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39 愛する人を助けたい

 エヴァン様の名前を口にした私の横にジョアンがぴったりと身を寄せました。

「エヴァンは奴らの馬車に乗せられて、私たちは後を追った。途中で馬を休ませる度にノースの第二王子のもとに行って抗議し続けた。すると奴がポロっと漏らしたんだ」

「なんと言ったのですか?」

「マリア新皇太子妃に絶対に傷ひとつつけるなと言われているから、そこは安心してほしいと」

「マリア!マリア王女ですか」

「そう、我が国に留学してきて君の婚約者を横取りしたあの女だ。私の双子の弟の義妹だね。今ではイース国の皇太子妃だ」

「なぜ…」

 私は呆然としてしまいました。

「私はすぐにワイドル国のルーカスに密書を送った。私たちがイース国の宮殿に到着した翌日にはルーカス本人が来たよ。当然私たちは揃って猛抗議した。イース国の国王は私たちに会おうとはしなかった。出てきたのは皇太子だ。この皇太子というのがなかなかの曲者でね、好戦的なんだ」

 サミュエルが私に新しい紅茶を勧めてくれました。

「でもルーカスが気を利かせてワイドル国の軍隊を動かしていた。国境沿いまで進軍させて待機させていたんだ。それを知った皇太子は話し合いに応じたんだが、マリア妃がエヴァンとの不貞を認めたの一点張りでね」

「そんなバカな」

「もちろん誰も信じてはいない。言った本人もね。ノース国の現皇太子は第一王子だけど、地盤は弱いんだ。素行の悪さから廃嫡の噂があり、後釜は第三王子と言われている。とても優秀で穏やかな人格なんだが、母親がワイドル国の侯爵家出身の第二側妃なんだ。その側妃の伝手でマリアは嫁ぐことになったのだけれど、そのマリアがやらかしてくれたら、推薦した側妃とその息子である第三王子のメンツは丸つぶれだろ?マリアは皇太子レースの足の引っ張り合いに利用されただけだ。ただ、マリア本人が認めているというのが腑に落ちない」

「そうですよね。自分も危険なはずです」

「でも余裕の笑みを浮かべていやがった。何か裏取引があるのだろう。そこまでは分かるがなぜエヴァンだったのかが分からない。不貞相手なんてどうとでもなるだろう?」

 私は膝の上で拳を握りました。

「しかもあの女の証言が笑えるほど具体的なんだ。留学していた時にエヴァンから誘われて恋仲になった。しかし私の側近であるエヴァンのスキャンダルを恐れた官僚のコモンが、アランという駒を用意して、二人が付き合っているように見せかけて周りの目を逸らし、マリアとエヴァンは秘密裏に恋を育んだのだそうだ。誰が渡したのかは分からないが、エヴァンが学園に頻繫に赴いていた記録もあった。私も確認したが、本物の入館記録の写しだったよ。このコモンという奴は昨年事故で亡くなっている」

 亡くなった人の名前を利用したのか、本当に関係していたのかは闇の中です。
 まさか私を心配して、エヴァン様が時間を作って学園に来てくれていた時の入館記録が利用されたとは驚きました。
 カーティス皇太子はすっかり冷めた紅茶を一口飲んで続けます。

「卒業して帰国するとき、アランを同行したのは隠れ蓑になる報酬だったからだ。親に無理やり結ばされていた婚約者からどうしても逃げたかったという設定だ。ほとぼりが冷めるまでエヴァンはアランの元婚約者と婚約を結ぶ。婚約がダメになった令嬢の弱みにつけ込めるからだとさ。数年結婚を先延ばしにした後、外交官としてエヴァンはワイドル国に入国し、二人はめでたく結婚する約束だったという流れだ。それが急にノース国に嫁ぐことになって、マリアを失ってしまうと焦ったエヴァンは、結婚式に参列する私に随行し、どさくさに紛れてマリアと逃げるという、まあなんともご都合主義で杜撰なストーリーだ」

「なんですか?それ」

「なんだろうね」

 私たちは全員で大きな溜息を吐きました。

「そんなバカな話を誰が信じるのですか?」

「誰も信じてなんかいないよ。だからこそ質が悪いんだ。いっそ信じてくれているならいくらでも否定の証拠はだせるし、説得もできる。でも誰も信じていない話はひっくり返しようがない」

「いったい誰が得をするのですか?」

「まずノース国の国王は、とんでもない不良物件である王女を送り込んだという理由で、ワイドル国に宣戦布告する口実が手に入る。といっても国王は生きてはいるが病床に伏しているから実質は現皇太子だな。その皇太子は戦争を起こすことで廃嫡の噂を払拭し、ライバルである第三王子を蹴落とすことができる。第二王子は第一王子の言いなりだ。新皇太子妃のマリアは不貞を理由に離縁され、無事に平民となることを望んでいる。もちろん相当な金を貰ってね。結局のところアランとは切れていないのかもしれないね」

「みなさん自分のことばかりですね。そのことで周りがどれほど迷惑を被るかなど関係ないのかしら」

「そうだね、そこに気が回るようならこんな下らないことしないだろう。しかし、なぜエヴァンなんだ?」

「きっと私のせいです」

「それは?エヴァンから聞いたあの一件のこと?」

「ええ、エヴァン様は私がアランを追い詰めたことを怒っているのでしょう。庇って下さったエヴァン様に恥をかかされたと考えているのではないでしょうか」

「なるほどね。確かにアランを連れて帰ったマリア王女は相当やられたらしいから、その恨みも君たちに向けられたんだろうか」

「君たち?」

「うん、ノース国側は、そんなに思い合っている二人なら娶わせるという温情を示すそうだ。だからエヴァンの婚約を白紙にしろと言ってきたんだよ。そんな茶番でワイドル国に恩を売れると思っているんだろうが、リサーチが足りないよ。ワイドル国の女王は本物の王族だ。何の躊躇いもなくマリアを切り捨てるだろう」

 私はひゅっと息を吞みました。

「拒否したら?」

「エヴァンという駒は不要になったと考えるのじゃないかな」

 私はまた目の前が暗くなってしまいましたが、ここで倒れるわけにはいきません。
 ぐっと唇を嚙みしめると、口の中に鉄の味がしました。

「マリアは恐らくアランと合流した時点で、エヴァンの命を奪うつもりだろう。だが絶対にエヴァンは無事に奪還する。気を確かに持ってくれ、ローゼリア」

 私は頷くこともできず、ただ唇を嚙みしめるしかありませんでした。

「ワイドル国と連携を取りながら作戦を立てるが、カギとなるのはアランだと考えている。サミュエルによると、アランは君に詰られた日を境に、マリアに対して消極的な態度をとるようになったらしい。今更自分のやらかしたことに気づいて気持ちが萎えたのかもしれないが、だとしたら本物のヘタレだな。しかもマリアはアランに凄まじいほど執着しているし」

「アランが鍵になる?」

「そうなると思う」

「私にできることはありますか?」

「うん。あるけど言いにくい」

「エヴァン様のためなら何でもやります」

「そう?じゃあ言うけど私を恨んでくれてもいいよ」

 そう言うと皇太子殿下は座りなおしてコホンと咳ばらいをしました。

「とりあえずエヴァンとの婚約を白紙にして欲しい。一旦は奴らの策略に乗ったふりをする必要があるんだ。ローゼリアは一年くらい領地に引き籠ってゆっくりしなよ。もしマリアの言うことが本当だったら君が一番辛い思いをすることになる。はっきり言うけど、その可能性は限りなく低いがゼロではない」

 私は体の力が抜けてしまい、座っているのも辛いほどでした。
 隣でジョアンが小さな体で一生懸命支えようとしてくれます。

〈ローゼリア!しっかりしろ!今すぐに返事をする必要はないんだ。おい!泣くな!〉

 頭の中でサミュエル殿下の声が響きます。
 私は心も頭もぐちゃぐちゃで、ただ泣くことしかできませんでした。
 皇太子の言った婚約白紙の件は、エヴァン様を救うための方便だと分かっているのに、全ては仮説の上で成り立っている話です。
 でも私にできることは唯一つなのでしょう。

「わかりました。ドイル伯爵ご夫妻と面会を希望します」

 私はまっすぐに皇太子殿下を見つめて言いました。

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