にいたエリー達に気づくと、何故かイレインの方ではなくエリーの足元に近づき、すんすんと匂いを嗅いでから頭をこすりつけてきたのだ。
(か、可愛い……可愛すぎるっ)
隣にイレインがいなければ、即抱きつくくらい。
元々、咲き狐は愛玩目的で飼われる事の多い『ペット』対象の精霊と獣の
美しい金狐と花の精霊がその始まりだとも言われているが、伝承は定かではないとされている。
いつの頃か、ヒトが愛玩目的で保護したり冒険の相棒にするようになってしまったので、生息地以外でも街で見るようにはなった。
だが、イレインは目線を少し落として、まだエリーにすり寄ってる狐を見て首を傾げた。
「……初めて見るタイプですが、依頼者のでしょうか?」
「? この店、のじゃないの?」
「いえ。少なくとも以前はもとより、ここ数日でも見てないですね」
ならイレインが言うように、本当に今店主が対応している依頼者の連れなのか。
「どれどれ……おいで?」
イレインが丁寧に抱えて喉元をくすぐると、狐は気持ちよさそうに鳴く。
絵になるが、やはり知人ではあっても男性恐怖症のせいで怖い。怖がる必要性はないだろうが、男と言うくくりではやはり無理がある。
こんな調子じゃ、いけないとわかってても……湧き上がる恐怖はどうしようもないのだ。
「キューっ」
「へっぷ!」
いきなり、顔になにかがへばりついてきた。
その正体は、どうやってイレインの腕を抜けてきた咲き狐。
鼻にくすぐるクレイアの芳しい香りにうっとりしそうになったが、もぞもぞ動いてる狐の脇辺りをそっと持ち上げた。
「キュー?」
離しても、いい匂いをこちらに伝えてくれる狐の瞳は、濃い青の輝石のようで美しい。
小さい頃から、冒険以外に色んな咲き狐を見てきたが、ここまで愛らしいのは珍しかった。
エリーが、姿か花の香りにやられたかわからないが、思わず欲しいと思ってしまうほどに。
「こら、サクラ。勝手に出て行くな!」
「おや?」
「え、あ」
可愛いと言おうとした矢先、今度は普通に扉が開いた。
出てきたのは、あの時
彼は、自分達に気づくとほんの少しだけ目を丸くした。
「……ああ。外は
「スバルさんの頼み事ですから」
「予定通り……かなり疲れてるな」
「はは、言われた通りに」
たしかに、エリーも少しだけ気づいていたが、イレインはいくらか疲れた様子でいた。
それは何故かわからないでいたが、ラティストの発言で納得が出来た。イレインは、敢えて疲れた状態のままここに来るように言われたのだと。
「ん? お前は……この前の」
「ど……どーも」
そして、ラティストがこちらに気づかないわけがない。
あの時は、彼が去ってから少しして恐怖症がぶり返してきたが、今でも少し怖い程度で済んでいる。
それは何故か、現時点では特定は出来ないが、きっと今は腕に抱いたままの咲き狐のお陰と思いたい。抱いていると、酷く落ち着くのだ。
それとどうやらこの狐、イレインの予想とは違ってこの店の所有物のようである。
「あれから来る気配がなかったが、やっと来たのか?」
「い……いいでしょっ。人の勝手なんだから」
「キュー?」
「まあまあ、店先で騒ぐのは止しましょう? それより、『サクラ』と言うのはその咲き狐の?」
「ああ。スバルがつけてくれた」
すると、ラティストはエリーに、正確にはエリーが抱えたままのサクラに手を伸ばしてきた。
「サクラ、来い」
「キューっ」
呼ばれると、さすがに懐いてくれてた狐も、主人の元へと戻って行く。
距離があまり離れてなかったのと、咲き狐の特性である身軽さを活かして、エリーの腕からとんと跳ぶと、広げてたラティストの腕の中に収まった。
そのまま、イレインがしてたように顎などを撫でてあやすラティストが、実に絵画の一枚のようになってしまった。
「勝手に行くな。これからここに住むのに、縄張りを回りたいのは当然かもしれないが」
「キュー」
ほんのり、口元が緩んでいるのが、神々しさを増して凄まじい。
「お世話になりました」
開けたままの扉から出てきたのは、初老のご婦人。
供人も幾人か連れて出てきたが、ラティストを見るとにこやかに微笑んだ。
「またご厄介になりますが、その時はよろしくお願いしますわ」
「……わかった」
どう見てもラティストが年下で身分も差が激しいのに、ご婦人は一切気にせずに微笑み続ける。
またラティストに軽く会釈をしてから、供人達を連れて店から去って行ったのだった。
「……サーデンベルク子爵夫人ですか。お忍びとは言え、こんな僻地まで」
「? 依頼がしたいと来ただけだ。身分とかは聞いていない」
「ああ。ですが、やはりあなただからでしょうか? まったく気にされていないとは」
「は? ひとまず、入れ」
それは、エリーも含まれているのか怪しかったが。
結局礼の一つも言えずじまいなのだから、少し帰りにくかった。
「あ、そうでした。彼女もせっかくなので、ご一緒出来ないかとお願いしたかったんです」
「え」
触ってきてはないが、気配が近いと言うことは背後にいると言う事。
一瞬肌が泡立ったので前を向いても、やはりラティストがいるから緊張感が増してしまう。
どうすれば、と答えあぐねていると、ラティストの後ろから小さな影が出てくるのが見えた。
「あれ? サクラ捕まえれたんじゃないの?」
少し高い、女の声。
けれど、エリーは多種多様な男を見てきた。
その中に、ほんの少し低さを感じた、女のように高い声の持ち主も。
あと、この店には他にもう一人『男』がいると聞いていたから。
「ああ。イレインが来たのだが、もう一人……この前会った少女も来た」
「あ、たしかロイズさんが言ってたエリーさん?」
「う」
やはり、ロイズが伝え済みであったか。
少し気恥ずかしくなったが、ラティストの背から出て来た姿に、エリーは目を奪われた。
短いけど、艶のある黒髪。
白パンのように柔らかそうな肌。
手入れいらずのクレイアの花色の唇。
肌同様に柔らかそうな細い手足。
先程も聞こえた、少し低いけど可愛いらしい声。
こんな男、今まで見てきた中で一度とてなかったからだ。