バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

 五月のお昼前11時。
 清々しい程の澄んだ青空と、そよ風が吹いている。

「ノゾム、暑いから帽子かぶって~」

 ノゾムと呼ばれたその子は、母親の言いつけを守り、顎紐つきの帽子をかぶって、にこにことしていた。
 お昼ご飯の前のお散歩、それがノゾムの一日の楽しみのようだ。
 おぼつかない手付きで、自分で小さな靴をはく。
 まだ幼稚園にも行かない程の年齢である。
 母親と手を繋ぎ、扉を開けてもらい、ノゾムの本日のお楽しみタイムが始まった。

 お散歩コースは決まっている。
 ノゾムは電車が大好きな男の子なのだ。
 少し歩いた先に、線路があり、その近くに歩道が続いている。
 電車は決まった時間にやってくる。
 だからお散歩時間も統一されているのだ。
 遮断機がおり、一定のリズムで踏切警告音がなると、ノゾムは電車が来る方向ではなく、電車が走り去る方向へと体を向ける。
 所謂、よーいどん、の、よーい、の格好で電車を待っていた。
 この時ばかりは、母親も子どもの運動タイムなので繋いでいた手を離している。
 手を離して、いざ走っても、あっという間に電車はノゾムを抜き去ってしまい、追いかけられなかったノゾムは、やってやったと満足気に自ら戻ってくるのが常だからだ。

 電車が視界に入ってからノゾムの足は動き出す。
 フライングせずにスタートするのだ。
 それでは大人の人間だって追い付くはずはない。
 近くが駅のためか、スタート自体はゆっくりなのだが、すぐに加速し始める。
 電車に追い付きたくて、ノゾム本人は無我夢中、まさにがむしゃらに走る。
 八両編成の電車はノゾムの存在に気づいていないように、涼しげに通過していく。
 並走はものの十数秒であった。
 そろそろどや顔を見せつけながらノゾムはUターンしてくるだろう、そう母親は思っていたのだが、ノゾムは立ち止まるどころか、小さくなった電車をまだ追いかけている。
 それどころか。

「ぎゃああああ!!」

 叫び声をあげて、電車を追いかけ続けているのだ。
 母親は、ようやくその異変に気づいた。

しおり