4話 引きこもり、始動 Ⅳ
泣き止んだ後も大変だった。
俺はそれを見ていただけだが。結局何が原因だったのかはわからない。
気を見て聞くしかない、か。
「大丈夫か?」
「その言葉交互に言ってる」
おかしそうに笑って、明るい口調で言ってきた。その口調が言外に大丈夫だと伝えてきて、心底安心した。
何気ない言葉で人を泣かせるのは反省の仕方すらわからないパターンだ。
本当に、よかった。
無駄な心配だったかもな。いや、焦る必要すらなかったのかもしれない。泣き出す前よりも柔らかくなった笑みを浮かべる紗菜を見て、ため息をついてからつられたように笑った。
「聞いていいのかわかんないけど、なんで急に泣き出したんだ?」
「それは、友達って言われたのが嬉しくて……変なこと言ってごめん」
「別に変なことじゃないだろ。確かに俺には理解できないが、人に理解できないけど自分にとって大切なことってのはあると思うけどな」
「……それもそっか、そうだよね。ありがとう」
お礼言われても困るんだが……
なんでお礼を言われてるのかはわからない。まあ、なにか意味はあるんだろうな。それを聞こうとは思わないが。俺にも言えないことがあるように紗菜にもあるだろ。多分な。
なにか忘れてる気がする。
目の前でもじもじしている紗菜を見ながら考えて、すぐに思い出した。
「あ、そうだ! もう一人のところ行くぞ紗菜」
「え? あ、うん、わかった!」
今から会うやつとは話をしたわけじゃない。いろんな人に頭突きをしてたとき、気になったやつだ。面識があるわけじゃないから気楽に行けるわけじゃないってのが面倒だな。
思考終わりにため息。
ふと横を見れば、紗菜が俺のことを見上げて不思議そうにしていた。
「なんか変か?」
「なんか、その見た目で飛んでるの面白いなって思って」
まあ、そうだな。
端から見れば頭の骨が飛んでるわけだから面白いか。俺からすれば生きてたときと同じ高さに飛んでるだけだからあんま変化ないんだけどな。
いま見えるのは一歩踏み出して周りと親睦を深める魑魅魍魎たちだ。俺の横にいるやつもその中に入れてる。
紗菜と話をしてたときは周りを見る余裕なかったけどこうやって見て見ると……
周りの奴等も話をしてたんだな。
反抗するやつはいない。
善人ってのはこういう意味なのか。あのイヤメンには人の善行を集計できるのか。
「えっと、あれ? あの、いまから会いに行く人ってどんな人? それと、名前教えて」
最初詰まってたのは名前がわかんなかったからみたいだ。なるほど納得。
紗菜は教えてくれてたが、俺は言ってなかったもんな。
名前を聞くのが恥ずかしかったのかあらぬ方向を見ていて、それを見て笑ってしまった。
紗菜は頬を膨らまして、いつもより子供っぽい表情で抗議しようとするんだから尚更だ。
「その顔は流石に卑怯だろ……ま、いいや。俺の名前だっけ?」
「うん、名前」
「りょうだよ。龍って漢字書いて
「龍……覚えた。で、会いに行くのはどんな人なの?」
後ろ向き飛行で紗菜の前を飛びながらその質問の答えを考える。
どんな人って言われると、あれについて答えるのは難しい。いや、簡単とも言える。人柄は話をしていないからわからないが、見た目については言える。それも一言で。
粘性生命体とか、漢字でいうならこんなところか。
「黄色のスライムだ」
「丁度目の前にいるあれのこと?」
紗菜が指を指す。
そこまで気にするようなことじゃないが、紗菜の手を軽く青い炎を伸ばしてはたく。
「指差すな」
小声で注意すると紗菜は驚いていたが、頷いてくれた。
悪気があるわけじゃないだろうけど、相手によっては気にした方がいい……なんて言ったら怖いか、流石に。
少し時間が空いたが指差した先を見れば黄色のスライムがいた。某ゲームのはぐれ、もしくはバブルのような形状の崩れ具合だ。
悪く言うなら、嘔吐物に見えなくもない。
俺たちはその嘔吐物Sに近づいていく。スライムに目は無さそうだが、這いずるようにこっちによってきた。
しっかり人のことを避けているし、目はあるのかもしれないな。
「こんにちは」
紗菜のとき同じようにそう言う。
ぶっきらぼうで、無愛想。紗菜はそんな俺の言葉に続いて頭を下げていた。人型の利点か。
「あー、あなたは先ほどの猪ですね。遅れましたが、こんにちは」
不定形の物体にないはずの声帯はどこについているのか疑問ではあるが、不定形が伸びてコーヒー缶サイズの人間が頭を下げたのが衝撃的だった。
ス、スライムの利点か。
「驚いてくれましたね。満足です」
男にそう言われたが、腹がたたないのは心地よい声音だからだろう。
それに直感だが、勝てる気がしない。
俺に出来ることとすれば、からかう対象を俺からからかいがいのある紗菜にシフトさせることぐらいだ。
「ここに来た理由は……ちょっとまて、猪ってなんだ?」
「あなたのことですよ、人に突進して驚かせる。猪のようでしょ? 言うなれば、泣きっ面に優しい猪というところですかね」
おいこら紗菜、笑うんじゃねぇ。
表情を作りにくい骨で睨みを効かせるが控えめな笑いが、堪えきれなくなっただけだった。もう好きにしてくれ。
「猪のことはもういいよ。あー、単刀直入に言うなら、親しくなりにきた。ここにいる紗菜とだけつるんでいても仲のいい兄妹にしかならなさそうだからな……」
「なるほど。それで仲良くなるにしてもなにをしますか? 闘牛でも?」
黄色の小人が手から布を出してひらひらと揺らす。煽るの上手すぎだろこいつ。
ま、もう乗らないけどな。
「なにするか……」
「自己紹介は? 私と龍は名前だけは知ってるけど、他は知らないし……どう?」
「そんなので仲良く――「いいですね、自己紹介」
俺はあまり乗り気じゃないが、スライムの人は割り込んでくるくらい乗り気みたいだ。何がいいのかよく分からない。
底が見えないな、このスライム。
「誰からにしましょうか? 私でしょうか、それともそこの紗菜さん? 猪の龍さんは最後にしましょう。面白そうですから」
どんどん話が進んでいく。
淡々とした口調のまま話が長くなっている。楽しくなると長話するのが癖なのかも知れない。
紗菜は俺の顔を見ると、少しだけ笑った。俺も似たように笑う。
紗菜の笑いの意味はわからなかったが、俺の笑いはこのスライムを面白そうだと思ったからだ。底が見えず、弱点が見えず、楽しいことを隠せなさそうなやつだと思ったからだ。
俺なんかより凄いことが出来そうだしな。
「それで、私のあとに紗菜さん。その後猪の――」
「俺な。いいんじゃないか? 俺の名前を呼ぶ前に猪のってつける以外は……ところで俺たちの名前、なんで知ってるんだ?」
「しっかりと私と会話したとき口に出していましたよ。紗菜、龍、と」
簡単そうに言ってのける。
一度会話に出ただけで名前を覚えるってのは相当なものだ。普通名前なんて意識しない。相手が強調していたならまだしもそれすらなしでなんて、相当――
「癖なんですよ。相手の注意をひくことをするのが」
「嫌な癖だな」
「そうでもありませんよ。と、自己紹介でしたね。大悟と言います。特技や長所、短所などは……長く付き合えばそのうち見せることになると思いますよ」
長く付き合いたいというさりげないアピールを忘れない男、大悟が仲間になった。
素直に言おう。
こいつは手に終える気がしない。